銭湯に行った。

 今日、というよりも、つい先ほど、近所の銭湯に行った。凍える寒さに湯船が恋しくなり、体を温めたかったのだ。それから、なんとなく、うじゃうじゃいろんなこと──主に仕事のこと──が頭を行き交う状態だったので、それをクリアにしたかった。そういうときに、僕は銭湯に行く。なんだろう、大浴場の湯船に浸かっていると、シンプルにものを考えられるようになるのです。風呂以外に何もない、それこそ服もないし、当たり前だけど、スマホもないし、そういう裸の状態が思考に良い影響を与えるのかもしれない。

 外はひどく寒いし、今日は空いているだろうと、淡い期待と甘い考えを持ちながら、暖簾をくぐると下駄箱のほとんどが使用されていた。つまり、先客で埋まっていた。あらま。

 脱衣所に向かうと、猿山の密集地のように人がいる。ひょっとしたら、いつもよりも、多い気がした。なんちゅう時間に来てしまったんだ。人気の少ない湯船に、静かに浸かろうと思っていたら、人口密度の激しい風呂だったのだ。今日は人が少ないだろうと一人が思ったら、たぶん、同時に何十人も思い浮かべているということです。その中から行動に移す人も何十人もいるのだ。考えることは、みな、だいたい一緒である。
 
 うちを出る前に行くか行かないか悩んだけれど、行かなきゃよかった、といささか悔恨しつつ、体を洗って風呂に入った。

 ところが、はぁ〜〜、ふぅ〜〜、と極楽湯のようないっぷくを味わって、さきほどの後悔は煙となって天井へと消えてゆき、やっぱり来てよかった、と自分の選択を自賛した。風見鶏のように、ころころと自分の考えは変わる。まあ、そういうものだ。人間という生き物は。

 湯船に浸かっている、大の男たちは、安らかな顔をしている。日々の戦いの、つかの間の休息だ。みな、来てよかったぜ、という顔をしている。ほんと、銭湯(温泉)のある国に生まれてよかった。

 銭湯を出た。外は変わらず冬の報せを運ぶように冷たい風が吹いている。行きの道は、この風が、僕の身を進撃し、荊棘の道へと変えていた。が、帰り道は、ぽっかぽかの体に、ちょうどいい心地よい風となっていた。もくもくと曇っていた頭の中も、行きの道より、晴れていた。