おいらはカエル。

ゲコゲコ。おいらはアズマヒキガエル。
名前はない。ニンゲンたちはカエルって呼ぶ。
おお、またおいらの魅力に釣られてニンゲンがやってきた。

この小さな立方体の空間に連れてこられてから二年ほど経っている。
多摩川のほとりの茂みで遊んでいたら、
ニンゲンに捕まえられてここに運ばれた。

それからおいらの日常は一変した。
草むら生活から箱庭生活だ。
どちらの生活がいいかって? 難しい質問だな。
今は毎日決まっておいらの好物のダンゴムシを届けてくれるし、
ヘビやサギに襲われることもない。
いささか窮屈すぎることを除けば、わりに気に入ってる。ゲコ。

こら、少年。ガラスを叩くな。うるさいだろ。
「ぜんぜん動かないね」って当たり前だろ。
おいらたちは夜行性なんだ。
太陽が西に傾く時間は寝ている時間なの。
キミタチニンゲンとは生活時間が真逆なんだ。
だからできるだけ静かにしておくれ。
寝顔を見られるのは恥ずかしいけど、もう慣れた。
好きなだけ見ていいよ。
それに仕事だと思えば仕方ない。
これでメシを食ってるわけだからな。

「パパやママと離れ離れになっちゃったのかな?」
おい、少年。それは禁句だ。会いたくなるだろ。
父ちゃん、母ちゃん、心配しているだろうなあ。
おいらはなんとか元気でやってるよ。

今はニンゲンがおいらたちの世話をしてくれている。
ごはんを用意してくれるし、友達も連れてきてくれた。
悪くない生活だ。ちょっと窮屈だけどな。
平穏の代償だ。それは理解したよ。

「カエルさん、動いた〜!」
ふっ。おいらが二、三歩動いただけで、この大歓声よ。
気分は悪くないぜ。でもそろそろ眠いんだ少年。寝かせてくれ。

「あ、動いた〜!」
ん? おいらは歩いてない…あ、友よ!
抜け駆けはダメだって話あったはずだぜ。
お前が先に仕掛けたんだろって、そうだったな。すまん。
だが、少年の目線を独り占めさせるわけにはいかないっ!

「見てみて! もう一匹も動いたよ〜!!」
「でも、ぴょんぴょん跳ねないんだね」

少年、それはダンゴムシを積まないとできない頼みだぜ。

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NBA JAPAN GAMES 観戦記

 何を隠そう(べつに隠してはないんですが)、僕はバスケ好きである。中学、高校、大学と僕の学生生活はバスケとともにあった。だから、バスケットの世界最高峰のリーグであるNBAは、あらゆるスポーツの中でいちばん好きなスポーツです。シーズン中は、うちに帰るとNBAのハイライト動画を見ながら、夕飯を食べることが日課で、その時間がささやかな幸せだったりする。

 このあいだ、NBA JAPAN GAMESという、NBAのプレシーズンの試合(プロ野球のオープン戦みたいなもの)を観に行ってきた。平日だったけれど、この日は仕事を休むと前から決めていて、どんな用事よりも優先する予定として僕のスケジュールに組まれていた。

 10月8日。会場はさいたまスーパーアリーナ。「ヒューストン・ロケッツ」と「トロント・ラプターズ」の対戦。ご存じないかと思いますが、ロケッツは「ジェームズ・ハーデン」と「ラッセル・ウェストブルック」というNBA屈指のスーパースターが所属しているチームである。ウェストブルックは、今シーズンからロケッツに移籍してきた選手で、しかも、ケガを負っていたので、この日の出場は不透明だったんだけど、スターターの発表が会場で行われ、彼の名前がコールされた時は、大歓声が沸き起こった。ハーデンとウェストブルックの競演(いささか大げさに言えば、メッシとC・ロナウドが同じチームにいるような感じ)を自分の目で見られることに少なくない興奮を覚えた。

 観客の大歓声とともに試合がスタート。のっけから両チームとも華麗なプレーを魅せてくれる。シュートが決まるたびに、客席から「おおおお」という歓声が沸き起こり、とてもいい雰囲気で試合が展開される。さらに、ロケッツの(というよりもNBAの)スーパースター、ジェームズ・ハーデンが観客を煽り、彼の十八番であるステップバックシュート(後ろにステップを踏み、ディフェンスを躱しながら打つシュート)を決める。そして再び起こる大歓声。この日は、気持ちいいほどにシュートがポンポンとリズムよく決まり、爽快だった。世界最高峰の選手のプレーは、極上のエンターテインメントを観覧しているようだ。

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黒のユニフォームの13番が、ハーデン

  NBAプレイヤーのプレーは見逃すことができない。バスケットは攻守の入れ替わりがとてもスピーディーで、どんどんシュートを放つ。一瞬でも目を離すと、スーパープレーを見逃し、観客の歓声だけを聞くことになってしまう。そういう事態がしょっちゅう起こるので、たとえばスマートフォンを見たりすることなんでできない。

 プレシーズンの試合ということもあり、しかも遠路はるばるやってきた日本という国で開催されていることもあり、スター選手は顔見せ程度でベンチに引っ込んでしまうのかなと思っていたら、それなりに長い時間プレーしてくれた。とくにラッセル・ウェストブルックは怪我明けということもあり、もしかしたら今日は出場しないかも? というようなニュースも飛び交っていた中、わりと長い時間、しかもハッスルプレーをしてくれてとても楽しむことができた。ウェストブルックという選手は、毎試合、「今日が人生で最後の試合」というくらい命を削ってプレーをするスター選手で、いちどこの目で見てみたいと思っていた選手だったから、ぞんぶんに目に焼き付けることができて、僕の心は終始踊っていた。

 それからNBAは、ほんとうに観客のことを意識していて、飽きさせない工夫が随所に見られた。タイムアウトやハーフタイムでプレーが止まるときに、いろんなミニイベントが始まる。スーパーダンクショーを開催したり、チアリーダーによるダンスショーが始まったり、各チームのマスコットキャラによるショーが行われたり、たくさんのTシャツを観客席に投げ込むショーが行われたり、観客がついスマホを取り出して別のことをし始めてしまうような空白の時間をまったく作らせない。そういう姿勢がとてもすごいなと思った。

 そしてやはり映像で見るのとはひと味違いますね。いつもパソコンの画面で、NBAプレイヤーたちのプレーを楽しんでいたけれど、なにごともそうだと思いますが、自分の目で見るNBAは華麗で、激しくて、ショーで、豪快で、至高だった。ああ、僕はやっぱりNBAが好きだなあと思いました。

 今週から、2019-2020のシーズンが開幕しました。また、NBAとともに過ごせる楽しい夜が始まります。

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「おおお!」という歓声がなんども起きていました

 

静謐を買う。秘湯・中房温泉。

山の夜は、真冬の雪夜のように静謐です。僕は今、長野の山奥にある温泉旅館にいます。縁側の椅子に腰掛け、静かな、それでいて、良質な時間を過ごしています。

北アルプスの燕岳の登山口にある「中房温泉」という温泉旅館。東京から電車とバスを約4時間ほど乗り継いで、この山深い谷間に構える温泉地にたどり着きました。中房温泉は、いわゆる秘湯と呼ばれる温泉で、素晴らしい泉質を持つ名湯として知られています。それもそのはず、旅館にある14の湯(14もある!)は、すべて源泉かけ流し。しかも、100パーセントだそうです。加水、加温、循環、着色、塩素の使用は一切せず、敷地内から湧き出る90度の湯を空冷、あるいは水冷で、冷やしているだけです。何も足さず、何も引かず、山と時(とき)がつくりだした湯の美味をそのまま味わえる秘湯の宿です。

