これは見事な景色だ。蛭ヶ岳登山(丹沢主稜縦走)

2019/5/5〜5/6
1日目:西丹沢ビジターセンター〜檜洞丸頂〜臼ヶ岳頂〜蛭ヶ岳頂〜蛭ヶ岳山荘(泊)
2日目:蛭ヶ岳山荘〜丹沢山頂〜塔ノ岳頂〜大倉BS

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3月の中頃、山好きの友人から、「ゴールデンウィークにご来光を拝む登山を計画しています」という連絡をもらったとき、僕は四の五の言わず、「行きます」と返事をした。その瞬間から、この日が待ち遠しく、とても長く感じた。とても長く。

物理的な時間性もその要因の一つだけど、それよりもやはり、ほぼほぼ仕事漬けの毎日にひどく堪えてしまっていたのだ。僕は、その期間、仕事という糠(ぬか)に骨の髄まで漬かってしまい、体をぎゅっと絞っても、仕事の成分しか出てこないような日々を過ごしていた。

蛭ヶ岳を登る日までに低い山に登って肩慣らしをしておこうと思ったんだけど、そういう時間を取ることさえも難しかった。こんどの休日に山に行こうと思っても、いざ当日を迎えると体が動き出そうとしないのである。貴重なオフの時間に山登りをするよりは部屋でゴロゴロしたり、青空の下のベンチで冷たいミルクを嗜んでいたい。いささかマゾ気質のある僕でも、仕事漬けの合間のひとときに登山に行くという行為からは距離を置かざるを得なかった。

というわけで、今回の蛭ヶ岳山行は今年に入ってはじめての登山です。標高差で言えば軽く1000m以上はある山で、山行のすべてのアップダウンの高低差を含めれば、2000mはあるかもしれない。ぶっつけ本番で大丈夫だろうか? 膝は持つだろうか? いくつもの不安が僕の頭を駆け巡る。おそらく、入念な準備をせずにフルマラソンを走るようなものだから。でも、それよりも、ようやく山に行けること、山で二日過ごせること、仕事の糠から山の糠にどっぷり漬かれることに嬉々を覚え、その日がやってくることにささやかな喜びを感じずにはいられなかった。絶頂の登山旅か、絶望の登山旅か、果たしてどのような山旅が待っているのだろう。

◯ 5/5 5:00 家を出る。
玄関を開けると五月初旬の晴れ晴れとした青空が広がっていた。今年のゴールデンウィークはあまりぱっとしない天気が多かったから、天候の不安を少し感じていたけど、どうやら問題なさそうでひと安心。とりあえず、東京の天気はいい。でも、問題は山の天気なんだよなあ。昨日の夜、丹沢は嵐や雷が酷かったらしいという情報を耳にしていた。今日は天気が崩れないといいんだけれど。

山に行くたびに思うことですが、早朝の電車は静けさと賑やかさが同居した独特の世界で構成されていますね。わいわいと話しつづける人がいれば、首をもたげながら眠っている人もいる。僕の乗った場所はどちらかといえば寝台列車のような静かな車両だったけれど、一方で、声を大にして話しているグループも一部いて、「下北沢は今日で最後! 俺、宮城でがんばるから!」と仲間に叫んでいる若者がいた。早朝の電車には、エネルギーのすべてを出し尽くした人もいれば、こういうまだまだ元気もりもりのエネルギッシュな人いる。

丹沢の山は久しぶりで、たぶん3年くらい前にヤビツ峠から塔ノ岳を登ったとき以来だった。そのときは体力的にはへっちゃらだったけど膝がやられた。「足が棒になる」という比喩はほんとうで膝が思うように曲がらなくなったことを今でも鮮明に覚えている。足を曲げようとすると意志を持ったように膝が強制的に伸ばしにくるのだ。両足をギプスで固定されたみたいに曲がらない。ほんの一瞬、「下山できないかもしれない」と本気で思った。

この登山で、階段を一段飛ばしするように大股でほいほいと登ってはいけないということを学んだ。序盤はよくても、中盤以降に必ず膝にダメージが来ることを身をもって知った。以来、登山時の心がけとして、大股で闊歩して先を急ぐような無茶はせず、小刻みにゆっくりと登ることを大事にしている。認めたくないが、自分は健脚ではない。やわい脚なのだ。

