また行きたくなる山。【伊豆ヶ岳〜子ノ権現】

○ 7:04 正丸駅 2018年6月2日(土)
時計の針が早朝の5時をまわったばかりの山手線は、腕を組んで首をうとうと傾けながら頭を垂れてる人がたくさんいた。ついさっきまでクラブミュージックが鳴り響く薄暗い空間で、はじけていたとみられる若い男女のグループが電車のシートにもたれるように座ってすやすやと子どもの顔をして寝ている。僕もあくびをしながら朝の山手線に揺られていた。

池袋駅で電車を降りて西武池袋線に乗り換えた。空いていた席に腰を下ろし、車窓の向こうに見える駅のホームの光景をぼんやりと眺めていた。発車時刻になって電車が定刻通りに走り出すと車窓の景色はビル群から住宅街に変わり、やがて山の姿が目につきはじめた。その頃には車内は空席が目立つようになっていた。土曜日の朝の西武池袋線はJR中央線みたいに登山者でにぎわってはいない。奥多摩の山に向かうときによく利用する中央線の「ホリデー快速おくたま」の車内は登山者をよく目にするけど、西武線はぽつぽつと見かけるくらいだった。車内はごく日常的な服装を着た人の光景で出来上がっていた。

正丸駅に降り立ったのは朝の7時過ぎだった。周囲をぐるりと見回すと見事なまでに山に囲まれていて、ビルが割拠した都心の光景とはまるでちがう光景があった。冷えた空気が肌に触れる。僕はザックの中からアウターを取り出してシャツの上から羽織った。そして準備体操もほどほどに最初の目的地である伊豆ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめた。駅から登山口まではまず舗装路を進む。舗装路に並行して沢が流れている。こういう沢とともにはじまる山は好きだ。

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○ 7:35 登山口
登山口に着いたとき、「おはようございます」と丁寧な挨拶をしてくださった白髪まじりのすらりとした男性が後ろから僕を追い抜いていった。身軽そうなザックを背負い、軽快な足取りで僕の前をするすると進んでいく。いろんな山に登っているのだろうか。彼が身につけている服装や登山靴や山道具を背後から眺めていると、熟練者の域に達している雰囲気を感じた。この方はコンパクトカメラを手に撮り、僕と同じようにパシャパシャと山の風景を写真に収めていた。ただ、それが唯一の共通点なようで二人の登るスピードはだいぶ異なっていた。人間とチーターが一緒にヨーイドンをして走るように彼と僕の距離はぐんぐんと離れていった。そしていつのまにか視界から消えていた。こういう人生の中のほんの一瞬の交わりが、山ではよくある。ところが、この男性とはこの日の山行を通して、なんども顔を合わせることになった。

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舗装路から登山道に移っても沢はつづいていた。するとなんの予兆もなく、とつぜん頭の中に、さわわ、さわわ、さわわー、 と「さとうきび畑」の替え歌が流れてきた。周囲には誰もいなかったので口に出して歌ってもよかったのかもしれないが、鳥に笑われたらいやだなと思ってやめておいた。

朝の陽光が注がれている樹林帯を、えっほ、えっほ、と元気よく登っていく(もちろん声には出してない)。さきほど見かけた男性のほかに人の気配はまるでなかった。正丸駅では数名の登山の格好をした人を見かけたけど、登山道に入ってから見かけることはなかった。伊豆ヶ岳は奥武蔵の人気の山と聞いていたのでいささか拍子抜けした。人でにぎわっているのかと思っていたら、そういうわけでもないようである。もっともゴールデンウィークの新緑の時期はまた違うんでしょうが。写真を撮るために短パンのポケットからスマートフォンを取り出すと圏外だった。人はいない。電波も入らない。世間から切り離された世界がはじまった。

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やがて沢の音がぴたっとやむ。それまでひんやりとした薄い膜のようなものに覆われていた水々しい空気は薄れ、さらにタイミングよく太陽が雲に隠れた。あたりは暗雲とした一帯に変わり、風もいくぶん冷ややかになった。すると、その暗い空気にふさわしい舞台が用意されたように目の前に急峻があらわれた。額から汗がつーっと落ちる。足を上下にあげる幅は大きくなり、蓄えていたエネルギーがみるみると消耗していった。

T字路の分岐点にさしかかったとき、さきほどすれ違った白髪の男性が左手の道から引き返してくる。どうしたんだろうと思ったら、こんどは右手の道に進んだ。かと思えば、また僕の立っている分岐点に戻ってきた。

「すみません、どっちの道だかわかりますか?」と男性が声をかけてきた。
「わからないです。地図を見てみます」と僕は言った。
僕は地図を広げ、男性はスマートフォンのGPS機能を使って調べた。そして、二人で話し合った結果、左手の道が正しい道だとわかる。右手にある道のように見えたものは道ではなかった。この場所は分岐点でもなんでもなかったのである。
「ここに案内板ほしいですよね」
「僕らで建てときますか」
と冗談をまじえたやりとりをしたあと、男性はまたチーターのような足取りで左手の道をさっそうと進んでいった。僕もその後を追って進んでいく。まもなく、また登りがはじまり、上の方から、土塊や小石がころころと転がってくる。先の方まで見上げるとそこには荒くれた急斜面があった。すべりやすいみたいで、先を行くさっきの男性が「気をつけてください」と僕に呼びかけながら登っていった。僕も足に力を入れたり、木の根っこを掴みながら、巨大な壁のような荒れた斜面を用心深く登っていった。足をすべらすと勢いよく下まですべりおちそうだった。汗というよりも冷や汗をかいていた。

難斜面を登りきると平らな道が待っていた。雲間から太陽が顔を出しはじめて、山林一帯に光と影のコントラストの美しい光景が目に飛び込んでくるようになった。ハイキング気分で美しい樹林帯を抜ける。するとこんどは岩場が出現し、岩場の反対側には見事な眺望があった。いくつもの山が連なった景色が遠くまで広がっている。僕は岩場で足を止め、じっと山容を眺めていた。ただ見ていた。ただ見ているだけだった。でも、心の中にある曇った部分がすこしずつ晴れていった。山の景色にはときどきそういう心を晴れやかにする作用が起こる。それにいい湯に浸かっているときのような快感があった。さきほどの男性も岩場の上のほうで腰に手を当てながら、景色を見ていた。

