子どもがかわいいのはどうしてだろう?

 付き合いの長い友人の息子にジョージという男の子がいる。つい先日4歳になったばかりの幼児だ。彼は親も手を焼くようなヤンチャ坊主で素直に言うことを聞くタイプではない。

 このあいだ、ジョージパパ(つまり、僕の友人)、ジョージ、僕の3人で、ショッピングモールのフロアの一角にあるゲームコーナーで遊んでいたとき、彼はいろんなゲームを楽しんで、なかなか帰ろうとしなかった。気に入ったゲームを手当たり次第にやり込み、パパが「もうお金ないからダメ!」と強い口調で言っても、「お金ある!ある!」と断固拒否していた。しまいにはゲームコーナーから去ろうとするパパに対して、両手を大きく広げ、「ダーメ!ダーメ!」と喚きながら通路を通せんぼして、パパの財布からお金を根こそぎ奪おうとしていた。その欲望は、ビュッフェで腹十二分目まで満たしたい大人たちのように尽きることはなかった。

 それから、ジョージは甘えん坊の特性が強く、パパがどんなに疲れていても、おかまいなしに「パパ、抱っこ」とおねだりし、ひどく困らすことがときどき起こる。パパが「もう疲れたよ。ジョージくん歩いて」と懇願しても、ジョージは泣き喚いて抱っこされることを望んだ。そういうジョージとパパのあれこれを垣間見ていると、独り身の僕にとって、子を持つということの大変さを、その一端ではあるけれど、身につまされて感じ取ることができた。

 まだある。ジョージは独占欲が強いのだろう。たとえば公園で遊んでいるときに、年が同じくらいの園児と、その場で知り合って一緒に遊ぶときがある(子どもたちの世界では、知らない子もすぐ友だちになってしまう。ちょっと羨ましいです)。砂遊びでシャベルやバケツやおもちゃのダンプカーなどの道具を使ってみんなで遊んでいると、ジョージは自分が使用している砂遊び道具を絶対に譲ろうとしない。他の子どもたちは分け合って遊んでいるにも関わらず、唯我独尊のジョージは、自分のものでもない遊び道具を鋼鉄の意志で誰にも渡そうとはしない。ひどくわがままな園児なのだ。

 そんな生意気坊主のジョージだけれど、パパにとっても、僕にとっても、とてもかわいい存在だ。パパを困らすに飽き足らず、僕のことも困らせたりすることもあるけれど、それでも、「ジョージとは遊びたくない」という気持ちが芽生えることはないし、嫌いになることもない。それどころか、親でもないのにかわいいと思ってしまう。僕はもともと子どもが好きではないし──むしろ、どちらかといえば鬱陶しい存在だと思っていた──積極的に関わりたいと思ったことは露ほどもなかった。でも、ジョージとたびたび遊んでいると、子どもってかわいいんじゃないかと僕の固定化された常識が覆されていくのだ。

 かわいいと思えなかった子どもをかわいいと思ってしまう。その劇的な変化に自分でいささか驚いたりしたけれど、どうしてそう思うようになってしまったのだろう。

 これはジョージと何度も触れ合った過程で至った考えだけど、おそらく、子どもたちの屈託のない笑顔に心を撃ち抜かれてしまうのだ。子どもというのは、自分がかつてそうだったとは思えないくらい、とても感情豊かでよく笑う。それも声を出して楽しそうにキャッキャと笑う。たぶん、ジョージが、あるいはヨソの(という表現もおかしいけど)子どもたちが、ずーっとむすっとしかめ面をしていたら、そこまでかわいいとは思わなかっただろうね。ジョージとの触れ合いを通して、笑顔の力をまざまざと見せつけられているような気がします。

 昔の人が「笑顔は人を惹きつける魔法だ」というようなことを言ったみたいだけど、これはこの世界の真理の一つかもしれないですね。

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ジョージパパとジョージ

静謐を買う。秘湯・中房温泉。

山の夜は、真冬の雪夜のように静謐です。僕は今、長野の山奥にある温泉旅館にいます。縁側の椅子に腰掛け、静かな、それでいて、良質な時間を過ごしています。

北アルプスの燕岳の登山口にある「中房温泉」という温泉旅館。東京から電車とバスを約4時間ほど乗り継いで、この山深い谷間に構える温泉地にたどり着きました。中房温泉は、いわゆる秘湯と呼ばれる温泉で、素晴らしい泉質を持つ名湯として知られています。それもそのはず、旅館にある14の湯(14もある!)は、すべて源泉かけ流し。しかも、100パーセントだそうです。加水、加温、循環、着色、塩素の使用は一切せず、敷地内から湧き出る90度の湯を空冷、あるいは水冷で、冷やしているだけです。何も足さず、何も引かず、山と時(とき)がつくりだした湯の美味をそのまま味わえる秘湯の宿です。

開湯は江戸時代の1821年。約200年も前から、営業をつづけています。歴史の長さを証明するように文化財に登録されている古い建物もあり、その日本の原風景を感じさせる建物は、秘湯の地に一層の風情をもたらしています。

内湯と外湯合わせて14カ所もある温泉は、その一つひとつに見どころがあり、とてもユニーク(湯ニーク?)です。ロケーションのいい湯、風流ある内風呂、隠れ湯のような湯、秘湯感をはっきりと感じさせる湯など、ぜんぶ巡ってみたいところですが、とても一日では回りきれません。バラエティ豊かな湯と、その数の多さから、「温泉ランド」の印象を持つ人が多く存在するのも頷けます。

ビュッフェで食材をつまむように、温泉をこんなにハシゴしたのは初めてかも知れません。以前、草津温泉に旅したときも、湯巡りのようなことをしましたが、あれは温泉街という巨大なエリアを巡るものです。ところが、中房温泉では、一つの温泉宿で、いろんな湯を楽しめます。敷地もそれほど広くはないですし、道の途中で食べ物やショッピングなど、寄り道をする場所もありません。純粋に温泉というものだけを求めて湯巡りできます。

温泉好きにとって、なかなかどうして夢のような温泉地ですが、しかし、もしあなたが温泉に対してそこまで恋心を持っていないのであれば、あまりお勧めはできません。温泉の他には、ほんとうに何もありませんから。少し歩けばコンビニがあるよう場所ではないし、観光もできません(燕岳はありますが、「観光」と軽々しく呼べる場所ではない)。歩いても歩いても、山しかありません。

だから、僕は、中房温泉の最大の魅力は、有無を言わさず、温泉だと思っていました。実際に浸かってみても、素晴らしい泉質だと思いましたし、肌はつるつるになりました。いろんな湯をたっぷりと味わい、身も心もほぐれる体験をしました。

