ハロウィンの日に現れた女神。

 ハロウィンがやってくると、僕は毎年、数年前に起こった出来事を思い出す。
 無数の人がコスチュームを着て、ぞろぞろと街を練り歩く日の夜、僕は仲のいい友だちと六本木のクラブに行った。ふだんからクラブ通いをしていたわけではないんだけど、ハロウィンという、ちょっと浮世離れする日に、浮世離れなことをしてみたいと思ったのかもしれない。僕たちは意気揚々とクラブに乗り込み、酒を飲み、音楽に合わせて、慣れない所作でダンスをしていた。
 フロアには、キャラクターに扮したコスプレイヤーがわんさかいた。ゾンビ、お化け、ナース、魔女の宅急便のキキ、ナウシカ、コンビニ店員、孫悟空、ルフィ、ゾロ、ナミと数え始めたらキリがないほど、各々、仮装し、ハロウィンの夜を楽しんでいた。
 「そのコスプレ、似合ってるね」とかなんとか言いながら、その空間にいる人たちと、会話を重ね、僕たちも非日常的な夜を楽しんでいた。
 突然、年恰好が同じくらいの男性陣に声をかけられ、「ショットガンを飲まないか?」と誘われた。大して酒に強くない僕は、いつもなら断っていたはずだ。でも、この日は、非日常の雰囲気にのまれたのか、二つ返事で「OK」と言った。僕と友だちを含め、ぜんぶで5人くらいいたと思うけど、みんなでショットグラスを手に持ち、一気に飲み干した。胃にカーッとくる。意味もなく「イエーーイ!」なんて叫び、5人のテンションが上がった。そして、二杯目を飲んだ。ふたたび「ウィーース!」とか「ホオオオ!」とか、よくわからない言葉を発し、ボルテージが上がっていた。そして、三杯目を飲んだ。
 そのあとのことは覚えていない。映像をぶつっとカットするように、このときの時間だけ、すっぽり記憶から抜け落ちている。
 気がついたら、クラブの一室のソファーで背中を丸めるように座っていた。ひどく気持ちが悪い。頭がクラクラする。意識が朦朧としている。周囲の惨状から、どうやら僕は大量に嘔吐したようである。そして、誰かに背中をさすってもらっているようだ。友だちかなと思ったけれど、彼は僕の前方に座っている。それに手の感触がやわからく、どうやら女性らしいという想像がついた。僕の意識が戻ったことを確認したのか、背中をさすっている人が「大丈夫?」と聞いてきた。声色から、はっきりと女性だということがわかった。僕は声を絞るように「大丈夫です」と言った。ほんとは大丈夫じゃないんだけれど、名前も知らない女性に、これ以上、世話になることはできない。そう言うしかないだろう。でも、彼女は、そのあとも僕のそばから離れずに背中をさすってくれた。彼女からすれば、素性も知らない酔いつぶれたゲロ吐き男の世話をしているわけだ。なんて慈悲深い心を持っている方だろう。僕は、こういう人を女神と呼ぶのかもしれないと思った。
 クラブの営業が終わる夜明けまで、僕はソファーに座ってうなだれていた。彼女も、そばで、僕をずっと看病してくれていた。
 毎年、僕は、ハロウィンがやってくると、あの日の女神を思い出す。