帰り道のストロング

仕事を終えたあと現金をおろしに外にでかけると(ただいま絶賛在宅勤務中なのです)、ストロング系缶チューハイを飲みながら帰宅しているサラリーマンの男性を見かけた。白のYシャツに紺のスラックス、ビジネスリュックを背負っていたから、十中八九、仕事帰りの会社員に違いないと思う。サラリーマン男性の格好をしたコスプレの可能性もないとはいいきれないが、ほぼ限りなくゼロだろう。わざわざそんなことして何になる? 
 
まだ週の始まりの月曜日の夕方である。それでも、そのサラリーマンの男性は、きっと飲まなきゃ──家にたどり着く前に今すぐ飲まなきゃ──やってられない気分だったのだろう。そういう何かに逃避したり、一連の事象を忘れたくなる気持ちはわかる。そういうときお酒をやらない僕の場合はだいたい好きな音楽を流して頭の中を音楽で満たし、余計なことを考えなくするのだが、お酒が好きな人は、アルコールで気分を紛らわすのだろう。

上司に叱責されたのか、取り返しのつかないミスを起こしてしまったのか、交通事故的にトラブルに巻き込まれてしまったのか、あるいは部下に冷たい目で見られたのか、原因はわからないが、とにかく「やってらんねーよ、もう」という気持ちになってしまったにちがいない。それとも、単に砂漠を三日間彷徨ったあとのようにのどがカラカラに渇いて缶チューハイを希求していただけなのだろうか。それにしたってストロングである。お酒を嗜まない僕だって、このお酒のアルコール度数が強いことは知っている。ふつうの酒より、酔わせてくれるお酒でしょう。酔わせてほしい何かがあったのだろうと邪推してしまうじゃないですか。

その男性は、駅近くの喫煙所に立ち寄って幸せそうな顔をしてタバコとお酒を嗜んでいました。月曜日からどんなに気分が滅入ることが起きたって、ちょっとした幸福は手に入れられるようにできているのだ。そういう世界でよかった。

夏の始まりを予感させる朝。

まだくっきりと目が覚めていない中、オードリーのオールナイトニッポンを聴きながら、冷蔵庫から小松菜、ブロッコリー、玉ねぎを取り出し、台所でそれぞれの食材を小さくカットする。一週間分の夜ごはんの材料をジップロックにパッキングしてひと息つく間もなく、そのまま近所のスーパーに出かけた。

外は曇天の曇り空で、薄暗く、雨の残滓が降っていたが、お日さまが雲の隙間からひょっこり顔を出し、「これから晴れるぞー」という雰囲気を漂わせている。まるで長く続いた梅雨明けの合図のように見事な青空が空に現れ、ミーンミーンと蝉がいっせいに鳴き始めた。この瞬間をいまかいまかと待ちわびていたように。

いよいよ夏が始まる。そう思わずにはいられない日曜日の朝だった。

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しかしそうした僕の予想を──願いに近い予想を──あざ笑うかのように午後になると空は大群の雲で覆われ、強い雨が降り始めた。道路や建物の壁に当たる雨音が部屋の中にいても聞こえてくる。「雨の音は心臓の鼓動と同じリズムだから、心地よく感じる」という小話をどこかで誰かに聞いた気がするが、これほどまでに雨が続くと、さすがに気分も沈んできますよね。せっかくの日曜日なんだから、散歩くらいさせてくれよっと思うんだけど、そうした庶民の願いは軽くいなされるように却下されてしまったのかもしれない(誰に?)。
 
外の雨を恨みながら、ある仕事のネーミング案を考え始める。明日までに追加の案が必要になって、まだまだ掘り足りないところがあり、もう少し考えねばと思っていたのだ。MacBookを開いて、辞書機能をフル活用し、いい言葉ないかなあとこつこつと言葉の採集をはじめ、「おお、これはいいじゃん」と思うものを見つければ、これまでに集めた言葉と組み合わせたりして、ネーミングの開発(といったら大げさだけど、なぜか「開発」という言葉を使うことが多い)に取り掛かる。そんな作業を、ときに集中して、ときにスマホゲームをしながら取り組んでいたら、いつの間にか日の沈む時間になっていた。