ところが、旅館の部屋に戻り、縁側に腰掛けていると、その悠々自適な時間がとても心地よく、ある種の多幸感を感じてしまいました。人間(と一般化していいかはわかりませんが)というのは不思議ですね。何かを与えられている時間よりも、何も与えられなかった時間の方が、豊かだと思ってしまうことがあります。

網戸の外から、自然が奏でる音楽が流れてきます。川のせせらぎ、湧き水(湯)の流れる音、虫の音、風と山の息吹。宿の縁側は自然の演奏会の会場のようです。そして、涼しい風が肌を通り抜ける。絢爛豪華な贅沢もあれば、飾り立てないからこそ味わえる贅沢もある。僕は、この宿の縁側で過ごす時間をひどく気に入ってしまいました。

車の音は聞こえない。バイクの音も聞こえない。人の声も聞こえない。人工的な音がしない。自然によってつくられる静けさしかない。旅館、それも秘湯に泊まるということは、こういう静謐な時間を買うことなんだ。秘湯の宿の魅力は、温泉だけではないのである。

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日常に読点を打つようなお寺。鎌倉の妙本寺。

「鎌倉の『妙本寺』というお寺が好きなんです」と打ち明けてくれたのは会社の同僚だった。なんでも駅近のわりには、人が少なく、とても落ち着けるいい場所だと彼は言う。失礼ながら、僕はそのお寺の存在を一切知らなかった。これまで何度か鎌倉に訪れ、その度に、鎌倉周辺のスポットをリサーチしたけれど、その名前に出会うことはなかったと思う(もしかしたら、読み飛ばしていただけかもしれないですが)。写真を見せてもらうと、なかなか雰囲気のあるお寺で興味が湧いたし、同僚の言う「隠れ家的お寺」という推薦文も、心に引っかかった。久々に鎌倉に出かけてみたい気持ちもあったし、これは一度行ってみてもいいかもしれない、と思い、僕は暇そうにしている友人を誘って鎌倉に向かうことにした。

台風一過の日曜日。歩いているだけで汗が滝のように落ちる日に僕と友だちは鎌倉駅に降り立った。強烈な太陽の光に目を細め、それと同時に強い日差しが肌に突き刺さってくる。蝉もようやく自分たちの季節が来たと言わんばかりに豪快に鳴きはじめていた。ミーンミーンミーン。

夏本番の高温に対抗するように扇子を猛スピードで仰ぎながら、妙本寺に向かっていると徒歩で10分もたたないうちに到着。ほんとうに近い。そして、同僚から聞いていた通り、一大観光地の主要駅からわりと近いスポットなのに人影は見当たらない。

一礼して山門をくぐる。紫陽花はすでに枯れていたが、木々の葉は、これからが本番というように深く色づいている。至るところに繁茂する樹木のおかげで、参道は日陰に包まれ、日差しの強い今日のような日でも、森林浴みたいに歩くことができた。

手水舎で身を清め、お堂でお参りをする。境内の中心に移っても、相変わらず、しんとしている。外国人のカップルと中年の男性の3人しかいない。このお寺なら、手を合わせて仏様に語りかけても、ちゃんと自分の声が届きそうです。閑散としているので後ろに並ぶ人のことも気にせず、ゆっくりとお願いをすることができる。

本堂の廊下では、中年の男性が向拝柱に背をもたせかけ、心地よさそうにうとうとと眠っていた。緑に囲まれた静かなお寺の廊下で、誰に邪魔されることなく、心おきなくうたた寝をする。それは、鎌倉の離れで懐石料理をいただくような、とても贅沢な行為である気がした。

森林を抜けた先に隠れ家のようなお寺を構え、参拝客を静かに迎え入れる。そして、忙しない日常に緩やかな空気を運んでくれる場所。それが、僕の感じた妙法寺というお寺だった。

観光名所のように観光客を喜ばすような見どころはないかもしれないが、しかし、境内には凪の時間が悠久の時のように回流し、その空間に足を踏み入れると、自分自身にも穏やかな凪の時間が流れ込みます。ものすごいスピードで通り過ぎる日々に、ちょっと待ちなさい、と読点を打つように。それは、ときに必要な時間だと僕は思う。

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妙本寺の祖師堂

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肩を寄せ合い、話し込んでいた外国人観光客

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男性は祖師堂の廊下で気持ちよさそうにうたた寝していた

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緑の息吹を感じながら、妙本寺を後にした

 

これは見事な景色だ。蛭ヶ岳登山(丹沢主稜縦走)

2019/5/5〜5/6
1日目:西丹沢ビジターセンター〜檜洞丸頂〜臼ヶ岳頂〜蛭ヶ岳頂〜蛭ヶ岳山荘(泊)
2日目:蛭ヶ岳山荘〜丹沢山頂〜塔ノ岳頂〜大倉BS

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3月の中頃、山好きの友人から、「ゴールデンウィークにご来光を拝む登山を計画しています」という連絡をもらったとき、僕は四の五の言わず、「行きます」と返事をした。その瞬間から、この日が待ち遠しく、とても長く感じた。とても長く。

物理的な時間性もその要因の一つだけど、それよりもやはり、ほぼほぼ仕事漬けの毎日にひどく堪えてしまっていたのだ。僕は、その期間、仕事という糠(ぬか)に骨の髄まで漬かってしまい、体をぎゅっと絞っても、仕事の成分しか出てこないような日々を過ごしていた。

蛭ヶ岳を登る日までに低い山に登って肩慣らしをしておこうと思ったんだけど、そういう時間を取ることさえも難しかった。こんどの休日に山に行こうと思っても、いざ当日を迎えると体が動き出そうとしないのである。貴重なオフの時間に山登りをするよりは部屋でゴロゴロしたり、青空の下のベンチで冷たいミルクを嗜んでいたい。いささかマゾ気質のある僕でも、仕事漬けの合間のひとときに登山に行くという行為からは距離を置かざるを得なかった。

というわけで、今回の蛭ヶ岳山行は今年に入ってはじめての登山です。標高差で言えば軽く1000m以上はある山で、山行のすべてのアップダウンの高低差を含めれば、2000mはあるかもしれない。ぶっつけ本番で大丈夫だろうか? 膝は持つだろうか? いくつもの不安が僕の頭を駆け巡る。おそらく、入念な準備をせずにフルマラソンを走るようなものだから。でも、それよりも、ようやく山に行けること、山で二日過ごせること、仕事の糠から山の糠にどっぷり漬かれることに嬉々を覚え、その日がやってくることにささやかな喜びを感じずにはいられなかった。絶頂の登山旅か、絶望の登山旅か、果たしてどのような山旅が待っているのだろう。

◯ 5/5 5:00 家を出る。
玄関を開けると五月初旬の晴れ晴れとした青空が広がっていた。今年のゴールデンウィークはあまりぱっとしない天気が多かったから、天候の不安を少し感じていたけど、どうやら問題なさそうでひと安心。とりあえず、東京の天気はいい。でも、問題は山の天気なんだよなあ。昨日の夜、丹沢は嵐や雷が酷かったらしいという情報を耳にしていた。今日は天気が崩れないといいんだけれど。