開湯は江戸時代の1821年。約200年も前から、営業をつづけています。歴史の長さを証明するように文化財に登録されている古い建物もあり、その日本の原風景を感じさせる建物は、秘湯の地に一層の風情をもたらしています。

内湯と外湯合わせて14カ所もある温泉は、その一つひとつに見どころがあり、とてもユニーク(湯ニーク?)です。ロケーションのいい湯、風流ある内風呂、隠れ湯のような湯、秘湯感をはっきりと感じさせる湯など、ぜんぶ巡ってみたいところですが、とても一日では回りきれません。バラエティ豊かな湯と、その数の多さから、「温泉ランド」の印象を持つ人が多く存在するのも頷けます。

ビュッフェで食材をつまむように、温泉をこんなにハシゴしたのは初めてかも知れません。以前、草津温泉に旅したときも、湯巡りのようなことをしましたが、あれは温泉街という巨大なエリアを巡るものです。ところが、中房温泉では、一つの温泉宿で、いろんな湯を楽しめます。敷地もそれほど広くはないですし、道の途中で食べ物やショッピングなど、寄り道をする場所もありません。純粋に温泉というものだけを求めて湯巡りできます。

温泉好きにとって、なかなかどうして夢のような温泉地ですが、しかし、もしあなたが温泉に対してそこまで恋心を持っていないのであれば、あまりお勧めはできません。温泉の他には、ほんとうに何もありませんから。少し歩けばコンビニがあるよう場所ではないし、観光もできません(燕岳はありますが、「観光」と軽々しく呼べる場所ではない)。歩いても歩いても、山しかありません。

だから、僕は、中房温泉の最大の魅力は、有無を言わさず、温泉だと思っていました。実際に浸かってみても、素晴らしい泉質だと思いましたし、肌はつるつるになりました。いろんな湯をたっぷりと味わい、身も心もほぐれる体験をしました。

ところが、旅館の部屋に戻り、縁側に腰掛けていると、その悠々自適な時間がとても心地よく、ある種の多幸感を感じてしまいました。人間(と一般化していいかはわかりませんが)というのは不思議ですね。何かを与えられている時間よりも、何も与えられなかった時間の方が、豊かだと思ってしまうことがあります。

網戸の外から、自然が奏でる音楽が流れてきます。川のせせらぎ、湧き水(湯)の流れる音、虫の音、風と山の息吹。宿の縁側は自然の演奏会の会場のようです。そして、涼しい風が肌を通り抜ける。絢爛豪華な贅沢もあれば、飾り立てないからこそ味わえる贅沢もある。僕は、この宿の縁側で過ごす時間をひどく気に入ってしまいました。

車の音は聞こえない。バイクの音も聞こえない。人の声も聞こえない。人工的な音がしない。自然によってつくられる静けさしかない。旅館、それも秘湯に泊まるということは、こういう静謐な時間を買うことなんだ。秘湯の宿の魅力は、温泉だけではないのである。

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日常に読点を打つようなお寺。鎌倉の妙本寺。

「鎌倉の『妙本寺』というお寺が好きなんです」と打ち明けてくれたのは会社の同僚だった。なんでも駅近のわりには、人が少なく、とても落ち着けるいい場所だと彼は言う。失礼ながら、僕はそのお寺の存在を一切知らなかった。これまで何度か鎌倉に訪れ、その度に、鎌倉周辺のスポットをリサーチしたけれど、その名前に出会うことはなかったと思う(もしかしたら、読み飛ばしていただけかもしれないですが)。写真を見せてもらうと、なかなか雰囲気のあるお寺で興味が湧いたし、同僚の言う「隠れ家的お寺」という推薦文も、心に引っかかった。久々に鎌倉に出かけてみたい気持ちもあったし、これは一度行ってみてもいいかもしれない、と思い、僕は暇そうにしている友人を誘って鎌倉に向かうことにした。

台風一過の日曜日。歩いているだけで汗が滝のように落ちる日に僕と友だちは鎌倉駅に降り立った。強烈な太陽の光に目を細め、それと同時に強い日差しが肌に突き刺さってくる。蝉もようやく自分たちの季節が来たと言わんばかりに豪快に鳴きはじめていた。ミーンミーンミーン。

夏本番の高温に対抗するように扇子を猛スピードで仰ぎながら、妙本寺に向かっていると徒歩で10分もたたないうちに到着。ほんとうに近い。そして、同僚から聞いていた通り、一大観光地の主要駅からわりと近いスポットなのに人影は見当たらない。

一礼して山門をくぐる。紫陽花はすでに枯れていたが、木々の葉は、これからが本番というように深く色づいている。至るところに繁茂する樹木のおかげで、参道は日陰に包まれ、日差しの強い今日のような日でも、森林浴みたいに歩くことができた。

手水舎で身を清め、お堂でお参りをする。境内の中心に移っても、相変わらず、しんとしている。外国人のカップルと中年の男性の3人しかいない。このお寺なら、手を合わせて仏様に語りかけても、ちゃんと自分の声が届きそうです。閑散としているので後ろに並ぶ人のことも気にせず、ゆっくりとお願いをすることができる。

本堂の廊下では、中年の男性が向拝柱に背をもたせかけ、心地よさそうにうとうとと眠っていた。緑に囲まれた静かなお寺の廊下で、誰に邪魔されることなく、心おきなくうたた寝をする。それは、鎌倉の離れで懐石料理をいただくような、とても贅沢な行為である気がした。

森林を抜けた先に隠れ家のようなお寺を構え、参拝客を静かに迎え入れる。そして、忙しない日常に緩やかな空気を運んでくれる場所。それが、僕の感じた妙法寺というお寺だった。

観光名所のように観光客を喜ばすような見どころはないかもしれないが、しかし、境内には凪の時間が悠久の時のように回流し、その空間に足を踏み入れると、自分自身にも穏やかな凪の時間が流れ込みます。ものすごいスピードで通り過ぎる日々に、ちょっと待ちなさい、と読点を打つように。それは、ときに必要な時間だと僕は思う。

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妙本寺の祖師堂

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肩を寄せ合い、話し込んでいた外国人観光客

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男性は祖師堂の廊下で気持ちよさそうにうたた寝していた

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緑の息吹を感じながら、妙本寺を後にした

 

これは見事な景色だ。蛭ヶ岳登山(丹沢主稜縦走)

2019/5/5〜5/6
1日目:西丹沢ビジターセンター〜檜洞丸頂〜臼ヶ岳頂〜蛭ヶ岳頂〜蛭ヶ岳山荘(泊)
2日目:蛭ヶ岳山荘〜丹沢山頂〜塔ノ岳頂〜大倉BS

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3月の中頃、山好きの友人から、「ゴールデンウィークにご来光を拝む登山を計画しています」という連絡をもらったとき、僕は四の五の言わず、「行きます」と返事をした。その瞬間から、この日が待ち遠しく、とても長く感じた。とても長く。

