音が歌っている。【SPECIAL OTHERS ACOUSTIC @上野恩賜公園野外ステージ】

上野公園の野外ステージに到着すると、グッズの待列ができていた。僕もいそいそとその列に加わる。販売開始の時刻になるまであと一時間。水道の蛇口を思い切りひねったような陽光が降り注ぐ。蝉が、今日は一段と暑いぜ!と叫ぶように大きな声で鳴いている。まもなくして背中越しに汗が激しく落ちはじめる。炎天下の中、じっと待つのは辛い。が、8年以上、ファンを続けているアーティストのグッズなので(しかも、欲しいものがあった)、そこはぐっとこらえる。ディズニーランドや、人気のラーメン店を見ていても思うのだけど、人は好きなものに対しては、他人からしたら異常だと思える試練(たとえば行列待ち)も、平気で乗り越えてしまう。そういうのをきっと愛と呼ぶのだろう。
8月25日。午後12時。35.1度。カラスがカーカーと、蝉がミンミンと鳴いている。

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あと4時間後にSPECIAL OTHERS ACOUSTICのライブが始まる。少しややこしいのですが、彼らはふだんはSPECIAL OTHERSというバンド名で活動している。ギター、ベース、ドラム、キーボードの四人編成バンドで、ボーカルはいない。インストゥルメンタルバンドで、ポストロックや、ジャズバンドなどと評されることもある。曲によっては、歌声が入ることもあるけれど、それは歌というよりも、声という楽器を活用している感じだ。認知度で言えば、あまり大勢の人には知られていないかもしれませんが、日本武道館をソールドアウトしているくらいには人気がある。また、彼らの音楽は野外ライブと相性がよく、ひんぱんにフェスに呼ばれ、FUJI ROCK'16ではFIELD OF HEAVENのヘッドライナーも務めている。フェスバンドとも呼ばれるくらい、フェスに顔を出すことが多い。

僕はそんなSPECIAL OTHERSの大のつくファンです。彼らを初めて知った2011年の夏からずっと追いかけていて、関東近郊でライブやフェスがあればいそいそと訪れるし、ほぼ毎日、彼らの曲を聴きながら通勤している。僕の人生のエネルギー源といっても決して過言ではない。それくらい、僕にとっては大切なバンドです。今日はそんなスペアザ(略称)のアコースティックバージョンであるSPECIAL OTHERS ACOUSTICのライブが行われる日であった。

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入場開始の一時間前になり、会場に入る。上野の野外ステージは日比谷の野音と違い、屋根があるので、日光を燦々と浴びることはないので助かる。が、東京ドームみたいに隙間なく屋根があるわけではなく、両サイドは空いているため、そこから射し込む西日がなかなか辛い(ドラムの宮原さんのMCでわかったことだけど、通常は日光を遮る巨大カーテンのようなものがあるらしいのだが、この日は故障により使えなかった)。

タオルを頭に巻いて陽射しをカットするが、それでもレーザービームのような真夏の強い光線はしんどい。影一つない山道を歩いているときのようだ。座っているだけなのに体力が消耗していく。スマホをいじってるだけで、スマホが猛烈な熱を帯びる。まるでフライパンで熱したように。

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16時を回り、メンバーが拍手を浴びながら登場。それぞれが楽器の調子を整えるように音を鳴らす。そして静寂の間が一瞬起きた後、曲に入る。うおー!とか、ヒュー!と、観客の声が響く。僕にとって一年でいちばん幸せな時間が始まった。

彼らの奏でる音楽はいつも優しい。そして、楽しい。体が勝手に揺れてしまう。楽曲に合わせて自然に体がリズムを取る。日は暮れはじめ、暑さは和らぎ、ステキな音楽が鳴り響く。アコースティックという名前が付くとおり、グロッケンとかピアニカとか、普通のバンドが使わない楽器を使って、心動く音楽を奏でている。

「音が歌っている」

それは彼らのライブに行くといつも思うことだった。歌声という楽器を用いない代わりに、ギターやドラムやベースやピアニカから弾き出る音が歌っている。音に意志が宿ったみたいに一音一音が楽しそうに踊っている。その音に呼応するようにオーディエンスの心も揺れていく。その素晴らしい音楽に包まれた時間がひどく愛おしくなる。気がつけば、終演の時間に差し掛かっていた。

アンコールで「wait for the sun」の演奏が始まる。SPECIAL OTHERS ACOUSTICの中でいちばん好きな曲だ。星空と焚き火とともに聞きたくなるような、自然味溢れるとても優しい曲だ。いつまでも聞いていたい。この時間が永久につづけばいいのにと思う。演奏が終わり、メンバーがステージの前に立って拍手を一身に浴びていた。僕も力を込めた拍手をしていた。帰り道の西日がひどく美しかった。

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観客席のあっちこっちで笑い声が沸き起こる「カメラを止めるな!」

巷で話題の低予算映画「カメラを止めるな!」を見に行く。場所はTOHOシネマズ新宿だ。こちらの映画館はオープンしてしばらくになるけど僕にとって初参戦の会場だった。いつも利用するホームグラウンドの映画館では上映されていなかったので、どうせなら足を踏み入れたことのない劇場に出かけてみようと思ったのです。

その日は、平日(月曜日)の朝だというのに、ほぼ満席で、前方と後方隅にポツポツと空いている程度だった。僕は後方左手の通路と壁に挟まれた二席のうちの一つを取った。それにしても休日でもないのに、ものすごい埋まり具合だ。封切り当初は2館だけの上映だったのが、その面白さによってあれよあれよと評判が広がり、今では190館を超えていると聞く。鑑賞した人から口々に「面白かった」という話も聞くし、拡大上映にふさわしい、素晴らしい映画なのだろう。そういう前評判を耳にしていると期待はいやでも膨らむ。

「カメラを止めるな!」が上映されるTOHOシネマズ新宿の7番スクリーンは約400席用意されたわりと大きなスクリーンで、そのうちの9割くらいは埋まっていた。もう一度言いますが、平日の朝でこの現象です。映画の人気を肌で実感した瞬間だった。この日はちょうど甲子園の準決勝が行われる日でもあり、「金足農業(吉田輝星選手)」か、「カメラを止めるな!」がその時の日本の二大話題だったような気がする。と言ったら言い過ぎでしょうか。月曜日の朝に映画館にひしめき合う異常性に尋常ではない観客の熱量をひしひしと感じたし、甲子園もこれくらいの、いやそれ以上の盛り上がりがあるのだろうと想像する。

上映時刻が迫り、壁側の席に腰を下ろす。僕の隣席はどんな人だろう。可愛い人だったらドキドキして映画に集中できないかもしれない、なんて淡い妄想をしていたが、実際に腰をかけたのは50代くらいのおじさんだった。それがまあ現実というものである。おじさんは腰を下ろすと膝と腕を組み、スクリーンに目をやった。おじさんはポップコーンやドリンクを頼んでいた。でも、まだそれらに手をつけないところをみると、おそらく上映開始後に食べるんだろう。

久々に映画館で予告を見た。なんというか映像はすごいんだけど、話の内容はどれも既視感のあるもので、ハリウッドもネタに困っているんだろうなということが伺える。その点、これから見ようとしている「カメラは止めるな!」は独自性がある(のだろう)。制作費ウン百億円のハリウッド映画と制作費300万円の本作。でも観客が払う料金は同じ1800円。映像の美しさや迫力で勝てるわけがないので、そういう映画に対してアイデアで勝負しているわけだ、この映画は。秀逸なアイデアを一本帯刀し、それのみで戦にやってきたのである。で、メジャー映画をばっさばっさと切り倒そうとしているのである。やはりそういう映画は気になってしまいます。

長い予告編が終わり、おなじみの映画泥棒の登場後、本編が始まった。隣のおじさんはポップコーンを食べ始めた。周囲に気を使ってか、音を立てずに静かに食べている。しかし、何かが匂う。コーヒーの香りだ。ゾンビのシーンを見ながら、香ばしい匂いがツーンと飛んでくる。まるで4Dのような新しい映画体験だ。おじさんはこれを狙ってコーヒーを持ち込んだのか。いや、そんなわけはない。

初めの約30分は自主制作映画さながらのチープさのある映像で淡々と進んでいく。撮影クルーがゾンビに襲われる光景が続く。この時の心境としては、もともとゾンビ映画が好きじゃないこともあって、なかなか退屈だった。何度も自分の腕時計を確認した。30分を過ぎた頃から、面白くなるという話を耳にしていたからだ。早くこの前半部分が過ぎるといいなあと思っていた。隣のおじさんは黙々とポップコーンを食べている。

場面は一転し、ここからが本編ですよ、というようなシーンが始まる。冒頭のゾンビの一連の場面は全てフリになっているのだ。手品と種明かしのセットみたいな構成で、ここからの種明かし具合がひどく笑える。コメディ映画と謳われていることも納得の出来栄えだ。会場のあっちこっちで、笑いが沸騰したようにアハハハと笑い声が生まれていく。隣のおじさんもゲラゲラと笑っている。笑うと息からコーヒーの香りが飛んでくる。なかなか刺激的な匂いだ。もう冒頭のゾンビの張り詰めたシーンではないんだが。

映画館でこんなにも吹き出してる人がいる光景はあまり記憶にない。いろんなところで言われているように(おもしろい)三谷映画みたいな笑いの量だ。気がつけば僕もアハハハと口に出して笑っていた。悶絶する面白さはないけど、笑いの渦が多くて、何度もお笑いヒットを食らった感じだ。エンドロールが流れたとき、わりと笑顔になって迎えられる満足度の高い映画だった。

