また行きたくなる山。【伊豆ヶ岳〜子ノ権現】

○ 7:04 正丸駅 2018年6月2日(土)
時計の針が早朝の5時をまわったばかりの山手線は、腕を組んで首をうとうと傾けながら頭を垂れてる人がたくさんいた。ついさっきまでクラブミュージックが鳴り響く薄暗い空間で、はじけていたとみられる若い男女のグループが電車のシートにもたれるように座ってすやすやと子どもの顔をして寝ている。僕もあくびをしながら朝の山手線に揺られていた。

池袋駅で電車を降りて西武池袋線に乗り換えた。空いていた席に腰を下ろし、車窓の向こうに見える駅のホームの光景をぼんやりと眺めていた。発車時刻になって電車が定刻通りに走り出すと車窓の景色はビル群から住宅街に変わり、やがて山の姿が目につきはじめた。その頃には車内は空席が目立つようになっていた。土曜日の朝の西武池袋線はJR中央線みたいに登山者でにぎわってはいない。奥多摩の山に向かうときによく利用する中央線の「ホリデー快速おくたま」の車内は登山者をよく目にするけど、西武線はぽつぽつと見かけるくらいだった。車内はごく日常的な服装を着た人の光景で出来上がっていた。

正丸駅に降り立ったのは朝の7時過ぎだった。周囲をぐるりと見回すと見事なまでに山に囲まれていて、ビルが割拠した都心の光景とはまるでちがう光景があった。冷えた空気が肌に触れる。僕はザックの中からアウターを取り出してシャツの上から羽織った。そして準備体操もほどほどに最初の目的地である伊豆ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめた。駅から登山口まではまず舗装路を進む。舗装路に並行して沢が流れている。こういう沢とともにはじまる山は好きだ。

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○ 7:35 登山口
登山口に着いたとき、「おはようございます」と丁寧な挨拶をしてくださった白髪まじりのすらりとした男性が後ろから僕を追い抜いていった。身軽そうなザックを背負い、軽快な足取りで僕の前をするすると進んでいく。いろんな山に登っているのだろうか。彼が身につけている服装や登山靴や山道具を背後から眺めていると、熟練者の域に達している雰囲気を感じた。この方はコンパクトカメラを手に撮り、僕と同じようにパシャパシャと山の風景を写真に収めていた。ただ、それが唯一の共通点なようで二人の登るスピードはだいぶ異なっていた。人間とチーターが一緒にヨーイドンをして走るように彼と僕の距離はぐんぐんと離れていった。そしていつのまにか視界から消えていた。こういう人生の中のほんの一瞬の交わりが、山ではよくある。ところが、この男性とはこの日の山行を通して、なんども顔を合わせることになった。

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舗装路から登山道に移っても沢はつづいていた。するとなんの予兆もなく、とつぜん頭の中に、さわわ、さわわ、さわわー、 と「さとうきび畑」の替え歌が流れてきた。周囲には誰もいなかったので口に出して歌ってもよかったのかもしれないが、鳥に笑われたらいやだなと思ってやめておいた。

朝の陽光が注がれている樹林帯を、えっほ、えっほ、と元気よく登っていく(もちろん声には出してない)。さきほど見かけた男性のほかに人の気配はまるでなかった。正丸駅では数名の登山の格好をした人を見かけたけど、登山道に入ってから見かけることはなかった。伊豆ヶ岳は奥武蔵の人気の山と聞いていたのでいささか拍子抜けした。人でにぎわっているのかと思っていたら、そういうわけでもないようである。もっともゴールデンウィークの新緑の時期はまた違うんでしょうが。写真を撮るために短パンのポケットからスマートフォンを取り出すと圏外だった。人はいない。電波も入らない。世間から切り離された世界がはじまった。

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やがて沢の音がぴたっとやむ。それまでひんやりとした薄い膜のようなものに覆われていた水々しい空気は薄れ、さらにタイミングよく太陽が雲に隠れた。あたりは暗雲とした一帯に変わり、風もいくぶん冷ややかになった。すると、その暗い空気にふさわしい舞台が用意されたように目の前に急峻があらわれた。額から汗がつーっと落ちる。足を上下にあげる幅は大きくなり、蓄えていたエネルギーがみるみると消耗していった。