物理的な時間性もその要因の一つだけど、それよりもやはり、ほぼほぼ仕事漬けの毎日にひどく堪えてしまっていたのだ。僕は、その期間、仕事という糠(ぬか)に骨の髄まで漬かってしまい、体をぎゅっと絞っても、仕事の成分しか出てこないような日々を過ごしていた。

蛭ヶ岳を登る日までに低い山に登って肩慣らしをしておこうと思ったんだけど、そういう時間を取ることさえも難しかった。こんどの休日に山に行こうと思っても、いざ当日を迎えると体が動き出そうとしないのである。貴重なオフの時間に山登りをするよりは部屋でゴロゴロしたり、青空の下のベンチで冷たいミルクを嗜んでいたい。いささかマゾ気質のある僕でも、仕事漬けの合間のひとときに登山に行くという行為からは距離を置かざるを得なかった。

というわけで、今回の蛭ヶ岳山行は今年に入ってはじめての登山です。標高差で言えば軽く1000m以上はある山で、山行のすべてのアップダウンの高低差を含めれば、2000mはあるかもしれない。ぶっつけ本番で大丈夫だろうか? 膝は持つだろうか? いくつもの不安が僕の頭を駆け巡る。おそらく、入念な準備をせずにフルマラソンを走るようなものだから。でも、それよりも、ようやく山に行けること、山で二日過ごせること、仕事の糠から山の糠にどっぷり漬かれることに嬉々を覚え、その日がやってくることにささやかな喜びを感じずにはいられなかった。絶頂の登山旅か、絶望の登山旅か、果たしてどのような山旅が待っているのだろう。

◯ 5/5 5:00 家を出る。
玄関を開けると五月初旬の晴れ晴れとした青空が広がっていた。今年のゴールデンウィークはあまりぱっとしない天気が多かったから、天候の不安を少し感じていたけど、どうやら問題なさそうでひと安心。とりあえず、東京の天気はいい。でも、問題は山の天気なんだよなあ。昨日の夜、丹沢は嵐や雷が酷かったらしいという情報を耳にしていた。今日は天気が崩れないといいんだけれど。

山に行くたびに思うことですが、早朝の電車は静けさと賑やかさが同居した独特の世界で構成されていますね。わいわいと話しつづける人がいれば、首をもたげながら眠っている人もいる。僕の乗った場所はどちらかといえば寝台列車のような静かな車両だったけれど、一方で、声を大にして話しているグループも一部いて、「下北沢は今日で最後! 俺、宮城でがんばるから!」と仲間に叫んでいる若者がいた。早朝の電車には、エネルギーのすべてを出し尽くした人もいれば、こういうまだまだ元気もりもりのエネルギッシュな人いる。

丹沢の山は久しぶりで、たぶん3年くらい前にヤビツ峠から塔ノ岳を登ったとき以来だった。そのときは体力的にはへっちゃらだったけど膝がやられた。「足が棒になる」という比喩はほんとうで膝が思うように曲がらなくなったことを今でも鮮明に覚えている。足を曲げようとすると意志を持ったように膝が強制的に伸ばしにくるのだ。両足をギプスで固定されたみたいに曲がらない。ほんの一瞬、「下山できないかもしれない」と本気で思った。

この登山で、階段を一段飛ばしするように大股でほいほいと登ってはいけないということを学んだ。序盤はよくても、中盤以降に必ず膝にダメージが来ることを身をもって知った。以来、登山時の心がけとして、大股で闊歩して先を急ぐような無茶はせず、小刻みにゆっくりと登ることを大事にしている。認めたくないが、自分は健脚ではない。やわい脚なのだ。

今回の山行は、足が棒になった塔ノ岳の登山よりも長いし、標高差も激しい。だから、膝のご機嫌をとることを第一に休み休みゆっくりと登ろうと思う。目的地の蛭ヶ岳は丹沢の奥地にあり、そこまで行くと、下山しようと思っても、ロングトレイルになってしまう。つまりエスケープルートはないようなものでほんとうに膝には気をつけないといけない。

そういう不安を抱えながら、1000m以上の高低差のある登山をする。いったい俺は何を馬鹿なことをしようとしているのだろう、とふと思う。眠い中、わざわざ体を起こして、重い荷物を背負って、膝に爆弾を抱えながら山に登るとは、なんて愚かなことをするんだろう。でも、と、もう一人の僕が囁く。それは、それだけの値打ちが山の旅の先にあるからなのだ。ないかもしれないけど。

小田急線の町田駅を過ぎたあたりから、ポツポツと登山者の姿が見えはじめる。そして、車窓に丹沢の山容が映りはじめる。これから、あの山々の奥に向かうのだと思うと軽く身震いが起こる。北アルプスのような峻険な山ではないが、ガレ場や痩せ尾根を歩く予定だし、多少の危険を伴う山行でもあるから。

◯ 7:04 新松田駅
山を登る格好をした乗客がごそっと駅のホームに降り、そのまま、登山口のある西丹沢ビジターセンター行きのバスに待つ列に並んだ。僕はここで友人と落ち合い、バスを待って乗り込んだ。車内はすみずみまでハイカーだらけ。

目的地に近づくにつれ、車道は山間に入り、道は狭くなる。ところどころで一車線になり、対向車線から来た車とすれ違うときは当然だけど、すれすれ。都市の一般道なら、そこまで緊張することもないかもしれないが、山の道の場合、片側は崖になっているので、少しでも車輪が車道からはみ出たらそのまま横転してしまう。そういう道でも運転手さんは大きな車体を巧みにハンドリングし、何事もないように進んでいく。

思うんですが、こういう山間の難しい道を走る運転手さんと都内のバスを走る運転手さんの給料事情はどうなっているんだろう。やはり、乗客の多い(売上が多い)都心部の方がそれなりにいいのだろうか。運転技術的には、山の運転手さんも、それなりに高いものを求められるだろうから、スキルに見合った対価として都心部に負けないくらいいただいてもいいような気がする(じっさいはあまり変わらないのかもしれないし、その実態はぜんぜん知りません)。という余計なお世話を考えながら、登山口までの道中を過ごす。

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西丹沢ビジターセンター

◯ 8:43 西丹沢ビジターセンター出発
四方八方、山に囲まれた西丹沢ビジターセンターに到着。これも、山に行くと、いつも思うことですが、バスから降りて山の麓の空気に触れたとき、「眠い目をこすってやってきてよかったな」と晴れやかな気分になります。朝早くから山にいるだけでなんとも言えない爽快な気持ちになります。しばらくここで呆けていたいけど、とはいえ、スタートラインで快感に浸って時間をロスするのはもったいないので、トイレを済まして、登山届けを出して、準備体操をして、早々に本日の目的地である蛭ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめる。標準的なコースタイム通りに歩ければ、おそらく、15、16時くらいには山頂に着くはずだ。それより遅くならないといいなあ、と思いながら歩いているとまもなくキャンプ場が出現して、たくさんのキャンパーがテントを張っていた。みんなゴールデンウィークの締めを自然の中で過ごそうとしているのですね。その気持ち、とてもわかります。

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河原にはキャンパーがたくさんいた

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「熊出没」の看板とともに登山スタート

車道から登山道に入ったとたん、それまでのゆるやかな坂道とはがらりと変わり、傾斜の強い登り坂がはじまる。「ようこそおいでなすった。この山はやさしくないぞ」という山からのメッセージみたいだ。そういうことならこっちも望むところよ、と息巻いてびゅんびゅん飛ばしては相手の思うツボだ。それで僕は一度失敗している。あとあと足にダメージを負うことは知っているので、山からの挑戦状は、やんわりと受け取り、小股で、ちょぼちょぼと登りはじめる。スタートからラクをさせてくれない山だぜ、こんちくしょう。でも、そのうちだんだんと緩やかな傾斜になり、歩きやすいなだらか道に変わった。西丹沢の山は登山者を試すように、試練を与えたあとで、ようやく僕らを歓迎してくれた。