東京にいると夕日が沈む景色を拝むことはむつかしい。だから、東京から離れた場所に赴いたときに、真っ赤な夕日が地平線の向こう側に落ちていく光景を目にすると、それだけでなんだかグッと胸にくるんですがそれは歳をとったせいなのでしょうか。あるいは、夕日の光景が少年時代のころを思い出し、感傷的な気分になってしまうのかもしれない。

午後の長い時間を仕事に費やしていたので、ここいらで少し日曜日を堪能したいと思い、macを閉じて外に出てみる。雨は止んでいたものの、雨雲と青空がまだらに入り混じり、雲の浮遊の行き先によって、今いる場所がまたどしゃ降りになることが予想され、遠くまでの散歩はやめておこうと肩を落とした。

それにしても世界がバグってしまったように雨の日がつづきますね。ゲームであればリセットボタンを押して晴れの日になるまで今日を繰り返せるんだけど、この世界にリセットボタンはないようで空から降りつづく無慈悲な雨を駄々こねながら受け入れるしかない。街全体がドームで覆われれば、雨なんて気にしなくていいのになあ、と子どもの頃に思っていた夢をふと思い出した。

ゆくあてもないまま、ゆらゆらと散歩していると無地のダークグリーンのシャツを着た人を見かけて「あのシャツかっこいいなあ」と憧れの念を抱き、それから思考回路がピピピピと動いて、どういうわけか無印の服がほしくなった。といいつつ、なぜ無印のシャツがほしくなったのかは心当たりがある。

さまざまなブランドが無地のシャツを出していると思うんだけど、最近買った無印のビックシルエットTシャツの肌触りと着心地が素晴らしく、その時は白Tを買ったのですが、たしかダーク系の濃い目のカラーのTシャツもあったはずたよなあと思い出したのです。よし、このまま隣の駅にある無印に行ってちょっくら見てみようかと歩を駅に進めたが、電車に乗る寸前で辞めた。

いちばんの理由は雨が降りそうだったからです。今日はお気に入りのカンペールの靴を履いているから、できる限り、雨に濡らしたくない。雨に濡れて革をヨレヨレにしたくないという気持ちが強く働いて無印に行くのをやめました。まあ、Tシャツはいつでも買いにいけるわけだし、今日ムリに行かなくたっていいですもんね。

で、進行方向を変えて駅前の本屋に入る。僕は暇になるとしょっちゅう本屋に行って暇をつぶす癖があるのですが、このときもその癖で何も考えずに店に入ると、雑誌や書籍からいろんな言葉が頭の中に流れ込み、気づいたらネーミングの単語探しのスイッチが入り、仕事のつづきのようなことをしていました。ネーミングのヒントになりそうな言葉はないかなあ、と宝探しをするように目をかっ開いて、本棚を眺めてみるものの、なかなか「これや!」という単語は見つからない。

こうなってしまっては、もっと本格的に探したくなってきて少し離れた場所にある大型の書店に向かうことにした。雨も気になったが、まだ降らない、という根拠のない直感が働きました。後悔することにならなきゃいいんだけど、このときの僕は、それ以上にいい言葉を探したくなっていたのです。

お洒落な人たちが集まる本屋でたくさんある雑誌の名前を見回しつつ、いくつか手にとってパラパラめくっていると、「お!」と手が止まり、これはいいかもしれないという言葉を発見。仕事のつもりで出かけてなかったけど、結果的に、気分転換に外に出てよかった。

店の外に出ると今にも雨が降り出しそうだったので、小走りで家に帰宅。ひとっ風呂浴びて、夕食の支度をしていると、ザーーーと雨が降りはじめたじゃないですか。ふぅ、雨に打たれる前に帰れてよかったです。

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ロックな人とは。

セブンイレブンでアイスを物色していると店内に入ってきた一人の男に目を奪われた。黒の革ジャンに革パンツスタイルで、ウォレットチェーンをぶら下げ、靴はおきまりのようにブラックブーツを履いている。絵に描いたようなロックシンガーの格好をした人だ。上から下まで全身を眺めても素肌の部分がほとんど見えない。おいおい、季節は今、夏のはずなんだけど。と思ったけれど、ロックシンガーは涼しい顔をしておにぎりやサンドイッチを選んでいた。