T字路の分岐点にさしかかったとき、さきほどすれ違った白髪の男性が左手の道から引き返してくる。どうしたんだろうと思ったら、こんどは右手の道に進んだ。かと思えば、また僕の立っている分岐点に戻ってきた。

「すみません、どっちの道だかわかりますか?」と男性が声をかけてきた。
「わからないです。地図を見てみます」と僕は言った。
僕は地図を広げ、男性はスマートフォンのGPS機能を使って調べた。そして、二人で話し合った結果、左手の道が正しい道だとわかる。右手にある道のように見えたものは道ではなかった。この場所は分岐点でもなんでもなかったのである。
「ここに案内板ほしいですよね」
「僕らで建てときますか」
と冗談をまじえたやりとりをしたあと、男性はまたチーターのような足取りで左手の道をさっそうと進んでいった。僕もその後を追って進んでいく。まもなく、また登りがはじまり、上の方から、土塊や小石がころころと転がってくる。先の方まで見上げるとそこには荒くれた急斜面があった。すべりやすいみたいで、先を行くさっきの男性が「気をつけてください」と僕に呼びかけながら登っていった。僕も足に力を入れたり、木の根っこを掴みながら、巨大な壁のような荒れた斜面を用心深く登っていった。足をすべらすと勢いよく下まですべりおちそうだった。汗というよりも冷や汗をかいていた。

難斜面を登りきると平らな道が待っていた。雲間から太陽が顔を出しはじめて、山林一帯に光と影のコントラストの美しい光景が目に飛び込んでくるようになった。ハイキング気分で美しい樹林帯を抜ける。するとこんどは岩場が出現し、岩場の反対側には見事な眺望があった。いくつもの山が連なった景色が遠くまで広がっている。僕は岩場で足を止め、じっと山容を眺めていた。ただ見ていた。ただ見ているだけだった。でも、心の中にある曇った部分がすこしずつ晴れていった。山の景色にはときどきそういう心を晴れやかにする作用が起こる。それにいい湯に浸かっているときのような快感があった。さきほどの男性も岩場の上のほうで腰に手を当てながら、景色を見ていた。

とても静かな山だ。聞こえるものといえば自然の音と鳥の声くらいだ。心の中の僕の声がいちばん大きいかもしれない。

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◯ 8:12 五輪山
僕は今、五輪のてっぺんにきている。つまり、金メダルだ。僕もついに金メダルをとったんだ。足を止めて休んでいると変な思考がはじまった。なんだかあほらしくなってきたので、疲労を感じた太腿をさっとほぐしてさっさと伊豆ヶ岳の山頂に向かう。

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男坂にやってきた。ここは傾斜40度、全長約50mのクサリ場で伊豆ヶ岳を象徴する登り坂でもあった。事故も起きているという危険な箇所で、2018年6月現在、立ち入り禁止になっている。登山ビギナーであり、高所恐怖症でもある僕は巨壁みたいなクサリ場を目にしただけで立ちすくんでしまった。写真で見ていたものよりも迫力があった。

このときは迂回路である女坂も現在立ち入り禁止だった。僕は男坂と女坂の間に位置する新しい登山道──さしずめ子供坂といったところだろうか──を登っていった。

前方に大型のザックを背負った男性とその後をついていく女性の姿を見つけた。男性は歩荷さんが背中に抱えているようなとても重そうなザックを背負っていた。男性はゆっくりと、一歩一歩、足を滑らせないように慎重に登っていた。僕も力を振り絞って登っていく。まもなく伊豆ヶ岳の山頂に到着した。

○ 8:20 伊豆ヶ岳山頂
山頂には4名の男女がいた。一人は途中で顔を合わせた白髪の男性。
「無事、着きましたね」と男性が僕を見るなり、そう口にした。
「はい、いい山でした」と僕。
会話もそこそこに切り上げる。もう一人は登山慣れしていそうな中年の男性で、さいごの一人は女性であった。ふしぎに思ったのは、僕の前方にいた大型のザックを背負った男性と女性の二人組が見当たらなかったことだ。彼らは休まずに先に進んだのだろうか。それともあれはただの幻だったのだろうか。はっきりと目にしたんだけどなあと頭をかいた。