◯ 9:30 ゴーラ沢
ゴーラ沢に到着。おびただしい数の岩石の間をちゅるちゅると耳ざわりのいいせせらぎの音を立てながら、澄んだ水が流れてゆく。「ゴーラ」という名前の由来は知らないけど、濁点のつく名前とは思えないほど、山と水と岩に織り成された清らかな場所である。ここで、ちょっとばかり休憩。体を屈めて川に触れる。水はひんやり冷たい。女神が頬を撫でるようなやさしい風が身体を通り過ぎる。とてもきもちのいい五月の朝だ。こういう場所を自然の恵みと呼ぶのかもしれない。

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ゴーラ沢で10分ほど休憩。風も緑も水もあり、気持ちのいい場所です。

しばらくここに留まりたい気持ちもあったけど、そういうわけにもいかないので後ろ髪を引かれる思いでまた歩きはじめる。まだまだ道中長いのだ。のんびりしていると日が暮れてしまうし、日没までには蛭ヶ岳の山頂にいないと身の危険に及んでしまう。ふつうの旅とちがって、登山の旅にはタイムリミットがあるのです。だから、登る前の計画も、登山中の計画もとても重要なのです。

ゴーラ沢を抜けると、アップダウンの繰り返しになる。登って下っての繰り返し。こういうとき、つくづく何もない平坦な道がいちばん歩きやすいなあと思います。登りと下りは、どちらだろうがやさしい道ではありません。それなりにしんどいし、それなりに汗をかくし、それなりに苦しい。とはいえ、ふしぎなことに平らな道よりも、楽しいときもあったりします。とくに登りにおいては、苦しいんだけど、苦しいんだけど、つまらなくないときがある。とくに振り返ったときに見える景色がよくなっていくと。

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振り返ると、広大な景色が見える

山道というのは未踏の道ではない。この日も僕らと一緒に歩いている人たちはいたし、過去にも登っている人はいるし、これからも足を踏み入れる人はいるだろう。でも、そんなに大勢の人が歩くような道ではない。新宿駅の一日のように何十万の人が歩く道ではない。あまり歩く人がいない道というのは、なんかいいじゃないですか。

登山口の西丹沢ビジターセンターから一つ目の山の檜洞丸までの標高差は1000m以上あるので、当然のことながら、その高さを登り切らないといけない。足に用心しながら登っていても、さすがに1000mの高低差を登りつづけていると、少しずつ、着実に、膝にダメージが溜まっていく。山が牙をゆっくりと見せはじめる。しかしながら、そんな牙を見せながらも、穏やかな風が吹き、鳥はやさしく鳴いている。そのコントラストは、山の天国性と地獄性の両立を感じさせてくれる一端だと思う。

そして、丹沢山塊でよく見かける木の階段の登場。僕はこれが苦手です。強制的に足を上げなきゃいけないので膝に負担がくるのです。乳酸が溜まるというやつなのかな。先までつづく階段を見るとげんなりしてしまう。階段はやめてぜんぶエスカレーターならいいのに、と身も蓋もない悪態を吐きはじめる。

標高1500mを超えたあたりから、涼しさがぐんと増し、生い茂っていた樹木は枯れ木に姿を変え、冬の様相に変わりはじめる。山の上と山の下では世界は異なる。この場所では、まだ冬のおわりなのだ。

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丹沢名物?の木の階段。けっこうしんどいです。

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冬の様相を見せる山頂付近。山は春も冬も同居している。

◯ 11:50 檜洞丸頂
最初の目的地である檜洞丸の山頂に到着。わりと順調なペースで登っている。そんなに疲れてはいないし、急登や木製階段にちょっとやられはしたけれど、足もまだまだ大丈夫。悲鳴はあげていない。山頂は、広々としていて眺望も悪くない。僕らよりも早く登頂した人もわりといて、景色を見たり、談笑をしながら、ご飯を頬張っていた。みんなこのあとどこに進むのだろう。僕らも、ここで昼食をとる。おにぎりとサンドイッチで燃料補給。

ここまでやって来ると、先に進むことも、引き返すことも一筋縄ではいかない。どちらに進むにせよ、それなりに歩いて登って降らなければならない。山に入るというのはそういうことである。泣き言を言って「ここから逃れたい」と思っても、どこでもドアがない限り、やすやすと元の世界に戻れる道はないのである。そして、「逃れるすべがない」と明確に意識すると妙な覚悟が生まれる。この気持ちは、山に入らないとなかなか味わえない。

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檜洞丸山頂。広々としていてゆっくりお昼を取れる

◯ 12:30 檜洞丸頂 出発
40分くらい体を休め、山頂をあとにする。ほとんどの人はここから西丹沢ビジターセンターに折り返すか、別のルートを取るようだ。僕らと同じように蛭ヶ岳に向かう人は誰もいなかった。人のにぎわいはとんと消え、静かになった。そして、前方には本日のゴール地点である蛭ヶ岳がいよいよ姿を現した。あの頂までこれから歩くのだ。緩んだ帯をギュッと締め直す。天候も問題なさそうだ。視界良好、いざ出発。

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左側に見える、ちょこんととんがっている山が蛭ヶ岳。

まず、檜洞丸の山頂から一気に300mほど降る。とかんたんに書いていますが、ただ降るといっても、それなりに体に負荷はかかる道程です。高さ300mというと、ひとたび都市に目を移せば、この数字は超高層ビル並みの高さ(パッとインターネットで調べたら、大阪の「あべのハルカス」が300mで60階建みたいです)で、その最上階から階段で一気に降ると思ってみてください。ちょっと嫌になりますよね。それと同じようなことを、このときも、階段を降りるように急勾配をストンストンと直下に降ってゆく。

蛭ヶ岳は丹沢最高峰の山なので、当然ながら降りた分だけまた登らなければならない。つまり、単純にいえば、あべのハルカスの60階から1階まで降りて、また1階から60階まで登らなければならないということです。その繰り返しが登山なのである。登山と関わりのない人から見れば、そんなアホらしいことをようやるわ、と思われるかもしれないですが、山好きの人(とくにロングハイカー)はおおむね頭のネジが一本飛んでいるのでそんな悪行も悪態をつきながら、えほえほと登ってゆきます。

さらに、試練はそれだけではありません。一気に300m降りられれば「まだ」いいのですが、そうは問屋が卸さない。山と山の間のいちばん低い「鞍部」と呼ばれる場所にたどり着く前にこんどは急登が登場するのだ。一直線に降るのではなく、波線のように、下って登って下って登ってを繰り返しながら、鞍部に向かうのです。まるでジェットコースターのように。

なかなか手強い山である。口笛を吹いていたら山頂でした、という理想的な道はどこにもない。現実は過酷だ。人生と似ています。

◯ 14:05 臼ヶ岳頂
ごっそりと体力を削られながら、臼ヶ岳の山頂に到着。蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳といった丹沢のオールスターが一望できる場所でとても眺めがいい。ここまでくれば蛭ヶ岳の山頂までもうひと踏ん張り。次に休憩するときは蛭ヶ岳の山頂に着いているはずだ。膝よ、それまで持ってくれ。

