これは見事な景色だ。蛭ヶ岳登山(丹沢主稜縦走)

2019/5/5〜5/6
1日目:西丹沢ビジターセンター〜檜洞丸頂〜臼ヶ岳頂〜蛭ヶ岳頂〜蛭ヶ岳山荘(泊)
2日目:蛭ヶ岳山荘〜丹沢山頂〜塔ノ岳頂〜大倉BS

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3月の中頃、山好きの友人から、「ゴールデンウィークにご来光を拝む登山を計画しています」という連絡をもらったとき、僕は四の五の言わず、「行きます」と返事をした。その瞬間から、この日が待ち遠しく、とても長く感じた。とても長く。

物理的な時間性もその要因の一つだけど、それよりもやはり、ほぼほぼ仕事漬けの毎日にひどく堪えてしまっていたのだ。僕は、その期間、仕事という糠(ぬか)に骨の髄まで漬かってしまい、体をぎゅっと絞っても、仕事の成分しか出てこないような日々を過ごしていた。

蛭ヶ岳を登る日までに低い山に登って肩慣らしをしておこうと思ったんだけど、そういう時間を取ることさえも難しかった。こんどの休日に山に行こうと思っても、いざ当日を迎えると体が動き出そうとしないのである。貴重なオフの時間に山登りをするよりは部屋でゴロゴロしたり、青空の下のベンチで冷たいミルクを嗜んでいたい。いささかマゾ気質のある僕でも、仕事漬けの合間のひとときに登山に行くという行為からは距離を置かざるを得なかった。

というわけで、今回の蛭ヶ岳山行は今年に入ってはじめての登山です。標高差で言えば軽く1000m以上はある山で、山行のすべてのアップダウンの高低差を含めれば、2000mはあるかもしれない。ぶっつけ本番で大丈夫だろうか? 膝は持つだろうか? いくつもの不安が僕の頭を駆け巡る。おそらく、入念な準備をせずにフルマラソンを走るようなものだから。でも、それよりも、ようやく山に行けること、山で二日過ごせること、仕事の糠から山の糠にどっぷり漬かれることに嬉々を覚え、その日がやってくることにささやかな喜びを感じずにはいられなかった。絶頂の登山旅か、絶望の登山旅か、果たしてどのような山旅が待っているのだろう。

◯ 5/5 5:00 家を出る。
玄関を開けると五月初旬の晴れ晴れとした青空が広がっていた。今年のゴールデンウィークはあまりぱっとしない天気が多かったから、天候の不安を少し感じていたけど、どうやら問題なさそうでひと安心。とりあえず、東京の天気はいい。でも、問題は山の天気なんだよなあ。昨日の夜、丹沢は嵐や雷が酷かったらしいという情報を耳にしていた。今日は天気が崩れないといいんだけれど。

山に行くたびに思うことですが、早朝の電車は静けさと賑やかさが同居した独特の世界で構成されていますね。わいわいと話しつづける人がいれば、首をもたげながら眠っている人もいる。僕の乗った場所はどちらかといえば寝台列車のような静かな車両だったけれど、一方で、声を大にして話しているグループも一部いて、「下北沢は今日で最後! 俺、宮城でがんばるから!」と仲間に叫んでいる若者がいた。早朝の電車には、エネルギーのすべてを出し尽くした人もいれば、こういうまだまだ元気もりもりのエネルギッシュな人いる。

丹沢の山は久しぶりで、たぶん3年くらい前にヤビツ峠から塔ノ岳を登ったとき以来だった。そのときは体力的にはへっちゃらだったけど膝がやられた。「足が棒になる」という比喩はほんとうで膝が思うように曲がらなくなったことを今でも鮮明に覚えている。足を曲げようとすると意志を持ったように膝が強制的に伸ばしにくるのだ。両足をギプスで固定されたみたいに曲がらない。ほんの一瞬、「下山できないかもしれない」と本気で思った。