山頂は樹木に囲まれていて眺望はなかった。山頂の手前の場所に眺望のよい場所があるので展望を楽しむならそこで景色を眺めるといいかと思われます。ここではおにぎり二個を補給して休憩もほどほどに次の目的地である「子ノ権現」に向かった。

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○ 8:30 伊豆ヶ岳 山頂 出発
白髪の男性は僕より前に出発していて、あとの二人はまだ山頂でゆっくりしていた。僕はザックを背負って各部のベルトをギュッと締める。緩んだ心のネジをもう一度締め直す。そして次の山に繰り出した。

わりと傾斜のきつい下り坂からはじまった。足をすべらせないように慎重に下る。下りきったかと思ったら、こんどは急峻な登り坂が現れる。山頂から先は傾斜の鋭いアップダウンの繰り返しで歩いていると修行僧のようにも思えてきた。

人の姿は見えないが遠くから熊鈴が聞こえてくる。熊鈴は熊よけのための鈴とされているけど、山の中でひとりでいると、人の気配を感じることができ、ちょっとほっとさせてくれる。しかも、この遠方にいる方の熊鈴の音色は、風鈴のような澄んだ美しい音色でよく響いている。僕の熊鈴は遠くまで聞こえないようなか細い音で、音の質も安物の楽器のように悪い。僕もこういう透き通った心地いい音色の、かつ、遠くまで響く熊鈴を買おうと思った。

急峻なアップダウンを繰り返したせいか右足も左足も徐々に重くなってきていた。鉛を足首に巻いて登っているみたいに足をあげることがきつくなっていた。登りはじめのときのペースと比べると、歩行のスピードは亀のようにスローダウンしていた。こんな辛い思いをしていったいなんのために登っているんだろうと自問自答する。でも明確なこたえがでるわけではない。ひとつ確かなことは辛いけど楽しいということだ。苦しんだ先にある楽しいは、ふつうの楽しいより、楽しかったりすると思う。

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○ 8:45 古御岳
古御岳の休憩スペースに伊豆ヶ岳の山頂では見かけなかったあの男女の二人組がいた。と思ったら、二人だけでなくて、小さな女の子もいた。そうか、あの男性は女の子を背負っていたのだ。大型のザックではなく、ベビーキャリアだったのだ。家族三人で山登りに来ていたのだ。男性はお父さんで女性はお母さんだったのだ。

休憩スペースでは女の子は立って歩いていた。それなりに大きな子どもだった。お父さんは彼女を背負って急峻な山を登って下ってまた登っていたのだ。とてもパワフルなお父さんだ。僕にはとても真似のできる芸当ではなく、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。僕は、こんにちは、と挨拶をして彼らの前を通りすぎた。お父さんの発した「こんにちは」には重労働のあとのような声色が含まれていた。でも、ハキハキとしたエネルギーに満ちた挨拶だった。お父さんすごい。こちらのファミリーとは、この日の山行の終着点である吾野駅でも見かけることになった。ひとりで歩いていた僕とほとんど同じペースで歩いていたのだ。まことに恐れ入る。

そういえば登山者を見かけることも少なかったけどトレイルランナーもほとんど見かけなかった。確か走っている人を見かけたのは1人くらいだったと思う。あとは日頃から山登りが好きそうな方の3、4人とすれ違ったくらいでほんとに静かな山である。登山道はある程度整備されていて歩きやすく、いい山道だ。山の中でひとりきりになるのが心細くて仕方がないという人を抜きにすれば、楽しめると思います。

