だから、髪をセットする。

男子トイレに入ると、時々、見かける光景があります。鏡の前で、前髪をくねくねし、おでこを少しだけ出し、と思ったら、またおでこを隠す、といった類の髪型のセットです。女子トイレに入ったことはないので(あったら問題である)わからないですが、女性陣も鏡の前で、多少の髪のお直しはされているのではないかと思います。

そんな男子諸君の髪型のセット事情ですが、時々、そんなにやる? というくらい、長い時間をかけてセットする人を見かけます。想像するに、おそらく、このあと彼には女性陣にアピールする大事な戦場が待っているのでしょう。そのときにバシッと決めて望みたい。そういう心持ちがあるのだと思います。ただ、ハタから見ている分には彼の努力むなしく、そこまで印象的に変わったような気はしませんし、かっこよさのパラメータ数値はミリ単位でしか増していない。もしくはマイナスになっている可能性もある。それでも、彼の手が止まることはありません。千住観音のように、あらゆる角度から手を動かし、ベストな髪型に導こうとしています。でも、実状はほとんど変わっていないので、果たして彼の努力に意味はあるのだろうか? むしろ、いつまでやるんや、ええかげん、手を洗う人の邪魔やぞ、と思うわけです。

が、自分が当事者になるとこの気持ちはよくわかります。僕も大切な人に会う前には、トイレに立ち寄って、髪型をセットし直します。髪の身繕いをしたくなります。でも、先述したように、周囲からみたら、ほとんど変わっていないように思われるでしょう。けれど、明確に変わっているところがあるのです。それは心です。気分が変わるのです。たとえ、見た目が変わってなかったとしても、自分なりにキマッタ!と思える髪型になったなら、心持ちがいくぶん良くなります。自信なんかもちょっと湧いてきます。だから、大いなる時間をかけて髪型を直すお兄さんの努力も、ちっとも無駄なんかではないのです。髪型のセットは、心をセットすることなのです。