この世界にも勇者はいそうです。

ふと何かのきっかけで(どうしてそうしたのか思い出せない)、「勇者」という言葉を広辞苑で引いてみたら、「勇気のある人。勇士。」と書いてあった。そうなのか、と思いもよらない文書に僕は静かに驚いてしまった。

ドラゴンクエストに夢中になった世代としては、勇者とは、「世界中の人々から希望を託され、世界を牛耳る悪の大王を倒し、世界に平和をもたらす人間」というようなイメージを持っていた。みなさんも、だいたい同じようなイメージを抱いていませんか。だから、大魔王も存在しないし、世界を平和にしてくれる人もいないこの世界では、勇者という人間は存在しない、とばかり思っていた。

しかし、どうやらそうではないのかもしれない。「勇気」を持ってさえいれば、その人は「勇者」と名乗っていいのです。と辞書は言っている。
小さな頃に憧れた勇者に僕もなれるかもしれない。

時間にも支出がある。

家計簿のようにお金の支出管理を行うものがあるけれど、同じような概念で時間の支出管理もしないとまずい、と思いはじめている。

時間に支出も収入もへったくれもないじゃないかと言われそうですが、たとえばスマホゲームに熱中した時間や、YouTubeをだらだらとみている時間とか、自分にとって罪悪感に苛まれる時間を支出と定めてみる。そうすると、その多さにきっと目を覆いたくなると思うのだ。

自粛期間がはじまってから、あきらかにスマホやネットと付き合う時間が増えて無味乾燥な時間を過ごすことが増えている。おそろしく非生産的な、ただの消費者になっている。うーん、これはまずいなあ。

というわけで消費した時間やその反対にインプットやアウトプットした時間を収入として定め、記録したい。時間の中身を記録することでぼーっと時間が通り過ぎることが少なくなるのではないかと思っています。

もちろん、だらだらと好きなことを享受する時間だって心身にとってとても大事な時間だと思う。そういうものもなければ生産だけの苦しい時間が増えていくだけだ。たぶん。ただ今は時間の消費にあまりにも偏っている状況をなんとかしたい。自分の意思だけでは難しいので、管理することで、意識を変えていけたらと思っています。

改札から逃げるように走り去る男

目の前を歩いていた男が自動改札機で引っかかった。ICカードの残高が不足していたのだと思う。まあ、僕もときどきそういうエラーをしでかすし、どちらかといえば、よく見かける光景だ。おそらく、彼はもう一度、改札の手前に戻って、ピッと打ち直すはずだ。そう思った僕は別の自動改札機に移ろうした。が、彼はゲートで閉じられた改札をムリにこじ開けてそのまま通り抜けた。ああ、そうか、一度改札外に出て、窓口で事情を話すのだろう。と思ったけれど、そうすることもなく、彼はそのまま外の方に向かって歩き出した。しかも、歩くスピードはだんだんと早足になり、ついには走り始めた。

改札機を通り抜けて走り出す人を初めて見た。何も逃げ出さなくたって、不足分の金額を駅員さんに支払えばいいだけだろうに。そんな大きな金額ではないだろう、きっと。それなのに、大の大人がマリオのBダッシュのように勢いよく逃げるなんて。映画の撮影か? ドラマのように誰かに追われているのか? おいおい、いったい誰に追われているんだ? 警察か? ヤクザか? あるいは、幻想か? むくむくと好奇心が湧き出てきて、後を追うように僕もついていった。

が、彼の逃げるスピードはギアを1速から5速に上げるように徐々に速まり、新宿駅の密集した人混みの中に消えていった。皺のない清潔なスーツを着た、いたっておかしなところのない、社会に適合した男性に見えたけれど、身なりだけでは、その人の本質は、わからないものである。今でも、ふと思う。彼はいったい何から逃げようとしたのだろうか。

雨が降った。傘をさすか迷った。

雨が降ってきた。傘をさすか、さすまいか迷うような雨である。そういう雨ってありますよね。判断にぐずついてしまうような。僕もこの二者択一問題について考えた。考えてる間も、空から落ちてくる雨によって僕の体は少しずつ濡れていく。冷たい風とともに冷たい雨粒が僕の頬に当たる。気にならないといえば、気にならない程度の雨だし、気になるといえば、気になる雨だ。

どうして僕は傘をさしたくないんだろうと考えた。片方の手を塞ぎたくないのかもしれない。できる限り、両手は自由でいたい。そういう気持ちが僕にはあるのだろう。ひょっとしたら僕の「自由でいたい」という欲求と直結しているのかもしれない。だから、自由の象徴でもある僕の手はいつだってオープンでいたいのだ。