街の中にいるときは、自分のいまいる場所を正確に判断できるし、向いてる方角もわかる。僕はわりと頭の中で鳥の目になって街を空から俯瞰して見ることが得意なので、道に迷うことなんてほぼないんですが、山だとなかなかそういうわけにはいかない。まわりを見渡しても樹林ばかりで目印になるようなものはなく、空から俯瞰してみようと思っても現在地をつかみにくい。だから、案内板のない分岐路に出くわすと迷ってしまうときもある。そういうときはコンパスを取り出したり、地図とにらめっこしたりして、頭の汗をかいて進路を選ぶ。なんというかこういうことをしていると人間の生存本能的な感覚がいくばくか磨かれていくような気がした。まあ、こういうのは得てして気がするだけでおわるんですが。

○ 9:08 高畑山
時計をちらりと見て山行時間を確認し、すっと通りすぎる。小刻みに休みをとりながら歩いていたので、ちょっと遅れているかもなと思っていた。でも、ペース的にはそれほど悪くないということを確認する。

まもなく、この日の山行でいちばん展望がのぞめそうな場所に出た。周囲は伐採されていて、ぽつんと鉄塔が一つ建っていた。伐採のおかげでといったら、木に悪いけど、遠くまでよく見えた。僕は樹林帯を歩くことが好きですが、やっぱりこういういい景色を望めるところも好きです。とてもいい場所だった。でも、熊蜂の溜まり場になっているんじゃないかと思うくらい、ぶんぶんと十数匹も飛んでいて、ちょっと怖くもあった。十数匹の熊蜂が飛び交っている音はなかなか耳から離れない。いまでも、その時の音は思い出せます。ぶんぶん、ぶんぶん。

伐採もされていましたが、植樹もされていました。がらんとした場所にあたらしい命も芽吹きはじめていた。

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朝早くからこれだけ自然のシャワーを浴びていると、なんだか僕も光合成をしているんじゃないかという気分になってくる。それくらい木々の隙間を通り抜けて降り注ぐ光のエネルギーを体が吸収している気がする。自分の中に養分が溜まっていくような気がする。街中で太陽の光を一身に浴びてもこういう気持ちはいっさい湧いてこないんですが、山の中にまみれていると湧いてくる。自然に満ち満ちている場所だからかもしれない。

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かすかに耳に届いていた熊鈴がいっさい聞こえなくなってから、急に心細くなってきた。それまではひとりきりとはいえ、ひとりではなかった。近くに人がいると思っていた。それがまったく音がしなくなると背中がひどく寂しくなってきた。まあ、熊鈴の音がだんだん大きくなってくると、後ろから追われているようでプレッシャーにもなるんですが。ただ、山の深くで人の気配がまるでないというのは、思っているよりも寂しくなるもんだと思った。

しばらく歩くと熊鈴がまた聞こえてきた。みんな立ち止まったり、空気を吸ったり、写真を撮ったり、景色を眺めたりして、思い思いに山を楽しんでいるのだろう。

○ 9:24 中丿沢頭
こちらも休憩スペースはありますが眺望はのぞめません。手前にまき道があるので登るのがしんどい方はまき道を選択してもいいかと思います。僕もチェックポイントのように山行時間だけを確認してそそくさと下っていきました。

この日に通り過ぎた山はどれも低山で、いちばん高い山でも伊豆ヶ岳の851mだ。でも、6月に入っていたけど、それほど暑さを感じることもなく歩きやすい気候だった。しかも太陽が雲に隠れて日差しがなくなると春先のように涼しくなってくる。虫にいたっても気が滅入ってしまうほど飛んではいない。きもちよく歩ける道である。まあ、体力的に苦しくなるときはあります。

○ 9:50 天目指峠
車道との合流地点でもある天目指峠に着いたのは10時前だった。道の先にはさらなる試練のように急峻が待ち構えていた。僕はそれまで使わなかったトレッキングポールをザックの脇から取り出す。だいぶ足にきていたし、手の力も借りないとうまく登りきれないかもしれないと思ったのだ。そして、休憩もほどほどに意を決して足の力と手の力も使って登りはじめたが、ひどく急な勾配で引いていた汗がまたどっと吹き出した。 息づかいも荒くなる。足をあげる動作が辛くなる。苦行のような時間がつづく。そのとき、天が頑張れとエールをおくってくれたかのようにまた徐々に陽が出てきた。登りきると緑が輝いた景色が待っていた。こういう景色を目にするだけでも辛さは消えていく。