映画に対して好感を抱いたこともあり、ふだん買うことはないパンフレットを帰り際に買って帰りました。映画にはいろんなジャンルがありますが、人を笑顔にする映画ってけっこう好きです。

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サウナで「ととのう」という絶頂。

極端な言い方をするなら、「サウナの扉は快感への入り口だったんだな」と実感する。サウナのうだる熱さと水風呂の冷凍庫のような冷たさをくぐり抜けた先に、この宇宙と一つになるようなおかしな快感がある。尋常ではない「よがり」のようなものがある。深いリラックスや心地よい浮遊感がある。そういう恍惚感をサウナ用語で「ととのう」というらしい。人によっては「トランス状態」、あるいは「エクスタシー」など様々な表現で「ととのう」状態を伝えようとしている。

サウナ好きの人から初めて「ととのう」という言葉を耳にしたときは半信半疑で聞いていた。ほんとにそんな感覚が起こり得るんだろうか?   オカルトの一種ではないだろか?    これを読んでいるあなたと同じ感覚だと思う。でも、実際に自分の身をもって体験してしまうと、温泉(あるいは銭湯)の本丸は湯船ではなく、サウナ(と水風呂)かもしれない、と考えを改めてしまっている自分がいる。これまでの温泉と銭湯の概念を変える体験がサウナにあった。 

「ととのう」というある種の境地に達するためには、それなりのお作法というものがある。人によって入り方は微妙に異なるが、大まかに言えば次のような順番である。

1)サウナに入る(約10分)

2)水風呂に入る(約2分)

3)休憩(約5分)

1~3を3セット行う。
10分サウナに入ることにまず驚かれるだろう。僕もそんな長い時間サウナに浸かったことはなく、耐えることができるのだろうかと初めは不安に思った。でも10分入るんだ、と腹をくくって入ると意外といける。泳げないと思っていたけど、思い切って水の中に飛び込んだら、意外にも泳げたというか。どうしても耐えられなくなったら、頭にタオルをかぶせるとよい。熱さは緩和され、息がしやすくなる。それから「10分」という時間はあくまで目安で、体の調子と相談しながら時間は決めていいとのこと。そこは臨機応変に対応していただければと思います。

そのあと水風呂に全身浸かる。これも、辛いと感じる人が多いと思う。でも、サウナのときと同じで覚悟を決めて入ると意外と浸かれる。初めは冷たくても、だんだん気持ちよくなってくる。「水風呂こそ、ご馳走だ」と叫ぶ人もいるのですが、その気持ちもなんとなくわかってくる。温泉に浸かっているときよりも、(肌感覚で言えば)快感指数が大きいのだ。冷たさはなくなり、まるで炎天下の中、プールに浮いているような気持ちよさが生じる。だんだん感覚は麻痺してきて、いつまでも水風呂の中に入っていたくなるのだが、そこは意識を正常に戻して、なんとか水風呂の快感から脱出しましょう(そうしないと体調を崩してしまう)。

そして、小休憩。約5分間ほど、浴室に置かれている椅子や、もしくは露天があれば、外気にあたりながら休憩する。5ラウンドを終えたボクサーのように背を丸めて椅子に座る。そしてまたサウナへ。これを後2セット繰り返すのだ。そうすると、その先に、「ととのう」瞬間が来る。

ただ、「ととのう」瞬間は3セット目の先とは限らないようで、僕が初めて「ととのう」に挑戦したときは、1セット目の休憩の時にやってきた。長椅子にもたれながら座っていると、指の先がとろけ出し、腕がふにゃふにゃの感覚になり、やがて全身が椅子と一体になるような感覚に襲われ、味わったことのない快感がやってきた。ああ、これが「ととのう」というものか、と感激してしまった。温泉に浸かっているときよりもはるかに気持ちがいい。こんな体験がサウナと水風呂を通過した先にあったのか、と驚いてしまった。

僕が初めてととのったのは田園都市線宮前平駅の近くにある「湯けむりの庄」。スーパー銭湯として名高いこちらの温泉も、サウナとしてはそこまで称えられてる場所ではないが、僕はこの銭湯でととのう体験をしてしまった。街なかの銭湯についているサウナと違って、サウナ室のスペースは広いし、水風呂も広い。広々とした露天には長椅子が3席あり、外気にあたりながらゆっくりと休憩できる。 

サウナと水風呂に浸かった後、外の椅子に腰をかけ、心地のいい風が肌に触れ、目をつむっていると、その瞬間がやってきた。初めてととのった瞬間だった。

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夏の箱根の山。【金時山-明神ヶ岳-明星ヶ岳】

平日の昼間にしょっちゅう訪れる定食屋がある。ビル群の割拠する路地裏にひっそりと佇むお店で、雨の日も風の日も嵐の日も休むことなく年配のおばちゃんが一人でせっせと切り盛りしている。通いはじめて半月ほど経った頃、店の一角に「山と高原地図 奥多摩」が無造作に放置されているのを見つけた。その地図を持っているということは山好きに違いない。それまでおばちゃんとは会話らしい会話はしていなかったが、山好きの自分としては真相を知りたくなり、思い切って尋ねてみた。

「山に登られるんですか?」

おばちゃんは躊躇なく「ええ」と返事をした。しかも屈託のない笑顔で。この方とは通じ合える、と瞬時に感じ取った僕はそれから堰を切ったようにいろいろ伺ってみた。するとおばちゃんは筋金入りの登山家だということが判明する。

彼女が初めて山に登ったのは小学生の頃で、すぐにその魅力に取り憑かれてしまったらしい。夏休みになると決まって山に登りに行き、それは少女の殻を破り、多感な時期に成長しても変わることはなく、お化粧やアイドルよりももっぱら山登りに夢中な娘だった。高校は登山部に入部し、大学卒業後は山岳会に入会した。一時期、山から距離をとったこともあるみたいだが、いまはまた山への情熱が蘇り、週末になると心を弾ませて山に登っているそうだ。

僕はお店に訪れるたびにその元祖・山ガールともいえるおばちゃんから話を聞く。北・南アルプスの登山体験記から八ヶ岳や東北の山々の話、それから山小屋やテント泊のことまで種々雑多な話を聞けるので僕は昼休憩の時間をとても楽しみにしていた。もちろんおばちゃんが腕をふるう料理も抜群にうまいのだけど、それと同じくらい山の話もおもしろい。山についての相談ももちろん快くのってくれる。たとえば「丹沢の蛭ヶ岳で一泊しようと思っています」と相談すると「夏はヒルがすごいからやめたほうがいいですよ。私は10月まで丹沢には行きません」と教えてくれる。

そんなおばちゃんが勧めてくれた山の一つに「金時山ー明神ヶ岳ー明星ヶ岳」の縦走があった。今の時期はものすごく暑いけどね、という注釈をつけながら。それは覚悟したほうがいいよ、という危険シグナルを多分に含ませた言い方だった。でも、僕は兼ねてから箱根の山に行ってみたいと思っていたこともあり、こんどの週末は金時山に出かけようと決めたのだ。

○ 6:35 バスタ新宿 2018年7月14日
金時山までのアクセスは小田原駅から路線バスを使って登山口まで向かうのが一般的だ。でも僕は高速バスを使うことにした。高速バスは金時山の登山口まで連れていってくれるし、交通費も電車と路線バスを利用した場合とあまり変わらない。それなら、電車を待ったり、路線バスを待ったり、座ることができなかったりするよりかは指定席のあるバスに乗って登山口まで走ってくれる高速バスに乗ったほうが楽だろうと思ったのだ。でも、この判断はこの日に限っては失敗だった。三連休の初日(土曜日)ということもあり、東名高速には16キロの渋滞が起こっていたのだ。

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バスに乗ると「本日、渋滞が発生しているため、遅れが生じます」といった放送が流れる。それを聞いた僕はいささかがっくしと肩を落とし、到着時刻に一抹の不安を覚えた。そう思ったのは僕だけじゃないみたいで、後ろの席の若い女性はちびまる子ちゃんみたいな声で「しょうがないよ」と隣の男性を諭していた。まる子の声で言われると、仕方ないかな、と思えてしまうから不思議だ。力の抜けた声色には嘆きを鎮静させる力がある。

高速に入ってまもなく渋滞に捕まった。ウサギのようにぴょんぴょんと軽快に走っていたバスは、一転、亀のようにのろのろしたスピードに変わり、やがて動かなくなった。こうなってしまっては窓の向こうの景色を楽しむこともできない。あとは本を読むか寝るしかない。僕は帽子で顔を隠し、寝ることにした。すやすや。とはいえ、本気で眠ることはできなくて、目を瞑っていたり、時々、目を開けて渋滞の様子を確認したりして無為の時間をつぶしていた。僕の座席列の逆側の左側の席に目をやると朝の日差しが窓から射し込み、ひどく暑そうだった。その光景を眺めているだけでこっちまで暑くなってくる日差しだ。しかもバスは動かないのでその日差しが消えてなくなることはない。じりじりと乗客に強い日光を浴びせている。ほとんどの人はカーテンを閉め、日差しをシャットダウンしていたが、日光浴をするように朝日を浴びている人もいた。

