今の不幸は、後の幸せかもしれない。

薄暮が迫り、赤色に空が染まり始めたころ、中学校の校門で野球部の部員がユニフォームから制服に着替えている光景に出くわした。丸刈り頭の学生たちが談笑しながらユニフォームを脱ぎ、白シャツに着直している。

その青春の一ページともいえる光景を目にしたとき、僕の頭の中に在りし日の光景が蘇ってきて、自分も部活に打ち込んでいたあの頃に戻りたいなと郷愁の念に駆られた。

僕はバスケ部に所属していたがとにかく厳しかった。今では問題になると思うけど、試合でミスをすると頬にひどく強い平手打ちをされたり、足で蹴られたこともあり、そうした体罰を含めた厳しい指導に嫌気がさすこともあった。毎日何キロも走らされ、へとへとになるまで鬼のように練習していた。部活に行くことが億劫になったときもあったかもしれない。

でも、いま僕はあの頃に戻れるものなら、たとえ血反吐吐くほど辛い練習が待っていたとしても、強力なビンタをされても、戻ってみたいと思う自分がいる。指導は厳しかったが、それでも自分を含め、チームが強く、うまくなっていくことに楽しさを覚えたり、大会で勝利すると努力が報われたようで嬉しさがこみ上げてくることもあった。

自分の置かれている状況がいいかどうかは、そのときだけではわからないんだと思う。「失ったあとに大切なものに気づく」という格言があるけれど、これは「もの」だけの話ではなく、「こと」にも当てはまるんだろう。いま楽しくない環境に身を置いていたとしても、きっと、どこかに幸せはあるのだ(まったくないかもしれないけど)。