富士山とつるつる温泉が待っている。【御岳山〜大岳山〜日の出山】

◯ 8:00 御嶽駅 2018年7月8日
「ホリデー快速おくたま」に乗って御嶽駅に到着。土日になると出現するこの中央線の快速列車は、新宿から乗り換えなしで奥多摩まで運んでくれるありがたい列車だ。奥多摩方面に向かうときは必ずといっていいほど世話になる。それは僕に限った話ではなく、数多くのハイカーが乗り合わせてくるところを見ても重宝されていることがわかるだろう。梅雨のあけた7月初旬のこの日も、「ホリデー快速おくたま」はハイカー御用達列車になっていた。

僕が最初に目指す御岳山は御嶽駅からバスで10分ほど揺られ、ケーブルカー(御岳登山鉄道)に乗り換えて御岳山駅まで登り、そこから山の上の集落の間を抜けるように30分ほど歩くと山頂(御嶽神社)に着いてしまう。とても楽な山行である。高尾山よりも簡単に登れると思う。そういうお手軽さも御岳山の人気を支えているのだろう、この日も多くの人が御岳山にやってきていた。それからこの山を人気たらしめている最大の理由は(おそらく)ロックガーデンという岩石園のエリアである。詳しくは後述しますが、岩と苔と水が織りなす光景はなかなか美しいもので、これを見るとこの地に訪れたくなる理由もわかる。

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◯ 9:02 御嶽神社
御岳山の山頂である御嶽神社から次の目的地である大岳山までのルートはロックガーデンを経由するルートと直接大岳山に向かうルートがあって、ほとんどの人はロックガーデンに進路をとる。ロックガーデンを経由しない人は僕と途中で見かけた老夫婦1組だけだった。老夫婦は一言も口を開かず、静かにゆっくりと歩いている。おじいさんの半歩後ろをおばあさんが黙っててくてくとついていく足取りがひどく可愛らしい。大岳山への直行ルートにはロックガーデンのような自然の美しさはないけれど人の美しい光景を見ることができた。

朝、目が覚めたときは山に行くのが面倒くさいなあという気持ちが襲いかかってきて、出かけるのが億劫になる。眠たい体をむりやり起こして顔を洗って歯を磨いてという行為自体がもう面倒。なんで休みの日に朝早く起きて山なんかに行かなきゃいけないんだ!と自分に対して悪態をついてしまう。それでも、いざ、重い腰を上げて山まで来ると、やっぱり来て良かったと思うんです。そう思わせてしまう光景や空気が山にはある。この老夫婦の光景もその一つだと思うのだ。

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ロックガーデンルートとの再合流地点から、傾斜は少しずつきつくなっていく。姿勢は前屈みになり、この日初めて汗もぽつぽつと流れはじめてきた。時を同じくして頬に雨粒があたる。雨粒というよりも、水滴のシャワーみたいだ。それが火照った体の熱を冷ますようで気持ちがいい。樹林帯を歩いていたこの時間帯は、森林浴でもあり、水欲のような時間でもあった。

前方に滑落注意という看板が出現する。岩場の細い道で、左側は崖のようになっている。足を滑らせたりでもしたら一大事だぞ、というような場所だ。僕は高いところは苦手だし、こういう道はあまり好きではない。危険箇所ほどアドレナリンが沸々と湧き出るような特異人物では決してない。できれば終始安全な道のりだと助かると願う平和志向型ハイカーである。登り慣れた人なら、どうってことはない道なんだろうけど僕は慎重に足を滑らせないように登った。下るときにまた通ると思うと嫌だなあと思ったが、まあ、仕方のないことである。それを覚悟しての登山だ。こういうのが嫌なら登らなければいいだけだ。

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ざわざわ、ざわざわと木々が騒ぎ出した。樹木の葉が一斉に擦れる音がする。なにか不穏な空気を感じる音だ。すると、僕の頬、腕、頭に雨粒が落ちてくる。先ほどのハイカーを祝福するような水滴のシャワーと違って今度は本格的な雨だった。参ったなあ。山頂まではおそらくあと少しだが岩場はまだ先にもあって道は滑りやすくなる。一旦とどまるべきか悩んだけど、ほどなくして雨は弱まったので先に進むことにした。山という場所はほんとに天候が変わりやすい。