とても静かな山だ。聞こえるものといえば自然の音と鳥の声くらいだ。心の中の僕の声がいちばん大きいかもしれない。

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◯ 8:12 五輪山
僕は今、五輪のてっぺんにきている。つまり、金メダルだ。僕もついに金メダルをとったんだ。足を止めて休んでいると変な思考がはじまった。なんだかあほらしくなってきたので、疲労を感じた太腿をさっとほぐしてさっさと伊豆ヶ岳の山頂に向かう。

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男坂にやってきた。ここは傾斜40度、全長約50mのクサリ場で伊豆ヶ岳を象徴する登り坂でもあった。事故も起きているという危険な箇所で、2018年6月現在、立ち入り禁止になっている。登山ビギナーであり、高所恐怖症でもある僕は巨壁みたいなクサリ場を目にしただけで立ちすくんでしまった。写真で見ていたものよりも迫力があった。

このときは迂回路である女坂も現在立ち入り禁止だった。僕は男坂と女坂の間に位置する新しい登山道──さしずめ子供坂といったところだろうか──を登っていった。

前方に大型のザックを背負った男性とその後をついていく女性の姿を見つけた。男性は歩荷さんが背中に抱えているようなとても重そうなザックを背負っていた。男性はゆっくりと、一歩一歩、足を滑らせないように慎重に登っていた。僕も力を振り絞って登っていく。まもなく伊豆ヶ岳の山頂に到着した。

○ 8:20 伊豆ヶ岳山頂
山頂には4名の男女がいた。一人は途中で顔を合わせた白髪の男性。
「無事、着きましたね」と男性が僕を見るなり、そう口にした。
「はい、いい山でした」と僕。
会話もそこそこに切り上げる。もう一人は登山慣れしていそうな中年の男性で、さいごの一人は女性であった。ふしぎに思ったのは、僕の前方にいた大型のザックを背負った男性と女性の二人組が見当たらなかったことだ。彼らは休まずに先に進んだのだろうか。それともあれはただの幻だったのだろうか。はっきりと目にしたんだけどなあと頭をかいた。

山頂は樹木に囲まれていて眺望はなかった。山頂の手前の場所に眺望のよい場所があるので展望を楽しむならそこで景色を眺めるといいかと思われます。ここではおにぎり二個を補給して休憩もほどほどに次の目的地である「子ノ権現」に向かった。

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○ 8:30 伊豆ヶ岳 山頂 出発
白髪の男性は僕より前に出発していて、あとの二人はまだ山頂でゆっくりしていた。僕はザックを背負って各部のベルトをギュッと締める。緩んだ心のネジをもう一度締め直す。そして次の山に繰り出した。

わりと傾斜のきつい下り坂からはじまった。足をすべらせないように慎重に下る。下りきったかと思ったら、こんどは急峻な登り坂が現れる。山頂から先は傾斜の鋭いアップダウンの繰り返しで歩いていると修行僧のようにも思えてきた。

人の姿は見えないが遠くから熊鈴が聞こえてくる。熊鈴は熊よけのための鈴とされているけど、山の中でひとりでいると、人の気配を感じることができ、ちょっとほっとさせてくれる。しかも、この遠方にいる方の熊鈴の音色は、風鈴のような澄んだ美しい音色でよく響いている。僕の熊鈴は遠くまで聞こえないようなか細い音で、音の質も安物の楽器のように悪い。僕もこういう透き通った心地いい音色の、かつ、遠くまで響く熊鈴を買おうと思った。

急峻なアップダウンを繰り返したせいか右足も左足も徐々に重くなってきていた。鉛を足首に巻いて登っているみたいに足をあげることがきつくなっていた。登りはじめのときのペースと比べると、歩行のスピードは亀のようにスローダウンしていた。こんな辛い思いをしていったいなんのために登っているんだろうと自問自答する。でも明確なこたえがでるわけではない。ひとつ確かなことは辛いけど楽しいということだ。苦しんだ先にある楽しいは、ふつうの楽しいより、楽しかったりすると思う。

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○ 8:45 古御岳
古御岳の休憩スペースに伊豆ヶ岳の山頂では見かけなかったあの男女の二人組がいた。と思ったら、二人だけでなくて、小さな女の子もいた。そうか、あの男性は女の子を背負っていたのだ。大型のザックではなく、ベビーキャリアだったのだ。家族三人で山登りに来ていたのだ。男性はお父さんで女性はお母さんだったのだ。

休憩スペースでは女の子は立って歩いていた。それなりに大きな子どもだった。お父さんは彼女を背負って急峻な山を登って下ってまた登っていたのだ。とてもパワフルなお父さんだ。僕にはとても真似のできる芸当ではなく、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。僕は、こんにちは、と挨拶をして彼らの前を通りすぎた。お父さんの発した「こんにちは」には重労働のあとのような声色が含まれていた。でも、ハキハキとしたエネルギーに満ちた挨拶だった。お父さんすごい。こちらのファミリーとは、この日の山行の終着点である吾野駅でも見かけることになった。ひとりで歩いていた僕とほとんど同じペースで歩いていたのだ。まことに恐れ入る。

そういえば登山者を見かけることも少なかったけどトレイルランナーもほとんど見かけなかった。確か走っている人を見かけたのは1人くらいだったと思う。あとは日頃から山登りが好きそうな方の3、4人とすれ違ったくらいでほんとに静かな山である。登山道はある程度整備されていて歩きやすく、いい山道だ。山の中でひとりきりになるのが心細くて仕方がないという人を抜きにすれば、楽しめると思います。

