食という、日常の感動

ふだんの生活で感動する瞬間に立ち会うことはそうあることではないと思う。仕事をしているときに胸に熱い思いがこみ上げてくる瞬間はほとんどないし、サッカー選手がゴールを決めたときのように、あるいはサヨナラホームランを打った時のように興奮して思わず手を振りかざすこともない。自身の生活を振り返えると無感動に淡々と日々を過ごすことが多い。

思えば、学生時代の方が感動や心震える瞬間は多かった。所属していたバスケ部の大会で逆転勝利を掴んだり、友人のいる野球部が甲子園出場を決めたり、好きな女の子への告白が成功したり、文化祭のクラスの出し物がうまくいったり、運動会で自分の組が優勝したり、日々の生活の中でも、ドラマの主人公のように感情のボルテージが上がることがしばしば起こっていた。

学生生活の卒業とともに、そうした感動や興奮に出会う頻度は少なくなる。それはきっと学生の頃のように自分の参加するイベント(お祭りごと)がひどく減ることと無関係ではないだろう。社会に出たあとの生活は、スポットライトは当たる瞬間がそうそう巡ってこなくなる。日々を淡々と無感動に生きていくことが多くなる。

そうしたいささか味気ない日々に感動や興奮を味わせてくれるのが食だ。舌鼓を打つほどの美味な料理にありつけた日には、ちょっと幸せになれたり、感動させられる。立派なお店で出された料理に限らず、自分の作った料理でさえ、おお、こりゃうめえじゃん。とその出来栄えに自画自賛し、小さな感動を覚えることもある。

食というものは人間の三大欲求の一つで日々欠かせないものだ。そうした欲望を満たしてくれるものであるとともに、無感動な日々に感動を味わせてくれるものとしても、とてもありがたい存在だと思う。おいしいものに出会えるととても幸せな気持ちになるけれど、それはただおいしいから、という理由だけではないのかもしれません。