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○ 10:20 大岳山 山頂
山頂に着いたとき、雨はほぼ止んでいた。
樹林を抜け、岩場を抜けた山頂には富士山まで見渡せる見事な眺望が待っているはずだった。が、静岡方面の空はぷかぷかと雲が漂っていて、富士山を覆い隠している。僕はいささかの失望とともに肩を落とし、ザックを下ろした。そして空いていたベンチに腰を掛けた。ここでさらに追い討ちをかけるように残念な出来事が起きる。きょうはコンビニおにぎり&サンドイッチのいつものお手軽昼食はやめて、山頂で肉を焼こうと息巻いていたのだが肝心の豚肉を家の冷蔵庫に忘れてきてしまったのだ。僕はふたたびがっくしと首を垂れた。まあ、こういう日もあるさ、と自分に言い聞かせ、気落ちしたままベンチで休んでいると「富士山だ」と弾んだ声が周りから聞こえてくる。その吉報は真実の歓声だった。眺望の先から富士山が姿を現した。もしかしたら、不運(といっても肉を忘れたのは自分の不注意のせいだ)な僕を慮ってひょっこり顔を出してくれたのかもしれない。

富士山を眺めていると「となり、いいですか?」と老婦人が声をかけてきた。艶のある白髪で物腰の柔らかい上品な方だった。一人で山登りに来るような方には見えない。でも、この方は一人で来ていた。もちろん構いません、と僕は返事をした。
「見られないと思っていました、富士山」と老婦人は言った。
「さっきまですっぽり雲に隠れていたんですけど、ちょうどいま見え始めたんです」
「そうですか」老婦人は八千草薫が微笑んだ時のような優しい顔をした。富士山が顔を出したのは僕のためではなく、この方のためだったんだろう。なぜだかそういう気がした。

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○ 10:55 大岳山 山頂 出発
次の目指す山頂である日の出山に向かって来た道を戻る。一度通ったこともあって、すいすい下る。ふたたび、恐れおののいていた滑落注意の場所に差し掛かる。でも、登りのときより怖さはなかった。いちど経験したからなのか、下りだからなのかはよくわからないが、もう身がちぢこまることはなかった。

○ 11:45 ロックガーデン
下りではロックガーデンルートを選択。この岩石園を実際に自分の目で見るとその美しさは写真よりも一際輝いてみえた。岩と苔と水が互いに協力しあって、額縁をかけて家で鑑賞したくなるような自然美をつくっている。さらにその自然美は気持ちのいいせせらぎの音も奏でてくれている。来る人みんなをいい気分にさせてくれる舞台がロックガーデンにはあった。
そういう訪れてよかったと思える場所だけあって、ロックガーデン一帯はこの日の山行でいちばんの賑わいを見せていた。大人も子どもも、お年寄りも、外国人も、さまざまな人がラフな格好で観光地のメインストリートを通るようにぞろぞろと歩いていた。

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○ 12:15 七代の滝
「七代の滝」という案内板を見つけ、せっかくなので行ってみることにした。次の目的地である日の出山へのルートからは外れていたけど、時間的に余裕があったし、どういう滝か見てみたい気持ちもあったのだ。が、滝までの道のりが思っていた以上にやっかいで、急階段を落ちるように下っていく。下るときはまだよかった。問題は登りだ。滝から分岐点まで戻るために、その急階段を登るのがかなりきつかった。滝のことよりも、この急階段のことが深く刻まれた場所だった。

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○ 12:47 御嶽神社 入り口
御嶽神社の入り口まで戻る。今度はこの場所から日の出山の方へ舵を切る。昼下がりの時間ということもあって、僕と同じようにこれから日の出山に向かう人は一人もいない。でも僕はとにかく早く日の出山に向かいたかった。なぜなら、その先に「つるつる温泉」という(たぶん)ハイカーの間で有名な温泉があるからです。
「御岳山に行くんです(あるいは行きました)」と山好きの人と話をすると、「ということは、つるつる温泉に下山ですね」という会話になることが多い。それくらい御岳山とつるつる温泉はセットで語られる。

