どうして「尻笛」ではないのだろう。

あまり美しくない話です。
ぼくはオナラをよくします。「よく」という二文字に背負わせるのも憚られるくらい、頻繁にこきます。もしこれまでのぼくのあらゆる行いを数値化したら、くしゃみの回数より、放屁の回数のほうが多いと断言できる。それもかなり圧倒的に。すみません。鼻を高くして自慢するようなことではないですね。 

ぼくの肛門の門番はセキュリティチェックがとても甘いみたいで空気やガスを見かけると、通ってよし、と見境なく次から次へと通過させてしまう。幸いにも(ほんとうに幸いにも)無臭であることが多く、これまでに怒り心頭の被害届を受け取ったことはありません。それでも、飲みこんだ空気や腸の内容物の発酵によって発生したガスを、肛門から排出して周囲に撒き散らしている事実に変わりない。もしぼくの近くで、ブッと音が鳴れば、ほぼ疑いの余地なくわたくしが容疑者なのである。被害届を受け取った日には、黙って罪を認め、おとなしく手錠をはめなければならない。しかし、今回お話ししたいのは、ぼくのこうした罪の告白ではないのです。
 
問いたいのは名前であります。ぼくは思うのですが、口からでる音を「口笛」、鼻からでる音を「鼻笛」と呼ぶのなら、尻から出る音は「尻笛」と呼んでもいいのではないだろうか。むしろ、そう呼ぶべきなのではないのか。どうしてお尻から出る音は「屁」や「オナラ」というまったく新しい名詞が付けられてしまったんだろう。もし「尻笛」という名であったなら、ここまで罪の意識を感じることもなかったと思うのです。あるいは、罪悪感を抱かせるために「オナラ」という名前を授けたのだろうか。ウィキペディアによると次のように書かれている。
 
「おなら」は「お鳴らし」が略されてできた女房言葉で、「屁」よりも上品(あるいは婉曲)な言い方であるとされており、およそ室町時代にできた言葉である。

「屁よりも上品な言い方」であるならば、「尻笛」の方が上品だと思いませんか。まあ、もし「尻笛」という名前になってしまったら、口笛のような軽やかさで日本列島は人間の肛門から出たガスで充満されていくことになるかもしれないですが。