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蛭ヶ岳までもう一息。

間近に迫った蛭ヶ岳は、遠くから目にしたときよりも遥かに高く、無骨な男のように厳格に聳えている。つぶさに観察していると山頂の近くで高度を一気にあげる一帯がある。このまま引き返すのであれば、その一帯も対岸の火事ですむのだけれど、僕らはその場所を登らないといけない。ほんとに手強い山である。僕はほんとにあの場所を登れるのだろうかと心の中でビビりはじめていた。そして、その不安は的中するように、ここから蛭ヶ岳の山頂までの道のりはひどく苦しい道のりだった。

はじめはよかった。痩せ尾根など、金タマがヒュンとする道もあるにはあるけれど、ビビり係数でいえば、それほど極端に上がる場所ではない。

問題は突如として現れた鎖場からだった。この鎖場から、道は崖のフチに変わり、辛さも、恐怖感も、ぐっと上がった。足を踏み外したら、「かなりマズイぞ」と誰もが感じる場所を一歩一歩慎重に登る。登山道は安全性を向上させるために鎖が用意されている。その鎖を片手でつかみながら登るのだけど、ときどき、鎖のない道もあって、そうなるともう恐怖感から何かにつかまりたくて近くに生えている低木を鎖代わりにつかもうとする。でも、そうはさせないぞ、と試練を与えるように低木の枝はトゲトゲだらけでつかめなくなっている。

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過酷な道がスタート

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ひどく高度感を感じる場所で鎖場がつづく

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しかし、振り返ると美しい景色がある

高所恐怖症の僕が「なぜこんなところに来るんだ」となんども自問自答した。この場からなんども「脱出したい」と思った。この恐怖からはやく逃れたくて、山頂(1673m)までどれくらいだろうとiPhoneのGPSアプリで高度を確認したら、1450mと表示されている。かなり登ったと思ったけれど山頂までまだ200m以上もあるの!? と愕然とする。

山頂まで残りやっと100mをきったころ、右足の腿がつる。いや、正確にはいえば、つってはないんですが、つる前兆のような感覚を覚える。うまく足が運ばないのだ。おいおい、勘弁してくれよ、こんな崖縁でつらないでくれよと心は涙目になってくる。

鎖場から山頂までの道のりはドランゴンボールのカリン塔を登るような恐怖感と同じ類いのものではないかと思ってしまった。大げさすぎる表現かもしれないですが、高所恐怖症の僕にとってそれくらいの恐怖感を覚える場所だった。悟空はひどく高度感のある場所(しかも足を置く場所も不安定!)をすいすい登るけど、僕はあんなふうに軽やかには登れない。

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ここまで来ればもうすぐ

◯ 15:40 蛭ヶ岳頂
しかし、登っていれば必ず目的地に着くもので山荘が見えた時の安堵感は凄まじいものがあった。ほんとにホッとしました。それから、少し落ちついて、山頂からあたりを見渡すと見事な絶景に息を呑みました。これは、苦労して来る価値ある場所だ。山荘を中心に東側は都心の街並みを眼下に収め、西側は富士山や南アルプスの山々が見え、北側はいくつもの山が連なった山容があり、南側は、丹沢の山々と箱根の街と太平洋が広がっていた。絶景のフルコースのような贅沢な山頂だった。

富士山は、無骨で峻険で、男っぽく(雪化粧の美しい感じはない)、シンプルにかっこよかった。今まで目にした美しい富士山の姿とは似つかないもので口数の少ない侍のような男らしさがあった。これはホレる。富士山は、冬は女性の姿をし、夏は男の姿をする山なのかもしれない。富士山にかかる陰影も見事で、日本の真ん中にどんと聳えていた。

そしてやはり景色が抜群。これを見るために、がんばって登ってきた甲斐があったと言い切れます。ほんとうにいい景色だった。雄大な山々、富士山、首都圏の街並み。写真ではなかなか伝わらないのが悔しい。これは自分の目で見ないといけない景色だと思った。

僕と同じように景色をじっと眺めている人がいた。ご飯と睡眠は体力を回復させてくれる。絶景は気力や精神力を回復させてくれる。

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丹沢最高峰「蛭ヶ岳」に登頂

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富士山が聳え立つ西側の景色

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関東平野を望む東側の景色

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山々が連なる北側の景色

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気持ち良さそうな丹沢稜線が見える南側の景色

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宿泊する「蛭ヶ岳山荘」

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山荘のはしご階段を上がった屋根裏部屋が僕らの寝床だった。どうでもいいことですが、山荘内で一番高いこの場所こそ、神奈川最高峰なんじゃないかと思った。

◯ 17:40 蛭ヶ岳山荘 夕食
山荘で夕飯をいただく。メニューは蛭ヶ岳カレーとお惣菜の数々。ルーのおかわりはできないとのことだけど、ご飯はおかわり自由だった。僕はおかわりもいただいてたらふく食べました。

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ご飯のお代わりができる蛭ヶ岳カレー

そして、食べおわるころ、ちょうど日が落ちる時間になり外に出る。でも、日の沈む西側の眺望地点に出向いた瞬間、落胆してしまった。ガスっていたのだ。これでは夕日を拝めそうにない。それでもわずかな希望を胸に、何人ものハイカーがその場所で待機している。みんな心の中で、「晴れろ」と祈っていたの違いない。僕もその一人だ。

そのみんなの願いが通じたのか、まさにちょうど日没のタイミングで、雲がはけ、富士山と夕日が綺麗に見えた。とても素晴らしい景色だ。みんなの顔も晴れ晴れとしている。心のアルバムに記録される景色の一つだった。なぜ山に登るのか? という永遠の問いに対する答えの一つですよね、山頂からの素晴らしい景色は。

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ひどくガスってしまい、何も見えず。みんな一縷の望みをかけて晴れ間を待っていた。

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その願いが通じたのか、徐々に雲が消えていく。

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赤く染まる幻想的な景色が現れた。 (丹沢はキャンプ場以外テント禁止なので、左手のテントは片付けられました)

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みんなもこの瞬間を待っていた。

小屋に戻ると、こんどは山荘のご主人による丹沢プレゼンがはじまった。四季によって移り変わる丹沢の美しい姿を写真を通して僕ら宿泊者に紹介してくれた。春も、夏も、秋も、冬も、それぞれに見所があり、「とくに夏はどっと減りますが、丹沢はいつ来てもいいところです」とアピールしていた。それから、「昨日は大雨に雷で20名くらいキャンセルが出たんです。今日の人は晴れて運が良かったですね。夕日も夜景も見れそうで」と話していた。そうなのだ、本当にこの景色が見れて幸運だった。

そし明日の天気予報についての話がおわったと下山の話になり、「蛭ヶ岳はどのルートを選んでも、下り始めの傾斜は厳しいです」ということだった。僕はそれにだいぶビビってしまった。明日は丹沢山方面につづくルート(登りとは別のルート)を進む予定だけど、また登りの時のような恐怖ルートを進まなければいけないのだろうか、と思って心配になってきた。うぐぐぐぐぐ。

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日が暮れると、山荘のご主人による丹沢プレゼンが始まった。