予定到着時刻から大幅に遅れて御殿場駅に着く。僕が下車する金時登山口は8:40着の予定だったが、その時刻はとうの昔にすぎていた。僕はこの時点で登山口に着く時間は10時くらいになるかもしれないと腹をくくった。

御殿場駅のバス停でかなりの人数が降りた。そして入れ替わりで降りた人数よりも多くの集団(ほぼ子どもたち)が乗ってきた。夜明けの住宅地のように静かだった車内は、一転して幼稚園の教室のような賑やかな空間に変わった。バスが大幅に遅れている状況での子どもたちの騒ぎ声はいささか神経に障る。とはいっても子どもたちのせいではない。私の心よ、鎮まりたまえ、と念仏をぶつぶつと唱えはじめる。

箱根に向かって山道を進むとまた渋滞が発生。事故渋滞だった。ぜんぜんバスは動かないし、子どもたちはプールサイドのように賑やかだし、座っているだけなのに、なんだかどっと疲れてしまった。繰り返すようですが、子どもたちが悪いわけでも、バスが悪いわけでもないんです。三連休の初日に高速バスを選んだ自分がいけなかった。

○ 10:07 金時登山口
予定より一時間半ほど遅れて登山口に到着。長かった。ひどく長かった。バスから降りるとき、運転手さんは申し訳なさそうに頭を下げていた。運転手さんのせいではない。まあ、こういうことは想定しておくべきなのだ。三連休の初日は高速に渋滞が生じる、と想像しておくべきなのだ。それはさしてむずかしいことではない。

下車した場所にあるローソンでおにぎりや水を買って、まずは金時山に向かった。もし、山行に時間がかかり、明星ヶ岳までの縦走がむずかしくなりそうなら、途中で降りようとも考えていた。地図を見るとエスケープルートはいくつかありそうだった。そういう考えを頭には入れつつも、明星ヶ岳まで行きたい気持ちは強くあったので、いささか早足で登り始めた。

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さすがに夏本番だけあって山の麓だろうが暑い。日陰はまだ耐えられる暑さだが、日向は暑い。早足で登っているから、汗もすぐにでてくる。この後の距離を思うと、なかなかしんどい山行になりそうな予感がした。

樹林帯を抜けると茂みの道に入る。日陰はなくなり、太陽の光を一身に浴びる。息は切れ、まつげの先から汗がぽたぽたと落ちはじめ、シャツは瞬く間に汗まみれになった。タオルで汗を拭いても拭いても、間髪入れずに汗が吹き出てくる。このときの僕は高性能の発汗装置と化していた。着替えを持ってきてよかった、と心底思った。汗びっしょりのシャツで帰りの電車には乗りづらい。

金時山の山頂まで平坦な道はほとんどない。延々と登りがつづく。そしてさらに試練を課すように夏の強い日差しが襲いかかってくる。そのうち僕はノックアウトされるかもしれないと思いつつ、蓄えていたエネルギーを絞り出すように一歩一歩登っていく。ほかのハイカーも、当然きついようで休みながら登っていた。僕もひと息つきたいとは思ったが、そのあとの山行を考えると休んではいられない。できるだけ遅れを取り戻したいと思っていた。

ひどくきつい一方で、どこか楽しさもあった。自分の限界に挑んでいるような感覚が生じたのだ。そういう瞬間は日常生活ではなかなか味わえないものだと思うし、どこかで求めているところもあったかもしれない。それともただのマゾだという可能性もあるが。

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山頂までの道のりが半分を過ぎた頃、体をくるりと反転させると箱根の素晴らしい景色があった。必死に登るといい景色が待っている。よく登山と人生は例えられることがあるけれど、こういう景色をみると実感を持ってわかる気がする。辛く険しい道も歯を食いしばりながら、登っているといい景色に変わっていく。

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早足で飛ばしたツケがまわってきたみたいで、徐々に足が重くなる。足首に錘を巻いて歩いているような足取りになり、膝を曲げて、体を持ち上げることがきつくなる。雑巾を絞るように残された体力を体から搾り取り、山頂を目指す。他の人の足取りも重そうだ。酷暑の中、みんな息を切らして登っている。

○ 11:12 金時山 山頂
山頂に着くやいなや展望をゆっくりと望む余裕はなく、一目散に茶屋に駆け込んだ。そして息も耐え耐えに「金時そば」を注文し、腰を下ろした。

「金時そば」はとても美味しかった。召し上がっているとき、蕎麦つゆの上に汗がぽたぽたと落ちてしまい、それをくい止めようとタオルで汗を拭っても、またすぐに滴り落ちてきて、せっかく作っていただいた蕎麦に申し訳ないと思ったが、それでも、蕎麦のうまさが消えることはなった。山の上でいただく蕎麦はほんとにおいしい。

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茶屋でゆっくりした後は山頂からの景色を楽しんだ。富士山のてっぺんは雲に覆い隠されていたが、それでもいい景色で、箱根の町や富士山の麓を一望できる。登った甲斐のある山頂だ。いつでも記憶から取り出しておけるように胸の中のアルバムに閉まっておきたくなる景色だ。

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○ 11:35 金時山 山頂出発
次の明神ヶ岳に向かって登ってきた道をすいすいと降っていく。登ってくる人たちはみんなきつそうだ。30分前の僕がそこにいる。若い男女の二人組とすれ違ったとき、彼は彼女に向かって「山登りはきつくなってからが楽しんだよね!」とニコニコしながら語りかけていた。彼女はぶすっとした顔で黙って聞いていた。何ふざけたこと言ってんだコイツは、というような人を蔑すむ時の目をしていた。僕は彼の気持ちも彼女も気持ちもどちらもわかった。きつくなるほど楽しくなる気分もわかる。限界に挑んでいる感じがそういう気分にさせるのだ。一方でちっとも楽しくなんかない、という心情もわかる。それは表裏一体の感情だ。山は辛くもあり、楽しくもある。その二つの感情が天秤の両端でぐらぐらと揺れている。

○ 12:00 うぐいす茶屋
うぐいす茶屋の分岐点から、明神ヶ岳の道に進む。この地点から先は人気が1/4以下になり、茂みは倍増した。金時山の比ではない笹薮が道の両側から飛び出している。そこに秩序めいたものはほとんどなく、文字通りのびのびと雑草たちが生い茂っている。時には、道を塞ぐような笹薮の群生地もあり、目がくらむ思いもした。 幸いにもスポーツタイツを履いているので葉が足にこすれても痒みが生じることはなかったけど、もし肌をむき出しにして歩いていたら、相当な痒みが生まれたのではないか。そう思うとゾッとした。

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クーラーの効いた部屋が愛おしい。なんで大量の藪がはびこっている中、強い陽射しに打たれながら、山歩きなんてしているんだろう、と後悔してももう遅い。行くも引き返すもどちらも苦行だ。であるなら、先に進むしかない。でも、先に進むといっても人を見かけないのでこんどは不安になってくる。この道は正しいのだろうか。藪たちが知らぬ間に違う道に案内しているんではないかと思ってしまう。

道が樹林帯に変わると嬉しくなるが、それもぬか喜びで、5分も歩けばまた笹薮の道に変わる。また同じような道をただひたすら延々と歩く。僕がもう少し少年の心を持っていれば、こういう道も目を輝かせながら歩くことができるのだろう。あの緑の虫はなんだろう? あの花はなんだろう? あの鳴き声の主は誰だろう? この道は好奇心を満たすものであふれている。でも、そう思うにはいささか歳を重ねすぎてしまっていた。やはり気持ちのいい展望が見たい。壮観な景色が見たい。

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こういう道を歩いているとき、一人できてよかったと思う。もし誰かを誘っていたら、文句を言われるに違いない。たとえ口に出さなくても、そういう顔を見るだけで、誘った方としては申し訳なくなってしまう。その点、一人なら文句を言われることはない。気楽だ。

箱根の大涌谷を一望できる尾根に出た。足がふらふらで、心も折れかかっているときに背中を押してくれる景色だ。いい景色に巡り会えると、きつく、つまらない山道もいい思い出に変わっていく。

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◯ 13:40 明神ヶ岳 山頂
ベンチに座り、水をがぶがぶ飲む。2リットルあった水はみるみる減っていき、残りは300ミリリットルを切っていた。もっと持ってくるべきだったと反省した。夏の登山は水の消費が激しい。金時山ほどではないにせよ、明神ヶ岳の山頂もいい景色だ。が、日差しを遮るものはないし、茶屋もないので、カンカンに照らされた大地の上で休んでいるだけでも、ちょっと辛い。長居したくても、それは簡単にできることではなく、僕は少し休んだら、次の明星ヶ岳に向かっていた。

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◯ 13:50 明神ヶ岳 出発
平均して一日一万歩は歩くし、長い距離を歩くことはわりと好きで、職場から自宅まで10キロくらいの道を歩いて帰ることもある。それくらい僕にとって歩くことは好きな行為なんですが、それでも直射日光を浴びつづける山登りはそれなりにきつい。それでもまた山には出かけるのだろう。どんなに辛くても嫌いになることは、きっとない。

眼下に小田原の市街と太平洋の大海原が現れる。遠くまでよく見える。胸を打つような感動はないが、記憶には刻まれる景色だ。山道の途中に、とつぜん現れる名もなき名所。こういう巡り会いは登山のいいところだ。

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これまでの道と違い、平坦な道がつづく。平坦な道って下りよりも歩きやすいんです。登りよりも、下りよりも、平らな道がいちばん楽な道です。人生もそういうところがあると思う。なんでもない道がいちばん歩きやすい。