今回の山行は、足が棒になった塔ノ岳の登山よりも長いし、標高差も激しい。だから、膝のご機嫌をとることを第一に休み休みゆっくりと登ろうと思う。目的地の蛭ヶ岳は丹沢の奥地にあり、そこまで行くと、下山しようと思っても、ロングトレイルになってしまう。つまりエスケープルートはないようなものでほんとうに膝には気をつけないといけない。

そういう不安を抱えながら、1000m以上の高低差のある登山をする。いったい俺は何を馬鹿なことをしようとしているのだろう、とふと思う。眠い中、わざわざ体を起こして、重い荷物を背負って、膝に爆弾を抱えながら山に登るとは、なんて愚かなことをするんだろう。でも、と、もう一人の僕が囁く。それは、それだけの値打ちが山の旅の先にあるからなのだ。ないかもしれないけど。

小田急線の町田駅を過ぎたあたりから、ポツポツと登山者の姿が見えはじめる。そして、車窓に丹沢の山容が映りはじめる。これから、あの山々の奥に向かうのだと思うと軽く身震いが起こる。北アルプスのような峻険な山ではないが、ガレ場や痩せ尾根を歩く予定だし、多少の危険を伴う山行でもあるから。

◯ 7:04 新松田駅
山を登る格好をした乗客がごそっと駅のホームに降り、そのまま、登山口のある西丹沢ビジターセンター行きのバスに待つ列に並んだ。僕はここで友人と落ち合い、バスを待って乗り込んだ。車内はすみずみまでハイカーだらけ。

目的地に近づくにつれ、車道は山間に入り、道は狭くなる。ところどころで一車線になり、対向車線から来た車とすれ違うときは当然だけど、すれすれ。都市の一般道なら、そこまで緊張することもないかもしれないが、山の道の場合、片側は崖になっているので、少しでも車輪が車道からはみ出たらそのまま横転してしまう。そういう道でも運転手さんは大きな車体を巧みにハンドリングし、何事もないように進んでいく。

思うんですが、こういう山間の難しい道を走る運転手さんと都内のバスを走る運転手さんの給料事情はどうなっているんだろう。やはり、乗客の多い(売上が多い)都心部の方がそれなりにいいのだろうか。運転技術的には、山の運転手さんも、それなりに高いものを求められるだろうから、スキルに見合った対価として都心部に負けないくらいいただいてもいいような気がする(じっさいはあまり変わらないのかもしれないし、その実態はぜんぜん知りません)。という余計なお世話を考えながら、登山口までの道中を過ごす。

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西丹沢ビジターセンター

◯ 8:43 西丹沢ビジターセンター出発
四方八方、山に囲まれた西丹沢ビジターセンターに到着。これも、山に行くと、いつも思うことですが、バスから降りて山の麓の空気に触れたとき、「眠い目をこすってやってきてよかったな」と晴れやかな気分になります。朝早くから山にいるだけでなんとも言えない爽快な気持ちになります。しばらくここで呆けていたいけど、とはいえ、スタートラインで快感に浸って時間をロスするのはもったいないので、トイレを済まして、登山届けを出して、準備体操をして、早々に本日の目的地である蛭ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめる。標準的なコースタイム通りに歩ければ、おそらく、15、16時くらいには山頂に着くはずだ。それより遅くならないといいなあ、と思いながら歩いているとまもなくキャンプ場が出現して、たくさんのキャンパーがテントを張っていた。みんなゴールデンウィークの締めを自然の中で過ごそうとしているのですね。その気持ち、とてもわかります。

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河原にはキャンパーがたくさんいた

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「熊出没」の看板とともに登山スタート

車道から登山道に入ったとたん、それまでのゆるやかな坂道とはがらりと変わり、傾斜の強い登り坂がはじまる。「ようこそおいでなすった。この山はやさしくないぞ」という山からのメッセージみたいだ。そういうことならこっちも望むところよ、と息巻いてびゅんびゅん飛ばしては相手の思うツボだ。それで僕は一度失敗している。あとあと足にダメージを負うことは知っているので、山からの挑戦状は、やんわりと受け取り、小股で、ちょぼちょぼと登りはじめる。スタートからラクをさせてくれない山だぜ、こんちくしょう。でも、そのうちだんだんと緩やかな傾斜になり、歩きやすいなだらか道に変わった。西丹沢の山は登山者を試すように、試練を与えたあとで、ようやく僕らを歓迎してくれた。

