サボる才能。

 才能というものはなにも選ばれた人間にしか贈られない特別なギフトではない。この世界に生まれた一人ひとりに他人より秀でたものが備わっている(と思っている)。絵を描くことが得意な人もいれば、車の運転が上手い人もいる。人を笑わせることが得意な人もいれば、とてもうまく歌える人もいる。そういう、人よりもうまくこなせる特殊なアビリティーに対して「才能がある」というラベルがぺたっぺたっと背中に貼られていく。僕はどんな人も特別な才能を備えていると思う人間の一人だけど、そういう個々が持つ才能とは別にみんなが一様に必ずもっている才能がある。

 それはサボる才能です。 授業中、先生の話をノートにとるふりをしながら偉人の絵にラクガキをしたり、 寝坊したけど「風邪ひいておくれます」と学校に連絡して悠々と遅刻したり、 エクセルを開いて仕事している雰囲気を醸し出しながら、堂々とネットサーフィンしたり、怠けることに関しては、こと勉強するときよりも知恵が働く。これは限られた人間にしかギフトされない才能ではなく、おそらくほとんどの人が持っている才能だ(ちがうのかな?)。

 人間という生き物は元来怠け者だと思う。できれば面倒くさいことはしたくない。嫌なことはしたくない。仕事をするんだったら喫茶店に行ってコーヒーを飲みながらのんびりと本でも読みたくなるものだ。あるいは、浜辺のテラス席で冷たいミルクとともに風を感じていたい。

 子々孫々、怠け者遺伝子が受け継がれている人類にとって(なんだか大げさな話になってきましたね)、一生懸命に仕事をしていても、ついサボりたくなる気持ちが湧いてくる。どうにかして今向き合ってるものから離れようとする。しかも、そういう楽に向かう汗のかきかたなら平気で人類というものは汗をかける。サボることに関してなら、みな、プロフェッショナルになれるのだ。

 このサボる能力は学校の先生に教わるわけでもなく、 ましてや父さんや母さん、兄ちゃん、姉ちゃん、近所のおっちゃんに習うわけでもなく、おばあちゃんの知恵袋として、祖母からとくとくと教示されるわけでもない。生きていたら、いつの間にか身についてる能力だ。

 「サボる」という特殊アビリティーに関してアマチュアな人はほとんどいないと思う。人間は生まれながらサボる天才なんだ。僕も自慢するわけではないですが、なかなかのサボリストだと思う(エッヘン)。