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◯ 14:48 明星ヶ岳 山頂
明神ヶ岳から明星ヶ岳までは尾根道がつづくのかなって勝手に思っていたら、まったくそんなことはなく、この日散々目にした笹薮の中を通りぬける道に終始していた。

そしてそんな山行の最後の山を飾るべく、展望もベンチもなにもない山頂に着いた。明星ヶ岳の山頂です。山頂を示す看板がなく、おそらくここがそうだろうという場所で写真を一枚撮り、そそくさと下山にうつった。ロマンチックな山の名前だけど、少なくとも山頂はそういう雰囲気はなかったと思う。夜になると星が綺麗に見える場所に変わるのでしょうか。

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山を降っていると電車の音や車の音が大きくなってくる。どの山を登ってもそうなのですが、人工の音がしてくると下界が近づいてくる感覚が強くなります。音というのは自然界と人間界でけっこう違って、鳥の鳴き声とか、木々のざわめきとか、川のせせらぎとか、自然の音で溢れると、ああ、そっちの世界に入ったなと思うし、人工の音が充満してくると、人間の世界に帰ってきたなと思う。

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そしてその二つの世界のわかりやすい境界線が山道とコンクリートの舗装路だ。舗装路に出た瞬間に戻ってきたと思う。そして自販機を見つけたときはお宝を発見したような歓喜があり、一目散に駆け寄ってコーラのボタンを押す。ガコン、コーラが落ちてきて、缶を開け、ゴクゴクと喉を通す。この一杯がひどくうまい。山頂の蕎麦と下山後のコーラは最高だ。

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◯ 15:40 勘太郎の湯
宮城野営業所バス停でバスの時刻をチェックして近くにある「勘太郎の湯」へ。箱根の温泉のわりにはほとんど人はいなかった。僕が入ったときは、ほかに3人くらいだったかな。でも、温泉自体は熱々のいい湯でした。バケツ一杯分くらいの汗をかいた体を綺麗に洗い流し、湯に浸かって疲れをとる。下山後に箱根の湯に浸かれるのは箱根の山のいいところですよね。嬉しいご褒美だ。

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◯ 16:35 宮城野営業所バス停 出発
やはり超人気の観光地というだけあり、バスの車内はひどく混雑し、満員電車のように乗れるスペースは限られていた。カーブのつづく中、手すりに捕まって、足を踏ん張らせ、立っていた。でも、温泉でエネルギーは回復したし、これくらいなんてことはない。それに箱根湯本駅のバス停でたくさん降りて座ることもできた。

◯ 17:25 小田原駅着
今日の山行を一言でいうなら「薮だ」。金時山から明星ヶ岳まで、なんどもなんども、またかと言いたくなるほど薮の道を通る。それから、もう一つつけたすなら「暑い」。覚悟していたことだけど、想像以上だった。金時山だけならまだそこまで辛くならずに登れると思いますが、明神ヶ岳、明星ヶ岳まで登るとなると負担は大きくなる。3つの山の縦走をするならば、夏に登るよりかは春とか秋に登ったほうが楽しい山だ。これは言い切れると思う。汗は滝のように流れるし、強烈な日差しには襲われる。


ただ夏に登っても、展望は良かった。金時山も、尾根からの景色も、明神ヶ岳の眺望もどれも素晴らしい景色があった。


翌週、おばちゃんにこの日のことを報告したら、「だから暑いって言ったでしょ」と笑われた。おばちゃんの言うことはちゃんと聞こうと思った。

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富士山とつるつる温泉が待っている。【御岳山〜大岳山〜日の出山】

◯ 8:00 御嶽駅 2018年7月8日
「ホリデー快速おくたま」に乗って御嶽駅に到着。土日になると出現するこの中央線の快速列車は、新宿から乗り換えなしで奥多摩まで運んでくれるありがたい列車だ。奥多摩方面に向かうときは必ずといっていいほど世話になる。それは僕に限った話ではなく、数多くのハイカーが乗り合わせてくるところを見ても重宝されていることがわかるだろう。梅雨のあけた7月初旬のこの日も、「ホリデー快速おくたま」はハイカー御用達列車になっていた。

僕が最初に目指す御岳山は御嶽駅からバスで10分ほど揺られ、ケーブルカー(御岳登山鉄道)に乗り換えて御岳山駅まで登り、そこから山の上の集落の間を抜けるように30分ほど歩くと山頂(御嶽神社)に着いてしまう。とても楽な山行である。高尾山よりも簡単に登れると思う。そういうお手軽さも御岳山の人気を支えているのだろう、この日も多くの人が御岳山にやってきていた。それからこの山を人気たらしめている最大の理由は(おそらく)ロックガーデンという岩石園のエリアである。詳しくは後述しますが、岩と苔と水が織りなす光景はなかなか美しいもので、これを見るとこの地に訪れたくなる理由もわかる。

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◯ 9:02 御嶽神社
御岳山の山頂である御嶽神社から次の目的地である大岳山までのルートはロックガーデンを経由するルートと直接大岳山に向かうルートがあって、ほとんどの人はロックガーデンに進路をとる。ロックガーデンを経由しない人は僕と途中で見かけた老夫婦1組だけだった。老夫婦は一言も口を開かず、静かにゆっくりと歩いている。おじいさんの半歩後ろをおばあさんが黙っててくてくとついていく足取りがひどく可愛らしい。大岳山への直行ルートにはロックガーデンのような自然の美しさはないけれど人の美しい光景を見ることができた。

朝、目が覚めたときは山に行くのが面倒くさいなあという気持ちが襲いかかってきて、出かけるのが億劫になる。眠たい体をむりやり起こして顔を洗って歯を磨いてという行為自体がもう面倒。なんで休みの日に朝早く起きて山なんかに行かなきゃいけないんだ!と自分に対して悪態をついてしまう。それでも、いざ、重い腰を上げて山まで来ると、やっぱり来て良かったと思うんです。そう思わせてしまう光景や空気が山にはある。この老夫婦の光景もその一つだと思うのだ。

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ロックガーデンルートとの再合流地点から、傾斜は少しずつきつくなっていく。姿勢は前屈みになり、この日初めて汗もぽつぽつと流れはじめてきた。時を同じくして頬に雨粒があたる。雨粒というよりも、水滴のシャワーみたいだ。それが火照った体の熱を冷ますようで気持ちがいい。樹林帯を歩いていたこの時間帯は、森林浴でもあり、水欲のような時間でもあった。

前方に滑落注意という看板が出現する。岩場の細い道で、左側は崖のようになっている。足を滑らせたりでもしたら一大事だぞ、というような場所だ。僕は高いところは苦手だし、こういう道はあまり好きではない。危険箇所ほどアドレナリンが沸々と湧き出るような特異人物では決してない。できれば終始安全な道のりだと助かると願う平和志向型ハイカーである。登り慣れた人なら、どうってことはない道なんだろうけど僕は慎重に足を滑らせないように登った。下るときにまた通ると思うと嫌だなあと思ったが、まあ、仕方のないことである。それを覚悟しての登山だ。こういうのが嫌なら登らなければいいだけだ。

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ざわざわ、ざわざわと木々が騒ぎ出した。樹木の葉が一斉に擦れる音がする。なにか不穏な空気を感じる音だ。すると、僕の頬、腕、頭に雨粒が落ちてくる。先ほどのハイカーを祝福するような水滴のシャワーと違って今度は本格的な雨だった。参ったなあ。山頂まではおそらくあと少しだが岩場はまだ先にもあって道は滑りやすくなる。一旦とどまるべきか悩んだけど、ほどなくして雨は弱まったので先に進むことにした。山という場所はほんとに天候が変わりやすい。

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○ 10:20 大岳山 山頂
山頂に着いたとき、雨はほぼ止んでいた。
樹林を抜け、岩場を抜けた山頂には富士山まで見渡せる見事な眺望が待っているはずだった。が、静岡方面の空はぷかぷかと雲が漂っていて、富士山を覆い隠している。僕はいささかの失望とともに肩を落とし、ザックを下ろした。そして空いていたベンチに腰を掛けた。ここでさらに追い討ちをかけるように残念な出来事が起きる。きょうはコンビニおにぎり&サンドイッチのいつものお手軽昼食はやめて、山頂で肉を焼こうと息巻いていたのだが肝心の豚肉を家の冷蔵庫に忘れてきてしまったのだ。僕はふたたびがっくしと首を垂れた。まあ、こういう日もあるさ、と自分に言い聞かせ、気落ちしたままベンチで休んでいると「富士山だ」と弾んだ声が周りから聞こえてくる。その吉報は真実の歓声だった。眺望の先から富士山が姿を現した。もしかしたら、不運(といっても肉を忘れたのは自分の不注意のせいだ)な僕を慮ってひょっこり顔を出してくれたのかもしれない。

富士山を眺めていると「となり、いいですか?」と老婦人が声をかけてきた。艶のある白髪で物腰の柔らかい上品な方だった。一人で山登りに来るような方には見えない。でも、この方は一人で来ていた。もちろん構いません、と僕は返事をした。
「見られないと思っていました、富士山」と老婦人は言った。
「さっきまですっぽり雲に隠れていたんですけど、ちょうどいま見え始めたんです」
「そうですか」老婦人は八千草薫が微笑んだ時のような優しい顔をした。富士山が顔を出したのは僕のためではなく、この方のためだったんだろう。なぜだかそういう気がした。