一人きりの静かな山をわりかし早足で歩いていると、道の先に熊が仰向けになって倒れているような黒い物体が見え、一瞬足がすくみ、心臓の鼓動が太鼓を素早く打つように早くなる。近くまでいくと、もうなんの変哲もないただの岩だったんだけど、遠くから見るとそうは見えなくてほんとに驚いた。紛らわしいフォルムだ、まったく。ひとりぼっちのときの心細い心理が岩を熊に見させてしまうのかもしれない。

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○ 13:20 日の出山 山頂
日の出山の山頂に着く。標高も低く、ルートもラクなわりには展望のいい山です。東京と埼玉を広く見渡せる。しかし、この時期の低山はやはり暑い。眺めのいい場所でも、景色を十全に楽しもうとすると辛い。座っているだけでも汗がだらだらと流れてくる。到着してまもなくは爽快な景色に目を奪われていたけど、数分後には暑さに耐えられなくて早く温泉に向かおうという意識になっていた。

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山頂からつるつる温泉までは下るだけの道で、暑さから逃れるように、温泉を渇望するように、早足で下っていった。「つるつる、つるつる」と頭の中で連呼をしながら下っていると4人のお年寄り集団の後ろに付いた。追い越そうと思っていたら、お年寄り方の話が興味深くて、結局山を抜けたふもとまで金魚の糞のようについていってしまった。以下は、その時のおじいさんとおばあさんたちの会話の一部です。

「若い頃は、槍から剣に縦走していたし、昔は人の荷物も背負って登っていたんだけどな。今じゃ、自分の分で精一杯さ」
「あら、いくつだっけ?」
「オラ? 27だよ」
「なら、まだいけるわよ。私も17だし、いけるかな」
「いけるいける」

「どこの山が良かった?」
「チョウがいいね、チョウ」
「鳥海山?」
「ちがう、蝶ヶ岳。景色がすごくいいの」
「いつ行くの?」
「冬に行く」
「山荘は開いてるの?」
「いや、避難小屋に泊まる」
「私は西穂かな」
「西穂は鎖もロープもないし、いいよね。自分で登るだけ。笠もいいよ、笠ヶ岳」

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○ 14:33 つるつる温泉
おそらく3、4度目の再訪になるつるつる温泉。浴室の真ん中に楕円形の大きな風呂がどんと構えていて、その周囲に体を洗うスペースが点在している。多くのハイカーやトレイルランナーたちが汗を流し、温泉に浸かってゆっくりしていた。僕も体の汚れと汗を流して温泉に浸かって疲れをとった。

そしてサウナに入る。詳しくはまた別のときに記したいと思っていますが、最近、「サウナー」という言葉を知り、「整う」という不思議な体験をしてしまった。そういうこともあって、つるつる温泉のサウナと水風呂も楽しみにしていた。6人入るのがやっとという小さなサウナ室に10分浸かり、水風呂へ。水温は22度でちょっとぬるかったけど、それが入りやすくて気持ちよかった。で、外気にあたり、整った。
入浴後は、食事処でカツ丼をいただき、空腹に苛まれていたお腹を満たし、今日の山行について簡単なメモをした。つるつる温泉から武蔵五日市駅までのバスが出ているので、あとはバスが来るまでのんびりと過ごすだけだ。

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○ 16:35 武蔵五日市駅
雨に降られたときはどうしよかと思ったけど、止んでよかった。大岳山では富士山を見ることができたし、御岳山のロックガーデンもよかったし、下山後のつるつる温泉もよかった。なかなか満足のいく山行でした。暑い、という苦難もありますが、大抵は樹林帯で直射日光を浴びることはほとんどありません。暑さがどうしても辛いということであれば、春とか秋に行くといい山行を楽しめると思います。

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