好きな食べ物はなんですか。

 「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれることがある。おそらく会話の沈黙を埋めるための質問で大した意味はない。まあ時候のあいさつのようなものである。でも、僕は自分でも馬鹿だなあと思いつつ、好きな食べ物について腕を組んで真剣に考えこんでしまう。この手の質問をされるたびに、一拍おいて、答えを出そうとする。うーん、僕の好きな食べ物はなんだろう? いくつかの食べ物が浮かんでくる。寿司、パスタ、ハンバーグ、カツ丼、焼肉、すき焼き、マカロニサラダ、ぶりの照り焼き、鮭の塩焼き、コロッケパン…。これらの好物をつらつらと答えてもいいのかもしれないけど、おそらく質問の意図としては、「『一番』好きなものは何?」という意味が含まれているはずで、そうなると僕はすっかり考えこんでしまう。少なくとも即答はできない。それでも、何度か聞かれるうちに、なんとなく「カツ丼です」と答えることが多くなった。でも、いつもこの答えを口にするときに「ほんとうに僕はカツ丼がいちばん好きなのかな?」と自問自答していることが多かった。好きは好きだけど、自信を持って「一番」好きとは断言できないもやもやした気持ちを抱いていたのだ。

 好きといいつも、いちばん好きかどうかはわからない。そういう気持ちわかりませんか? わからないですか。すみません。たとえば「パンケーキが大好き」と思っていても、ピンキリのレベルでいうとキリに近い好きの可能性も拭えない、と感じたことはありませんか。「どちらかといえば私は苺パフェの方が好き」と内なる声を発している事実に目を背けたりはしていませんか。していないですか。すみません。僕はカツ丼に対して、そう思うところが多かれ少なかれあって、ピン寄りの好きなのか、キリ寄りの好きなのか、はっきりとわからないところがあった。もっと心から愛する食べ物があるんじゃないかと自分を疑っていた。同じように寿司も、ハンバーグも好きだしね。

 ところが、僕はカツ丼のことがとくべつに好きなんだと明確に認識した瞬間がありました。ある平日の昼間にカツ丼を食べに行ったときのこと。その日は、朝から無性にカツ丼が食べたくなって、昼の休憩と同時に、一目散に馴染みのカツ丼屋に駆けつけた。だからと言ってカツ丼が好きと結論づけたい訳ではありません。寿司だって、ハンバーグだって、パスタだって無性に食べたくなるときはある。 
 
 その瞬間がやってきたのは、カツ丼をほとんど食べ終えたときのことだった。最後の一切れのカツを目にしたとき、僕は奇妙な感情に襲われた。どんぶりの中にポツンと佇んだカツを見て、ひどく切なく感じてしまったんです。ああ、あと一口でカツ丼とお別れしなければならない。まだまだ、食べていたい。もっとカツ丼とのラプソディーを歌っていたい。まるで楽しい一日を過ごした恋人との別れを惜しむようにカツ丼に対して切ない感情を覚えてしまったんです。そのときに、なるほど、こういう惜別な感情が芽生えるということはやっぱり僕はカツ丼が好きなんだ、とはっきりと自覚しました。パスタや寿司やハンバーグなど、いろいろな食べ物でも試してみたけど同じような感情を覚えた料理はなかったと思う。やはり僕にとってカツ丼は特別な存在だったようだ。

 「好きな食べ物は何ですか?」という質問に対して、なんとなく口にしていた「カツ丼」という回答は間違っていなかった。これからは自信を持って答えていきますね。まあ、質問した人も、まさかそこまで真剣に考えた末の回答だとは思わないでしょうが。

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蕎麦屋のカツ丼がわりと好きです。