芸人の世界は、チャレンジする人を否定しない。

僕は芸人の世界に詳しいわけではないし、お笑いの養成所に通った経験もありません。テレビやネットを通して得た情報の印象で語りますが、芸人の世界には、年齢の制限というものがないような気がします。歳がいくつだろうと、門戸は開かれ、関所のように「ちょっと待って」と止められることもなく、誰であろうが芸人の門をくぐることができます。

そういう自由な世界がなんだか羨ましい。もし僕が転職しようと思ったら、これまでの経験を活かせる会社に移ることになると思う。まったく未経験の業界に足を踏み入れようと思うと、年齢のこともあるし、なかなかむつかしいんじゃないか。やる気があって、熱量があって、もしかしたら多少の才能があったとしても、未経験の場所の門戸は、限りなく閉じられているのではないかと思うのです。

芸人の世界は、年齢も職歴も経験も関係ない。本人の自信と熱量と覚悟があれば門をくぐることができて、いい世界だなと思ってしまう。

日本という国はレール社会で、そこから踏み外すともとの道に戻ることは難しい、とよく耳にするけれど、芸人の世界のように何歳になっても、自分のやりたいことをやりたいようにチャレンジできる国だったら、もっと楽しい国になると思う。

マネキンの姿勢について

デパートでウィンドウショッピングをしていると、衣服よりも妙に気になる存在がいる。マネキンだ。あの人(と言っていいのかわからないけど)たちは、あまりまともなポーズを取ろうとしない。

両側から迫り来る壁を止めるように両腕を真横に伸ばしているマネキンや、カウボーイがピストルを放つ瞬間のように背中を後ろに沿った姿勢をとるマネキンがいる。

なかなかふだんの暮らしで、そういうアバンギャルドな前衛的なポーズをとる人は少ないんじゃないかと思うんだけど、そんなことはないのかな。アパレル業界の人たちは、あの変わったポーズをわりと普通にとるのかもしれない。

あるいは、洋服を、より美しく、よりしなやかに見せるために、ああいうダイナミックな動きのあるポーズをとっているのかもしれない。

しかし、僕なんかは、ふつうに「気をつけ」や「休め」をしているポーズや、歩いている姿勢の方が、参考になると思うんだけど、それだといけないのかなあ(もちろん、ふつうに立っているマネキンもちゃんとありますが)。

あのポーズはいったい誰が考えているんでしょうね。アパレル会社の企画部隊が考えに考え抜いて、服がもっとも映えるポーズを生み出しているのかしらん。企画するときも、みんな、変わったポーズを取りながら、新しい画期的なポーズを生み出しているのかな。

まあ、ポーズについて、とくに一家言あるわけじゃないんです。なんだか妙に気になって、おかしな姿勢をとったマネキンを見つけたりすると、吹き出してしまうことがあって。マネキンのポーズ集なんていう写真集があったら、なかなかキョーミ深い本になりそうです。少なくとも、手にとって、中身をパラパラとめくってみたくなります。

公園と女子高生のトロンボーン

夏の終わりの日曜日の昼下がり。公園の隅の木陰の下で、女子高生がトロンボーンを吹いていた。お世辞にも上手いとは思えなかったけど、失敗したフレーズを何度も繰り返したり、難しそうなフレーズを吹けるまで練習したり、強い熱量をひしひしと感じとることができた。

もしかしたら、吹奏楽部の強豪校で、レギュラーメンバーに選ばれるために必死に練習しているのかもしれない。あるいは、弱小校のキャプテンで、部を率いる責任感から、お手本となるように自主練習をしているのかもしれない。

いずれにしても、夏の暑い日に、制服を着て懸命に汗を流している彼女の姿はとても美しかった。

美しいメロディーを吹けないからといって、彼女を下手に思ったり、笑ったりすることは決してない。むしろ、部活以外の自分の時間を削って、自分のスキルを高めようとする姿勢に、僕は少し目頭が熱くなってしまった。こういう陰の努力というものに、僕は妙に弱く、涙腺が緩んでしまう。

女子高生が一人、木陰の下で吹きつづけるあの姿を、僕はしばらく忘れそうにない。

「裕福なウチの犬に生まれたかったなあ」

定食屋で昼ごはんを食べていた。隣に3人組の若い女性陣が座っていて、恋の話で盛り上がっていた。盗み聞きするつもりはなかったけれど、真横のテーブル席にいるので、たとえ耳栓で耳を塞いでも聞こえてきてしまう。3人のうち、甲高い声の女性が、会話の中心となり、話をしていた。

「当時は毎日電話していたよ。話すというより、通話状態にしている感じ。向こうは向こうで何かやっていて、私は私で自分のことをやってる。当時は一人暮らしをはじめたばかりで寂しかったし、毎日電話は苦痛じゃなかった。いまはムリかな〜、帰りの駅から自宅までの時間くらいだったら電話できるかな」

仕事の話もしていたから社会人なりたてくらいの年齢だろうか。30代の女性にはないキャピキャピの雰囲気が感じられる。30代になるということは、そういうキャピキャピが失われていくということだから。