街の中にいるときは、自分のいまいる場所を正確に判断できるし、向いてる方角もわかる。僕はわりと頭の中で鳥の目になって街を空から俯瞰して見ることが得意なので、道に迷うことなんてほぼないんですが、山だとなかなかそういうわけにはいかない。まわりを見渡しても樹林ばかりで目印になるようなものはなく、空から俯瞰してみようと思っても現在地をつかみにくい。だから、案内板のない分岐路に出くわすと迷ってしまうときもある。そういうときはコンパスを取り出したり、地図とにらめっこしたりして、頭の汗をかいて進路を選ぶ。なんというかこういうことをしていると人間の生存本能的な感覚がいくばくか磨かれていくような気がした。まあ、こういうのは得てして気がするだけでおわるんですが。

○ 9:08 高畑山
時計をちらりと見て山行時間を確認し、すっと通りすぎる。小刻みに休みをとりながら歩いていたので、ちょっと遅れているかもなと思っていた。でも、ペース的にはそれほど悪くないということを確認する。

まもなく、この日の山行でいちばん展望がのぞめそうな場所に出た。周囲は伐採されていて、ぽつんと鉄塔が一つ建っていた。伐採のおかげでといったら、木に悪いけど、遠くまでよく見えた。僕は樹林帯を歩くことが好きですが、やっぱりこういういい景色を望めるところも好きです。とてもいい場所だった。でも、熊蜂の溜まり場になっているんじゃないかと思うくらい、ぶんぶんと十数匹も飛んでいて、ちょっと怖くもあった。十数匹の熊蜂が飛び交っている音はなかなか耳から離れない。いまでも、その時の音は思い出せます。ぶんぶん、ぶんぶん。

伐採もされていましたが、植樹もされていました。がらんとした場所にあたらしい命も芽吹きはじめていた。

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朝早くからこれだけ自然のシャワーを浴びていると、なんだか僕も光合成をしているんじゃないかという気分になってくる。それくらい木々の隙間を通り抜けて降り注ぐ光のエネルギーを体が吸収している気がする。自分の中に養分が溜まっていくような気がする。街中で太陽の光を一身に浴びてもこういう気持ちはいっさい湧いてこないんですが、山の中にまみれていると湧いてくる。自然に満ち満ちている場所だからかもしれない。

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かすかに耳に届いていた熊鈴がいっさい聞こえなくなってから、急に心細くなってきた。それまではひとりきりとはいえ、ひとりではなかった。近くに人がいると思っていた。それがまったく音がしなくなると背中がひどく寂しくなってきた。まあ、熊鈴の音がだんだん大きくなってくると、後ろから追われているようでプレッシャーにもなるんですが。ただ、山の深くで人の気配がまるでないというのは、思っているよりも寂しくなるもんだと思った。

しばらく歩くと熊鈴がまた聞こえてきた。みんな立ち止まったり、空気を吸ったり、写真を撮ったり、景色を眺めたりして、思い思いに山を楽しんでいるのだろう。

○ 9:24 中丿沢頭
こちらも休憩スペースはありますが眺望はのぞめません。手前にまき道があるので登るのがしんどい方はまき道を選択してもいいかと思います。僕もチェックポイントのように山行時間だけを確認してそそくさと下っていきました。

この日に通り過ぎた山はどれも低山で、いちばん高い山でも伊豆ヶ岳の851mだ。でも、6月に入っていたけど、それほど暑さを感じることもなく歩きやすい気候だった。しかも太陽が雲に隠れて日差しがなくなると春先のように涼しくなってくる。虫にいたっても気が滅入ってしまうほど飛んではいない。きもちよく歩ける道である。まあ、体力的に苦しくなるときはあります。

○ 9:50 天目指峠
車道との合流地点でもある天目指峠に着いたのは10時前だった。道の先にはさらなる試練のように急峻が待ち構えていた。僕はそれまで使わなかったトレッキングポールをザックの脇から取り出す。だいぶ足にきていたし、手の力も借りないとうまく登りきれないかもしれないと思ったのだ。そして、休憩もほどほどに意を決して足の力と手の力も使って登りはじめたが、ひどく急な勾配で引いていた汗がまたどっと吹き出した。 息づかいも荒くなる。足をあげる動作が辛くなる。苦行のような時間がつづく。そのとき、天が頑張れとエールをおくってくれたかのようにまた徐々に陽が出てきた。登りきると緑が輝いた景色が待っていた。こういう景色を目にするだけでも辛さは消えていく。

そしてまた急峻が現れる。しかし、このときにはもう、この日の山行の体験から登った先にある景色を楽しみにしている気持ちも湧いていた。実際に登りきるといい景色が待っていた。眺望があるわけではないですが、煌めくような樹林帯の光景が美しくて、きつい傾斜も登った甲斐があるなと思ってしまう。なんでもないただの樹林の景色ですが、僕にとっては苦しい急峻を登りきった褒美としては十分なものだった。

ただ、とはいえ、このあたりはほんとうにきつくて、体力的にも精神的にもかなり消耗させられた。急勾配の登り坂→平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道、という難コースの連続だった。危険な箇所はないけど体力的には苦しい時間でとくに両足の体力はひどく削られていた。

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○ 10:20 子ノ権現
体力の残量が残りわずかになっていたときに子ノ権現に到着。ベンチにどかっと腰を下ろしてひと息ついた。ここで白髪の男性と三度再会。おつかれさまです、と言葉を交わして各々削られたエネルギーの充填をしていた。僕はサンドイッチを食べながら今日歩いた道を地図で見返していた。ひと息ついたあと、あたりを散策すると「スカイツリーを望める眺望」といったようなものが記された看板が目につき、その場所まで行ってみることにした。あいにく、スカイツリーを確認することはできなかったけど、遠くまで見渡せていい眺望だった。なにが僕の心を打ったのかわからないがその場にじっと立っていた。いい風が吹いていた。

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○ 10:45 子ノ権現 出発
ここから先は下り坂がほとんどです。傾斜のきつい勾配で体力を奪われる箇所はもうありません。舗装路を通ってすぐ登山道に入り、ひたすら下山し、また舗装路になって進んでいきます。そしてふたたび沢が登場。水のせせらぐ音は何度聴いてもいいものである。