山に行くたびに思うことですが、早朝の電車は静けさと賑やかさが同居した独特の世界で構成されていますね。わいわいと話しつづける人がいれば、首をもたげながら眠っている人もいる。僕の乗った場所はどちらかといえば寝台列車のような静かな車両だったけれど、一方で、声を大にして話しているグループも一部いて、「下北沢は今日で最後! 俺、宮城でがんばるから!」と仲間に叫んでいる若者がいた。早朝の電車には、エネルギーのすべてを出し尽くした人もいれば、こういうまだまだ元気もりもりのエネルギッシュな人いる。

丹沢の山は久しぶりで、たぶん3年くらい前にヤビツ峠から塔ノ岳を登ったとき以来だった。そのときは体力的にはへっちゃらだったけど膝がやられた。「足が棒になる」という比喩はほんとうで膝が思うように曲がらなくなったことを今でも鮮明に覚えている。足を曲げようとすると意志を持ったように膝が強制的に伸ばしにくるのだ。両足をギプスで固定されたみたいに曲がらない。ほんの一瞬、「下山できないかもしれない」と本気で思った。

この登山で、階段を一段飛ばしするように大股でほいほいと登ってはいけないということを学んだ。序盤はよくても、中盤以降に必ず膝にダメージが来ることを身をもって知った。以来、登山時の心がけとして、大股で闊歩して先を急ぐような無茶はせず、小刻みにゆっくりと登ることを大事にしている。認めたくないが、自分は健脚ではない。やわい脚なのだ。

今回の山行は、足が棒になった塔ノ岳の登山よりも長いし、標高差も激しい。だから、膝のご機嫌をとることを第一に休み休みゆっくりと登ろうと思う。目的地の蛭ヶ岳は丹沢の奥地にあり、そこまで行くと、下山しようと思っても、ロングトレイルになってしまう。つまりエスケープルートはないようなものでほんとうに膝には気をつけないといけない。

そういう不安を抱えながら、1000m以上の高低差のある登山をする。いったい俺は何を馬鹿なことをしようとしているのだろう、とふと思う。眠い中、わざわざ体を起こして、重い荷物を背負って、膝に爆弾を抱えながら山に登るとは、なんて愚かなことをするんだろう。でも、と、もう一人の僕が囁く。それは、それだけの値打ちが山の旅の先にあるからなのだ。ないかもしれないけど。

小田急線の町田駅を過ぎたあたりから、ポツポツと登山者の姿が見えはじめる。そして、車窓に丹沢の山容が映りはじめる。これから、あの山々の奥に向かうのだと思うと軽く身震いが起こる。北アルプスのような峻険な山ではないが、ガレ場や痩せ尾根を歩く予定だし、多少の危険を伴う山行でもあるから。

◯ 7:04 新松田駅
山を登る格好をした乗客がごそっと駅のホームに降り、そのまま、登山口のある西丹沢ビジターセンター行きのバスに待つ列に並んだ。僕はここで友人と落ち合い、バスを待って乗り込んだ。車内はすみずみまでハイカーだらけ。

目的地に近づくにつれ、車道は山間に入り、道は狭くなる。ところどころで一車線になり、対向車線から来た車とすれ違うときは当然だけど、すれすれ。都市の一般道なら、そこまで緊張することもないかもしれないが、山の道の場合、片側は崖になっているので、少しでも車輪が車道からはみ出たらそのまま横転してしまう。そういう道でも運転手さんは大きな車体を巧みにハンドリングし、何事もないように進んでいく。

思うんですが、こういう山間の難しい道を走る運転手さんと都内のバスを走る運転手さんの給料事情はどうなっているんだろう。やはり、乗客の多い(売上が多い)都心部の方がそれなりにいいのだろうか。運転技術的には、山の運転手さんも、それなりに高いものを求められるだろうから、スキルに見合った対価として都心部に負けないくらいいただいてもいいような気がする(じっさいはあまり変わらないのかもしれないし、その実態はぜんぜん知りません)。という余計なお世話を考えながら、登山口までの道中を過ごす。

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西丹沢ビジターセンター

◯ 8:43 西丹沢ビジターセンター出発
四方八方、山に囲まれた西丹沢ビジターセンターに到着。これも、山に行くと、いつも思うことですが、バスから降りて山の麓の空気に触れたとき、「眠い目をこすってやってきてよかったな」と晴れやかな気分になります。朝早くから山にいるだけでなんとも言えない爽快な気持ちになります。しばらくここで呆けていたいけど、とはいえ、スタートラインで快感に浸って時間をロスするのはもったいないので、トイレを済まして、登山届けを出して、準備体操をして、早々に本日の目的地である蛭ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめる。標準的なコースタイム通りに歩ければ、おそらく、15、16時くらいには山頂に着くはずだ。それより遅くならないといいなあ、と思いながら歩いているとまもなくキャンプ場が出現して、たくさんのキャンパーがテントを張っていた。みんなゴールデンウィークの締めを自然の中で過ごそうとしているのですね。その気持ち、とてもわかります。

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河原にはキャンパーがたくさんいた

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「熊出没」の看板とともに登山スタート

車道から登山道に入ったとたん、それまでのゆるやかな坂道とはがらりと変わり、傾斜の強い登り坂がはじまる。「ようこそおいでなすった。この山はやさしくないぞ」という山からのメッセージみたいだ。そういうことならこっちも望むところよ、と息巻いてびゅんびゅん飛ばしては相手の思うツボだ。それで僕は一度失敗している。あとあと足にダメージを負うことは知っているので、山からの挑戦状は、やんわりと受け取り、小股で、ちょぼちょぼと登りはじめる。スタートからラクをさせてくれない山だぜ、こんちくしょう。でも、そのうちだんだんと緩やかな傾斜になり、歩きやすいなだらか道に変わった。西丹沢の山は登山者を試すように、試練を与えたあとで、ようやく僕らを歓迎してくれた。

◯ 9:30 ゴーラ沢
ゴーラ沢に到着。おびただしい数の岩石の間をちゅるちゅると耳ざわりのいいせせらぎの音を立てながら、澄んだ水が流れてゆく。「ゴーラ」という名前の由来は知らないけど、濁点のつく名前とは思えないほど、山と水と岩に織り成された清らかな場所である。ここで、ちょっとばかり休憩。体を屈めて川に触れる。水はひんやり冷たい。女神が頬を撫でるようなやさしい風が身体を通り過ぎる。とてもきもちのいい五月の朝だ。こういう場所を自然の恵みと呼ぶのかもしれない。

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ゴーラ沢で10分ほど休憩。風も緑も水もあり、気持ちのいい場所です。