◯ 9:30 ゴーラ沢
ゴーラ沢に到着。おびただしい数の岩石の間をちゅるちゅると耳ざわりのいいせせらぎの音を立てながら、澄んだ水が流れてゆく。「ゴーラ」という名前の由来は知らないけど、濁点のつく名前とは思えないほど、山と水と岩に織り成された清らかな場所である。ここで、ちょっとばかり休憩。体を屈めて川に触れる。水はひんやり冷たい。女神が頬を撫でるようなやさしい風が身体を通り過ぎる。とてもきもちのいい五月の朝だ。こういう場所を自然の恵みと呼ぶのかもしれない。

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ゴーラ沢で10分ほど休憩。風も緑も水もあり、気持ちのいい場所です。

しばらくここに留まりたい気持ちもあったけど、そういうわけにもいかないので後ろ髪を引かれる思いでまた歩きはじめる。まだまだ道中長いのだ。のんびりしていると日が暮れてしまうし、日没までには蛭ヶ岳の山頂にいないと身の危険に及んでしまう。ふつうの旅とちがって、登山の旅にはタイムリミットがあるのです。だから、登る前の計画も、登山中の計画もとても重要なのです。

ゴーラ沢を抜けると、アップダウンの繰り返しになる。登って下っての繰り返し。こういうとき、つくづく何もない平坦な道がいちばん歩きやすいなあと思います。登りと下りは、どちらだろうがやさしい道ではありません。それなりにしんどいし、それなりに汗をかくし、それなりに苦しい。とはいえ、ふしぎなことに平らな道よりも、楽しいときもあったりします。とくに登りにおいては、苦しいんだけど、苦しいんだけど、つまらなくないときがある。とくに振り返ったときに見える景色がよくなっていくと。

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振り返ると、広大な景色が見える

山道というのは未踏の道ではない。この日も僕らと一緒に歩いている人たちはいたし、過去にも登っている人はいるし、これからも足を踏み入れる人はいるだろう。でも、そんなに大勢の人が歩くような道ではない。新宿駅の一日のように何十万の人が歩く道ではない。あまり歩く人がいない道というのは、なんかいいじゃないですか。

登山口の西丹沢ビジターセンターから一つ目の山の檜洞丸までの標高差は1000m以上あるので、当然のことながら、その高さを登り切らないといけない。足に用心しながら登っていても、さすがに1000mの高低差を登りつづけていると、少しずつ、着実に、膝にダメージが溜まっていく。山が牙をゆっくりと見せはじめる。しかしながら、そんな牙を見せながらも、穏やかな風が吹き、鳥はやさしく鳴いている。そのコントラストは、山の天国性と地獄性の両立を感じさせてくれる一端だと思う。

そして、丹沢山塊でよく見かける木の階段の登場。僕はこれが苦手です。強制的に足を上げなきゃいけないので膝に負担がくるのです。乳酸が溜まるというやつなのかな。先までつづく階段を見るとげんなりしてしまう。階段はやめてぜんぶエスカレーターならいいのに、と身も蓋もない悪態を吐きはじめる。

標高1500mを超えたあたりから、涼しさがぐんと増し、生い茂っていた樹木は枯れ木に姿を変え、冬の様相に変わりはじめる。山の上と山の下では世界は異なる。この場所では、まだ冬のおわりなのだ。

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丹沢名物?の木の階段。けっこうしんどいです。

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冬の様相を見せる山頂付近。山は春も冬も同居している。

◯ 11:50 檜洞丸頂
最初の目的地である檜洞丸の山頂に到着。わりと順調なペースで登っている。そんなに疲れてはいないし、急登や木製階段にちょっとやられはしたけれど、足もまだまだ大丈夫。悲鳴はあげていない。山頂は、広々としていて眺望も悪くない。僕らよりも早く登頂した人もわりといて、景色を見たり、談笑をしながら、ご飯を頬張っていた。みんなこのあとどこに進むのだろう。僕らも、ここで昼食をとる。おにぎりとサンドイッチで燃料補給。