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◯ 11:10 浅見茶屋
下山中、とてもうまいうどん屋に出会った。「浅見茶屋」というお店で古民家を改修した店内の雰囲気がまずよかったし、流れている音楽がジャズというところも気に入ってしまった。僕の趣向とぴたりと合うお店だった。古民家とジャズの組み合わせがとても素敵だと思ったし、こういうのを洒落ているというのだと思った。注文した「肉汁つけうどん(850円)」はとてもうまかった。山行を締めくくる味としてはたいへん満足のいくうどんであった。僕はうどんをすすりながら今日の山行の出来事をポケットサイズのノートに書く。爽やかな風とジャズの旋律が古民家の中をぐるぐると流れている。時計を見るとまだ午前11時半。こういう時間を贅沢な時間と呼ぶのだと思った。長い距離を歩ききった後の至福のうどん。お金では買えない贅沢がここにはある。こういう山行があるから、山はやめられないんだと思った。きついことが多かった山行もいい思い出に変わっていく。

こちらのお茶屋さんでも、また白髪の男性と再会した。もう何度目だろう。お互いに顔なじみの空気になっていた。いくつかの簡単な会話を楽しんだ。そして、その男性は「お先に」と言ってお店を後にした。深い身の上話はしなかった。連絡先は交換しなかった。でも、もしまたどこかの山で再会することがあったら、そのときは思い切って聞いてみようと思った。人生の中の小さな一点の交わりを新しいつながりの線に変えることはできる。自分の勇気次第で。

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○ 11:53 浅見茶屋 出発 → 12:40 吾野駅
ここから先は舗装路が延々とつづく。道に沿うように沢も流れている。とてもいいエンディングロールの道だった。あとは温泉があれば嬉しいんだけど、そこまで欲張ってしまってはいけませんね。吾野駅で電車に乗り込んで奥武蔵の山を後にしました。沢ではじまり、きつい傾斜があり、美しい植林地帯を通り、立ちどまる眺望があり、うまいうどんがあり、沢でおわる。約14.5kmという長い道のりは、苦しくも楽しい山道でした。また行きたいと思った山行でした。

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十円玉という旅人。

十円玉を手に取って眺めていた。なんの変哲もない硬貨である。でも、十円玉とにらめっこしていると、こやつはとんでもない旅人かもしれないと思うことがあった。お察しのとおり、十円玉は定住の地を持たない。一泊二日や二泊三日、長くても十日間くらいの滞在で次の旅に出る。短いときはものの数十分でその地を去ってしまう。貯金箱という半永住の地につかない限りは、彼らは渡り鳥のように旅をつづてけている。

いま僕が手にしている十円玉も、明日はちがう場所に移っているだろう。それは僕の家の近所かもしれないし、東京から遠く離れた地に旅立っている可能性もある。

十円玉は、 僕より旅をして僕より多くの人と出会う。 人が一生に出会う人の数と比べたら桁がひとつ違うかもしれない。なにしろ日常的に旅をしているわけだから。もしかしたら、その出会いの中には、あのサッカー選手や、あの女優との邂逅もあるかもしれない。あるいは昔の恋人の手に渡っているかもしれない。

「モノ」というものは、基本的にだれかに見初められると、定められた場所に長く滞在することになり、他の世界を見られなくて退屈そうだなあと思ったことがあるけれど硬貨や紙幣はそうではないですね。人間よりいろんなところに旅をしている気がしてなんだかうらやましく思った。人生は旅である、という言葉は彼らのほうが、たぶんふさわしい。

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おそるおそる歩いた山。【大楠山】

○ 前日譚
行ってみたかった街がある。僕はいまコンクリートジャングルの一角に住んでいるのですが、いずれは自然豊かな街に住みたいなあという気持ちが心の隅にずっとあって、三浦半島の逗子という街に前から興味があった。鎌倉までは行ったことはあるけど、逗子に降り立ったことはなく、いちど訪れて街の空気を肌で感じてみたいと思っていた。

そんなとき、日帰り登山のムック本をパラパラとめくっていたら「大楠山」という山の存在を知った。三浦半島最高峰の山とある。といっても標高241mの低山に属する山だ。でも、標高の高さよりも山行の道に惹かれてしまう僕はロングトレイルができそうなこの山に対する興味がむくむくと湧いてきて、歩いてみたくなっていた。それで、大楠山と逗子をセットで行ってみようと思い至ったのである。

出発前夜、ザックに必要な道具を詰め込む。ただそれだけの地味な作業だけど、それがなんだか楽しいのです。まるで遠足の準備をしているときみたいなわくわく感がある。たぶん、そのときの僕の顔を知人が見たら、子どもみたいな顔をしていることに驚くと思う。

大楠山の準備で困ったことは地図がないことだ。大楠山は登山者の必携である山と高原地図がない(2018年現在)ので、ムック本に記されているマップを頼りに進むことにした。これがのちに困ったことになるとはこのときはまだ知らない。山行ルートは一般的なルートである前田橋バス停から大楠山山頂のピストンではなく、衣笠駅から前田橋バス停までの三浦半島の横断ルートを考えていた。できる限り、登りと下りはちがう道を歩きたいのである。

2018年5月27日。朝目が覚めたとき、乗ろうと思っていた電車の出発時刻に迫っていた。急いで着替えて家を出ると、水と食べ物とタオルを忘れていたことに気がついた。それらは出かけるときに冷蔵庫や箪笥から取り出して、持っていこうと思っていたものだった。いつもならそういう忘れ物のミスはしないほうなんだけど、もしかしたら、低山ということもあって心の隙があったのかもしれない。

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○ 8:37 衣笠駅
はじめて降り立つ街は、それがどんな街であろうと胸が踊ってしまう。同じ風景を行き来するだけのいつもの日常とちがって、未知の光景であふれている知らない街はそれだけで僕の心を弾ませるのである。

軽い準備体操をして最初の目的地である衣笠山公園に向かって歩き出すと、まもなくして右の足首に痛みを覚えた。この日の山行は長い距離を歩く予定だったのでさいごまで歩ききることができるのか、一抹の不安がよぎる。しかも標高300メートルにも満たない山だったこともあり、トレッキングポールは必要ないだろうと高をくくって家に置いてきていた。山は何が起こるかわからない。十全の準備に越したことはないのだとあらためて気づかされる。

