出会った瞬間から友だち。

友人と息子のジョージくんと二子玉川の公園で遊んでると、名前の知らない男の子がいそいそとこちらに向かってやってきた。その男の子は自分の名を名乗ることもなく、「ほら、いっぱいいるよ」と手のひらにのっけたダンゴムシをどうだと言わんばかりにわれわれに見せた。小さな手のひらの上でくるまってるダンゴムシを目にしたジョージくんは瞳をキラキラと輝かせ、「どこにいるの!?」とその男の子と一緒になってダンゴムシを探し始めた。

小さな少年たちは、地面の土を凝視し、潅木の茂みに潜り込み、ダンゴムシを発見しては嬉々として僕たちに見せに来る。われわれ大人たちの「すごいじゃん!」という反応に満足した後は、またダンゴムシを探しに行く。

「あっちだ!」
「行こう!」

と、ついさっき出会ったばかりの二人は長年連れ添った親友のような呼吸で公園を元気よく駆け回っている。

日もすっかりと暗くなり、おうちに帰る時刻になると、二人は駆け寄ってハイタッチをして「バイバーイ!またねー!!」と大声で叫びながら別れた。ジョージくんの家は二子玉川ではないから、もうきっと彼と会うことはないだろうけど、そんなことはおくびにも出さず、一期一会のこの瞬間を思い出の宝石箱にしまっていた。

その小さな少年たちの出会いと別れの様子を僕はうしろから羨ましく眺めていた。
いつからだろう。こういう邂逅がむつかしくなったのは。
大人になると見知らぬ誰かに話しかける、という行為ができなくなる。人見知りな性分もあるかもしれないが、名前も知らない人に声をかけることがひどく難易度の高いミッションになっている。大人たちの世界に足を踏み入れると、見えない透明のような壁が現れ、その壁をやすやすと打ち破って相手の懐に飛び込むことが難しい。なかには平気で壁を超えてくる人もいるけれど、ぼくにはできない。

そういう自分にとって、子どもたちように気さくに人間関係を構築できる世界が(たとえその場かぎりの友だちだろうが)とても羨ましく思う。

子どものころに戻りたいとか、子どもは楽しそうでいいなあと思ったりすることも、たまにあるけれど、その根底には、誰彼かまわず仲良くなれる世界に憧れがあるのかもしれない。彼らを見ていて、ふとそう思った。