そしてまた急峻が現れる。しかし、このときにはもう、この日の山行の体験から登った先にある景色を楽しみにしている気持ちも湧いていた。実際に登りきるといい景色が待っていた。眺望があるわけではないですが、煌めくような樹林帯の光景が美しくて、きつい傾斜も登った甲斐があるなと思ってしまう。なんでもないただの樹林の景色ですが、僕にとっては苦しい急峻を登りきった褒美としては十分なものだった。

ただ、とはいえ、このあたりはほんとうにきつくて、体力的にも精神的にもかなり消耗させられた。急勾配の登り坂→平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道、という難コースの連続だった。危険な箇所はないけど体力的には苦しい時間でとくに両足の体力はひどく削られていた。

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○ 10:20 子ノ権現
体力の残量が残りわずかになっていたときに子ノ権現に到着。ベンチにどかっと腰を下ろしてひと息ついた。ここで白髪の男性と三度再会。おつかれさまです、と言葉を交わして各々削られたエネルギーの充填をしていた。僕はサンドイッチを食べながら今日歩いた道を地図で見返していた。ひと息ついたあと、あたりを散策すると「スカイツリーを望める眺望」といったようなものが記された看板が目につき、その場所まで行ってみることにした。あいにく、スカイツリーを確認することはできなかったけど、遠くまで見渡せていい眺望だった。なにが僕の心を打ったのかわからないがその場にじっと立っていた。いい風が吹いていた。

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○ 10:45 子ノ権現 出発
ここから先は下り坂がほとんどです。傾斜のきつい勾配で体力を奪われる箇所はもうありません。舗装路を通ってすぐ登山道に入り、ひたすら下山し、また舗装路になって進んでいきます。そしてふたたび沢が登場。水のせせらぐ音は何度聴いてもいいものである。

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◯ 11:10 浅見茶屋
下山中、とてもうまいうどん屋に出会った。「浅見茶屋」というお店で古民家を改修した店内の雰囲気がまずよかったし、流れている音楽がジャズというところも気に入ってしまった。僕の趣向とぴたりと合うお店だった。古民家とジャズの組み合わせがとても素敵だと思ったし、こういうのを洒落ているというのだと思った。注文した「肉汁つけうどん(850円)」はとてもうまかった。山行を締めくくる味としてはたいへん満足のいくうどんであった。僕はうどんをすすりながら今日の山行の出来事をポケットサイズのノートに書く。爽やかな風とジャズの旋律が古民家の中をぐるぐると流れている。時計を見るとまだ午前11時半。こういう時間を贅沢な時間と呼ぶのだと思った。長い距離を歩ききった後の至福のうどん。お金では買えない贅沢がここにはある。こういう山行があるから、山はやめられないんだと思った。きついことが多かった山行もいい思い出に変わっていく。

こちらのお茶屋さんでも、また白髪の男性と再会した。もう何度目だろう。お互いに顔なじみの空気になっていた。いくつかの簡単な会話を楽しんだ。そして、その男性は「お先に」と言ってお店を後にした。深い身の上話はしなかった。連絡先は交換しなかった。でも、もしまたどこかの山で再会することがあったら、そのときは思い切って聞いてみようと思った。人生の中の小さな一点の交わりを新しいつながりの線に変えることはできる。自分の勇気次第で。

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○ 11:53 浅見茶屋 出発 → 12:40 吾野駅
ここから先は舗装路が延々とつづく。道に沿うように沢も流れている。とてもいいエンディングロールの道だった。あとは温泉があれば嬉しいんだけど、そこまで欲張ってしまってはいけませんね。吾野駅で電車に乗り込んで奥武蔵の山を後にしました。沢ではじまり、きつい傾斜があり、美しい植林地帯を通り、立ちどまる眺望があり、うまいうどんがあり、沢でおわる。約14.5kmという長い道のりは、苦しくも楽しい山道でした。また行きたいと思った山行でした。

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