ここまでやって来ると、先に進むことも、引き返すことも一筋縄ではいかない。どちらに進むにせよ、それなりに歩いて登って降らなければならない。山に入るというのはそういうことである。泣き言を言って「ここから逃れたい」と思っても、どこでもドアがない限り、やすやすと元の世界に戻れる道はないのである。そして、「逃れるすべがない」と明確に意識すると妙な覚悟が生まれる。この気持ちは、山に入らないとなかなか味わえない。

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檜洞丸山頂。広々としていてゆっくりお昼を取れる

◯ 12:30 檜洞丸頂 出発
40分くらい体を休め、山頂をあとにする。ほとんどの人はここから西丹沢ビジターセンターに折り返すか、別のルートを取るようだ。僕らと同じように蛭ヶ岳に向かう人は誰もいなかった。人のにぎわいはとんと消え、静かになった。そして、前方には本日のゴール地点である蛭ヶ岳がいよいよ姿を現した。あの頂までこれから歩くのだ。緩んだ帯をギュッと締め直す。天候も問題なさそうだ。視界良好、いざ出発。

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左側に見える、ちょこんととんがっている山が蛭ヶ岳。

まず、檜洞丸の山頂から一気に300mほど降る。とかんたんに書いていますが、ただ降るといっても、それなりに体に負荷はかかる道程です。高さ300mというと、ひとたび都市に目を移せば、この数字は超高層ビル並みの高さ(パッとインターネットで調べたら、大阪の「あべのハルカス」が300mで60階建みたいです)で、その最上階から階段で一気に降ると思ってみてください。ちょっと嫌になりますよね。それと同じようなことを、このときも、階段を降りるように急勾配をストンストンと直下に降ってゆく。

蛭ヶ岳は丹沢最高峰の山なので、当然ながら降りた分だけまた登らなければならない。つまり、単純にいえば、あべのハルカスの60階から1階まで降りて、また1階から60階まで登らなければならないということです。その繰り返しが登山なのである。登山と関わりのない人から見れば、そんなアホらしいことをようやるわ、と思われるかもしれないですが、山好きの人(とくにロングハイカー)はおおむね頭のネジが一本飛んでいるのでそんな悪行も悪態をつきながら、えほえほと登ってゆきます。

さらに、試練はそれだけではありません。一気に300m降りられれば「まだ」いいのですが、そうは問屋が卸さない。山と山の間のいちばん低い「鞍部」と呼ばれる場所にたどり着く前にこんどは急登が登場するのだ。一直線に降るのではなく、波線のように、下って登って下って登ってを繰り返しながら、鞍部に向かうのです。まるでジェットコースターのように。

なかなか手強い山である。口笛を吹いていたら山頂でした、という理想的な道はどこにもない。現実は過酷だ。人生と似ています。

◯ 14:05 臼ヶ岳頂
ごっそりと体力を削られながら、臼ヶ岳の山頂に到着。蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳といった丹沢のオールスターが一望できる場所でとても眺めがいい。ここまでくれば蛭ヶ岳の山頂までもうひと踏ん張り。次に休憩するときは蛭ヶ岳の山頂に着いているはずだ。膝よ、それまで持ってくれ。

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蛭ヶ岳までもう一息。

間近に迫った蛭ヶ岳は、遠くから目にしたときよりも遥かに高く、無骨な男のように厳格に聳えている。つぶさに観察していると山頂の近くで高度を一気にあげる一帯がある。このまま引き返すのであれば、その一帯も対岸の火事ですむのだけれど、僕らはその場所を登らないといけない。ほんとに手強い山である。僕はほんとにあの場所を登れるのだろうかと心の中でビビりはじめていた。そして、その不安は的中するように、ここから蛭ヶ岳の山頂までの道のりはひどく苦しい道のりだった。