しばらくここに留まりたい気持ちもあったけど、そういうわけにもいかないので後ろ髪を引かれる思いでまた歩きはじめる。まだまだ道中長いのだ。のんびりしていると日が暮れてしまうし、日没までには蛭ヶ岳の山頂にいないと身の危険に及んでしまう。ふつうの旅とちがって、登山の旅にはタイムリミットがあるのです。だから、登る前の計画も、登山中の計画もとても重要なのです。

ゴーラ沢を抜けると、アップダウンの繰り返しになる。登って下っての繰り返し。こういうとき、つくづく何もない平坦な道がいちばん歩きやすいなあと思います。登りと下りは、どちらだろうがやさしい道ではありません。それなりにしんどいし、それなりに汗をかくし、それなりに苦しい。とはいえ、ふしぎなことに平らな道よりも、楽しいときもあったりします。とくに登りにおいては、苦しいんだけど、苦しいんだけど、つまらなくないときがある。とくに振り返ったときに見える景色がよくなっていくと。

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振り返ると、広大な景色が見える

山道というのは未踏の道ではない。この日も僕らと一緒に歩いている人たちはいたし、過去にも登っている人はいるし、これからも足を踏み入れる人はいるだろう。でも、そんなに大勢の人が歩くような道ではない。新宿駅の一日のように何十万の人が歩く道ではない。あまり歩く人がいない道というのは、なんかいいじゃないですか。

登山口の西丹沢ビジターセンターから一つ目の山の檜洞丸までの標高差は1000m以上あるので、当然のことながら、その高さを登り切らないといけない。足に用心しながら登っていても、さすがに1000mの高低差を登りつづけていると、少しずつ、着実に、膝にダメージが溜まっていく。山が牙をゆっくりと見せはじめる。しかしながら、そんな牙を見せながらも、穏やかな風が吹き、鳥はやさしく鳴いている。そのコントラストは、山の天国性と地獄性の両立を感じさせてくれる一端だと思う。

そして、丹沢山塊でよく見かける木の階段の登場。僕はこれが苦手です。強制的に足を上げなきゃいけないので膝に負担がくるのです。乳酸が溜まるというやつなのかな。先までつづく階段を見るとげんなりしてしまう。階段はやめてぜんぶエスカレーターならいいのに、と身も蓋もない悪態を吐きはじめる。

標高1500mを超えたあたりから、涼しさがぐんと増し、生い茂っていた樹木は枯れ木に姿を変え、冬の様相に変わりはじめる。山の上と山の下では世界は異なる。この場所では、まだ冬のおわりなのだ。

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丹沢名物?の木の階段。けっこうしんどいです。

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冬の様相を見せる山頂付近。山は春も冬も同居している。

◯ 11:50 檜洞丸頂
最初の目的地である檜洞丸の山頂に到着。わりと順調なペースで登っている。そんなに疲れてはいないし、急登や木製階段にちょっとやられはしたけれど、足もまだまだ大丈夫。悲鳴はあげていない。山頂は、広々としていて眺望も悪くない。僕らよりも早く登頂した人もわりといて、景色を見たり、談笑をしながら、ご飯を頬張っていた。みんなこのあとどこに進むのだろう。僕らも、ここで昼食をとる。おにぎりとサンドイッチで燃料補給。

ここまでやって来ると、先に進むことも、引き返すことも一筋縄ではいかない。どちらに進むにせよ、それなりに歩いて登って降らなければならない。山に入るというのはそういうことである。泣き言を言って「ここから逃れたい」と思っても、どこでもドアがない限り、やすやすと元の世界に戻れる道はないのである。そして、「逃れるすべがない」と明確に意識すると妙な覚悟が生まれる。この気持ちは、山に入らないとなかなか味わえない。

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檜洞丸山頂。広々としていてゆっくりお昼を取れる

◯ 12:30 檜洞丸頂 出発
40分くらい体を休め、山頂をあとにする。ほとんどの人はここから西丹沢ビジターセンターに折り返すか、別のルートを取るようだ。僕らと同じように蛭ヶ岳に向かう人は誰もいなかった。人のにぎわいはとんと消え、静かになった。そして、前方には本日のゴール地点である蛭ヶ岳がいよいよ姿を現した。あの頂までこれから歩くのだ。緩んだ帯をギュッと締め直す。天候も問題なさそうだ。視界良好、いざ出発。

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左側に見える、ちょこんととんがっている山が蛭ヶ岳。

まず、檜洞丸の山頂から一気に300mほど降る。とかんたんに書いていますが、ただ降るといっても、それなりに体に負荷はかかる道程です。高さ300mというと、ひとたび都市に目を移せば、この数字は超高層ビル並みの高さ(パッとインターネットで調べたら、大阪の「あべのハルカス」が300mで60階建みたいです)で、その最上階から階段で一気に降ると思ってみてください。ちょっと嫌になりますよね。それと同じようなことを、このときも、階段を降りるように急勾配をストンストンと直下に降ってゆく。

蛭ヶ岳は丹沢最高峰の山なので、当然ながら降りた分だけまた登らなければならない。つまり、単純にいえば、あべのハルカスの60階から1階まで降りて、また1階から60階まで登らなければならないということです。その繰り返しが登山なのである。登山と関わりのない人から見れば、そんなアホらしいことをようやるわ、と思われるかもしれないですが、山好きの人(とくにロングハイカー)はおおむね頭のネジが一本飛んでいるのでそんな悪行も悪態をつきながら、えほえほと登ってゆきます。

さらに、試練はそれだけではありません。一気に300m降りられれば「まだ」いいのですが、そうは問屋が卸さない。山と山の間のいちばん低い「鞍部」と呼ばれる場所にたどり着く前にこんどは急登が登場するのだ。一直線に降るのではなく、波線のように、下って登って下って登ってを繰り返しながら、鞍部に向かうのです。まるでジェットコースターのように。

なかなか手強い山である。口笛を吹いていたら山頂でした、という理想的な道はどこにもない。現実は過酷だ。人生と似ています。

◯ 14:05 臼ヶ岳頂
ごっそりと体力を削られながら、臼ヶ岳の山頂に到着。蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳といった丹沢のオールスターが一望できる場所でとても眺めがいい。ここまでくれば蛭ヶ岳の山頂までもうひと踏ん張り。次に休憩するときは蛭ヶ岳の山頂に着いているはずだ。膝よ、それまで持ってくれ。

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蛭ヶ岳までもう一息。

間近に迫った蛭ヶ岳は、遠くから目にしたときよりも遥かに高く、無骨な男のように厳格に聳えている。つぶさに観察していると山頂の近くで高度を一気にあげる一帯がある。このまま引き返すのであれば、その一帯も対岸の火事ですむのだけれど、僕らはその場所を登らないといけない。ほんとに手強い山である。僕はほんとにあの場所を登れるのだろうかと心の中でビビりはじめていた。そして、その不安は的中するように、ここから蛭ヶ岳の山頂までの道のりはひどく苦しい道のりだった。