すっかりと日が沈み、暗闇に覆われると僕らは外に出て東京の夜景を目に納めた。オレンジ色の光沢が、ダイヤを床にばらまいたようにキラキラと光り、とても美しい景色だった。僕はジャケットを羽織り、フードをかぶってしばらく眺めていた。見上げると星が輝いている。夕景といい、夜景といいい、この日、このとき、この場所にいられて、幸せだと思った。

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関東平野に近い山だからこそ望める、綺麗な夜景。

山荘は20時消灯。でも僕が眠りについたのはたぶん0時過ぎでした。それまでは目を瞑っていたけれど、なかなか寝つけなかった。どこでも眠れるということが僕の特技の一つかと思っていたのですが、どうやら違うようである。あらら。まあ、先に寝ている人のイビキがすごかったせいもあるかもしれないが。それから風の音もすごかった。けたたましくビュンビュン吹いていた。気のせいでなければ、そんな風の叫び声が聞こえる真夜中の0時過ぎに山荘を出発した人もいた。そんな時間からどこに向かうのだろう? 人には人の目的と計画があるのですね。

◯ 5/6 5:51 蛭ヶ岳山荘出発
山荘の朝は早く、4時には明かりがつき、みんなゾロゾロと起き始める。ご来光を目当てにみんな起きるのだ。気温は5度。僕も厚着をして外に出ようと思ったら、みんな小屋の中でガヤガヤしている。どうやらガスってしまい、まったく何も見えないようなのだ。確かに窓の外は、一面ガスだらけで、雲の他には何も見えない。まあ、仕方ない。夕景も夜景も朝日も、はじめからぜんぶ見えてしまったらおもしろくないですもんね。山荘のご主人によると、まだ、夜景に覆われた都会の街に向こう側から日が昇ってくると言っていた。夜と朝の同居である。それはなかなか珍しい光景だ。正直いえば、見たかったなあ。

朝食をいただいて、準備をし、丹沢山に向かって出発した。丹沢の見どころの一つである丹沢山につづく長い稜線だ。本来なら、ここもまた見事な眺望ゾーンのはずなんだけど、ガスっていたため、まったく見えず、ひたすら雲の中を歩くことに。ちょっと、いや、けっこう落胆してしまった。昨日がドラマチックに良すぎたために。まあでも、あたりがまったくが見えない分、高度からくる恐怖感は薄らいだかもしれない。

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日の出を期待して、朝起きたら、こんな悲しい状態で肩を落とす。

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本来なら、気持ちのいい稜線歩きができるはずだったんだけど、この天候で周りが全く見えず。

◯ 7:10 丹沢山頂
途中、晴れ間が見えたりしたので、そのうち晴れるかなあと期待していたけれど、結局晴れず。丹沢山の山頂についても、その傾向は変わらず、眺望は一切なし。まあ、晴れていたとしても、蛭ヶ岳が大差をつけて勝負ありだったような気がする。丹沢山は日本百名山だけど、どうなんだろうね。

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丹沢山頂に着いても、天候は変わる気配を見せず、曇ったまま。

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丹沢山を超えてからはハイキングコースのような、なだらかな道がつづく。

◯ 8:20 塔ノ岳頂
丹沢山からは、ほぼ平坦&下りのルートでけっこう楽チンでした。あいかわらずガスっていて道中の見どころもないので、すいすい進む。とくに難所もないし、晴れていたら、気持ちのいいコースなんだろうなあと思った。そしてあっという間に塔ノ岳に到着。ところが、塔ノ岳の山頂はひどく寒かった。ものすごい強風が山頂を襲い、座って休むことすらままならなかった。しかも、まったく晴れ間なし。今日は朝から天候には恵まれないようだ。というよりも、昨日の蛭ヶ岳がラッキーだったのかもしれない。

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ガス以上に、風がすごかった塔ノ岳山頂。

塔ノ岳からバス停のある大倉までは林道をひたすら降りる。同じような景色の連続で、飽きがくる。退屈な道だ。登るのも、ひどく辛そう。塔ノ岳から大倉まで距離にして7km。けっこうしんどい。景色は変わらずガスっているせいで見えないし、しいて楽しい道を挙げるとすれば、時々登場する木々に挟まれた平坦な道くらい。ここは平和的でいい感じだが、とくに語るような道はない。

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下山中、鹿に遭遇。

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ひたすら下りつづける、大倉尾根(通称バカ尾根)。

◯ 11:20 大倉BS
無事に下山。おつかれさまでした。よく働いてくれた、俺の手足。思い返せば、なかなか刺激のある登山だった。体力は削られるし、足はつりそうになるし、膝はガクガクになるし、気力も滅入るし、ヤなことを上げればキリがないかもしれない。それでも、蛭ヶ岳の山頂は、そんな数々のつらさを吹き飛ばすほどの絶景だった。また見に行きたいと思える景色の一つだったと思う。

◯ 東海大学前駅 秦野天然温泉 さざんか
この二日間でたまった汗や汚れを綺麗に洗い流す。広々としたスペースのわりに、お客さんの数は少なく、とても快適な温泉でした。人口密度の低い温泉って、それだけでいうことありません。丹沢帰りの温泉でいうと、鶴巻温泉駅にある「弘法の里湯」が人気だと思いますが、あそこはわんさか人が押し寄せて、ゆっくり浸かれないところが難点でした。その点、「さざんか」は人が少なく、疲れを癒すには最高の温泉だったと思います。

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登山の汚れや疲れをどっと落とすことができた天然温泉「さざんか」

蛭ヶ岳の急登では、「もう山なんて行きたくない!」と決心めいたものを意識してしまうほど、身も心も恐怖に打ちのめされる体験をした。その場から一刻も早く逃れたかったし、なぜこのルートを選択したのか、後悔もたくさんした。甘く見ていた自分を叱りたかった。しかし、自然から離れ、都会のコンクリートジャングルの中に戻ると、また山に行きたくなってしまっている。やはり頭のネジが一本外れているのかもしれない。さあ、次はどの山に行こうかな。

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辛い時もあったけど、それを軽く吹き飛ばしてしまうくらい、見事な景色がある山でした。

STARBUCKS RESERVE® ROASTERY TOKYOに行く。

日曜日の朝。部屋の掃除をしていると友人から「中目黒にできたスタバ行かない?」というラインが届いた。先月末にオープンした「スターバックスリザーブロースタリートーキョー」のことだろう。僕は迷った。スターバックスに対して強い思い入れはないし、その新しい店舗に対しても、興味を持っていなかったからだ。が、かといって掃除以外にすることもなかったので、これも何かの縁と捉え「いいよ」と返事をした。

一足先に現地に着いてみると整理券が必要だということが判明する。で、スタッフの方に尋ねると「一人一枚しか配れません。お連れさまの分を発券することはできません」と無情な言葉を告げられ(インターネットで大抵の情報は事前に得られるこの時代に下調べを全くしなかった自分がいけなかった)、仕方がないので僕は友人が着くまで待つことにした。

それからしばらくして意気揚々とやってきた友人と合流し、整理券を発券する。レシートのような長い整理券には4ケタの番号とQRコードが記されている。さっそくiPhoneを取り出し、QRコードを読み取ってみると「905組待ち」と表示された。ビックリの数字である。もし整理券がなかったら目黒川の沿道は待ち列で埋め尽くされていたかもしれない。いったいどれくらい待たないといけないのだろう、と絶望にも似た気持ちがよぎり、スタッフの方に再び尋ねると「あと3時間くらいですかね…」と自信なさげに教えてくれた。そりゃあ、いくらスタッフといえど待ち組の数から正確な待ち時間がわかるわけがない。難儀な質問である。僕らはお礼を言ってお店を後にした。

