3月31日も大掃除の日にするのだ。

桜は開花し、街は彩りに満ちてくる2019年3月のおわりに僕はまだ2018年を生きている。どういうことかと申し上げますと、僕の部屋はまだ2018年のままなのだ。まるで片づいちゃいない。そりゃあ、風呂掃除したり、床をキレイに拭いたりするような小掃除はしているけど、大量に積み重なった書籍や雑誌の仕分けはしていないし、着なくなった服はそのままタンスの奥に眠っているし、よくわからない紙の資料も部屋のいろんなところに放置されている。

大掃除というものは、その年のピリオドを打つための、大事な行事だと僕は思う(どの口が言うの? というツッコミは脇に置いておいてください。すみません)。部屋をリセットするように片付けることによって2018年に句点を打つことができるのだ。したがって、大掃除を決行していない現状は、未だ、年をまたいでいない気分が、心の隅に家の壁にこてを使って土を塗り上げたようにへばりついていて、時代から取り残された居心地の悪い具合を覚えている。

そんな気持ちを胸に抱えているにも関わらず、休日が巡ってくるたびに、今日こそは大掃除するかなあと思っていても、結局、床に落ちているゴミをサーッと掃除する程度という体たらく。いらないものを処分したり、散らかった状況を整理整頓したり、窓を拭いたり、浴室をピカピカに磨いたりといった、いわゆる大掃除のようなことはしていない。「今日こそは大掃除しますか?」という天の問いかけに対して「延長する」ボタンばかりを押しつづけている状態である。惰眠を貪る怠惰な人間です。誰に対してか不分明ではありますが平身低頭します。

で、これはやっぱり大掃除の気分を怠慢な己の中に醸成しないといけないなあと悩んでいたところ、3月31日は12月31日とちょっと似ていると思ったのだ。年度の観点で考えれば、3月31日も、一年のさいごという気分がある。であるなら、この日も大掃除の日にしてもいいではないですか。

というわけで、この週末に向けて、息巻いている僕ですが、さて、どこまで片づくかしらん。今週末こそ、大掃除を敢行して2018年で時が止まっている部屋から、いっこくも早く卒業(脱出)し、2019年を生きたいと思っております。このまま怠け者のように日々を過ごしていたら、平成からも卒業できなくなってしまう。時代のいちばん後ろを歩いているワタクシです。

今週のお題「卒業」