はじめはよかった。痩せ尾根など、金タマがヒュンとする道もあるにはあるけれど、ビビり係数でいえば、それほど極端に上がる場所ではない。

問題は突如として現れた鎖場からだった。この鎖場から、道は崖のフチに変わり、辛さも、恐怖感も、ぐっと上がった。足を踏み外したら、「かなりマズイぞ」と誰もが感じる場所を一歩一歩慎重に登る。登山道は安全性を向上させるために鎖が用意されている。その鎖を片手でつかみながら登るのだけど、ときどき、鎖のない道もあって、そうなるともう恐怖感から何かにつかまりたくて近くに生えている低木を鎖代わりにつかもうとする。でも、そうはさせないぞ、と試練を与えるように低木の枝はトゲトゲだらけでつかめなくなっている。

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過酷な道がスタート

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ひどく高度感を感じる場所で鎖場がつづく

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しかし、振り返ると美しい景色がある

高所恐怖症の僕が「なぜこんなところに来るんだ」となんども自問自答した。この場からなんども「脱出したい」と思った。この恐怖からはやく逃れたくて、山頂(1673m)までどれくらいだろうとiPhoneのGPSアプリで高度を確認したら、1450mと表示されている。かなり登ったと思ったけれど山頂までまだ200m以上もあるの!? と愕然とする。

山頂まで残りやっと100mをきったころ、右足の腿がつる。いや、正確にはいえば、つってはないんですが、つる前兆のような感覚を覚える。うまく足が運ばないのだ。おいおい、勘弁してくれよ、こんな崖縁でつらないでくれよと心は涙目になってくる。

鎖場から山頂までの道のりはドランゴンボールのカリン塔を登るような恐怖感と同じ類いのものではないかと思ってしまった。大げさすぎる表現かもしれないですが、高所恐怖症の僕にとってそれくらいの恐怖感を覚える場所だった。悟空はひどく高度感のある場所(しかも足を置く場所も不安定!)をすいすい登るけど、僕はあんなふうに軽やかには登れない。

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ここまで来ればもうすぐ

◯ 15:40 蛭ヶ岳頂
しかし、登っていれば必ず目的地に着くもので山荘が見えた時の安堵感は凄まじいものがあった。ほんとにホッとしました。それから、少し落ちついて、山頂からあたりを見渡すと見事な絶景に息を呑みました。これは、苦労して来る価値ある場所だ。山荘を中心に東側は都心の街並みを眼下に収め、西側は富士山や南アルプスの山々が見え、北側はいくつもの山が連なった山容があり、南側は、丹沢の山々と箱根の街と太平洋が広がっていた。絶景のフルコースのような贅沢な山頂だった。

富士山は、無骨で峻険で、男っぽく(雪化粧の美しい感じはない)、シンプルにかっこよかった。今まで目にした美しい富士山の姿とは似つかないもので口数の少ない侍のような男らしさがあった。これはホレる。富士山は、冬は女性の姿をし、夏は男の姿をする山なのかもしれない。富士山にかかる陰影も見事で、日本の真ん中にどんと聳えていた。

そしてやはり景色が抜群。これを見るために、がんばって登ってきた甲斐があったと言い切れます。ほんとうにいい景色だった。雄大な山々、富士山、首都圏の街並み。写真ではなかなか伝わらないのが悔しい。これは自分の目で見ないといけない景色だと思った。

僕と同じように景色をじっと眺めている人がいた。ご飯と睡眠は体力を回復させてくれる。絶景は気力や精神力を回復させてくれる。

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丹沢最高峰「蛭ヶ岳」に登頂

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富士山が聳え立つ西側の景色

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関東平野を望む東側の景色

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山々が連なる北側の景色

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気持ち良さそうな丹沢稜線が見える南側の景色

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宿泊する「蛭ヶ岳山荘」

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山荘のはしご階段を上がった屋根裏部屋が僕らの寝床だった。どうでもいいことですが、山荘内で一番高いこの場所こそ、神奈川最高峰なんじゃないかと思った。

◯ 17:40 蛭ヶ岳山荘 夕食
山荘で夕飯をいただく。メニューは蛭ヶ岳カレーとお惣菜の数々。ルーのおかわりはできないとのことだけど、ご飯はおかわり自由だった。僕はおかわりもいただいてたらふく食べました。