それから世田谷公園まで徒歩で30分くらいかけて移動して僕らは昼下がりの日曜日を過ごすことにした。噴水広場のベンチに腰を下ろして、僕は移動販売者で買ったオムそばを食べ、友人は肉汁たっぷりのケバブを旨そうに頬張っている。人混みで賑わっていたスターバックスリザーブロースタリートーキョー(それにしても長い店舗名ですね)とは違い、のんびりとした午後である。噴水の周囲はじつにさまざまな人がそれぞれの休日を楽しんでいた。小さな子どもたちはお菓子を地面にばら撒き、それにつられて飛んでくる鳩の集団を嬉々として追いかけ回している。隣のベンチでは空の下で気持ちよさそうに眠りの世界を楽しんでいるおじいさんがいる。芝生の上ではパパとママと娘の三人家族が手作りのお弁当を笑顔で召し上がっている。天は今にも雨が降り出しそうな重々しい空模様だったがのどかな風景が目の前では繰り広げられていた。とくに面白い出来事や感動的な風景があるわけではないけれど、こういう午後もなかなか素敵だと思う。

公園で間怠るく過ごしながら、残りの組数をチェックしていると、時間が経つにつれ、着実にその数は減っていき、ぴったり3時間くらい経つと自分たちの番がきた。スタッフの方の予想通りであった。さすがである。僕と友人はお餅を平べったく棒で伸ばしたような何も事が起きないのんびりとした午後に別れを告げ、タクシーを拾い、本日のメインイベントであるスターバックリザーブロースタリートーキョー(それにしても長い…以下略)に向かった。ちなみにタクシーの乗務員に「スターバックスリザーブロースタリーまでお願いします」と行き先を告げたら「え?」と、しどろもどろの反応をされたので「ドン・キホーテの方に向かっていただけますか」と言い直したら、「わかりました」と安心した表情でアクセルを踏んでくれた。話題のお店だからといっても知名度はまだまだドンキには及ばない。

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入店直後の風景。

店内に入ってまず心に浮かんだのは、いったいどこに向かえばいいんだろう? という疑問だった。ドリンクコーナーに並ぶ人がいれば、カウンター席に座る人もいる。かと思えば、コップや雑貨が売られているショップがあり、正面には機関車の顔のような形をした大きな焙煎機があって多くの客が見入っている。天井の方を見上げると細い管が各方面に伸びている。初めて訪れたディズニーランドのように首を縦に横に振っていると、店員さんが「まずはお席を確保してください。2階、3階、4階にもお席があります」と案内していたのでそれに従って僕らは階を上がった。移動中も立ち止まって眺めたくなる光景がいくつもあった。目に飛び込んでくるすべてが興味深く、子どものような好奇心が心に芽生えているのがわかる。あの大きな銅の筒はなんだろう? 天井に入り乱れている配管のような管はなんだろう? 出来立てのパンのいい香りがするなあ。豆の原産地のカードが貼られた美しい壁面があるぞ。そういうさまざまな疑問や誘惑をなんとか断ち切って先に僕らは席を確保した。3階のテラス席に眺めのいい席があった。 

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再び1階に戻り、ドリンクコーナーの列に並ぶ。手渡されたメニューを眺めても、初めて見るドリンクが多く、何が何だかよくわからなかったので、結局、店員さんに説明を受けた。ロースタリー店舗限定のドリンクなど、丁寧に色々と教えてもらったが僕のマイフェイバリットドリンクであるホットミルクは置いてないという事実にショックを受け、説明が頭に入ってこなかった。お姉さんが素敵な笑顔で細かく教えてくれたのに僕の意識は「ホットミルクがない」ことに終始していた。申し訳ありません。本件の非道は自分に非がある。そもそも、どのカフェに行ってもホットミルクを頼むような旧時代の人間が時代の先を走るカフェに行ってはいけないのである。

僕はメニュー表の説明に「ミルク」と印字された「アンダートウ(780円)」というドリンク(ロースタリー店舗限定)を注文した。たぶん、ホットミルクへの心残りがあったのだと思う。でも、エスプレッソとの二層だてという組み合わせは好奇心を掻き立てられたし、直接エスプレッソを頂くのとミルクの層と混ぜて頂く飲み方と、一杯で二度の楽しみ方があるのでなかなか悪くない選定じゃないかと我ながら思った。それになんといっても愛するミルクが飲めるし。ホットじゃないのが残念だけど。それからドリンクのお供には、友人が人気らしいと教えてくれた「プリンチーナ(650円)」というケーキを頼んだ。外見からしておいしそうな雰囲気が漂っている。お会計を済ませると、できあがるまで時間がかかるとのことで、ショッピングモールのフードコートで渡される呼び出しベルのようなものを受け取った。提供の用意ができたら、ベルが鳴るらしい。「それまでは店内でお待ちください」とレジのスタッフさんは言った。僕らに再び待ち時間がやってきた。

スターバックスというお店から僕がまっさきに連想するのは、コーヒーではなく、MacBookだ。ほとんどの店舗でリンゴのマークが刻印されたパソコンで作業している人を見かける。連想ゲームをしたらStarbucks → MacBookという想起は高い確率で起こるんじゃないかと推測する。が、しかし、ロースタリー店舗では日曜日の夕方という事情もあるせいか店内でMacBookを広げている人はほとんどいなかった(もちろん他メーカーのパソコンも)。1階から3階のフロアにかけては一人もいない。4階のフロアでポツポツとMacBookを広げた作業者を見かける程度であった(4階のフロアが一番作業向けのスペースのように思えた)。

それから店内でいちばん関心を持ったのは1階から4階まで縦に貫く、巨大な銅製の筒である。あれは何だろう? と気になっていた僕は近くにいた背の高いスマートな男性店員さんに伺った。すると「いい質問です」と男の僕もほれぼれするような笑顔でその店員さんは親切丁寧にロースタリー店舗のことを詳しく教えてくれた。

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「あの大きな筒の裏側には配管が配置されています。どのフロアからも裏側を見ることができるので後でご覧になってください。どうしてそのような構造になっているかと申しますと、焙煎直後は余分なガスが含まれているので、そのまま焙煎したての豆でコーヒーを淹れてもおいしくありません。なので、焙煎した豆を地下一階の貯蔵庫に運び、コーヒー豆に含まれる余分なガス抜きをするために一週間近く置いておきます。余分なガスが抜けた豆を今度は地下1階から、2階や3階のドリンクカウンターにドリンクの材料としてあの大きな配管を伝って送ります。銅色の細い管がありますよね? あれも同じ役割であの中を通って焙煎一週間後の豆をドリンクの材料として各フロアのドリンクコーナーに送るんです。まるで人間の血管のようですよね。4階のフロアに送られた豆はパッキングをしています。これまではパッキングは外国で行なっていましたが、このお店がオープンしてからは、ここから日本各地のスターバックスに配送しています。レギュラーラインナップの豆ではありませんが、単品の豆はこの場所で焙煎した豆を送っているんです。焙煎した豆をコーヒーにして提供するだけでなく、パッキングもする。ここは店舗でもあり、工場でもあるんですね。だから、店内を見て回ることは工場見学でもあるんですよ」