アイスを買って外に出る。直前の雨の影響もあって空気はじとじとしている。不快な湿気が僕の身にまとわりついてくる。粘っこいイヤな空気だ。風も吹いていない。天気アプリを開くと気温は25度と出た。半袖でさえ、脱ぎ出したくなるくらい暑い。

ロックシンガーもビニール袋をぶら下げてコンビニから出てきた。相変わらず涼しい顔をして小気味のいいステップを踏みながら、あっという間に僕を追い越して街中に消えていった。

ロックとは何だろうか。
ある人は生き方だと言う。大きな組織ややり手の戦略家に巧妙に仕立て上げらながらステージに上がるのではなく、自分たちのやりたい音楽をやりたいスタイルを貫いていく姿勢のことだと言う。

僕は音楽をわりとよく聞くほうだし、個人的に親しみを持っている分野だがロックについて問われると答えに窮する。でも、僕は半袖の格好でさえ息苦しい日に、己のスタイルを貫いているその男の姿を見て「ロックだ」と思ってしまった。

大勢の意見に耳を貸さないどころか、地球環境にさえ、自分のスタイルを曲げさせない。音楽においても、ファッションにおいても、つまり、個人が表現できる全てにおいて自分のスタイルを誇示し、簡単には折れない。そういう人をロックと呼ぶのかもしれない。僕は夏の日の彼の姿を見て、ロックというもの、頭ではなく、心で理解した気がした。

知らない道。

考えごとをしながら歩いていたら
知らない道に迷い込んでしまった。
近所のはずなのに見たことのない場所だ。
はて、いったいどこで道を間違えたのだろう。

さて、グーグルマップを立ち上げるかどうか。
グーグルマップさんに尋ねれば、
こうして道に迷っても現在地はわかるし、
うちに帰ることは、いともたやすくできるだろう。

でも、グーグルマップさんに尋ねなかったら。
蛸の足のように分岐する道を、
好奇心の赴くままに歩き進めることができる。
それはなかなかおもしろい散歩ではあるまいか。
せっかく、意図せず、未知の世界に迷い込んだのだから、
この状況を楽しむのもいいかもしれない。

そうして、ぼくはポケットからスマホを取り出さず、
歩いたことのない道を歩みはじめた。

しかし、好奇心を刺激される一方で
奥へ奥へと進むたびに、
もう家に帰れないんじゃないかと
漠然とした不安が襲ってくる。

図らずも世界の境界を越えてしまって、
異なる世界に迷い込んでしまったのではないか。
そんな空想めいたことも現実のように感じてしまう。

しばらく歩いていると見慣れた景色に再会した。
よかった。ぼくは戻ってこれたようだ。
未知の世界というものは、存外、近所にあるらしい。

おいらはカエル。

ゲコゲコ。おいらはアズマヒキガエル。
名前はない。ニンゲンたちはカエルって呼ぶ。
おお、またおいらの魅力に釣られてニンゲンがやってきた。

この小さな立方体の空間に連れてこられてから二年ほど経っている。
多摩川のほとりの茂みで遊んでいたら、
ニンゲンに捕まえられてここに運ばれた。

それからおいらの日常は一変した。
草むら生活から箱庭生活だ。
どちらの生活がいいかって? 難しい質問だな。
今は毎日決まっておいらの好物のダンゴムシを届けてくれるし、
ヘビやサギに襲われることもない。
いささか窮屈すぎることを除けば、わりに気に入ってる。ゲコ。

こら、少年。ガラスを叩くな。うるさいだろ。
「ぜんぜん動かないね」って当たり前だろ。
おいらたちは夜行性なんだ。
太陽が西に傾く時間は寝ている時間なの。
キミタチニンゲンとは生活時間が真逆なんだ。
だからできるだけ静かにしておくれ。
寝顔を見られるのは恥ずかしいけど、もう慣れた。
好きなだけ見ていいよ。
それに仕事だと思えば仕方ない。
これでメシを食ってるわけだからな。

「パパやママと離れ離れになっちゃったのかな?」
おい、少年。それは禁句だ。会いたくなるだろ。
父ちゃん、母ちゃん、心配しているだろうなあ。
おいらはなんとか元気でやってるよ。