はじめはよかった。痩せ尾根など、金タマがヒュンとする道もあるにはあるけれど、ビビり係数でいえば、それほど極端に上がる場所ではない。

問題は突如として現れた鎖場からだった。この鎖場から、道は崖のフチに変わり、辛さも、恐怖感も、ぐっと上がった。足を踏み外したら、「かなりマズイぞ」と誰もが感じる場所を一歩一歩慎重に登る。登山道は安全性を向上させるために鎖が用意されている。その鎖を片手でつかみながら登るのだけど、ときどき、鎖のない道もあって、そうなるともう恐怖感から何かにつかまりたくて近くに生えている低木を鎖代わりにつかもうとする。でも、そうはさせないぞ、と試練を与えるように低木の枝はトゲトゲだらけでつかめなくなっている。

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過酷な道がスタート

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ひどく高度感を感じる場所で鎖場がつづく

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しかし、振り返ると美しい景色がある

高所恐怖症の僕が「なぜこんなところに来るんだ」となんども自問自答した。この場からなんども「脱出したい」と思った。この恐怖からはやく逃れたくて、山頂(1673m)までどれくらいだろうとiPhoneのGPSアプリで高度を確認したら、1450mと表示されている。かなり登ったと思ったけれど山頂までまだ200m以上もあるの!? と愕然とする。

山頂まで残りやっと100mをきったころ、右足の腿がつる。いや、正確にはいえば、つってはないんですが、つる前兆のような感覚を覚える。うまく足が運ばないのだ。おいおい、勘弁してくれよ、こんな崖縁でつらないでくれよと心は涙目になってくる。

鎖場から山頂までの道のりはドランゴンボールのカリン塔を登るような恐怖感と同じ類いのものではないかと思ってしまった。大げさすぎる表現かもしれないですが、高所恐怖症の僕にとってそれくらいの恐怖感を覚える場所だった。悟空はひどく高度感のある場所(しかも足を置く場所も不安定!)をすいすい登るけど、僕はあんなふうに軽やかには登れない。

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ここまで来ればもうすぐ

◯ 15:40 蛭ヶ岳頂
しかし、登っていれば必ず目的地に着くもので山荘が見えた時の安堵感は凄まじいものがあった。ほんとにホッとしました。それから、少し落ちついて、山頂からあたりを見渡すと見事な絶景に息を呑みました。これは、苦労して来る価値ある場所だ。山荘を中心に東側は都心の街並みを眼下に収め、西側は富士山や南アルプスの山々が見え、北側はいくつもの山が連なった山容があり、南側は、丹沢の山々と箱根の街と太平洋が広がっていた。絶景のフルコースのような贅沢な山頂だった。

富士山は、無骨で峻険で、男っぽく(雪化粧の美しい感じはない)、シンプルにかっこよかった。今まで目にした美しい富士山の姿とは似つかないもので口数の少ない侍のような男らしさがあった。これはホレる。富士山は、冬は女性の姿をし、夏は男の姿をする山なのかもしれない。富士山にかかる陰影も見事で、日本の真ん中にどんと聳えていた。

そしてやはり景色が抜群。これを見るために、がんばって登ってきた甲斐があったと言い切れます。ほんとうにいい景色だった。雄大な山々、富士山、首都圏の街並み。写真ではなかなか伝わらないのが悔しい。これは自分の目で見ないといけない景色だと思った。

僕と同じように景色をじっと眺めている人がいた。ご飯と睡眠は体力を回復させてくれる。絶景は気力や精神力を回復させてくれる。

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丹沢最高峰「蛭ヶ岳」に登頂

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富士山が聳え立つ西側の景色

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関東平野を望む東側の景色

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山々が連なる北側の景色

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気持ち良さそうな丹沢稜線が見える南側の景色

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宿泊する「蛭ヶ岳山荘」

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山荘のはしご階段を上がった屋根裏部屋が僕らの寝床だった。どうでもいいことですが、山荘内で一番高いこの場所こそ、神奈川最高峰なんじゃないかと思った。

◯ 17:40 蛭ヶ岳山荘 夕食
山荘で夕飯をいただく。メニューは蛭ヶ岳カレーとお惣菜の数々。ルーのおかわりはできないとのことだけど、ご飯はおかわり自由だった。僕はおかわりもいただいてたらふく食べました。

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ご飯のお代わりができる蛭ヶ岳カレー

そして、食べおわるころ、ちょうど日が落ちる時間になり外に出る。でも、日の沈む西側の眺望地点に出向いた瞬間、落胆してしまった。ガスっていたのだ。これでは夕日を拝めそうにない。それでもわずかな希望を胸に、何人ものハイカーがその場所で待機している。みんな心の中で、「晴れろ」と祈っていたの違いない。僕もその一人だ。

そのみんなの願いが通じたのか、まさにちょうど日没のタイミングで、雲がはけ、富士山と夕日が綺麗に見えた。とても素晴らしい景色だ。みんなの顔も晴れ晴れとしている。心のアルバムに記録される景色の一つだった。なぜ山に登るのか? という永遠の問いに対する答えの一つですよね、山頂からの素晴らしい景色は。

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ひどくガスってしまい、何も見えず。みんな一縷の望みをかけて晴れ間を待っていた。

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その願いが通じたのか、徐々に雲が消えていく。

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赤く染まる幻想的な景色が現れた。 (丹沢はキャンプ場以外テント禁止なので、左手のテントは片付けられました)

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みんなもこの瞬間を待っていた。

小屋に戻ると、こんどは山荘のご主人による丹沢プレゼンがはじまった。四季によって移り変わる丹沢の美しい姿を写真を通して僕ら宿泊者に紹介してくれた。春も、夏も、秋も、冬も、それぞれに見所があり、「とくに夏はどっと減りますが、丹沢はいつ来てもいいところです」とアピールしていた。それから、「昨日は大雨に雷で20名くらいキャンセルが出たんです。今日の人は晴れて運が良かったですね。夕日も夜景も見れそうで」と話していた。そうなのだ、本当にこの景色が見れて幸運だった。

そし明日の天気予報についての話がおわったと下山の話になり、「蛭ヶ岳はどのルートを選んでも、下り始めの傾斜は厳しいです」ということだった。僕はそれにだいぶビビってしまった。明日は丹沢山方面につづくルート(登りとは別のルート)を進む予定だけど、また登りの時のような恐怖ルートを進まなければいけないのだろうか、と思って心配になってきた。うぐぐぐぐぐ。

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日が暮れると、山荘のご主人による丹沢プレゼンが始まった。