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○ 10:55 大岳山 山頂 出発
次の目指す山頂である日の出山に向かって来た道を戻る。一度通ったこともあって、すいすい下る。ふたたび、恐れおののいていた滑落注意の場所に差し掛かる。でも、登りのときより怖さはなかった。いちど経験したからなのか、下りだからなのかはよくわからないが、もう身がちぢこまることはなかった。

○ 11:45 ロックガーデン
下りではロックガーデンルートを選択。この岩石園を実際に自分の目で見るとその美しさは写真よりも一際輝いてみえた。岩と苔と水が互いに協力しあって、額縁をかけて家で鑑賞したくなるような自然美をつくっている。さらにその自然美は気持ちのいいせせらぎの音も奏でてくれている。来る人みんなをいい気分にさせてくれる舞台がロックガーデンにはあった。
そういう訪れてよかったと思える場所だけあって、ロックガーデン一帯はこの日の山行でいちばんの賑わいを見せていた。大人も子どもも、お年寄りも、外国人も、さまざまな人がラフな格好で観光地のメインストリートを通るようにぞろぞろと歩いていた。

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○ 12:15 七代の滝
「七代の滝」という案内板を見つけ、せっかくなので行ってみることにした。次の目的地である日の出山へのルートからは外れていたけど、時間的に余裕があったし、どういう滝か見てみたい気持ちもあったのだ。が、滝までの道のりが思っていた以上にやっかいで、急階段を落ちるように下っていく。下るときはまだよかった。問題は登りだ。滝から分岐点まで戻るために、その急階段を登るのがかなりきつかった。滝のことよりも、この急階段のことが深く刻まれた場所だった。

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○ 12:47 御嶽神社 入り口
御嶽神社の入り口まで戻る。今度はこの場所から日の出山の方へ舵を切る。昼下がりの時間ということもあって、僕と同じようにこれから日の出山に向かう人は一人もいない。でも僕はとにかく早く日の出山に向かいたかった。なぜなら、その先に「つるつる温泉」という(たぶん)ハイカーの間で有名な温泉があるからです。
「御岳山に行くんです(あるいは行きました)」と山好きの人と話をすると、「ということは、つるつる温泉に下山ですね」という会話になることが多い。それくらい御岳山とつるつる温泉はセットで語られる。

一人きりの静かな山をわりかし早足で歩いていると、道の先に熊が仰向けになって倒れているような黒い物体が見え、一瞬足がすくみ、心臓の鼓動が太鼓を素早く打つように早くなる。近くまでいくと、もうなんの変哲もないただの岩だったんだけど、遠くから見るとそうは見えなくてほんとに驚いた。紛らわしいフォルムだ、まったく。ひとりぼっちのときの心細い心理が岩を熊に見させてしまうのかもしれない。

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○ 13:20 日の出山 山頂
日の出山の山頂に着く。標高も低く、ルートもラクなわりには展望のいい山です。東京と埼玉を広く見渡せる。しかし、この時期の低山はやはり暑い。眺めのいい場所でも、景色を十全に楽しもうとすると辛い。座っているだけでも汗がだらだらと流れてくる。到着してまもなくは爽快な景色に目を奪われていたけど、数分後には暑さに耐えられなくて早く温泉に向かおうという意識になっていた。

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山頂からつるつる温泉までは下るだけの道で、暑さから逃れるように、温泉を渇望するように、早足で下っていった。「つるつる、つるつる」と頭の中で連呼をしながら下っていると4人のお年寄り集団の後ろに付いた。追い越そうと思っていたら、お年寄り方の話が興味深くて、結局山を抜けたふもとまで金魚の糞のようについていってしまった。以下は、その時のおじいさんとおばあさんたちの会話の一部です。

「若い頃は、槍から剣に縦走していたし、昔は人の荷物も背負って登っていたんだけどな。今じゃ、自分の分で精一杯さ」
「あら、いくつだっけ?」
「オラ? 27だよ」
「なら、まだいけるわよ。私も17だし、いけるかな」
「いけるいける」

「どこの山が良かった?」
「チョウがいいね、チョウ」
「鳥海山?」
「ちがう、蝶ヶ岳。景色がすごくいいの」
「いつ行くの?」
「冬に行く」
「山荘は開いてるの?」
「いや、避難小屋に泊まる」
「私は西穂かな」
「西穂は鎖もロープもないし、いいよね。自分で登るだけ。笠もいいよ、笠ヶ岳」

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○ 14:33 つるつる温泉
おそらく3、4度目の再訪になるつるつる温泉。浴室の真ん中に楕円形の大きな風呂がどんと構えていて、その周囲に体を洗うスペースが点在している。多くのハイカーやトレイルランナーたちが汗を流し、温泉に浸かってゆっくりしていた。僕も体の汚れと汗を流して温泉に浸かって疲れをとった。

そしてサウナに入る。詳しくはまた別のときに記したいと思っていますが、最近、「サウナー」という言葉を知り、「整う」という不思議な体験をしてしまった。そういうこともあって、つるつる温泉のサウナと水風呂も楽しみにしていた。6人入るのがやっとという小さなサウナ室に10分浸かり、水風呂へ。水温は22度でちょっとぬるかったけど、それが入りやすくて気持ちよかった。で、外気にあたり、整った。
入浴後は、食事処でカツ丼をいただき、空腹に苛まれていたお腹を満たし、今日の山行について簡単なメモをした。つるつる温泉から武蔵五日市駅までのバスが出ているので、あとはバスが来るまでのんびりと過ごすだけだ。

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○ 16:35 武蔵五日市駅
雨に降られたときはどうしよかと思ったけど、止んでよかった。大岳山では富士山を見ることができたし、御岳山のロックガーデンもよかったし、下山後のつるつる温泉もよかった。なかなか満足のいく山行でした。暑い、という苦難もありますが、大抵は樹林帯で直射日光を浴びることはほとんどありません。暑さがどうしても辛いということであれば、春とか秋に行くといい山行を楽しめると思います。

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見晴らしのいい山。【筑波山】

○ 7:31 渋谷駅 2018年6月17日
東京の空模様はどんよりとした曇り空で、もくもくと漂っている雲の群れに太陽が覗く隙間は一分もなかった。僕が今日目指す山は展望の良さで知られる筑波山だ。願わくは山頂では雲が吹き飛び、美しい光景を目にすることができるといいんだけどな、と一縷の望みを胸にしまい、つくば駅に向かう電車に乗った。

初めてつくばエクスプレスに乗る。乗ってみて驚いたんですが、ものすごく速いと感じた。弾丸のようにびゅんと進む。僕のはやる気持ちを汲み取ってくれるみたいに一目散に進んでいく。車窓の向こうに見える街並みがものすごい速さで変わっていった。

車内では登山者もぽつぽつと見かけました。僕の隣に座っていた二人組の女性も間違いなく筑波山に向かう人たちだったと思う。山に登る格好だったし、筑波山のパンフレットを手に持っていた。どの山に登ったという話もしている。ただ、「仕事のことはどうでもいい。話すだけ酸素の無駄」と急にナイフで切り刻むようなセリフが飛び出し、どきりとした。何があったんだろう。

東京都を抜け、千葉県を抜け、茨城県に入ると、やがて車窓越しに筑波山が見えてくる。山頂は雲にすっぽりと覆われていた。もしかしたら雨が降っているかもしれない。まあ、それはそれで仕方ないかとこの時点で過度の期待をすることはやめた。

○ 8:45 つくば駅
つくば駅に到着。東京の空と同じようにつくばの空も雲で覆われ、街は全体的に薄暗くなっている。絶好の登山日和とはいかなかった。まあ、梅雨の時期に登山計画をする自分がいけないだろう。でも、筑波山に登ってみたい欲がむくむくと湧きでてしまったのだから、しょうがない。登ってみるしかこの気持ちを解消することはできないのだ。そうしないと悶々とした日々を過ごすことになる。

筑波山行きのシャトルバス乗り場を探すとすぐにわかった。登山者の列ができていたからだ。僕も列の後ろに並び、所在なげに地図を眺める。登山ではバスを待つことが度々起こるけど(しばしば登山口までバスが連れてってくれる)、たいてい携帯をいじったり、地図を見て待ちます。要するにやることがないのです。バス待ちに限っていえば今日みたいな曇った日はまだいいけれど、太陽の陽射しが強いとそれはそれで辛かったりする。この日は臨時バスも走っていて、それほど待つことなく出発した。

バスが走り出すと筑波山の紹介アナウンスが流れ出した。「筑波山自体が御神体であり、御山自体がパワースポット」とか「筑波山温泉郷はアルカリ性であり…、(中略)みなさま、筑波山で楽しいひとときをお過ごしください」というアナウンスが日本語→英語の順番で流れていた。外国人も登るのだろうか。筑波山は外国にも知名度の高い山なのだろうか。少なくともそのときの車内には外国人は一人も見かけなった(筑波山ではいくつかの外国人グループとすれ違った)。僕は車窓の風景を目にしながら、天井から流れてくるアナウンスをぼんやりと聞いていた。

「すべてがのどか。好きな景色」と前席に座っていた少年が隣席の友だちに向かって言った。僕も後ろの席で同感だと思った。目に見える光景のほとんどは田んぼと畑と住居でつくられている。緑が多くて「のどか」という形容がぴたりとはまる景色がそこにはあった。そういうのどかな景色の奥にドン!と聳える山がある。筑波山だ。想像していたよりもはるかに大きく、巨大な壁のようにせり立っている。低山だからといって、観光山だからといって、舐めてかかると痛い目にあいそうな気がした。