今はニンゲンがおいらたちの世話をしてくれている。
ごはんを用意してくれるし、友達も連れてきてくれた。
悪くない生活だ。ちょっと窮屈だけどな。
平穏の代償だ。それは理解したよ。

「カエルさん、動いた〜!」
ふっ。おいらが二、三歩動いただけで、この大歓声よ。
気分は悪くないぜ。でもそろそろ眠いんだ少年。寝かせてくれ。

「あ、動いた〜!」
ん? おいらは歩いてない…あ、友よ!
抜け駆けはダメだって話あったはずだぜ。
お前が先に仕掛けたんだろって、そうだったな。すまん。
だが、少年の目線を独り占めさせるわけにはいかないっ!

「見てみて! もう一匹も動いたよ〜!!」
「でも、ぴょんぴょん跳ねないんだね」

少年、それはダンゴムシを積まないとできない頼みだぜ。

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雨の日の買い物

雨が「よっしゃ、そろそろ本気出していくよー!」という風に腕まくりする勢いで降り出した。窓の外からおびただしい数の雨音がザーザーと聞こえてくる。およよ、これはもしかしたらお出かけ日和かもしれない、と部屋着から外用のシャツにサクッと着替えた。

外に出てみても、あきらかにまばらな人手で先週の土曜と比べてみてもひどく少ない。電車の中も半分以上は空席。とても空いている。しめしめ、すっかすかの店内で優雅に鼻歌を口ずさみながら買い物ができるぞおと目論み通りのしたり顔をして銀座に着いて店の中に入ったら、口をあんぐり。雨なんてお構いなしの人手で銀座の集客力をまざまざと見せつけられた。

三越に行っても、ユニクロに行っても、無印に行っても、ソーシャルディスタンスを保てない瞬間があった。あきらかな作戦ミス。ただただ雨に打たれてふつうに人もいる中で買い物をしたふつうの土曜日でした。雨の日の買い物こそ、新しい生活様式だなんて息巻いた昼間の自分を蔑みたい。

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中央通りは少ないけど、店の中はそこそこ混雑してました。

 

映画三昧

5月は28本の映画を見た。
テレワークだったことで通勤がなくなり、
終業するやいなや服を脱いで風呂に入って、
ごはんを作って映画鑑賞の生活を送っていた。
平日も休日も関係なく、ほぼ毎夜の習慣のように。

メジャーな作品からマイナーな作品、
ファンタジーからドキュメンタリーまで。
ジャンルレスに気になった映画を片っ端から見るようにした。
面白くなさそう、と思っても、
月の定額代のほかに追加料金はかからないので、
まあ、いいかと思って見ると思いの外おもしろかくて、
こりゃ当たりを引いちまったぜ、と歓喜したり、
かけがえのない2時間をクソ映画に費やしちまった、
という嘆く夜もあった。

そんな映画三昧の5月で、とくにこれは最高だったなあと思ったのは、
まったくありきたりで申し訳ないのですが、
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」と
「アベンジャーズ/エンドゲーム」を土日の夜に続けて見たとき。

マーベル作品の鑑賞本数はほとんどなく、
「インフィニティ・ウォー」を見たときも、
各キャラの特徴や相関関係がよくわからなかったりしたけれど、
それでも最後まで飽きさせずに胸を躍らせるストーリーは
さすがのひと言でのめり込むように見入ってしまった。
後編とも言われてる「エンドゲーム」も、
いくばくか退屈なところもあったけど、
クライマックスの盛り上がり方はとてつもなく、
これは映画館で見たかった作品だなあと悔やまれた。

6月に入っても相変わらずテレワーク生活はつづいている。
でも、5月より忙しくなったこともあり、
毎日のように映画を見ることはできなくなった。

ほぼ毎日映画という日々を初めておくったが、
なかなか楽しい一ヶ月で、明日は何を見ようかな? 
と考えるだけで、心はぶくぶくと浮き立ったし、
週末はどんな大作を見ようかと悩むことは、
わりと幸せな悩みだった。

降りつづく雨を浴びるように映画に染まった一ヶ月。
世の中にはいろんな「◯◯三昧」があると思いますが、
映画三昧という日々は、なかなか悪くない日々でした。