完璧な「横顔」は、存在するかもしれない。

今、都内のスターバックスでこの文章を書いている。資格の勉強をしている女性が僕の前方にいる。彼女の参考書から、資格について学んでいるということが推測できるのだ。何の資格か、具体的にはわからない。本のタイトルまではっきりと読み取ることはできない。

彼女は、ポニーテールの黒髪で、タートルネックの黒いセーターを羽織り、深緑のワイドパンツを履いている。

そしてなにより、とても美しい横顔を持つ女性だ。見惚れてはいけないと思いながら、つい目がいってしまう。美しい横顔の女性を思い浮かべていただきたい。その人が今、僕の目の前に座っている。

右手にペンを携え、参考書に何かを書き込んでいる。彼女は今、資格のことで頭がいっぱいだろう。僕は今、彼女のことでいっぱいだ。まさか彼女も、すぐ近くに自分のことを考えている野郎がいるとは思うまい。僕は気づかれないように無表情で、パソコンにカタカタとこの文章を打っている。

彼女の横顔はまるで夏の沖縄のビーチのようだ。ぼーっと眺めているだけで、なんだか心がとろけてゆく。完璧な顔というものは存在しないと思うけど、完璧な横顔というものは存在するのかもしれない。ふとそう思った。

彼女がスマホを取り出した。誰かにメッセージを送っているのだろうか。そのとき、僕のスマホに通知が来た。差出人が不明だ。ドキンドキンと胸の鼓動が早くなっていく。もしかしたら彼女からのメールかもしれない、と、ありえもしない妄想を僕はした。

メールを開いた。ただの迷惑メールだった。

目の前にいる彼女は、どこか嬉しそうな表情をしてスマホを見ていた。彼女を喜ばす男は、なんて幸せ者だろう。

STARBUCKS RESERVE® ROASTERY TOKYOに行く。

日曜日の朝。部屋の掃除をしていると友人から「中目黒にできたスタバ行かない?」というラインが届いた。先月末にオープンした「スターバックスリザーブロースタリートーキョー」のことだろう。僕は迷った。スターバックスに対して強い思い入れはないし、その新しい店舗に対しても、興味を持っていなかったからだ。が、かといって掃除以外にすることもなかったので、これも何かの縁と捉え「いいよ」と返事をした。

一足先に現地に着いてみると整理券が必要だということが判明する。で、スタッフの方に尋ねると「一人一枚しか配れません。お連れさまの分を発券することはできません」と無情な言葉を告げられ(インターネットで大抵の情報は事前に得られるこの時代に下調べを全くしなかった自分がいけなかった)、仕方がないので僕は友人が着くまで待つことにした。

それからしばらくして意気揚々とやってきた友人と合流し、整理券を発券する。レシートのような長い整理券には4ケタの番号とQRコードが記されている。さっそくiPhoneを取り出し、QRコードを読み取ってみると「905組待ち」と表示された。ビックリの数字である。もし整理券がなかったら目黒川の沿道は待ち列で埋め尽くされていたかもしれない。いったいどれくらい待たないといけないのだろう、と絶望にも似た気持ちがよぎり、スタッフの方に再び尋ねると「あと3時間くらいですかね…」と自信なさげに教えてくれた。そりゃあ、いくらスタッフといえど待ち組の数から正確な待ち時間がわかるわけがない。難儀な質問である。僕らはお礼を言ってお店を後にした。

それから世田谷公園まで徒歩で30分くらいかけて移動して僕らは昼下がりの日曜日を過ごすことにした。噴水広場のベンチに腰を下ろして、僕は移動販売者で買ったオムそばを食べ、友人は肉汁たっぷりのケバブを旨そうに頬張っている。人混みで賑わっていたスターバックスリザーブロースタリートーキョー(それにしても長い店舗名ですね)とは違い、のんびりとした午後である。噴水の周囲はじつにさまざまな人がそれぞれの休日を楽しんでいた。小さな子どもたちはお菓子を地面にばら撒き、それにつられて飛んでくる鳩の集団を嬉々として追いかけ回している。隣のベンチでは空の下で気持ちよさそうに眠りの世界を楽しんでいるおじいさんがいる。芝生の上ではパパとママと娘の三人家族が手作りのお弁当を笑顔で召し上がっている。天は今にも雨が降り出しそうな重々しい空模様だったがのどかな風景が目の前では繰り広げられていた。とくに面白い出来事や感動的な風景があるわけではないけれど、こういう午後もなかなか素敵だと思う。