甲高い声の女性は、ひと通り恋愛話を終え、
「お金ほしい〜」とため息と一緒につぶやいていた。

そして他の二人に話を振ることなく、話を続けた。

「私、犬に生まれたかったなあ。ちょっと裕福な家庭の犬に生まれたかったなあ。いい子にしてると『よしよし』って褒められて。生まれ変わったらそういう人生がいいなあ」

友だちは黙って聞いていた。

「ドラマとかで眼鏡をとったら可愛くなるパターンあるじゃん、あんなん、ねーよって思うよね」

友だちは黙って聞いていた。
僕も黙って聞いていた。

世界には二種類の人間がいる。話すことが好きな人と聞くことが好きな人だ。もし話好きの人で世界ができてしまったら、とんでもないことが起きそうだ。二種類の人間が不均等にならないようにバランスよく割り当てられているから、世界は平和でいられるのだろうと僕はこのとき思った。

駅員「お触りください」

夏の暑い日。僕は山手線のホームで電車を待っていた。次発の電車を待つ列の後ろに並んでいる。前方には、休日のラフな格好をしたおっさんや、肌をさらけ出した若い女性がいる。そんなターミナル駅特有の喧騒の中、スマホをいじりながら電車を待っていると駅員のアナウンスが聞こえてきた。

「ーーー、お触りください」

最後のフレーズを聞いて、僕は耳を疑った。駅構内で「お触りください」とはなんと大胆なアナウンスであろうか。ほうかほうか、触ってええんか。

いや、そんなわけはあるまい。「白線の内側までお下がりください」と言ったのだろう。危うく法に触れるところだった。アブナイ、アブナイ。酷暑の夏によって、頭の機能の一部がショートしてしまっているのかもしれない。アブナイ、アブナイ。もしかしたら、世の痴漢男性も、激烈な暑さによる頭のショートによって「お触りください」と間違って聞き取ってしまったのではないだろうか。あるいは、そうなのかもしれないと思うと、いささか同情…するわけがない。

完璧な「横顔」は、存在するかもしれない。

今、都内のスターバックスでこの文章を書いている。資格の勉強をしている女性が僕の前方にいる。彼女の参考書から、資格について学んでいるということが推測できるのだ。何の資格か、具体的にはわからない。本のタイトルまではっきりと読み取ることはできない。

彼女は、ポニーテールの黒髪で、タートルネックの黒いセーターを羽織り、深緑のワイドパンツを履いている。

そしてなにより、とても美しい横顔を持つ女性だ。見惚れてはいけないと思いながら、つい目がいってしまう。美しい横顔の女性を思い浮かべていただきたい。その人が今、僕の目の前に座っている。

右手にペンを携え、参考書に何かを書き込んでいる。彼女は今、資格のことで頭がいっぱいだろう。僕は今、彼女のことでいっぱいだ。まさか彼女も、すぐ近くに自分のことを考えている野郎がいるとは思うまい。僕は気づかれないように無表情で、パソコンにカタカタとこの文章を打っている。

彼女の横顔はまるで夏の沖縄のビーチのようだ。ぼーっと眺めているだけで、なんだか心がとろけてゆく。完璧な顔というものは存在しないと思うけど、完璧な横顔というものは存在するのかもしれない。ふとそう思った。

彼女がスマホを取り出した。誰かにメッセージを送っているのだろうか。そのとき、僕のスマホに通知が来た。差出人が不明だ。ドキンドキンと胸の鼓動が早くなっていく。もしかしたら彼女からのメールかもしれない、と、ありえもしない妄想を僕はした。

メールを開いた。ただの迷惑メールだった。

目の前にいる彼女は、どこか嬉しそうな表情をしてスマホを見ていた。彼女を喜ばす男は、なんて幸せ者だろう。

「私さ、生まれ変わったら桜の木になりたい」

あれは二、三年前の春の季節のことだった。
初めて訪れた土地で感じのいい定食屋に入り、昼食をとっていた。客席の距離は近い。都心のカフェのように瀟洒な音楽もかかっていない。静かで、こじんまりとしたお店だ。

一人で心おだやかに地元の名物料理を食していると、二人組の二十歳前後の女性の話し声が耳に入ってきた。会話の中心はシーズン盛りの花見のことで、そのシチュエーションだけ切り取ればいたってどこにでもある平穏な光景である。「花見行きたいね」「どこ行く?」「マリンも誘う?」と話に花を咲かせていた。花見の予定の話をひと通り終えたあと、窓側に座っていた女性がひと呼吸置いてとつぜん切り出した。

「私さ、生まれ変わったら桜の木になりたい」
「あたしも」ともう一人が同意した。
「一瞬だけでも、みんなに幸せを届けられたらいいよね」
「でも、美しく咲かなかったらどうする?」

その発言のあと、二人は「はあああ」とため息を吐き、両手で頭を抱えていた。

まるで漫画のワンシーンのような自虐的発言と滑稽さにまたたく間に心を奪われ、彼女たちに好感を抱かずにはいられなかった。僕なら、「うん、たくさんの人を幸せにしたいね」と同意するなどして、いい話で終わらせていたと思う。それを、美しく咲かなかった場合を提案して(しかも美しくない桜なんて見たことない)、その恐怖におののいて、がっくり肩を落としている二人をとても可愛らしいなと思った。

そのあと、どこかの観光地に出かけた気もするけれど、その記憶は一切ない。彼女たちの光景の方が僕の頭には残っている。