歴史の古そうなアーケード街を通り抜けて県道26号線沿いを進み、衣笠山公園という標識を目印に道を折れると上り坂が始まった。はじめは住宅街の中を登っていたが、だんだんと山の景色に変わっていって草木の香りが鼻をつきはじめた。

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○ 9:00 衣笠山公園 入り口
登山者と思われる人は僕のほかにはひとりもいない。人影さえもほとんど見つけられない。朝の散歩中のおじいさんを見かけるくらいである。おはようございます、と挨拶を交わしたときが唯一、人間の息づかいを感じるときだった。それ以外の時間はガタンゴトンと遠くから聞こえる電車の音や、ホーホケキョ、チュンチュン、という種々様々な鳥たちの鳴き声、木の葉のこすれる音、風のざわめきが世界を形成していた。平穏と呼ぶにふさわしい世界が朝の公園にはできあがっていた。

○ 9:10 衣笠山公園 展望台
頂上のような場所にたどり着くと鉄骨でできた展望台を発見した。階段をつたって上まであがると見晴らしのいい景色が広がっている。横須賀方面を一望でき、眺めのいい景色を独り占めしているぞと思っていたら先客がいた。しかも恐ろしい先客だった。蜂である。ブンブンとおどろおどろしい羽音を鳴らしてこちらに近づいてくる。展望台は自分の縄張りだと叫ぶがごとくあの嫌な音をたてながら僕に向かって飛んでくる。こうなるともう景色を楽しむどころではない。蜂のことが気になって仕方がなく、落ち着いて眺めることはできなかった。僕は追い出されるように展望台を後にした。

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衣笠山公園の出口に向かって勢いよく下りているときに虫たちが僕のまわりに寄ってくる。さっきの蜂といい、さすがにうっとおしくなったので僕はザックから虫スプレーを取り出した。体じゅうにくまなく虫スプレーをかけ、ふたたび歩きだすととたんに小さな攻撃者たちは僕を避けるようになった。虫スプレーは虫にとっての警報みたいなものなのか、逃げろー、という態勢で彼らは僕の前から消えていった。衣笠山公園の出口について、こんどは大通りを挟んだ向かい側にある野山に入っていった。

一匹の蝶がひらひらと舞いながら僕を先導する(僕から逃げているだけなのかもしれないが)。まるで幻想郷に案内するかのようにひらひらと優雅に飛んでいく。そういうある種のメルヘンチックな世界に浸っているときに、とつぜん、ガサガサッと茂みのほうから音がしてびくっとなる。現実の世界に引き戻され、獣のことが頭をよぎり身構える。しかも僕の歩くスピードと一緒に、ガサガサッという音がついてくるのでいささか恐ろしくなってくる。結局、何も起こることはなかったけれど、その後も茂みの中を通る道が多くて、嫌になってくる。やっぱり樹木の間を練り歩く道のほうが楽しい。景色が抜けている気持ち良さもあるし、茂みとちがってとつぜん何者かが現れる不安も少ない。こういう原生林のような鬱蒼とした道を一人で歩いているといささか心細くなってくる。そして、いつの間にか蝶は消えていた。

途中、分かれ道にさしかかった。ムック本のマップを見ても、この分かれ道のことは触れてなく、困ってしまった。幸いにも電波は入るのでグーグルマップをにらんで先に進めそうな道を選択した。このときだけでなく、何度か道の選択を迫られるときがあった。ムック本は大ざっぱなルートしか書かれていないのでそれに頼りきってしまうととても困ることになる、ということが身に染みてわかった。

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しばらく歩くと野山を抜け出し、車道に出た。ここでもまた道に迷ってしまった。大楠山の登山口がわからない。ムック本には迂回路を通らずに車道から大楠山を目指せる道があると記されているので、それらしい道を探していたんだけど、ちっとも見つからない。来た道を折り返してもっと注意深く観察して歩いていると、やっと登山道らしき道を発見した。案内の矢印は一切なく、ふつうに歩いていたら見逃してしまうような入り口だった。入り口と呼ぶにはかなり心細い道で、だいじょうぶかな、と心配の種が心の中で広がっていく。藪の中を突進するような不安を覚える。しかし、迂回路を通ると、だいぶ遠回りになるし、道に迷って疲れが溜まっていた僕は早く山頂に着きたい気持ちもあって、その心細い登山道に侵入することにした。もし間違っていたら引き返せばいいだろうと覚悟を決めた。車道を走る自動車の中から僕の行動を見た人は、あの人は何を血迷ったことをしているんだろう? と思ったに違いない。

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不気味さと急勾配の坂で心拍数が上昇する。しかしながら、おそるおそる登っていると獣道ではなく人の手によって築かれた道だ、という感触を感じ、不安は少しずつ和らいでいった。だが、その安心を破壊するかのごとく正面のほうからガサガサッという音が近づいている。音はだんだんと大きくなってくる。何だ!? とびくびくしていたら、登山者だった。たぶん向こうの方も人がいることに安心したのだろう。ほっとした声でお互い挨拶を交わした。そこからまたひとりぼっちでしばらく歩くとゴルフ場のそばにさしかかった。マップを見ると大楠山の山頂まであと少しということがわかった。人とすれ違うことも増え、不気味さに覆われていた心の鎖も解けていく。そして一気に山頂まで駆け上がった。道の不透明さ、そして茂みの道の多さから、楽しさというより不気味さが勝った山頂までの道のりだった。そういうルートを選択した僕のせいでもあるんだけど。

○ 11:00 大楠山 山頂
三浦半島最高峰の山頂に立つ。房総半島や伊豆半島まで見渡せるということで楽しみにしていたけど、この日はあいにくの天気で遠くまで眺めることはできなかった。残念である。でもまあ、登山ではよくあることなのであまり気にはとめない。山頂というわりには人影も少なくて若い男女のペアが一組、老夫婦が三組、老人男性が一人といった具合だった。静かな山頂である。ベンチに腰を下ろし、駅のコンビニで買っておいたおにぎりとサンドイッチを食べてつかの間の休息に浸った。

