図書館という、もう一つの僕の本棚。

土曜日の朝になると、僕は無意識に着替え、無意識に顔を洗い、無意識に図書館にでかける。おきまりの行動がじぶんの中にプログラムされているみたいだ。出かけるときも自宅から徒歩5分という好立地にあるので、重い腰をあげるような状態になることはなく(雨が降ったりすると別です)、むしろ軽やかな足取りでいそいそと向かう。

入館するとまず借りていた本を返却し、それから好きな作家の本棚から順に巡回する。「この本は読んだよな」、「あれはまだ読んでないな」とひと通り吟味し、手元にストックする。つづいて、人から勧められた本をチェックし、中身をぱらぱらとめくって、じぶんの心にひっかる本があれば、それも脇に抱える。手元に残ったものから最終選別し、いつもだいたい2、3冊借りるけど、その全ての本を読み切るかというと、そういうことはなく、途中で飽きてしまったり、読むのが辛くなったりして断念することもままある。対価を支払ったわけではないので、「せっかくお金を払ったんだから、読了しないともったいない」というある種の貧乏性からくる強迫観念がほとんど生じないのである。とまあ、図書館で本を借りる生活がすっかりと板についてしまっている僕ですが、こういう習慣が身についたのはわりと最近のことである。

それまでの僕の本事情というと、気になった本を主に古本屋で片っ端から購入し、本棚の空いているスペースに次々にぶっこんでいた。ところがそういうことを続けていると、当たり前ですが、本の数が本棚の空きスペースを凌駕し、あふれ出る状態になってしまった。部屋の空きスペースまで本が侵食しはじめて困ったものだから、「ええい、この際、いらない本は売っ払っちゃおう」と思って選別作業にとりかかったのだけど、いざ処分するとなると「これはもう絶版だし」とか「また読むかもしれないし」とか「どうせ売ったって安いものなんだし」などと考えだして、ちっとも本の数が減らない。そこで、はたとひらめいたのが図書館である。

図書館で貸し借りする生活なら、じぶんの本がこれ以上、増えることは起こりえないし(一時的にしか)、しかも、いちいち買わなくてすむので家計にもやさしい。それに、何よりもうれしいポイントが一生分の時間を費やしても読みきれない本をじぶんの本棚として自由に読めるようになることだ。欠点といえば、読みたい本が置かれてなかったときに地団駄を踏む程度で、ほかにこれといった不満はない。図書館という場所は、じぶんのもう一つの本棚であり、読書好きにとってとても優れたコンテンツである。

以来、僕は土曜日が来ると、図書館にいそいそと赴き、お世話になっています。ちなみにこの週末で借りた本は「風の道 雲の旅」と「パタゴニア」と「あやしい探検隊 海で笑う」の椎名誠の3本立てです。冬の背中は遠くまで消え去り、春の足音が間近に聞こえてきたこの時分に、旅を感じる本が読みたくなったのだ。それを気の向くままに、じぶんの本棚から抜き出すようにひょいっと選んで読めてしまう。なんて素晴らしいのだ図書館は、とあらためて僕は思う。