公園で間怠るく過ごしながら、残りの組数をチェックしていると、時間が経つにつれ、着実にその数は減っていき、ぴったり3時間くらい経つと自分たちの番がきた。スタッフの方の予想通りであった。さすがである。僕と友人はお餅を平べったく棒で伸ばしたような何も事が起きないのんびりとした午後に別れを告げ、タクシーを拾い、本日のメインイベントであるスターバックリザーブロースタリートーキョー(それにしても長い…以下略)に向かった。ちなみにタクシーの乗務員に「スターバックスリザーブロースタリーまでお願いします」と行き先を告げたら「え?」と、しどろもどろの反応をされたので「ドン・キホーテの方に向かっていただけますか」と言い直したら、「わかりました」と安心した表情でアクセルを踏んでくれた。話題のお店だからといっても知名度はまだまだドンキには及ばない。

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入店直後の風景。

店内に入ってまず心に浮かんだのは、いったいどこに向かえばいいんだろう? という疑問だった。ドリンクコーナーに並ぶ人がいれば、カウンター席に座る人もいる。かと思えば、コップや雑貨が売られているショップがあり、正面には機関車の顔のような形をした大きな焙煎機があって多くの客が見入っている。天井の方を見上げると細い管が各方面に伸びている。初めて訪れたディズニーランドのように首を縦に横に振っていると、店員さんが「まずはお席を確保してください。2階、3階、4階にもお席があります」と案内していたのでそれに従って僕らは階を上がった。移動中も立ち止まって眺めたくなる光景がいくつもあった。目に飛び込んでくるすべてが興味深く、子どものような好奇心が心に芽生えているのがわかる。あの大きな銅の筒はなんだろう? 天井に入り乱れている配管のような管はなんだろう? 出来立てのパンのいい香りがするなあ。豆の原産地のカードが貼られた美しい壁面があるぞ。そういうさまざまな疑問や誘惑をなんとか断ち切って先に僕らは席を確保した。3階のテラス席に眺めのいい席があった。 

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再び1階に戻り、ドリンクコーナーの列に並ぶ。手渡されたメニューを眺めても、初めて見るドリンクが多く、何が何だかよくわからなかったので、結局、店員さんに説明を受けた。ロースタリー店舗限定のドリンクなど、丁寧に色々と教えてもらったが僕のマイフェイバリットドリンクであるホットミルクは置いてないという事実にショックを受け、説明が頭に入ってこなかった。お姉さんが素敵な笑顔で細かく教えてくれたのに僕の意識は「ホットミルクがない」ことに終始していた。申し訳ありません。本件の非道は自分に非がある。そもそも、どのカフェに行ってもホットミルクを頼むような旧時代の人間が時代の先を走るカフェに行ってはいけないのである。

僕はメニュー表の説明に「ミルク」と印字された「アンダートウ(780円)」というドリンク(ロースタリー店舗限定)を注文した。たぶん、ホットミルクへの心残りがあったのだと思う。でも、エスプレッソとの二層だてという組み合わせは好奇心を掻き立てられたし、直接エスプレッソを頂くのとミルクの層と混ぜて頂く飲み方と、一杯で二度の楽しみ方があるのでなかなか悪くない選定じゃないかと我ながら思った。それになんといっても愛するミルクが飲めるし。ホットじゃないのが残念だけど。それからドリンクのお供には、友人が人気らしいと教えてくれた「プリンチーナ(650円)」というケーキを頼んだ。外見からしておいしそうな雰囲気が漂っている。お会計を済ませると、できあがるまで時間がかかるとのことで、ショッピングモールのフードコートで渡される呼び出しベルのようなものを受け取った。提供の用意ができたら、ベルが鳴るらしい。「それまでは店内でお待ちください」とレジのスタッフさんは言った。僕らに再び待ち時間がやってきた。