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焙煎機。ここで焙煎した豆を地下の貯蔵庫に一週間ほど置き、ガス抜きをする。

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地下の貯蔵庫で安置された焙煎豆を管を通して各フロアに送る。

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大きな筒の裏側。豆を送る配管が配置されている。各フロアから観覧可能。

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パッキングコーナー。仕上がった豆を全国各地のスターバックス店舗に配送する。

焙煎した豆は一週間ほど地下の貯蔵庫に安置しているのだそうだ。その豆の数は大量にあるらしい。残念ながらその様子を見ることはできません、と申し訳なさそうに店員さんは言う。話す口調はゆっくりで聞き取りやすく、そして何よりわかりやすい。自分たちもまだまだ勉強中なんですと謙遜していたが、僕らからしたら十分な知識量である。

「グレーの煙突のような長細い大きな筒はコーヒー豆を焙煎するときにすごい熱が発生しているので、そのまま中目黒の空に排出すると環境汚染につながってしまいます。なので、熱をダウンするフィルターとして空気清浄機のような役割を担っているんです」

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焙煎時の熱を冷まして外に排出。

中目黒に住む人々のことも考えられて店内は設計されているとのことだ。それから気になっていたエプロンについて尋ねてみる。緑でも黒でもないブラウン系のデニム生地のようなエプロンを身につけている。

「エプロンはロースタリー店舗専門ですね。とくにランクのようなものはありません。またフロアによっても異なります。たとえばパッキングコーナーのスタッフはワーキングブーツを履いています。あれはこのお店専用の靴なんです」

ロースタリー店舗で働くスタッフは黒エプロンのさらに上を行く選りすぐりの人選なのかなと思っていたけれど、どうやらそういうわけではないようである。ただ、この方の説明を受けても思ったが、まあ、優秀そうな方が多そうではある。最後に店員さんおすすめのコーヒーを聞いてみた。

「私が一番オススメするのは、『カスカラレモンサワー』というドリンクです。水出しコーヒーのエッセンスとレモンジュース、アクセントにメイプルのシロップをシェーカーで振ります。炭酸は入っていませんがジューシーでおいしいです。ロースタリー店舗限定のドリンクなので、ぜひ味わってみてください」

僕は安易に「アンダートウ」を頼んだことをいささか後悔した。まあ、また別の機会でのお楽しみである。これきりというわけではきっとないだろう。店員さん、色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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それから呼び出しベルのブザーが鳴り、ドリンクとケーキを受け取って席に戻った。まず、「アンダートウ」を頂く。上部はエスプレッソで下部はミルクのフロートカクテルのような二層構造のドリンクである。初めの口当たりの印象は当然ながらエスプレッソの苦味。それからだんだんとミルクが混ざった液体が僕の舌に侵入してくる。甘く麗しいお上品なお味である。とてもおいしいと思った。続いて「プリンチーナ」。こちらはまあ、チョコレートケーキである。それ以上でもそれ以下でもない。特別にうまいともまずいとも思わなかった。でも人気らしいので、僕の舌がおかしいのかもしれない。ちなみに僕はバカ舌です。繊細な味を繊細なセンサーで感じ取ることはできない。作ってくださったパティシエに申し訳ないと思っています。

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焙煎所も兼ねたスターバックスリザーブロースタリートーキョーは、コーヒーの香り漂う空間だろうと想像していたけれど、実際に中に入ってみるとそういう香りはほとんどせず、むしろ綺麗な空気が漂っていたように思う。観光地のような賑わいが至る所から感じられ、(訪れたことはないけれど)パリのカフェのような気品ある光景が出来上がり、その空間さえもおいしく味わうように人々は歓談している。

僕らは二時間以上、居座っていたがそれでもお店の一部分しか味わっていない。いい香りのする極上そうなパンが何種類も置かれていたし、コーヒーの種類だってまだたくさんある。それからカクテルメニューもあるそうだ。全部を見尽くしたわけではないし、味わい尽くしてもいない。何度でも楽しめる飽きさせないお店だと思うので、また機会があれば行ってみたいと思いました。でも、店舗のことを教えてくれた店員さん曰く「朝イチの時間帯を除けば、しばらくは気軽には入れないと思われます。平日の夜でさえも整理券を手に入れないと難しいかと…」と心苦しそうにおっしゃっていたので、賑わいが落ち着くのを心待ちにしています(果たしてその日は来るのだろうか)。

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シーソーゲーム 〜勇敢な”変”の歌〜

あれは確か僕が小学6年生の修学旅行のときのことだった。栃木の日光にバスで向かう途中、車内ではクラス全員でヒット曲を歌うカラオケ大会のようなイベントが催されていた。歌の選曲はサザンオールスターズ、Mr.Children、スピッツ、SMAP、globe、安室奈美恵と当時(現在でも)のヒットメーカーがずらりと並んだラインナップである。その有名アーティストの数々の名曲を叫ぶように僕たちは楽しく歌っていた。先生としても子どもたちに楽しんでもらう目的のほかにバスの時間を飽きさせず、好き勝手に騒がせない意図もあったと思う。その狙いは成功していた。夢中になって僕らは歌っている。ただ、いくら大ヒット曲とはいえ、んーんんー、と鼻唄にならず、どうして淀みなく歌えたのかというとみんなの手元に歌詞カードが配られていたからだ。それはクラスの子が手書きで作ったものだった(もちろん原本をコピーして配られた)。

事件はMr.Childrenの「シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~」が流れた時に起こる。ファンの方はご存知だと思いますが、タイトルに「恋」という文字が含まれていることからもわかる通り、この曲は歌詞に「恋」という言葉がたびたび出現する。そして僕たちに配られた歌詞は、「恋」という部分が押し並べて「変」になっていた。「勇敢な恋の歌」という部分は「勇敢な”変”の歌」という具合に。「恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」は「”変”なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」と書き換えられていた。もちろん意図的にではなく。

当時小学生だった僕たちは、この歌詞に湧いた。男の子も女の子も関係なく大声を出して笑った。「恋(変)」というフレーズが出てくるたびに車内が揺れるくらいの笑いが生まれた。大人になると大して面白くないことも小学生はそういう些細な間違いが大好物だ。僕も腹を抱えて笑っていた。それから「歌詞を書いたの誰だー?」と犯人探しのようなことが起き始めた。僕は窓際の席に座っていたTさんがうつむいて恥ずかしそうに顔を赤らめているのを見た。みんなが騒いでいる中、Tさんだけは早く曲が終わりますようにと祈るような顔で下を向いていた。彼女が書いたのだろう、とすぐにわかった。

彼女はみんなを笑わせたくてわざと間違えたわけではない。本当はみんなに歌ってほしくて、楽しんでほしくて、授業外の時間を使って、一所懸命に歌詞を書いたのだと思う。大人になった今ならわかることも、子どもの頃に、書いた人の気持ちを汲み取ることなんてできるわけがなく、車内中に響く笑いは切れ味の鋭いナイフとなって彼女の心を切り裂いた。みんなが笑うたびに彼女は傷ついていく。僕も笑っていたけれど、Tさんの姿を見ていたら、心から笑うことができなくなっていた。

小学校の頃の記憶なんて、流れる雲のようにどこかに消え去ってしまったが、これは何十年たっても忘れられない出来事です。僕はこの時、笑うことで人を傷つけることがあると学んだような気がします。