すっかりと日が沈み、暗闇に覆われると僕らは外に出て東京の夜景を目に納めた。オレンジ色の光沢が、ダイヤを床にばらまいたようにキラキラと光り、とても美しい景色だった。僕はジャケットを羽織り、フードをかぶってしばらく眺めていた。見上げると星が輝いている。夕景といい、夜景といいい、この日、このとき、この場所にいられて、幸せだと思った。

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関東平野に近い山だからこそ望める、綺麗な夜景。

山荘は20時消灯。でも僕が眠りについたのはたぶん0時過ぎでした。それまでは目を瞑っていたけれど、なかなか寝つけなかった。どこでも眠れるということが僕の特技の一つかと思っていたのですが、どうやら違うようである。あらら。まあ、先に寝ている人のイビキがすごかったせいもあるかもしれないが。それから風の音もすごかった。けたたましくビュンビュン吹いていた。気のせいでなければ、そんな風の叫び声が聞こえる真夜中の0時過ぎに山荘を出発した人もいた。そんな時間からどこに向かうのだろう? 人には人の目的と計画があるのですね。

◯ 5/6 5:51 蛭ヶ岳山荘出発
山荘の朝は早く、4時には明かりがつき、みんなゾロゾロと起き始める。ご来光を目当てにみんな起きるのだ。気温は5度。僕も厚着をして外に出ようと思ったら、みんな小屋の中でガヤガヤしている。どうやらガスってしまい、まったく何も見えないようなのだ。確かに窓の外は、一面ガスだらけで、雲の他には何も見えない。まあ、仕方ない。夕景も夜景も朝日も、はじめからぜんぶ見えてしまったらおもしろくないですもんね。山荘のご主人によると、まだ、夜景に覆われた都会の街に向こう側から日が昇ってくると言っていた。夜と朝の同居である。それはなかなか珍しい光景だ。正直いえば、見たかったなあ。

朝食をいただいて、準備をし、丹沢山に向かって出発した。丹沢の見どころの一つである丹沢山につづく長い稜線だ。本来なら、ここもまた見事な眺望ゾーンのはずなんだけど、ガスっていたため、まったく見えず、ひたすら雲の中を歩くことに。ちょっと、いや、けっこう落胆してしまった。昨日がドラマチックに良すぎたために。まあでも、あたりがまったくが見えない分、高度からくる恐怖感は薄らいだかもしれない。

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日の出を期待して、朝起きたら、こんな悲しい状態で肩を落とす。

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本来なら、気持ちのいい稜線歩きができるはずだったんだけど、この天候で周りが全く見えず。

◯ 7:10 丹沢山頂
途中、晴れ間が見えたりしたので、そのうち晴れるかなあと期待していたけれど、結局晴れず。丹沢山の山頂についても、その傾向は変わらず、眺望は一切なし。まあ、晴れていたとしても、蛭ヶ岳が大差をつけて勝負ありだったような気がする。丹沢山は日本百名山だけど、どうなんだろうね。

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丹沢山頂に着いても、天候は変わる気配を見せず、曇ったまま。

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丹沢山を超えてからはハイキングコースのような、なだらかな道がつづく。

◯ 8:20 塔ノ岳頂
丹沢山からは、ほぼ平坦&下りのルートでけっこう楽チンでした。あいかわらずガスっていて道中の見どころもないので、すいすい進む。とくに難所もないし、晴れていたら、気持ちのいいコースなんだろうなあと思った。そしてあっという間に塔ノ岳に到着。ところが、塔ノ岳の山頂はひどく寒かった。ものすごい強風が山頂を襲い、座って休むことすらままならなかった。しかも、まったく晴れ間なし。今日は朝から天候には恵まれないようだ。というよりも、昨日の蛭ヶ岳がラッキーだったのかもしれない。

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ガス以上に、風がすごかった塔ノ岳山頂。

塔ノ岳からバス停のある大倉までは林道をひたすら降りる。同じような景色の連続で、飽きがくる。退屈な道だ。登るのも、ひどく辛そう。塔ノ岳から大倉まで距離にして7km。けっこうしんどい。景色は変わらずガスっているせいで見えないし、しいて楽しい道を挙げるとすれば、時々登場する木々に挟まれた平坦な道くらい。ここは平和的でいい感じだが、とくに語るような道はない。

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下山中、鹿に遭遇。

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ひたすら下りつづける、大倉尾根(通称バカ尾根)。

◯ 11:20 大倉BS
無事に下山。おつかれさまでした。よく働いてくれた、俺の手足。思い返せば、なかなか刺激のある登山だった。体力は削られるし、足はつりそうになるし、膝はガクガクになるし、気力も滅入るし、ヤなことを上げればキリがないかもしれない。それでも、蛭ヶ岳の山頂は、そんな数々のつらさを吹き飛ばすほどの絶景だった。また見に行きたいと思える景色の一つだったと思う。

◯ 東海大学前駅 秦野天然温泉 さざんか
この二日間でたまった汗や汚れを綺麗に洗い流す。広々としたスペースのわりに、お客さんの数は少なく、とても快適な温泉でした。人口密度の低い温泉って、それだけでいうことありません。丹沢帰りの温泉でいうと、鶴巻温泉駅にある「弘法の里湯」が人気だと思いますが、あそこはわんさか人が押し寄せて、ゆっくり浸かれないところが難点でした。その点、「さざんか」は人が少なく、疲れを癒すには最高の温泉だったと思います。

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登山の汚れや疲れをどっと落とすことができた天然温泉「さざんか」

蛭ヶ岳の急登では、「もう山なんて行きたくない!」と決心めいたものを意識してしまうほど、身も心も恐怖に打ちのめされる体験をした。その場から一刻も早く逃れたかったし、なぜこのルートを選択したのか、後悔もたくさんした。甘く見ていた自分を叱りたかった。しかし、自然から離れ、都会のコンクリートジャングルの中に戻ると、また山に行きたくなってしまっている。やはり頭のネジが一本外れているのかもしれない。さあ、次はどの山に行こうかな。

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辛い時もあったけど、それを軽く吹き飛ばしてしまうくらい、見事な景色がある山でした。

買ってよかったと思うものは、たいだい、いい値段のするものだ。

 数年ほど前から、自己資金を捻出して手に入れたアイテムを自己評価するという習慣が続いている。20XX年はコレ、という具合に、その一年のうちに手に入れた全アイテムの中からもっとも買ってよかったと思うもの──あるいは限りなく後悔の少ないもの──を選ぶのだ。それらのベスト・イヤー・オブ・マイアイテムは、とくにどこかに発表するわけでもなく、自分の心の中にしまっている。