スターバックスというお店から僕がまっさきに連想するのは、コーヒーではなく、MacBookだ。ほとんどの店舗でリンゴのマークが刻印されたパソコンで作業している人を見かける。連想ゲームをしたらStarbucks → MacBookという想起は高い確率で起こるんじゃないかと推測する。が、しかし、ロースタリー店舗では日曜日の夕方という事情もあるせいか店内でMacBookを広げている人はほとんどいなかった(もちろん他メーカーのパソコンも)。1階から3階のフロアにかけては一人もいない。4階のフロアでポツポツとMacBookを広げた作業者を見かける程度であった(4階のフロアが一番作業向けのスペースのように思えた)。

それから店内でいちばん関心を持ったのは1階から4階まで縦に貫く、巨大な銅製の筒である。あれは何だろう? と気になっていた僕は近くにいた背の高いスマートな男性店員さんに伺った。すると「いい質問です」と男の僕もほれぼれするような笑顔でその店員さんは親切丁寧にロースタリー店舗のことを詳しく教えてくれた。

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「あの大きな筒の裏側には配管が配置されています。どのフロアからも裏側を見ることができるので後でご覧になってください。どうしてそのような構造になっているかと申しますと、焙煎直後は余分なガスが含まれているので、そのまま焙煎したての豆でコーヒーを淹れてもおいしくありません。なので、焙煎した豆を地下一階の貯蔵庫に運び、コーヒー豆に含まれる余分なガス抜きをするために一週間近く置いておきます。余分なガスが抜けた豆を今度は地下1階から、2階や3階のドリンクカウンターにドリンクの材料としてあの大きな配管を伝って送ります。銅色の細い管がありますよね? あれも同じ役割であの中を通って焙煎一週間後の豆をドリンクの材料として各フロアのドリンクコーナーに送るんです。まるで人間の血管のようですよね。4階のフロアに送られた豆はパッキングをしています。これまではパッキングは外国で行なっていましたが、このお店がオープンしてからは、ここから日本各地のスターバックスに配送しています。レギュラーラインナップの豆ではありませんが、単品の豆はこの場所で焙煎した豆を送っているんです。焙煎した豆をコーヒーにして提供するだけでなく、パッキングもする。ここは店舗でもあり、工場でもあるんですね。だから、店内を見て回ることは工場見学でもあるんですよ」

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焙煎機。ここで焙煎した豆を地下の貯蔵庫に一週間ほど置き、ガス抜きをする。

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地下の貯蔵庫で安置された焙煎豆を管を通して各フロアに送る。

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大きな筒の裏側。豆を送る配管が配置されている。各フロアから観覧可能。

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パッキングコーナー。仕上がった豆を全国各地のスターバックス店舗に配送する。

焙煎した豆は一週間ほど地下の貯蔵庫に安置しているのだそうだ。その豆の数は大量にあるらしい。残念ながらその様子を見ることはできません、と申し訳なさそうに店員さんは言う。話す口調はゆっくりで聞き取りやすく、そして何よりわかりやすい。自分たちもまだまだ勉強中なんですと謙遜していたが、僕らからしたら十分な知識量である。

「グレーの煙突のような長細い大きな筒はコーヒー豆を焙煎するときにすごい熱が発生しているので、そのまま中目黒の空に排出すると環境汚染につながってしまいます。なので、熱をダウンするフィルターとして空気清浄機のような役割を担っているんです」

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焙煎時の熱を冷まして外に排出。

中目黒に住む人々のことも考えられて店内は設計されているとのことだ。それから気になっていたエプロンについて尋ねてみる。緑でも黒でもないブラウン系のデニム生地のようなエプロンを身につけている。

「エプロンはロースタリー店舗専門ですね。とくにランクのようなものはありません。またフロアによっても異なります。たとえばパッキングコーナーのスタッフはワーキングブーツを履いています。あれはこのお店専用の靴なんです」

ロースタリー店舗で働くスタッフは黒エプロンのさらに上を行く選りすぐりの人選なのかなと思っていたけれど、どうやらそういうわけではないようである。ただ、この方の説明を受けても思ったが、まあ、優秀そうな方が多そうではある。最後に店員さんおすすめのコーヒーを聞いてみた。

「私が一番オススメするのは、『カスカラレモンサワー』というドリンクです。水出しコーヒーのエッセンスとレモンジュース、アクセントにメイプルのシロップをシェーカーで振ります。炭酸は入っていませんがジューシーでおいしいです。ロースタリー店舗限定のドリンクなので、ぜひ味わってみてください」

