さよならを言えるのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。

約三年間ほど、ボクシングジムに通っていたことがありました。遠い昔の出来事ではなく、わりに最近のお話です。通い始めた理由は、当時の職場の先輩が通っていた影響もありますが、シンプルに「強くなりたい」(と口にするのも憚れる)思いがあり、今がその機会かもしれない、とジムの門を叩きました。

ボクシングの練習はとても楽しかったです。鏡の前でシュッシュと拳を繰り出す「シャドー」にトレーナーのミットを目掛けて強く拳を叩く「ミット打ち」、それから「サンドバック」に「縄跳び」、「筋トレ」など、一回の練習で約一時間半くらいの汗を流すのですが、仕事終わりに全身を激しく動かす運動は望外に気持ちよいものでした。また、通うほど、自分の成長が手に取るようにわかり、「強くなっている自分」に酔いしれてしまえるのも、のめり込んだ理由の一つだと思います。

そうして徐々に夢中になっていったボクシングですが、通い始めてから3年が過ぎたある日、退会せざるを得ない状況になってしまいました。理由は、当時の職場が移転することになったからです。通っていたジムは、職場から近い場所にあり、練習に行く時は仕事終わりにジムに寄って汗を流してから帰路に着いていたのですが、職場が全く別の場所に移ることになり、通うのが難しくなってしまったのです。

長かった冬が背を向けて消え去り、春の息吹が彩り始めた最後の練習の日。シャドー、ミット打ち、サンドバッグ、一つひとつの練習を頭と体に刻みこむように力の限りを尽くして拳を放ちました。いつも以上に強く、激しく、思い残すことがないようにボクシングのできる喜びを拳に乗せていました。

練習を終え、ロッカーで服を着替えてジムを後にするとき、トレーナーさんたちが集まって「おつかれさまでした‼︎」と、室内中に響き渡る声で僕を見送ってくれました。あの時のトレーナーさんの顔は今でも鮮明に覚えています。まっすぐ僕の方を見て、これまでの僕のボクシングへの愛に感謝するように最後の挨拶をしてくれました。

気がつけば疎遠になっている人たちであふれている人生で、別れの日があるというのは幸せなことなのだと思います。出会いの記憶はそれなりに思い出せますが、別れの記憶というものはほとんどありません。そのほとんどがお別れをすることもなく、会わなくなってしまっているからだと思います。別れのつもりもなく「またね」と別れた時が実は最後になっていた、という人がたくさんいます。そうした別れのない別れが普通になっている人生で、この最後の練習の日は、僕の数少ない別れの日として、記憶の大切な箱にしまってあります。

最後の練習を終えた日の帰り道、空から舞い散る夜桜はとても綺麗でした。