雨粒の勢いが少しだけ強くなる。でも、僕はまだ傘をささない。周囲は、傘を広げる人が増えてきた。傘をささない人は圧倒的に少数派になった。ぽつぽつと降っていた雨は、いつの間にか、絶え間なく、ザーザーと降る強い雨に変わっていた。

これは考えるまでもなく、傘をさすべき事案だ。意地を張る必要なんて一切ない。さあ、傘をさそう。そう決めた僕は傘を広げようとした。が、できなかった。なぜなら傘を持っていなかったからだ。いったいいつから僕は傘を持っていると錯覚していたのだろうか。冷たい、強い雨が、僕の体にぶち当たってきた。

給料日は、パチンコで負けてもいい日。

馴染みの定食屋に行った。六十を越えたおばちゃんが一人で切り盛りしている店だ。「たかちゃん」と常連客から親しみを込めて呼ばれているおばちゃんと僕はかれこれ5年以上の付き合いで親のようになんでも言い合える仲である。

カウンター六席、テーブル席が一つだけの、十坪ほどの小さなお店だ。僕は空いていたカウンター席に座るなり、生姜焼き定食を注文した。たかちゃんは「あいよ」と言って狭いキッチンにふくよかな体を縮こませながら料理をはじめた。

その日は、たかちゃんの給料日だった。たかちゃんは雇われ店長みたいなものでオーナーが別にいる。

「やけに嬉しそうだね」と僕は言った。
「給料日だって知ってるでしょ」
「知ってる」
「今日はパチンコで負けてもいい日だから」
「どういうこと?」
「普段は生活かかってるからね。でも今日は月に一度、パチンコを楽しめる日なの」

頬を緩ませながら嬉しそうにたかちゃんは言った。
「あいよ」と出された生姜焼きは、いつもより柔らかく美味しかった。「おいしいよ」と僕がこぼしたら、「大したことないよそんなもん」とはにかみながら返事をする。「早く食べて帰ってよね。パチンコ行くんだから」とたかちゃんが急かしてきたので、僕は生姜焼きをゆっくり噛んで時間をかけて食し、食べ終わった後も椅子に深く腰掛けてくつろいだ。一時間経とうとする頃にようやく席を立つと、「冗談じゃないよ、まったく」とたかちゃんは笑った。

大人への第一歩

制服を着た小学生男児がポケットに両手を突っ込んで歩いていた。出勤中の大人たちと同じ歩行スピードで彼は登校していた。子どものように元気よく駆けずり回る姿はどこにもない。子どもたちが有している、無邪気な笑顔は影を潜め、クールな表情をしたまま、彼は僕とすれ違った。

ポケットに手を入れるという行為は、「俺は走らない」と、子ども時代の自分と決別を示す、大人の階段をのぼる第一歩なのかもしれない。そういう意思を彼の目に感じた。

お祭りに行くと、小学生の僕がいた。

去年の秋、生まれ育った街の祭りに行った。最後に行ったのは僕が中学生か高校生くらいの頃で、かれこれもう二十年も昔のことになる。その祭りは二日間の開催で数十万人の人が訪れる、にぎやかで規模の大きなお祭りだ。実家に住んでいた頃、僕は街をあげてのこのお祭りに毎年のように駆けつけていた。

祭りは、街の中心部から同心円状に広範囲にわたって催され、どこを歩いても、激しい人だかりになる。原宿の竹下通りの人混みが延々とつづくような光景といえばイメージが浮かぶかもしれない。その人混みをかき分けるように何台もの山車が巡行し、笛、和太鼓、鉦の祭囃子がピーヒャララとにぎやかに鳴っている。沿道には「チョコバナナ」「お好み焼き」「たこ焼き」「ベビーカステラ」「りんご飴」と見慣れた屋台が隙間を空けずに立ち並んでいる。僕はその祭りの風景を目にして郷愁の念を感じずにはいられなかった。

街の様相は栄枯盛衰のごとく変わっていく。年に一度、正月の時に地元に帰ると僕の生まれ育った街が、毎年、少しずつ、人間の細胞が日々生まれ変わるように変化していることに気がつく。新しい店ができたり、その反対に、長くつづいていた店がなくなったりしていた。何度も遊びに訪れていた駄菓子屋のシャッターが二度と開かないように閉まっていると、なんだか僕の思い出も一つ消えてしまったようで悲しくなる。

でも、祭りの光景は、あの日の光景とほとんど変わらない。ときには見知らぬ屋台もぽつぽつと見かけることもあるけれど、ほとんどの屋台は子どもの頃からあったものだ。祭りには、あまり栄枯盛衰というものがないのだと思った。

僕はひさびさの祭りで子どもの頃にあった出来事を思い出していた。祭りというものは、思い出がたくさん詰まっている記憶箱のようなものかもしれない。時を超えてその場に立つと、遠い昔の、記憶の蓋が開く。