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ご飯のお代わりができる蛭ヶ岳カレー

そして、食べおわるころ、ちょうど日が落ちる時間になり外に出る。でも、日の沈む西側の眺望地点に出向いた瞬間、落胆してしまった。ガスっていたのだ。これでは夕日を拝めそうにない。それでもわずかな希望を胸に、何人ものハイカーがその場所で待機している。みんな心の中で、「晴れろ」と祈っていたの違いない。僕もその一人だ。

そのみんなの願いが通じたのか、まさにちょうど日没のタイミングで、雲がはけ、富士山と夕日が綺麗に見えた。とても素晴らしい景色だ。みんなの顔も晴れ晴れとしている。心のアルバムに記録される景色の一つだった。なぜ山に登るのか? という永遠の問いに対する答えの一つですよね、山頂からの素晴らしい景色は。

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ひどくガスってしまい、何も見えず。みんな一縷の望みをかけて晴れ間を待っていた。

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その願いが通じたのか、徐々に雲が消えていく。

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赤く染まる幻想的な景色が現れた。 (丹沢はキャンプ場以外テント禁止なので、左手のテントは片付けられました)

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みんなもこの瞬間を待っていた。

小屋に戻ると、こんどは山荘のご主人による丹沢プレゼンがはじまった。四季によって移り変わる丹沢の美しい姿を写真を通して僕ら宿泊者に紹介してくれた。春も、夏も、秋も、冬も、それぞれに見所があり、「とくに夏はどっと減りますが、丹沢はいつ来てもいいところです」とアピールしていた。それから、「昨日は大雨に雷で20名くらいキャンセルが出たんです。今日の人は晴れて運が良かったですね。夕日も夜景も見れそうで」と話していた。そうなのだ、本当にこの景色が見れて幸運だった。

そし明日の天気予報についての話がおわったと下山の話になり、「蛭ヶ岳はどのルートを選んでも、下り始めの傾斜は厳しいです」ということだった。僕はそれにだいぶビビってしまった。明日は丹沢山方面につづくルート(登りとは別のルート)を進む予定だけど、また登りの時のような恐怖ルートを進まなければいけないのだろうか、と思って心配になってきた。うぐぐぐぐぐ。

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日が暮れると、山荘のご主人による丹沢プレゼンが始まった。

すっかりと日が沈み、暗闇に覆われると僕らは外に出て東京の夜景を目に納めた。オレンジ色の光沢が、ダイヤを床にばらまいたようにキラキラと光り、とても美しい景色だった。僕はジャケットを羽織り、フードをかぶってしばらく眺めていた。見上げると星が輝いている。夕景といい、夜景といいい、この日、このとき、この場所にいられて、幸せだと思った。

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関東平野に近い山だからこそ望める、綺麗な夜景。

山荘は20時消灯。でも僕が眠りについたのはたぶん0時過ぎでした。それまでは目を瞑っていたけれど、なかなか寝つけなかった。どこでも眠れるということが僕の特技の一つかと思っていたのですが、どうやら違うようである。あらら。まあ、先に寝ている人のイビキがすごかったせいもあるかもしれないが。それから風の音もすごかった。けたたましくビュンビュン吹いていた。気のせいでなければ、そんな風の叫び声が聞こえる真夜中の0時過ぎに山荘を出発した人もいた。そんな時間からどこに向かうのだろう? 人には人の目的と計画があるのですね。

◯ 5/6 5:51 蛭ヶ岳山荘出発
山荘の朝は早く、4時には明かりがつき、みんなゾロゾロと起き始める。ご来光を目当てにみんな起きるのだ。気温は5度。僕も厚着をして外に出ようと思ったら、みんな小屋の中でガヤガヤしている。どうやらガスってしまい、まったく何も見えないようなのだ。確かに窓の外は、一面ガスだらけで、雲の他には何も見えない。まあ、仕方ない。夕景も夜景も朝日も、はじめからぜんぶ見えてしまったらおもしろくないですもんね。山荘のご主人によると、まだ、夜景に覆われた都会の街に向こう側から日が昇ってくると言っていた。夜と朝の同居である。それはなかなか珍しい光景だ。正直いえば、見たかったなあ。