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○ 11:20 大楠山 山頂出発
三浦半島の東側から大楠山に向かって登ってきたが、こんどは西側に向かって歩き出した。ほぼずっと下り坂がメインですたすたと下っていく。途中、子どもたちとすれちがう機会が多く、そのたびに子どもたちは大きな声で「こんにちは!」と挨拶をしてくれた。彼らの生命エネルギーに満ち満ちた声を浴びていると、ちょっと元気をもらえる気がした。

鬱蒼とした藪の中を歩いているとトトロのような奇妙な生き物はほんとうにいるんじゃないかと思えてしまうから不思議だ。山には得体のしれない不可思議なものがいても、受け入れてしまえる何かがある。都会の街の中で暮らしているとトトロなんているわけないじゃないか、と思ってしまうんだけど。

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二人組の少年とすれちがった。シャツと短パンとリュックといういかにも少年らしい出で立ちで、二人で話しながら駆けるように山を登っていた。夏の少年映画のワンシーンを切り取ってそのまま抜け出してきたようなすがすがしい光景だった。5月の初夏の空気がそのときだけは8月の真夏の空気に変わっていた。足りないのは蝉の鳴き声だけだった。彼らも元気に挨拶をしてくれて、びゅーんと山頂に向かって登っていった。

○ 12:00 前田川遊歩道
大楠山の登山口にたどり着く。距離的なことに加え、精神的に不安に覆われていたことあり、ここまでとても長い道のりに感じた。西側の街並みは東側のそれとは空気が変わった気がした。東側は街の中に緑があるけど、西側は緑の中に街があるという感じ。自販機を見つけ、歩ききったご褒美としていつものコカ・コーラを飲もうと思ったけど、あいにくコーラはなかったのでマッチを飲んでゴールを祝った。そういえば、歩きはじめていたときに感じた足首の痛みはいつの間にか消えていた。

○ 12:10 前田橋バス停
十分遅れでやってきたバスに乗って三浦半島の海岸沿いをゆらゆらと走る。とてもいい眺めである。クーラーがほどよく効いた車内とかすかな振動が心地よさをもたらしてくれた。僕はうっすらと眼を開けて窓の向こうに見える海の景色に目をやりながら逗子駅へと向かっていった。

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○ 12:50 逗子駅到着
逗子に着くとお腹が空いていたこともあり、おいしそうなカレー屋さんに入った。「マッチポイント逗子店」というお店です。カウンターに腰を下ろし、たくさんあるメニューの中からナス挽肉カレー(870円)を頼む。エッグカレーとレトロカレーと悩んでいたんだけど、女性店員さんの「ナスはいま旬ですから」という一声で決めた。

雑誌に載っていそうな洒落た店内で天井にはシーリングファンがくるくると回っていた。運ばれてきたナス挽肉カレーはおいしくてガツガツと頬張ってしまった。あとでこのお店の口コミサイトを見たら、そんなに高い評価ではなかったけど、ふつうにおいしいカレーだと思いました。たぶん、レビューの星の数を先に見ていたら入っていなかったと思う。レビューの点数は僕の点数ではないわけで、こういう乖離は起こって当然なのであるのだが、やっぱり点数に促される自分がいることも否めない。でも、こういう出会いもあるので、気になったお店にぽんっと入るのもいいもんだとあらためて思う。味もさることながら、対応してくれた女性の店員さんも明るくていい人だった。こういうお店を知るだけで逗子はいい街だなと思ってしまう。単純な脳みそである。

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店を出たあと、せっかくなので逗子界隈を散策するついでに逗子海岸にも行ってみた。しかし、これは間違った選択であったとすぐに後悔することになる。広々としたビーチは当然だけど水着の軍団であふれている。登山靴に長袖長ズボンの格好をした僕はかなり浮いていて、その場にいることがいたたまれなくなり、すぐに引き返してしまった。まあ、そういうちょっとした悲劇もあったけど、海と山の匂いがある街はやっぱりいいなと思った。どちらの空気も混在している場所が僕はとても好きである。

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衣笠駅から大楠山ルートは、いい山行だったとは言えないし、正直、人に勧めたくなるルートではないかなと思いました。標高が低いこともあってあまり涼しくはないし、茂みは多いし、道に迷うことはあったし、車道を歩くことにもなるし、木々の間を抜けるような美しい景観は少ないし、ぬかるんだ道も多かったし、転げそうになったときも何回かあった(これはたまたまそういう時期に歩いた僕が悪いんだけど)。またこの山に歩きにいきたいかと問われると躊躇ってしまう自分がいる。でも、軽いドキドキ感や冒険めいた感情は湧いたし、歩ききったあとの達成感も少なからずあった。それにバスから眺める海岸の景色は美しかった。充実した一日であったことはまちがいない。そしてそういう日は、そうあるものではない。

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吾輩は猫背である。

吾輩は猫背である。名前はまだ無い、わけがない。
どこで生れたかとんと見当はつく。広島である。何でも薄暗い病院でオギャーオギャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩の背中はこの時から立派に丸まっていたのだろう。

吾輩の事を知っている人間が見れば遠目で見ても認識できるであろう。なぜなら背中が折れ曲がっているからである。炬燵で寝ている猫のように。

吾輩は猫背だと自覚したのは小学5年生の運動会のときだ。行進の練習中に担任の先生に姿勢の事をこっぴどく指導された。しかし一向に背中の丸まり具合が治らない僕を見かねて、やがて先生は折れた。もしこの時先生の愛の鉄槌により強制的に姿勢を正されていたら、今の丸まった吾輩はいなかったと思う。

あるとき、このままではいけない、と一念発起した。「猫背が治る」という種の本を何冊か買って熟読したり、テレビで猫背の矯正法番組をやっていたら録画して正座(の気分)で見入ったり、本腰を入れて治そうとしたことがある。でも、猫背矯正法の効果があるのは一時的なもので、気がつけば秋の枯れ葉のように吾輩の上半身は折れ曲がっていた。