 というものの、秘蔵でもなんでもないので、そのベスト・アイテム・リストについてさらっと書かせていただくと、2015年は「kindle Paperwhite」、2016年は「BOSE soundlink mini」、2017年は「Air Pods」、2018年は「DannerのBULL RIDGE」というブーツである。kindle Paperwhiteは僕の読書習慣にいささか大げさに言えば革命を起こした。電子の本なんてありえない派の僕だったけど、kindleを手にしてから、本を読む量は加速度的に増加した。本は安く買えるし(セール本が多く出る)、メモも簡単にできるし(PCに簡単に同期できる)、何より片手で読めるので、電車の中で重宝した。しかも辞書機能がついているので、英文にもチャレンジしやすい。

 BOSE sound link miniは、僕の人生に音楽の恵みをもたらした。それまでは家に帰って電気を点けた後は、たいていテレビをつけることが多かったけど、購入後はsound link miniのスイッチをつけるようになった。大好きなspecial othersをはじめ、部屋で音楽やラジオを流すことが多くなった。

 sound link mini が家の中での音楽革命なら、Air Podsは家の外での音楽革命だ。外を歩いている時、ストレスなく音楽を楽しめるようになった。聴きたい曲を、すぐにセレクトして再生できるようになった。2016年、2017年は音楽の存在がとても身近になった二年間だった。

 それから去年、購入したBULL RIDGEというDannerのブーツは、僕の徒歩ライフに小さな革命を起こした。歩いても、歩いても、足(の裏)に疲労がたまらず、僕の脚をどこまでも歩いていける脚に変えてくれたのだ。わりといい値段のする靴だったけど、とてもいい買い物だったと思っている。

 どのアイテムも、そのカテゴリーの中では決して安いものではないと思う。ひどく高いわけでもないけれど、リーズナブルというわけでもない。でも、そういうものたちが、僕の人生にささやかな革命を起こしてくれた。この子らとはできるだけ長く付き合っていきたいと思わせてくれた。

 連休に入ってから、PLOTTERというシステム手帳を買った。手帳のわりには、いい値段のする代物だと思う。発売当初から気にはなっていたけど、その値段の高さから、手を出せないでいた。それにシステム手帳という僕の門外漢のところに心を惹かれなかった。ところが、この手帳はノートとしても優れもの(と思われるもの)だったのだ。ノートジブシーの僕にとって心の片隅に水たまりのように存在していたPLOTTERを文房具屋でじっくりと触ってみたら、「こいつはひょっとしてイカしたノートかもしれない」とふつふつと自分のものにしたい欲望が募ってしまい、ついに手を出してしまった。スケジュールも、仕事のメモも、日々のメモも、スクラップとしても、ぜんぶ一元管理できそうで、理想のノート・メモのような気がしたのだ。これまではポケットサイズのモレスキンを愛好することが多かったけど、それに取って代わる貫禄がある。もしかしたら、 ベスト・イヤー・オブ・マイアイテム2019になるかもしれない。そんな予感がした。その一方で、部屋の片隅に死屍累々と転がっている数ページしか使っていないノートと同じようになる可能性も多分に感じられた。たかだかノートに1万円以上も出して、紙くず同然になったらどうする? そういう不安も少なからずあった。買うか買うまいか、数十分間、手帳売り場で悶々としている僕に決断させてくれたのは、「いいものは、だいたい高い」という過去のデータだった。

 ノートの屍の一つになりうるか、あるいは、ノートのキングになりうるか、どちらの可能性もあるけれど、ピンときた自分の直感と過去のマイデータとPLOTTERの潜在能力を信じます。

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残業の日々となつぞらとパン屋さん。

 えんえんと降りやまない梅雨の雨のように残業の日々がつづいている。来る日も来る日も、終電や終電間際まで働き、週末も、休日という日が遠い星の出来事のように僕は出社して働いていた。とにかくいろいろな仕事が同時進行ですべからくエンジンフルスロットルで動いていた。エンジン全開でも、しし座流星群のような猛烈なスピードで仕事が片付いていけばいいんだけど、どの仕事も三歩進んでは二歩下がるようなスピード感で、一向に終わりの出口は見えてこなかった。

 夜の0時に近い電車に乗ると、たくさんの人が同じ車両に乗り合わせてくる。中には飲み帰りという人もいるだろうけれど、僕と同じように仕事に追われ、終電に駆け込んでいる人も多く見受けられた。疲労の顔を滲ませた人が駅に到着するたび乗ってくる。そういう人たちを見ると、ああ、同志よ、とある種の仲間のような存在に思えてくるから不思議だ。年齢も職業も性別もバラバラだけど親近感を覚えてしまう。車窓に映る僕の顔も、隣のおじさんの顔も、どことなく似ている。目はうつむきになり、背筋は丸まり、手はつり革に預けている。朝の通勤電車のように背中をピンと張った人は、あまりいない。まあ、酒を飲みすぎたのか、ふらついている人は時々見かけるけれど。

 残業や休日出勤がつづく中で、幸せな時間はほとんどない。ウチに帰っても、風呂に入って、ご飯を食べて、あとは寝るだけ。好きな読書や好きな映画や好きなテレビを見る時間はほとんどないし、見ようとする気力も湧かない。

 でも、朝はちょっと違って「なつぞら」をわりと楽しみに見ている。北海道の自然の大地の風景は雄大で引き込まれる。それからオープニングのアニメーションと、それに合わせて流れるスピッツの音楽も素晴らしくて心地いい。広瀬すずの笑顔もたまらなくいい。こんな女性が近くにいたら、絶対に恋してしまうだろう。お話も引き込まれるし、今の僕の数少ない楽しみの一つになっている。それから、朝の通勤の途中で通りかかるパン屋さんも楽しみの一つである。買うわけじゃなく、店のそばを通りかかるだけなんだけど、できたてのパンの香りが店外まで届いて僕の鼻の中に吸い込まれ、一瞬、夢の世界のような気分にトリップする。それがたまらなく幸せな感情をもたらしてくれるのだ。パンの香りって侮れない。「なつぞら」と「パン屋」さん。この存在は僕の仕事まみれの日々を少しだけ救ってくれている。

 とりあえず10連休。昨日までである程度の仕事は片付けた。が、まだ少し残っている。歯磨き粉のチューブの最後を絞るようにぜんぶ終わらせるために、この連休中も、いくらか働かなければならない。仕事、仕事、仕事の日々だ。こう毎日のように追われていて、やはりしんどいときもあるけれど、つまらなくないのが唯一の救いかもしれない。 

