魂が共鳴してしまった喫茶店。【トンボロ】

お店の根っこにある魂とじぶんの根っこにある魂が共鳴するような、とても居心地のいい喫茶店に出会ってしまった。神楽坂の路地裏にある「トンボロ」という喫茶店です。

戸を開けた瞬間から「トンボロ」が僕のお気に入り喫茶店リストに入るまで時間はいらなかった。窓から射し込む薄暗い光、武骨だけど温もりを感じるウッドテーブルとウッドチェア、やさしさに包まれた音楽……と、入店してまもなくお店を形づくるいろんなものが愛おしくなっていた。

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カウンターの席に腰を下ろし、Bブレンド(コクと苦味)とトースト(サラダ付き)を頼んだ。ご主人は慣れた手つきでコーヒーを淹れる準備とトーストとサラダの調理にとりかかる。ボッ、とガスコンロの火をつける音がする。袋から食パンを取り出してグサッ、グサッ、とカットし、タッタッタッタッと野菜を小気味好く刻んでいく。静かな店内にゴゴゴゴと豆を挽く粗い音が響く。フシュー! と、やかんの注ぎ口から湯気が吹く。ボーーン、という低音が響き渡る。おや、この音はなんだろうと思ったら、それは午後1時半を告げる時計の音だった。重厚な響きである。軽井沢の奥地に建つ別荘にかけられている古時計のような音だ。気持ちのいい時間が流れていく。僕は分厚い本を開き、物語の世界に入っていった。それからどれくらいの時間がたっただろう。夢中になって本のつづきを読んでいるとコーヒーとトーストが運ばれてきた。いつもなら本を閉じると物語から覚めてしまうところだけど、店内の空気がそうさせるのだろうか、物語の残滓は僕のまわりに消えることなく飛んでいた。

トーストとサラダは綺麗に盛り付けられていた。19世紀の画家が描いた絵のような美しさがあった。フォークを手に取り、まずサラダをいただいてみると抜群にうまい。手を抜いていない味だと思った。慎重に積み木を重ねるようにひとつひとつの工程を丁寧につくっている味がする。サラダを注文すると、くたびれたシャツみたいな覇気のないヨレヨレになった野菜が出てくるときがあるけど、こちらのサラダはそうではありません。クリーニングで仕立てたばかりのピンとはった食感がある。シャキッとしたうまさがある。つづいてこんがり焼けたトーストを食べる。厚みがあり、歯ごたえもあり、優雅な味であった。トーストに添えられているいちごジャムも上品なテイストで、トーストにつけていっしょに頬張るとさらに上等な味になった。コーヒーもあたりまえのようにうまい。提供されたどの品も心血を注いでつくられていると感じた。

コーヒーとトーストを合わせて1050円。平日のランチとしてはいささか予算オーバーだったけど、そのぶんだけの心地よさと、おいしいコーヒーとトースト(とサラダ)を提供してくれるので目くじらをたてることはいっさいない。そこで流れている時間を含め、幸せを味わえるご馳走であった。平日の昼がまるで日曜日の昼下がりのようなまろやかな時間になっていた。ただひとつ、喫茶店トンボロに欠点があるとすれば、いちど入ってしまうと出たくなくなってしまうことだ。

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