誕生日は、歳よりも周年。

 まもなく誕生日がやってくる。子どもの頃は嬉しかった誕生日も、さして嬉しいという感情が湧いてこない年齢に差し掛かってきました。人生の後半と呼ぶにはまだ早いけど、もう若いと言われる年齢ではないし、言動や格好を抜きにして年齢という数字だけを見れば大人の領域にずっぷりと足を踏み入れている年頃だ。口にしたくはないけれど、初期の中年というやつで、そうなるともう年齢が疎ましく、できることならもう一生歳をとらなくてもいいのになと思ったりする。若返りの薬を求める映画や小説があったりするけれど、そういう薬があったらほんとにほしいと思うようになってきた、ということも、僕の老化を示している心象だろう。

 昔、宝島社の、美輪明宏を起用した広告で「生年月日を捨てましょう」というキャッチコピーを打ち出したものがあった。当時は僕も若かったので、この新しい提案型のメッセージに対して、とくに思うところはなかったけれど、年齢を一つずつ積み重ねるごとに美輪明宏の広告が頭にフラッシュバックし、こういう姿勢で生きたいものだと思うようになった。

 生年月日を捨てるということは年齢に縛られずに生きるということだ。年齢という枠を意識すると、どうしてもその歳にふさわしい行動や態度を取らないといけないと思ってしまうし、周りからもそう思われてしまう。でも世の中を見渡すと、老年の方でも年齢を感じさせず、若くエネルギッシュに活動されている方もいる。そういう方たちは年齢なんて意識しないで、きっと、いくつになってもやりたいようにやっているのだろう。羨ましいマインドをお持ちである。ぼくも年齢を捨て去っているご先輩方を見習って、年齢を引き剥がしたいけど、頭の片隅に、鉄板についたおこげのようにこびりついてしまっている。

 ところで、年齢の単位は「歳」を用いるが、これも言い方を変えてみたらどうだろうかとふと思ったりする。ディズニーランドのようなテーマパークは「歳」ではなく、「周年」を使うし、企業の年齢も同じように「周年」を使用することが多い。50周年、100周年と呼称し、祝賀的な気分を引き起こしている。これが仮に「歳」だったらどうだろうか。「ディズニーランド35歳おめでとう!」ということになるわけだけど、どことなく中年の香りが立ってきますね。60周年のときは60歳。還暦です。老いたテーマパークの気配が漂ってくる。それよりもやっぱり「60周年おめでとう!」のほうがアニバーサリー的な心象を持ちやすい。

 この「周年」という単位を人間の年齢にも採用してもいいのではないか、と思ったりするのだが、いかがでしょうか。35歳ではなく35周年。60歳ではなく60周年。単位を変えるだけで誕生日に対して前向きな気持ちになれると思うんだけど、いささかポップすぎて、けしからん、という反対運動が起きてしまうのかしらん。