劇団あおきりみかん 20周年公演「ワード・ロープ」を観に行く。

桜の開花宣言が飛び出した春のはじまりに、会社の同僚に誘われて舞台を見に行った。南山大学の演劇部のOB・OGが立ちあげた「劇団あおきりみかん」という劇団の舞台です(20年もつづいている息の長い劇団)。僕にとって舞台というものはまったく門外漢のジャンルで、これまでに一度だけ、劇団四季の「ライオン・キング」を鑑賞したことがあっただけでしかもそれは「ひどくつまらないもの」として記憶に残り(ファンの方、すみません)、舞台という芸術分野は自分の性分と合わないものだと思っていた。だから、声をかけられたときは戸惑いの色を隠せなかったけど、一方で、有名な劇団でもなく、いわゆる世間的に名の知れた有名人も登場しない、街の小劇場を主戦場とする劇団(なのかな?)に対する好奇心も「どういうものなんだろう?」とぶくぶくと湧いてきた。勝手な先入観だけど、そういう集団(劇団)の存続を突き動かしているエンジンは舞台への愛なのではないかなと推測するし、舞台を愛しつづける劇団員のみなさまが舞台への愛を存分に注ぎ込んだ作品というものは、一体どれほどのエネルギーに満ち溢れている場所なんだろうと興味が湧いた。それにせっかく誘ってもらった手前、無碍に断ることもないよなと思って行ってみることにしたのです。

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東京公演が開催される「池袋シアターグリーンBOX in BOX THEATER」で開演15分前に同僚と合流して中に入ると観客席はほぼほぼ埋まっている。そして空いてる席を見つけて、座るやいなや「わお!」と新鮮に目に映ったのが観客席と舞台までの距離。二つの空間を隔てる境界線はなく、最前列の席で足を伸ばした先がもう舞台のテリトリーなのだ。後楽園ホールでボクシングの試合を観戦したときも、リングと客席の近さに驚いたけど、今回はその比ではないですね。「目と鼻の先」という表現がこれほどしっくりくる場所もあまりないと思う。僕の座った場所は後方の席だったけど、もし最前列だったら、役者の息づかいをもろに感じることができそうだと思った。

舞台は体育館や県民ホールのようなサイドに伸びた長方体の空間ではなく、正方形状の真四角の空間だ。観客席を仮に南の方角だとしたら、東・西・北の壁際には、すでに役者がスタンバイし、息を潜めて待っている。本来、出番の準備をしているはずの舞台袖がむきだしの状態で、観客は始まる前から役者の緊張した面持ちを確認することができるのだ。だから、みんな早い時間帯から入場していたのかもしれない。それから、基本的に役者の方は床に座して待機しているんだけど、北の方角の中心にいた女性だけ、手を腰に据え、仁王立ちのようにでんと立っている。あとでわかったことだが、彼女は川本麻里那さんという本舞台の主役を担っている方だった。精神を集中しているのか、セリフを反芻しているのか、観客を見ているのか、それとも無の境地だったのか。まあ、とにかく開演までじっと立っているのが印象的だった。美しく凜とした眼差しで観客の方を見つめている。

舞台横にスタッフの方が静かに現れ、「本公演は約1時間50分あります。お手洗いに行かれたい方は、いまのうちに済ましていただきますようお願いいたします」と案内する。約1時間50分という尺の長さを聞いて、トイレの心配もよぎったけど、それよりも途中で寝ずにエンディングまで見通すことができるかなという不安が頭の中を覆いつくす。映画を鑑賞する場合、ストーリーの中盤あたりで、悪癖のようにうとうとと眠りの世界に誘われてしまう僕にとって(ほんとにおもしろい映画は別ですが、そういう映画に当たることは年に数本しかない)、大丈夫だろうかといささか心配になってしまった。誘われた手前、つまらなそうな態度はできる限り避けたいのが心情である。だが、「オレ、寝るなよ」と強い意思を持ってしても、睡眠という本能的欲求に逆らうことはなかなか難しく、気を張っても眠ってしまうことがこれまでもさまざまな場面で多々あった。どうか面白くあってくれ、と僕は心の中で両手を合わせてお願いをする。

軽快なジャズ調のミュージックとともに(素晴らしい曲だった。公演後、調べたら倉橋ヨエコさんの「卵とじ」という曲だとわかった)、開演し、物語がはじまる。話の筋は、なかなか複雑で、未来からやってきた娘と対面する父、中学時代の友人と埋めたタイムカプセルを20年ぶりに掘り起こす父、母の、父の友人たちに対する嫉妬、タイムスリップの発明、世界の崩壊、といったいくつかの筋が入り乱れ、しかも年代がいったりきたりするのではじめのうちはストーリーを追うので精一杯。ただ、決してつまらないわけではなく、むしろだんだん前のめりになって見入っていた。心配していた睡眠現象もいっさい起きず(よかった)、後半に差し掛かると、さまざまな伏線が回収され、さいごに一つの点に収束したのはお見事としか言いようがなかった。なんとなく伊坂幸太郎テイストの伏線回収の味を感じる。

以下、ストーリーのほかにおもしろいと思った点

1)出番待ちの役者がモノローグを口述
モノローグは、本人が発するのではなく、舞台袖で待つ出番のない役者がみんなで声をそろえて発する。たとえば「リリカはお父さんを救いたかった」というモノローグを舞台袖の役者が全員で口にする。

2)重要な言葉はセリフにかぶせる
「母さんは、中学時代の友だちに嫉妬していた」というセリフがあったとして、「中学時代の友だちに嫉妬していた」という部分を強調したいとき、まずこのセリフを発言する役者が「母さんは」の部分を言い出し、「中学時代の友だちに嫉妬していた」という下の句を舞台袖のみんなと合わせて発声する。タイミングがピタリとあうのも、いったいどれほどの練習を重ねたんだろうと一驚したし、それ以上に、こういう強調の仕方はなるほどなと思った。テキスト(セリフ)の太字部分のおもしろい読み方だった。

3)「過去を懐かしむのって、勝ち組の行動だよね」
ある人物のセリフなんだけど、劇中でいちばん心に残った言葉。彼女は中学時代、クラスからのけ者にされた、ひとりぼっちのキャラクターで、そんな彼女が発したセリフ。発見と共感のある言葉だと思った。

4)話すスピードの早さ
マシンガンのようにセリフがぽんぽんと飛び交う。話の筋の複雑さとともに、話すテンポも早くて、慣れるのがたいへんだった。劇中で一人だけ、ゆっくり話して(しかもいい声で)くれる人がいて、とても聞きやすかった。やっぱりゆっくり話したほうが早く伝わるなあ。

というわけで、初めての舞台にどっぷりと浸かったわけですが、けっこうおもしろかったです。役者が目の前で演技をする迫力をひしひしと感じられた。物語も印象に残った。限られた空間で、限られたシーンで、物語をおもしろくつむぐためには、そうとう練らないといけないと思うのですが、その完成度の高さにびっくりした。物語を磨きに磨いて作るわけですからストーリーの力でいえば、映画よりも舞台のほうが魅了する話が多いのかもしれない。あるいは、ビギナーズラックのようにたまたまよく出来た舞台に当たっただけなのかもしれない。でも、小劇場の劇団に対する興味関心はぶくぶくと湯が沸騰するように湧いてきた。

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