僕は安易に「アンダートウ」を頼んだことをいささか後悔した。まあ、また別の機会でのお楽しみである。これきりというわけではきっとないだろう。店員さん、色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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それから呼び出しベルのブザーが鳴り、ドリンクとケーキを受け取って席に戻った。まず、「アンダートウ」を頂く。上部はエスプレッソで下部はミルクのフロートカクテルのような二層構造のドリンクである。初めの口当たりの印象は当然ながらエスプレッソの苦味。それからだんだんとミルクが混ざった液体が僕の舌に侵入してくる。甘く麗しいお上品なお味である。とてもおいしいと思った。続いて「プリンチーナ」。こちらはまあ、チョコレートケーキである。それ以上でもそれ以下でもない。特別にうまいともまずいとも思わなかった。でも人気らしいので、僕の舌がおかしいのかもしれない。ちなみに僕はバカ舌です。繊細な味を繊細なセンサーで感じ取ることはできない。作ってくださったパティシエに申し訳ないと思っています。

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焙煎所も兼ねたスターバックスリザーブロースタリートーキョーは、コーヒーの香り漂う空間だろうと想像していたけれど、実際に中に入ってみるとそういう香りはほとんどせず、むしろ綺麗な空気が漂っていたように思う。観光地のような賑わいが至る所から感じられ、(訪れたことはないけれど)パリのカフェのような気品ある光景が出来上がり、その空間さえもおいしく味わうように人々は歓談している。

僕らは二時間以上、居座っていたがそれでもお店の一部分しか味わっていない。いい香りのする極上そうなパンが何種類も置かれていたし、コーヒーの種類だってまだたくさんある。それからカクテルメニューもあるそうだ。全部を見尽くしたわけではないし、味わい尽くしてもいない。何度でも楽しめる飽きさせないお店だと思うので、また機会があれば行ってみたいと思いました。でも、店舗のことを教えてくれた店員さん曰く「朝イチの時間帯を除けば、しばらくは気軽には入れないと思われます。平日の夜でさえも整理券を手に入れないと難しいかと…」と心苦しそうにおっしゃっていたので、賑わいが落ち着くのを心待ちにしています(果たしてその日は来るのだろうか)。

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アイスミルクではなかったですか?

冬の寒い朝、カフェに入って「ホットミルク」を注文した。ほとんど待たないうちに店員さんは僕が頼んだドリンクを提供してくれた。しかし、その中身は「ブレンドコーヒー」だった。

おかしいなことが起きてると僕は思った。まちがいなくホットミルクと言ったはずだし、代金もホットミルク代を支払ったはずだ。このままコーヒーを受け取ろうともしたが、とはいえホットミルクを飲みたかったので、「ホットミルクを頼んだんですが…」と小声で指摘したら、「アイスミルクではなかったですか? 失礼しました」とその女性店員さんは申し訳なさそうに謝った。

いや、ちょっと待ってくれ。アイスミルクでもない。よし、わかった。百歩譲って(別に譲らなくてもいいですが)仮にアイスミルクだとしましょう。ただ、アイスミルクだとしても、お姉さんが提供してくれたのはブレンドコーヒーですぞ。

そのまちがいの積み重ねに僕は小さく笑ってしまった。おそらくお姉さんも気づいたのだろう。恥ずかしさと申し訳なさを含んだ笑みを僕に投げた。

冬の冷えた日曜日の朝が少しだけ微笑ましくなった。寒いから家にこもってぬくぬくしてようかと思ったけれど、外に出てみると、こういう微笑みの事件が待っていることもある。

魂が共鳴してしまった喫茶店。【トンボロ】

お店の根っこにある魂とじぶんの根っこにある魂が共鳴するような、とても居心地のいい喫茶店に出会ってしまった。神楽坂の路地裏にある「トンボロ」という喫茶店です。

戸を開けた瞬間から「トンボロ」が僕のお気に入り喫茶店リストに入るまで時間はいらなかった。窓から射し込む薄暗い光、武骨だけど温もりを感じるウッドテーブルとウッドチェア、やさしさに包まれた音楽……と、入店してまもなくお店を形づくるいろんなものが愛おしくなっていた。