歩行中、窓ガラスに写る自分の姿を見ると姿勢の悪さを嘆いてしまう。これはみっともないと背中を張ってみるが、歩行を再開すると、また元に戻ってしまう。どうしようもない。

美しくなるために人間の世界にはお化粧というものがあるが、姿勢を正す事もお化粧だ、と断じても問題なかろう。直線に張った背中は、それだけで丸まっている人間を輝かせる。それはわかっているのだが、年季の入った猫背はこびりついた錆のように治らない。困ったものである。

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魂が共鳴してしまった喫茶店。【トンボロ】

お店の根っこにある魂とじぶんの根っこにある魂が共鳴するような、とても居心地のいい喫茶店に出会ってしまった。神楽坂の路地裏にある「トンボロ」という喫茶店です。

戸を開けた瞬間から「トンボロ」が僕のお気に入り喫茶店リストに入るまで時間はいらなかった。窓から射し込む薄暗い光、武骨だけど温もりを感じるウッドテーブルとウッドチェア、やさしさに包まれた音楽……と、入店してまもなくお店を形づくるいろんなものが愛おしくなっていた。

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カウンターの席に腰を下ろし、Bブレンド(コクと苦味)とトースト(サラダ付き)を頼んだ。ご主人は慣れた手つきでコーヒーを淹れる準備とトーストとサラダの調理にとりかかる。ボッ、とガスコンロの火をつける音がする。袋から食パンを取り出してグサッ、グサッ、とカットし、タッタッタッタッと野菜を小気味好く刻んでいく。静かな店内にゴゴゴゴと豆を挽く粗い音が響く。フシュー! と、やかんの注ぎ口から湯気が吹く。ボーーン、という低音が響き渡る。おや、この音はなんだろうと思ったら、それは午後1時半を告げる時計の音だった。重厚な響きである。軽井沢の奥地に建つ別荘にかけられている古時計のような音だ。気持ちのいい時間が流れていく。僕は分厚い本を開き、物語の世界に入っていった。それからどれくらいの時間がたっただろう。夢中になって本のつづきを読んでいるとコーヒーとトーストが運ばれてきた。いつもなら本を閉じると物語から覚めてしまうところだけど、店内の空気がそうさせるのだろうか、物語の残滓は僕のまわりに消えることなく飛んでいた。

トーストとサラダは綺麗に盛り付けられていた。19世紀の画家が描いた絵のような美しさがあった。フォークを手に取り、まずサラダをいただいてみると抜群にうまい。手を抜いていない味だと思った。慎重に積み木を重ねるようにひとつひとつの工程を丁寧につくっている味がする。サラダを注文すると、くたびれたシャツみたいな覇気のないヨレヨレになった野菜が出てくるときがあるけど、こちらのサラダはそうではありません。クリーニングで仕立てたばかりのピンとはった食感がある。シャキッとしたうまさがある。つづいてこんがり焼けたトーストを食べる。厚みがあり、歯ごたえもあり、優雅な味であった。トーストに添えられているいちごジャムも上品なテイストで、トーストにつけていっしょに頬張るとさらに上等な味になった。コーヒーもあたりまえのようにうまい。提供されたどの品も心血を注いでつくられていると感じた。

コーヒーとトーストを合わせて1050円。平日のランチとしてはいささか予算オーバーだったけど、そのぶんだけの心地よさと、おいしいコーヒーとトースト(とサラダ)を提供してくれるので目くじらをたてることはいっさいない。そこで流れている時間を含め、幸せを味わえるご馳走であった。平日の昼がまるで日曜日の昼下がりのようなまろやかな時間になっていた。ただひとつ、喫茶店トンボロに欠点があるとすれば、いちど入ってしまうと出たくなくなってしまうことだ。

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僕らはみんな夜景の点灯員。

うちに帰ってまずすることは、お風呂に入ることよりも、ごはんを食べることよりも、音楽をかけることよりも先に明かりをつけることである。電気をつけないことには部屋の中をまともに歩けないし、なにをするにも暗闇のままだと困ってしまう。それこそまちがえて猫の尻尾でも踏んでしまったらたいへんだ。ンギャー!と叫びながら部屋中を駆け回り、嵐が過ぎ去ったごとくものが散乱した部屋に様変わりしてしまう。まあ、とにかく平穏な夜をおくるために明かりをつけるんですが、それは同時に夜景をつくる一助にもなっていると思うのである。

もちろんこれはじぶんの部屋の明かりにかぎったことではなくて、車を走らせるときにつけるライトも、道を照らすための街灯も、オフィスに居残って作業するための蛍光灯も、みんな夜景をつくる一助になっている。

展望台とか、東京タワーとか、飛行機から夜の東京の街を眺めると、ひとつひとつの小さな明かりが星のように輝きだして息を呑むほど美しい夜景をつくってしまう。目の前で見たら、なんの感興も湧かない明かりも、はるか上空の位置から見ると、人の気持ちを高揚させたり、感動させる明かりに変わる。

明かりをつけることは夜景をつくることとつながっている。部屋の明かりをポチッとつけることは誰かのための夜景を演出していることでもあるのだ。だから、夜の世界に明かりを灯す僕らはみんな夜景の点灯員でもあると思うのです。

あるときは誰かの人生の記憶に残る夜景をつくり、あるときはじぶんの人生の記憶に残る夜景をつくってもらう。もちつもたれつ夜景の世界。今宵もひと押しいたすかな。

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おじさんにナンパされたときの話。

電車で知らないおじさんにナンパされたことがある。

僕よりだいぶ年配のNさんと一緒に帰っていたときのことだ。Nさんは会社の上司でもなく、学校の先輩でもない。お昼時によく出かける定食屋の常連のひとりでそこで知り合った間柄である。ふだんは寡黙だが、時折口にだす言葉はおもしろく、それでいてダンディーな方である。孤独のグルメの演者が松重豊からNさんに変わっても僕は違和感なく受け入れることができるだろう。おちゃめでおもしろくてかっこいい方である。が、今回お話するのはそのNさんのことではない。