朝食をいただいて、準備をし、丹沢山に向かって出発した。丹沢の見どころの一つである丹沢山につづく長い稜線だ。本来なら、ここもまた見事な眺望ゾーンのはずなんだけど、ガスっていたため、まったく見えず、ひたすら雲の中を歩くことに。ちょっと、いや、けっこう落胆してしまった。昨日がドラマチックに良すぎたために。まあでも、あたりがまったくが見えない分、高度からくる恐怖感は薄らいだかもしれない。

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日の出を期待して、朝起きたら、こんな悲しい状態で肩を落とす。

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本来なら、気持ちのいい稜線歩きができるはずだったんだけど、この天候で周りが全く見えず。

◯ 7:10 丹沢山頂
途中、晴れ間が見えたりしたので、そのうち晴れるかなあと期待していたけれど、結局晴れず。丹沢山の山頂についても、その傾向は変わらず、眺望は一切なし。まあ、晴れていたとしても、蛭ヶ岳が大差をつけて勝負ありだったような気がする。丹沢山は日本百名山だけど、どうなんだろうね。

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丹沢山頂に着いても、天候は変わる気配を見せず、曇ったまま。

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丹沢山を超えてからはハイキングコースのような、なだらかな道がつづく。

◯ 8:20 塔ノ岳頂
丹沢山からは、ほぼ平坦&下りのルートでけっこう楽チンでした。あいかわらずガスっていて道中の見どころもないので、すいすい進む。とくに難所もないし、晴れていたら、気持ちのいいコースなんだろうなあと思った。そしてあっという間に塔ノ岳に到着。ところが、塔ノ岳の山頂はひどく寒かった。ものすごい強風が山頂を襲い、座って休むことすらままならなかった。しかも、まったく晴れ間なし。今日は朝から天候には恵まれないようだ。というよりも、昨日の蛭ヶ岳がラッキーだったのかもしれない。

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ガス以上に、風がすごかった塔ノ岳山頂。

塔ノ岳からバス停のある大倉までは林道をひたすら降りる。同じような景色の連続で、飽きがくる。退屈な道だ。登るのも、ひどく辛そう。塔ノ岳から大倉まで距離にして7km。けっこうしんどい。景色は変わらずガスっているせいで見えないし、しいて楽しい道を挙げるとすれば、時々登場する木々に挟まれた平坦な道くらい。ここは平和的でいい感じだが、とくに語るような道はない。

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下山中、鹿に遭遇。

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ひたすら下りつづける、大倉尾根(通称バカ尾根)。

◯ 11:20 大倉BS
無事に下山。おつかれさまでした。よく働いてくれた、俺の手足。思い返せば、なかなか刺激のある登山だった。体力は削られるし、足はつりそうになるし、膝はガクガクになるし、気力も滅入るし、ヤなことを上げればキリがないかもしれない。それでも、蛭ヶ岳の山頂は、そんな数々のつらさを吹き飛ばすほどの絶景だった。また見に行きたいと思える景色の一つだったと思う。

◯ 東海大学前駅 秦野天然温泉 さざんか
この二日間でたまった汗や汚れを綺麗に洗い流す。広々としたスペースのわりに、お客さんの数は少なく、とても快適な温泉でした。人口密度の低い温泉って、それだけでいうことありません。丹沢帰りの温泉でいうと、鶴巻温泉駅にある「弘法の里湯」が人気だと思いますが、あそこはわんさか人が押し寄せて、ゆっくり浸かれないところが難点でした。その点、「さざんか」は人が少なく、疲れを癒すには最高の温泉だったと思います。

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登山の汚れや疲れをどっと落とすことができた天然温泉「さざんか」

蛭ヶ岳の急登では、「もう山なんて行きたくない!」と決心めいたものを意識してしまうほど、身も心も恐怖に打ちのめされる体験をした。その場から一刻も早く逃れたかったし、なぜこのルートを選択したのか、後悔もたくさんした。甘く見ていた自分を叱りたかった。しかし、自然から離れ、都会のコンクリートジャングルの中に戻ると、また山に行きたくなってしまっている。やはり頭のネジが一本外れているのかもしれない。さあ、次はどの山に行こうかな。

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辛い時もあったけど、それを軽く吹き飛ばしてしまうくらい、見事な景色がある山でした。