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○ 9:42 筑波山神社 下車
ほとんどの人は筑波山神社のバス停で下車した。筑波山を登る一般的なコースは二つある。
(1)筑波山神社から登るコース
(2)つつじヶ丘から登るコース
僕もどちらから登ろうか迷ったけど、筑波山神社から登り、つつじヶ丘に下山するコースにしようと決めた。なぜならつつじヶ丘は帰りのバスの始発だからです。登山後は座ってゆっくり帰りたいなあと思ったのだ。ということで僕も筑波山神社のバス停で降りた。

バスから降りると冷たい空気が肌を襲う。標高も少しばかり高いところだったし、曇っていたせいもあったのだろう。身震いする寒さではないけど、けっこう肌寒かった。少なくとも初夏の暑さはどこにもなかった。ホテルや旅館、土産屋が立ち並ぶ温泉街みたいな通りを抜け、筑波山神社に到着する。ハイカーのほかにも訪れている人がばらばらといて賑わっている神社だった。ほとんどの人がそうしているように僕も参拝をしてから登山口に向かった。

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○ 10:05 登山口
お邪魔します、といった感じで登山口から筑波山の中に足を踏み入れると途端に雰囲気が変わる。太古の森みたいな重々しさがあり、獣すら寄せ付けないような静謐な空気が蔓延している。「筑波山自体がご神体であり、御山自体がパワースポット」というバスのアナウンスが僕の頭の中にリフレインしてくる。さっきまで旅館やらホテルやら人工物があったのに、登山道に入るとテレビのチャンネルを変えたようにガラリと変わった。のどかな景色は唐突に断絶され、神聖めいた森に変わったことにいささか面を食らった。

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地面はぬかるみ、滑りやすく、雨が降っていたことがうかがえる。樹木の葉も幹も瑞々しさを含んでいる。深く神秘的な、そして薄暗く寡黙なたたずまいが、湿った薄いヴェールのように、僕の上に終始垂れ込めている。そこは「神聖な」という尊くて侵しがたい場所であるような一方で「不穏な」「得体の知れない」とも表現したくなるような雰囲気も感じられる。

ひやりとした空気の中、汗がジワリと出てくる。はじめの休憩所でアウターを脱いでタオルを首に巻いた。序盤は階段が多くて大股で足を持ち上げることが多い。大股で歩きつづけるとあとでずしりと足にくるのであまりしたくないんだけど、これも御神体の山を登る試練の一つだと思って歯を食いしばりながら登る。

その後も平坦な道は少なくて、垂直に登るような急登や、再度の階段地獄といった感じであの手この手で登山者に試練を与えてくる。やはり人気の山だからといって高尾山みたいに思っていてはいけない。足のエネルギーはみるみる消耗するし、膝のダメージも蓄積していく。

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○ 11:10 御幸ヶ原
男体山と女体山(標高871 mの男体山と877mの女体山を総称して筑波山と呼んでいる)の間に位置する御幸ヶ原。筑波山を登るコースにある中でもっとも広い休憩所です。広大な平地には茶店が並び、多くの人がこの場所で腰を下ろし、食事をとっていた。御幸ヶ原は山頂ではないけど、山頂付近ということで展望を望める場所なのですが、残念ながら雲が晴れることはなく期待していた展望は望めなかった。つくば駅に着いたときから、山を登っているときから覚悟していたことだけど、それでも少し悲しい気持ちになった。景色を望めなかったこともあって僕は休憩もほどほどに一つ目の山頂である男体山へ向かう。御幸ヶ原から山頂までは距離としては短いけど、厳しい急勾配が続き、前にいたおばあちゃんは「心臓がばくばくする」とおじいちゃんに嘆いていた。

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○ 11:22 男体山 山頂
山頂に着いても変わらず曇っていたので気持ちのいい展望は望めなかったけど、それでもだだ広い関東平野を見渡すことができた。タイミングがよかったのかもしれませんが、人もあまり多くなく(この後の女体山は行列がすごかった)、しばらくの間、山頂からの景色を眺めていた。爽快とはまた違った感じのいい気分である。大空を優雅に飛んでいる鳥の気持ちになれる。

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○ 11:37 御幸ヶ原
山頂を楽しんだ後、再び御幸ヶ原に戻り、ご飯を食べることにした。茶店「たがみ」に入り、「けんちんそば(850円)」を注文。熱々のけんちんそばが体に沁みる。登っているときは汗をかいて暑苦しくなるけど、テーブルに腰掛けてるときは、発汗したあとの気化熱により体が冷える。その冷えた体に熱々のけんちんそばがとても沁みるのだ。美味しかった。汁も飲みきって完食。それにしても辺りを見渡すと老若男女いる筑波山。小さな子供からお年寄りまでいる。

御幸ヶ原に着いたときから、目についたものがあった。おじーさんも、おばーさんも、おとーさんも、おかーさんも、子どもたちも、老若男女のたくさんの人が串に刺さった何かを食べているのだ。それがひどく美味しそうで僕も食べてみたくなった。その正体を探すと「焼き団子(330円)」だということがわかり、僕はさっそくそれを売ってる店で買った。一串三粒だが、一粒一粒が大きくて、甘い。中は柔らかく、表面はパリッとしている。うまい。

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御幸ヶ原の一角に「紫峰杉まで1分」と書かれた看板を見つける。次の目的地である女体山に向かうコースからは外れていたけど、1分という至近距離だったこともあり、せっかくなので行ってみることにした。紫峰杉は先程までの喧騒が嘘のように静かな場所だった。人間は僕しかいない。あとはただ樹木が屹立しているだけだ。しんとしている。そして道の先に見事な杉が静かに鎮座している。樹齢800年と立て札には書いてあった。樹齢何百年という木に対峙することはこれまでにも何度かあったけど、その度に拝む気持ちになる。そういう気持ちにさせられる何かがある。

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○ 12:27 女体山 山頂
男体山と違って、女体山の山頂では長い長い行列ができていた。いちばん見晴らしのいいと思われる岩の先端のスポットに立ちたい人たちが列をつくっている。人気のクレープ店のように、次から次へと人がやって来て行列がなくなる気配はない。確かに男体山よりも眺めは良さそうだったけど、人が多すぎてゆっくりと楽しむことは難しそうな場所だった。僕は高いところは苦手だし、岩の先端までは怖くていけないので少し離れたところから展望を見て退散。つつじヶ丘のバス停に向かって下山を始めた。

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ひどく急な岩場から始まる。ストン、ストン、と直下するように下っていく。足の踏み場である岩場は水気が含まれ、つるんと滑りやすく、かなり慎重に足を運ばないと転びそうだった。途中すれ違った小さな女の子は登っているときに足を滑らして「もう、嫌だ」と泣いていた。空は曇っているし、山登りは滑って危険だし、あの女の子にとって筑波山はいい思い出にならなかったかもしれない。僕があの子だったら山嫌いになってしまうかもしれない。そのくらい、この日の筑波山は危険な顔を出していた。晴れていたらまた違うんだろうけど。

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つつじヶ丘に近づくと景色のひらけた場所にでる。雲が減っていたこともあり、気持ちのいい景色が広がっている。お誂え向きにベンチもあり、つつじヶ丘まですぐそこだったが、ここで一旦ザックを肩から下ろし、小休憩した。御幸ヶ原と違い、女体山と違い、ほとんど人もいなくて、気分のいい時間を堪能した。このときが筑波山でもっとも優雅な時間だった気がする。

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○ 13:30 つつじヶ丘バス停到着
行きと違いバスの中は人の喋り声は聞こえず、紹介アナウンスもなく、静かな空間だった。ほぼみんなが目をつむってすやすやと眠りにおちていた。僕も目を瞑った。山を登った後は気分良く眠れる。

この日はあいにくの空模様で筑波山を十全に楽しめたかというとそうではありませんでした。筑波山の本来持つ魅力の半分くらいしか堪能することはできなかったと思う。おそらく雲ひとつない晴天の日は見事な眺望が待っているんだろう。その景色を拝めなかったのは残念だけど、それでも楽しい山行だった。低山でこれほど遠くまで平野を見渡せる山は少ないと思うし、こんどまた晴れた日に行ってみたいと思います。

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また行きたくなる山。【伊豆ヶ岳〜子ノ権現】

○ 7:04 正丸駅 2018年6月2日(土)
時計の針が早朝の5時をまわったばかりの山手線は、腕を組んで首をうとうと傾けながら頭を垂れてる人がたくさんいた。ついさっきまでクラブミュージックが鳴り響く薄暗い空間で、はじけていたとみられる若い男女のグループが電車のシートにもたれるように座ってすやすやと子どもの顔をして寝ている。僕もあくびをしながら朝の山手線に揺られていた。

池袋駅で電車を降りて西武池袋線に乗り換えた。空いていた席に腰を下ろし、車窓の向こうに見える駅のホームの光景をぼんやりと眺めていた。発車時刻になって電車が定刻通りに走り出すと車窓の景色はビル群から住宅街に変わり、やがて山の姿が目につきはじめた。その頃には車内は空席が目立つようになっていた。土曜日の朝の西武池袋線はJR中央線みたいに登山者でにぎわってはいない。奥多摩の山に向かうときによく利用する中央線の「ホリデー快速おくたま」の車内は登山者をよく目にするけど、西武線はぽつぽつと見かけるくらいだった。車内はごく日常的な服装を着た人の光景で出来上がっていた。