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カウンターの席に腰を下ろし、Bブレンド(コクと苦味)とトースト(サラダ付き)を頼んだ。ご主人は慣れた手つきでコーヒーを淹れる準備とトーストとサラダの調理にとりかかる。ボッ、とガスコンロの火をつける音がする。袋から食パンを取り出してグサッ、グサッ、とカットし、タッタッタッタッと野菜を小気味好く刻んでいく。静かな店内にゴゴゴゴと豆を挽く粗い音が響く。フシュー! と、やかんの注ぎ口から湯気が吹く。ボーーン、という低音が響き渡る。おや、この音はなんだろうと思ったら、それは午後1時半を告げる時計の音だった。重厚な響きである。軽井沢の奥地に建つ別荘にかけられている古時計のような音だ。気持ちのいい時間が流れていく。僕は分厚い本を開き、物語の世界に入っていった。それからどれくらいの時間がたっただろう。夢中になって本のつづきを読んでいるとコーヒーとトーストが運ばれてきた。いつもなら本を閉じると物語から覚めてしまうところだけど、店内の空気がそうさせるのだろうか、物語の残滓は僕のまわりに消えることなく飛んでいた。

トーストとサラダは綺麗に盛り付けられていた。19世紀の画家が描いた絵のような美しさがあった。フォークを手に取り、まずサラダをいただいてみると抜群にうまい。手を抜いていない味だと思った。慎重に積み木を重ねるようにひとつひとつの工程を丁寧につくっている味がする。サラダを注文すると、くたびれたシャツみたいな覇気のないヨレヨレになった野菜が出てくるときがあるけど、こちらのサラダはそうではありません。クリーニングで仕立てたばかりのピンとはった食感がある。シャキッとしたうまさがある。つづいてこんがり焼けたトーストを食べる。厚みがあり、歯ごたえもあり、優雅な味であった。トーストに添えられているいちごジャムも上品なテイストで、トーストにつけていっしょに頬張るとさらに上等な味になった。コーヒーもあたりまえのようにうまい。提供されたどの品も心血を注いでつくられていると感じた。

コーヒーとトーストを合わせて1050円。平日のランチとしてはいささか予算オーバーだったけど、そのぶんだけの心地よさと、おいしいコーヒーとトースト(とサラダ)を提供してくれるので目くじらをたてることはいっさいない。そこで流れている時間を含め、幸せを味わえるご馳走であった。平日の昼がまるで日曜日の昼下がりのようなまろやかな時間になっていた。ただひとつ、喫茶店トンボロに欠点があるとすれば、いちど入ってしまうと出たくなくなってしまうことだ。

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コーヒーは砂時計のように消えていく。【カフェ・ラパン】

JRの御徒町駅から歩いてほどない場所に『カフェ・ラパン』という喫茶店がある。ぼくはこのお店の店主が淹れてくれるコーヒーとタマゴトーストのファンで折をみてはいそいそと訪れます。

コーヒーは決まって「ラパン・ブレンド」を頼みます。ラパン・ブレンドは深煎りのブラジルをベースに、苦みとコクと甘みを重視したブレンドで、ミルクを入れると一層まろやかになる。ミルクを入れる前の苦味も、入れた後の甘味もどちらの味わいも好きです。一杯の中に二度のおいしいがある。タマゴトーストはタマゴとキュウリとレタスが厚切りのトーストのあいだからハミ出るほどサンドされていて、口を大きくひろげないと咥えられない分厚さがある。味も申し分なく、カリッとサクッとこんがり焼けたトーストの舌触りも、具材との絡みも絶妙の塩梅でなんど食べても感激してしまう。コーヒーとタマゴトーストを注文して1100円。これでなかなか幸せな気持ちになる。

しかし、そんなささやかな幸せなひとときは──幸せなひとときだからこそ──あっという間に過ぎていきます。本のページをめくるとともに、分厚いトーストを頬張るとともに、コーヒーもするすると消えていく。砂時計の時間のように静かに過ぎ去っていく。別の時間性の世界にトリップしたような浮世離れした時間も、気がつくと大皿に置かれたタマゴトーストは跡形もなく消え、カップの底は尽きている。すべての砂が落ちきったあとの切なさが胸に染み渡ってくる。

ラパン・ブレンドの豆を購入して持ち帰り、『カフェ・ラパン』と同じひとときを自分の部屋でもつくれないものかと、せっせと豆を挽いてコーヒーを淹れてみるんですが、しかし、なんど淹れてもあの時間は現れない。それは決して再現することのできない時間なのです。

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