その日の夜、定食屋の常連による飲み会があった。みんな会社も性別も年齢もばらばらの「ランチの常連である」という一点のみが共通項のメンバー構成だ。が、ふしぎと仲はよく気があうようで、たびたび飲み会が行われていた。その日も飲めや歌えやでひととおり盛り上がってから解散した。Nさんと僕は帰り道の路線が同じこともあり、一緒の電車に乗って帰ることになった。

事件が起きたのは、その車内でのことだ。

Nさんは東京の中目黒で育った。
お酒も入っていたせいもあるのだろう。Nさんは昔を懐かしむように「中目黒は今みたいな街ではなかったんですよ」と吊り革につかまりながら酔いどれ口調で話をされていた。すると、そのときである。僕たちの目の前に座っていた男性が、一瞬の空いたすき間を狙って割り込んでくる車のように話しかけてきた。

「昔はよかったんだけどさ。今はすっかりオシャレになっちゃってダメだね」

その言葉はまちがいなく僕ら二人に目がけて飛んできたものだった。見ると背広を着た50代と思しき方が僕らのほうを向いている。顔を上げたときに黒縁のメガネがキラリと光る。とつぜんの出来事に僕ら二人がとまどい驚いていると、

「ごめんね、どうしてもナカメの話が気になっちゃって。中目黒は赤提灯の町だったんだよ」

と、ひるむことなくつづけて話しかけてきた。そのあとは吊り革に全体重をあずけるようによれかかる僕ら二人と席に座るおじさんという奇妙な三角関係ができあがり、会話は途切れることなく進行していった。話を聞いていると、どうやらこの方も生まれたときから中目黒に住む生粋の中目黒人で、昨今のオシャレスポットと化した中目黒を嘆いている一人であった。それからといういうもの、Nさんとおじさんのナカメトークならぬ地元トークに花が咲く。僕は比較的だまって聞いている。周りから見れば上司と部下の関係なんだろうという光景である。だが、三人とも会社は別だし、座っているおじさんに限っては名前も知らない。

終点の中目黒駅に着いたとき 「お兄ちゃん、このあと飲みに行くかい? 中目黒のほんとうのいい店を紹介するよ」とおじさんに誘われた。その日のイベントはひととおりこなして精根尽き果てていたし、しかも、知らないおじさんに声をかけられても着いていってはダメよ、と母に口すっぱく言われて育った僕は困ったぞと哀願の目をNさんに投げかけると、Nさんは「僕は妻が待っていますんで。じゃ」とそそくさと隣のホームにきた東横線に乗っていってしまった。

まあ、こんなことも人生でそうそうないことだし、何かに導かれた縁かもしれない、ということで腹を決めて名前も知らないおじさんに着いていくことにした。運命の赤い糸ではないことだけは祈っておいた。

一件目に連れていってもらったのは中目黒駅から徒歩3分くらいの歴史の古そうな居酒屋である。外観からはいかにも昭和時代から営業している様子が見てとれた。おじさんに促されるままお店に入った。

僕はお酒が好きではなく、飲みの席ではウーロン茶かジンジャーエールのどちらかしか頼まない人間で「ビールでいいよね?」と上司に言わても「ウーロン茶でお願いします」というめんどくさい性質を持っているんだけれど、このときばかりはおじさんが「ビール二つ」と言っても断ることはできなかった。数年ぶりにビールを味わった夜は、名前も知らないおじさんと過ごした夜だった。峰不二子とカクテルで乾杯する一夜なら喜んで飲むんだけれど、現実はそう甘くできているものではない。

そのときにしたおじさんとの会話はほとんど覚えていない。とにかく仕事のことを話したことだけは覚えている。現在の仕事のこと、キャリアのこと、悩みといったことなど、上司や同僚、友だちにさえ話さないようなことをおじさんにはすべてを打ち明けるように吐き出していた。名前も知らない間柄だからこそ、なんでも言えた。

久しぶりの酔いどれ気分に浸りながら、居酒屋を出たあとは寿司屋に連れていってもらった。「月に1回くらいは来るかな」とおじさんは言っていた。カウンターに座るなり、おじさんの寿司講義がはじまった。このときのいくつかの会話はまだ覚えている。

「かんぴょうは、<巻き>じゃなくて<握り>がうめえんだよ」
「うにはすだれにかぎるね。うにっつったら、ふつう海苔で巻くでしょ? そうじゃねんだよ。すだれね、す・だ・れ」
「ここの大将が考案したんですか?」と僕。
「ちがうよ。俺が考えてマスターに頼んだんだよ。 ね、マスター? 発想だよ、発想。わかる? 発想だよ」

おじさんは寿司屋の職人を大将ではなくマスターと呼ぶ。
そして口グセのように「発想だよ、発想」という言葉を繰り返していた。

「どうだ、ここの中トロのサシ、うめえだろ。発想だよ、発想。わかる? 発想だよ」
「おいしいっす。めちゃめちゃうまいっす。発想すごいっす」

と、なんだかわけのわからない寿司講義を受け、たくさんご馳走になった。

寿司屋を出るとおじさんと別れのときがきた。
「たぶん次すれちがっても、忘れていると思うけどごめんねー!」 と意気揚々におじさんは家族の待つ自宅に帰っていった。 僕もタクシーを呼んで自宅に帰った。

けっきょく、おじさんの名前を知ることはなかったし、連絡先も交換しなかった。何かが始まる前に僕らは別れたのだ。でも、それできっとよかったのである。

出会いと別れをいちどに経験することになったこの日の夜。
おじさんと過ごした時間は人生のタイムラインでみれば流れ星のようにほんの一瞬の出来事だった。 でも、それはまるで北極星のように煌々とした出来事でかんたんには忘れられない時間になった。 こういうおもしろいおじさんも住んでいる中目黒。街の住民の人間くささを知り、前より、中目黒のことがちょっと好きになった。 たった一人でも、街の印象は変えられるんだということを知った。

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