正丸駅に降り立ったのは朝の7時過ぎだった。周囲をぐるりと見回すと見事なまでに山に囲まれていて、ビルが割拠した都心の光景とはまるでちがう光景があった。冷えた空気が肌に触れる。僕はザックの中からアウターを取り出してシャツの上から羽織った。そして準備体操もほどほどに最初の目的地である伊豆ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめた。駅から登山口まではまず舗装路を進む。舗装路に並行して沢が流れている。こういう沢とともにはじまる山は好きだ。

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○ 7:35 登山口
登山口に着いたとき、「おはようございます」と丁寧な挨拶をしてくださった白髪まじりのすらりとした男性が後ろから僕を追い抜いていった。身軽そうなザックを背負い、軽快な足取りで僕の前をするすると進んでいく。いろんな山に登っているのだろうか。彼が身につけている服装や登山靴や山道具を背後から眺めていると、熟練者の域に達している雰囲気を感じた。この方はコンパクトカメラを手に撮り、僕と同じようにパシャパシャと山の風景を写真に収めていた。ただ、それが唯一の共通点なようで二人の登るスピードはだいぶ異なっていた。人間とチーターが一緒にヨーイドンをして走るように彼と僕の距離はぐんぐんと離れていった。そしていつのまにか視界から消えていた。こういう人生の中のほんの一瞬の交わりが、山ではよくある。ところが、この男性とはこの日の山行を通して、なんども顔を合わせることになった。

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舗装路から登山道に移っても沢はつづいていた。するとなんの予兆もなく、とつぜん頭の中に、さわわ、さわわ、さわわー、 と「さとうきび畑」の替え歌が流れてきた。周囲には誰もいなかったので口に出して歌ってもよかったのかもしれないが、鳥に笑われたらいやだなと思ってやめておいた。

朝の陽光が注がれている樹林帯を、えっほ、えっほ、と元気よく登っていく(もちろん声には出してない)。さきほど見かけた男性のほかに人の気配はまるでなかった。正丸駅では数名の登山の格好をした人を見かけたけど、登山道に入ってから見かけることはなかった。伊豆ヶ岳は奥武蔵の人気の山と聞いていたのでいささか拍子抜けした。人でにぎわっているのかと思っていたら、そういうわけでもないようである。もっともゴールデンウィークの新緑の時期はまた違うんでしょうが。写真を撮るために短パンのポケットからスマートフォンを取り出すと圏外だった。人はいない。電波も入らない。世間から切り離された世界がはじまった。

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やがて沢の音がぴたっとやむ。それまでひんやりとした薄い膜のようなものに覆われていた水々しい空気は薄れ、さらにタイミングよく太陽が雲に隠れた。あたりは暗雲とした一帯に変わり、風もいくぶん冷ややかになった。すると、その暗い空気にふさわしい舞台が用意されたように目の前に急峻があらわれた。額から汗がつーっと落ちる。足を上下にあげる幅は大きくなり、蓄えていたエネルギーがみるみると消耗していった。

T字路の分岐点にさしかかったとき、さきほどすれ違った白髪の男性が左手の道から引き返してくる。どうしたんだろうと思ったら、こんどは右手の道に進んだ。かと思えば、また僕の立っている分岐点に戻ってきた。

「すみません、どっちの道だかわかりますか?」と男性が声をかけてきた。
「わからないです。地図を見てみます」と僕は言った。
僕は地図を広げ、男性はスマートフォンのGPS機能を使って調べた。そして、二人で話し合った結果、左手の道が正しい道だとわかる。右手にある道のように見えたものは道ではなかった。この場所は分岐点でもなんでもなかったのである。
「ここに案内板ほしいですよね」
「僕らで建てときますか」
と冗談をまじえたやりとりをしたあと、男性はまたチーターのような足取りで左手の道をさっそうと進んでいった。僕もその後を追って進んでいく。まもなく、また登りがはじまり、上の方から、土塊や小石がころころと転がってくる。先の方まで見上げるとそこには荒くれた急斜面があった。すべりやすいみたいで、先を行くさっきの男性が「気をつけてください」と僕に呼びかけながら登っていった。僕も足に力を入れたり、木の根っこを掴みながら、巨大な壁のような荒れた斜面を用心深く登っていった。足をすべらすと勢いよく下まですべりおちそうだった。汗というよりも冷や汗をかいていた。

難斜面を登りきると平らな道が待っていた。雲間から太陽が顔を出しはじめて、山林一帯に光と影のコントラストの美しい光景が目に飛び込んでくるようになった。ハイキング気分で美しい樹林帯を抜ける。するとこんどは岩場が出現し、岩場の反対側には見事な眺望があった。いくつもの山が連なった景色が遠くまで広がっている。僕は岩場で足を止め、じっと山容を眺めていた。ただ見ていた。ただ見ているだけだった。でも、心の中にある曇った部分がすこしずつ晴れていった。山の景色にはときどきそういう心を晴れやかにする作用が起こる。それにいい湯に浸かっているときのような快感があった。さきほどの男性も岩場の上のほうで腰に手を当てながら、景色を見ていた。

とても静かな山だ。聞こえるものといえば自然の音と鳥の声くらいだ。心の中の僕の声がいちばん大きいかもしれない。

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◯ 8:12 五輪山
僕は今、五輪のてっぺんにきている。つまり、金メダルだ。僕もついに金メダルをとったんだ。足を止めて休んでいると変な思考がはじまった。なんだかあほらしくなってきたので、疲労を感じた太腿をさっとほぐしてさっさと伊豆ヶ岳の山頂に向かう。

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男坂にやってきた。ここは傾斜40度、全長約50mのクサリ場で伊豆ヶ岳を象徴する登り坂でもあった。事故も起きているという危険な箇所で、2018年6月現在、立ち入り禁止になっている。登山ビギナーであり、高所恐怖症でもある僕は巨壁みたいなクサリ場を目にしただけで立ちすくんでしまった。写真で見ていたものよりも迫力があった。

このときは迂回路である女坂も現在立ち入り禁止だった。僕は男坂と女坂の間に位置する新しい登山道──さしずめ子供坂といったところだろうか──を登っていった。

前方に大型のザックを背負った男性とその後をついていく女性の姿を見つけた。男性は歩荷さんが背中に抱えているようなとても重そうなザックを背負っていた。男性はゆっくりと、一歩一歩、足を滑らせないように慎重に登っていた。僕も力を振り絞って登っていく。まもなく伊豆ヶ岳の山頂に到着した。

○ 8:20 伊豆ヶ岳山頂
山頂には4名の男女がいた。一人は途中で顔を合わせた白髪の男性。
「無事、着きましたね」と男性が僕を見るなり、そう口にした。
「はい、いい山でした」と僕。
会話もそこそこに切り上げる。もう一人は登山慣れしていそうな中年の男性で、さいごの一人は女性であった。ふしぎに思ったのは、僕の前方にいた大型のザックを背負った男性と女性の二人組が見当たらなかったことだ。彼らは休まずに先に進んだのだろうか。それともあれはただの幻だったのだろうか。はっきりと目にしたんだけどなあと頭をかいた。

山頂は樹木に囲まれていて眺望はなかった。山頂の手前の場所に眺望のよい場所があるので展望を楽しむならそこで景色を眺めるといいかと思われます。ここではおにぎり二個を補給して休憩もほどほどに次の目的地である「子ノ権現」に向かった。

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○ 8:30 伊豆ヶ岳 山頂 出発
白髪の男性は僕より前に出発していて、あとの二人はまだ山頂でゆっくりしていた。僕はザックを背負って各部のベルトをギュッと締める。緩んだ心のネジをもう一度締め直す。そして次の山に繰り出した。

わりと傾斜のきつい下り坂からはじまった。足をすべらせないように慎重に下る。下りきったかと思ったら、こんどは急峻な登り坂が現れる。山頂から先は傾斜の鋭いアップダウンの繰り返しで歩いていると修行僧のようにも思えてきた。

人の姿は見えないが遠くから熊鈴が聞こえてくる。熊鈴は熊よけのための鈴とされているけど、山の中でひとりでいると、人の気配を感じることができ、ちょっとほっとさせてくれる。しかも、この遠方にいる方の熊鈴の音色は、風鈴のような澄んだ美しい音色でよく響いている。僕の熊鈴は遠くまで聞こえないようなか細い音で、音の質も安物の楽器のように悪い。僕もこういう透き通った心地いい音色の、かつ、遠くまで響く熊鈴を買おうと思った。

急峻なアップダウンを繰り返したせいか右足も左足も徐々に重くなってきていた。鉛を足首に巻いて登っているみたいに足をあげることがきつくなっていた。登りはじめのときのペースと比べると、歩行のスピードは亀のようにスローダウンしていた。こんな辛い思いをしていったいなんのために登っているんだろうと自問自答する。でも明確なこたえがでるわけではない。ひとつ確かなことは辛いけど楽しいということだ。苦しんだ先にある楽しいは、ふつうの楽しいより、楽しかったりすると思う。

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○ 8:45 古御岳
古御岳の休憩スペースに伊豆ヶ岳の山頂では見かけなかったあの男女の二人組がいた。と思ったら、二人だけでなくて、小さな女の子もいた。そうか、あの男性は女の子を背負っていたのだ。大型のザックではなく、ベビーキャリアだったのだ。家族三人で山登りに来ていたのだ。男性はお父さんで女性はお母さんだったのだ。

休憩スペースでは女の子は立って歩いていた。それなりに大きな子どもだった。お父さんは彼女を背負って急峻な山を登って下ってまた登っていたのだ。とてもパワフルなお父さんだ。僕にはとても真似のできる芸当ではなく、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。僕は、こんにちは、と挨拶をして彼らの前を通りすぎた。お父さんの発した「こんにちは」には重労働のあとのような声色が含まれていた。でも、ハキハキとしたエネルギーに満ちた挨拶だった。お父さんすごい。こちらのファミリーとは、この日の山行の終着点である吾野駅でも見かけることになった。ひとりで歩いていた僕とほとんど同じペースで歩いていたのだ。まことに恐れ入る。

そういえば登山者を見かけることも少なかったけどトレイルランナーもほとんど見かけなかった。確か走っている人を見かけたのは1人くらいだったと思う。あとは日頃から山登りが好きそうな方の3、4人とすれ違ったくらいでほんとに静かな山である。登山道はある程度整備されていて歩きやすく、いい山道だ。山の中でひとりきりになるのが心細くて仕方がないという人を抜きにすれば、楽しめると思います。

街の中にいるときは、自分のいまいる場所を正確に判断できるし、向いてる方角もわかる。僕はわりと頭の中で鳥の目になって街を空から俯瞰して見ることが得意なので、道に迷うことなんてほぼないんですが、山だとなかなかそういうわけにはいかない。まわりを見渡しても樹林ばかりで目印になるようなものはなく、空から俯瞰してみようと思っても現在地をつかみにくい。だから、案内板のない分岐路に出くわすと迷ってしまうときもある。そういうときはコンパスを取り出したり、地図とにらめっこしたりして、頭の汗をかいて進路を選ぶ。なんというかこういうことをしていると人間の生存本能的な感覚がいくばくか磨かれていくような気がした。まあ、こういうのは得てして気がするだけでおわるんですが。

○ 9:08 高畑山
時計をちらりと見て山行時間を確認し、すっと通りすぎる。小刻みに休みをとりながら歩いていたので、ちょっと遅れているかもなと思っていた。でも、ペース的にはそれほど悪くないということを確認する。

まもなく、この日の山行でいちばん展望がのぞめそうな場所に出た。周囲は伐採されていて、ぽつんと鉄塔が一つ建っていた。伐採のおかげでといったら、木に悪いけど、遠くまでよく見えた。僕は樹林帯を歩くことが好きですが、やっぱりこういういい景色を望めるところも好きです。とてもいい場所だった。でも、熊蜂の溜まり場になっているんじゃないかと思うくらい、ぶんぶんと十数匹も飛んでいて、ちょっと怖くもあった。十数匹の熊蜂が飛び交っている音はなかなか耳から離れない。いまでも、その時の音は思い出せます。ぶんぶん、ぶんぶん。

伐採もされていましたが、植樹もされていました。がらんとした場所にあたらしい命も芽吹きはじめていた。

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朝早くからこれだけ自然のシャワーを浴びていると、なんだか僕も光合成をしているんじゃないかという気分になってくる。それくらい木々の隙間を通り抜けて降り注ぐ光のエネルギーを体が吸収している気がする。自分の中に養分が溜まっていくような気がする。街中で太陽の光を一身に浴びてもこういう気持ちはいっさい湧いてこないんですが、山の中にまみれていると湧いてくる。自然に満ち満ちている場所だからかもしれない。

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かすかに耳に届いていた熊鈴がいっさい聞こえなくなってから、急に心細くなってきた。それまではひとりきりとはいえ、ひとりではなかった。近くに人がいると思っていた。それがまったく音がしなくなると背中がひどく寂しくなってきた。まあ、熊鈴の音がだんだん大きくなってくると、後ろから追われているようでプレッシャーにもなるんですが。ただ、山の深くで人の気配がまるでないというのは、思っているよりも寂しくなるもんだと思った。

しばらく歩くと熊鈴がまた聞こえてきた。みんな立ち止まったり、空気を吸ったり、写真を撮ったり、景色を眺めたりして、思い思いに山を楽しんでいるのだろう。

○ 9:24 中丿沢頭
こちらも休憩スペースはありますが眺望はのぞめません。手前にまき道があるので登るのがしんどい方はまき道を選択してもいいかと思います。僕もチェックポイントのように山行時間だけを確認してそそくさと下っていきました。

この日に通り過ぎた山はどれも低山で、いちばん高い山でも伊豆ヶ岳の851mだ。でも、6月に入っていたけど、それほど暑さを感じることもなく歩きやすい気候だった。しかも太陽が雲に隠れて日差しがなくなると春先のように涼しくなってくる。虫にいたっても気が滅入ってしまうほど飛んではいない。きもちよく歩ける道である。まあ、体力的に苦しくなるときはあります。

○ 9:50 天目指峠
車道との合流地点でもある天目指峠に着いたのは10時前だった。道の先にはさらなる試練のように急峻が待ち構えていた。僕はそれまで使わなかったトレッキングポールをザックの脇から取り出す。だいぶ足にきていたし、手の力も借りないとうまく登りきれないかもしれないと思ったのだ。そして、休憩もほどほどに意を決して足の力と手の力も使って登りはじめたが、ひどく急な勾配で引いていた汗がまたどっと吹き出した。 息づかいも荒くなる。足をあげる動作が辛くなる。苦行のような時間がつづく。そのとき、天が頑張れとエールをおくってくれたかのようにまた徐々に陽が出てきた。登りきると緑が輝いた景色が待っていた。こういう景色を目にするだけでも辛さは消えていく。

そしてまた急峻が現れる。しかし、このときにはもう、この日の山行の体験から登った先にある景色を楽しみにしている気持ちも湧いていた。実際に登りきるといい景色が待っていた。眺望があるわけではないですが、煌めくような樹林帯の光景が美しくて、きつい傾斜も登った甲斐があるなと思ってしまう。なんでもないただの樹林の景色ですが、僕にとっては苦しい急峻を登りきった褒美としては十分なものだった。

ただ、とはいえ、このあたりはほんとうにきつくて、体力的にも精神的にもかなり消耗させられた。急勾配の登り坂→平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道、という難コースの連続だった。危険な箇所はないけど体力的には苦しい時間でとくに両足の体力はひどく削られていた。

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○ 10:20 子ノ権現
体力の残量が残りわずかになっていたときに子ノ権現に到着。ベンチにどかっと腰を下ろしてひと息ついた。ここで白髪の男性と三度再会。おつかれさまです、と言葉を交わして各々削られたエネルギーの充填をしていた。僕はサンドイッチを食べながら今日歩いた道を地図で見返していた。ひと息ついたあと、あたりを散策すると「スカイツリーを望める眺望」といったようなものが記された看板が目につき、その場所まで行ってみることにした。あいにく、スカイツリーを確認することはできなかったけど、遠くまで見渡せていい眺望だった。なにが僕の心を打ったのかわからないがその場にじっと立っていた。いい風が吹いていた。

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○ 10:45 子ノ権現 出発
ここから先は下り坂がほとんどです。傾斜のきつい勾配で体力を奪われる箇所はもうありません。舗装路を通ってすぐ登山道に入り、ひたすら下山し、また舗装路になって進んでいきます。そしてふたたび沢が登場。水のせせらぐ音は何度聴いてもいいものである。

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◯ 11:10 浅見茶屋
下山中、とてもうまいうどん屋に出会った。「浅見茶屋」というお店で古民家を改修した店内の雰囲気がまずよかったし、流れている音楽がジャズというところも気に入ってしまった。僕の趣向とぴたりと合うお店だった。古民家とジャズの組み合わせがとても素敵だと思ったし、こういうのを洒落ているというのだと思った。注文した「肉汁つけうどん(850円)」はとてもうまかった。山行を締めくくる味としてはたいへん満足のいくうどんであった。僕はうどんをすすりながら今日の山行の出来事をポケットサイズのノートに書く。爽やかな風とジャズの旋律が古民家の中をぐるぐると流れている。時計を見るとまだ午前11時半。こういう時間を贅沢な時間と呼ぶのだと思った。長い距離を歩ききった後の至福のうどん。お金では買えない贅沢がここにはある。こういう山行があるから、山はやめられないんだと思った。きついことが多かった山行もいい思い出に変わっていく。

こちらのお茶屋さんでも、また白髪の男性と再会した。もう何度目だろう。お互いに顔なじみの空気になっていた。いくつかの簡単な会話を楽しんだ。そして、その男性は「お先に」と言ってお店を後にした。深い身の上話はしなかった。連絡先は交換しなかった。でも、もしまたどこかの山で再会することがあったら、そのときは思い切って聞いてみようと思った。人生の中の小さな一点の交わりを新しいつながりの線に変えることはできる。自分の勇気次第で。

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○ 11:53 浅見茶屋 出発 → 12:40 吾野駅
ここから先は舗装路が延々とつづく。道に沿うように沢も流れている。とてもいいエンディングロールの道だった。あとは温泉があれば嬉しいんだけど、そこまで欲張ってしまってはいけませんね。吾野駅で電車に乗り込んで奥武蔵の山を後にしました。沢ではじまり、きつい傾斜があり、美しい植林地帯を通り、立ちどまる眺望があり、うまいうどんがあり、沢でおわる。約14.5kmという長い道のりは、苦しくも楽しい山道でした。また行きたいと思った山行でした。

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