この登山で、階段を一段飛ばしするように大股でほいほいと登ってはいけないということを学んだ。序盤はよくても、中盤以降に必ず膝にダメージが来ることを身をもって知った。以来、登山時の心がけとして、大股で闊歩して先を急ぐような無茶はせず、小刻みにゆっくりと登ることを大事にしている。認めたくないが、自分は健脚ではない。やわい脚なのだ。

今回の山行は、足が棒になった塔ノ岳の登山よりも長いし、標高差も激しい。だから、膝のご機嫌をとることを第一に休み休みゆっくりと登ろうと思う。目的地の蛭ヶ岳は丹沢の奥地にあり、そこまで行くと、下山しようと思っても、ロングトレイルになってしまう。つまりエスケープルートはないようなものでほんとうに膝には気をつけないといけない。

そういう不安を抱えながら、1000m以上の高低差のある登山をする。いったい俺は何を馬鹿なことをしようとしているのだろう、とふと思う。眠い中、わざわざ体を起こして、重い荷物を背負って、膝に爆弾を抱えながら山に登るとは、なんて愚かなことをするんだろう。でも、と、もう一人の僕が囁く。それは、それだけの値打ちが山の旅の先にあるからなのだ。ないかもしれないけど。

小田急線の町田駅を過ぎたあたりから、ポツポツと登山者の姿が見えはじめる。そして、車窓に丹沢の山容が映りはじめる。これから、あの山々の奥に向かうのだと思うと軽く身震いが起こる。北アルプスのような峻険な山ではないが、ガレ場や痩せ尾根を歩く予定だし、多少の危険を伴う山行でもあるから。

◯ 7:04 新松田駅
山を登る格好をした乗客がごそっと駅のホームに降り、そのまま、登山口のある西丹沢ビジターセンター行きのバスに待つ列に並んだ。僕はここで友人と落ち合い、バスを待って乗り込んだ。車内はすみずみまでハイカーだらけ。

目的地に近づくにつれ、車道は山間に入り、道は狭くなる。ところどころで一車線になり、対向車線から来た車とすれ違うときは当然だけど、すれすれ。都市の一般道なら、そこまで緊張することもないかもしれないが、山の道の場合、片側は崖になっているので、少しでも車輪が車道からはみ出たらそのまま横転してしまう。そういう道でも運転手さんは大きな車体を巧みにハンドリングし、何事もないように進んでいく。

思うんですが、こういう山間の難しい道を走る運転手さんと都内のバスを走る運転手さんの給料事情はどうなっているんだろう。やはり、乗客の多い(売上が多い)都心部の方がそれなりにいいのだろうか。運転技術的には、山の運転手さんも、それなりに高いものを求められるだろうから、スキルに見合った対価として都心部に負けないくらいいただいてもいいような気がする(じっさいはあまり変わらないのかもしれないし、その実態はぜんぜん知りません)。という余計なお世話を考えながら、登山口までの道中を過ごす。

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西丹沢ビジターセンター

◯ 8:43 西丹沢ビジターセンター出発
四方八方、山に囲まれた西丹沢ビジターセンターに到着。これも、山に行くと、いつも思うことですが、バスから降りて山の麓の空気に触れたとき、「眠い目をこすってやってきてよかったな」と晴れやかな気分になります。朝早くから山にいるだけでなんとも言えない爽快な気持ちになります。しばらくここで呆けていたいけど、とはいえ、スタートラインで快感に浸って時間をロスするのはもったいないので、トイレを済まして、登山届けを出して、準備体操をして、早々に本日の目的地である蛭ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめる。標準的なコースタイム通りに歩ければ、おそらく、15、16時くらいには山頂に着くはずだ。それより遅くならないといいなあ、と思いながら歩いているとまもなくキャンプ場が出現して、たくさんのキャンパーがテントを張っていた。みんなゴールデンウィークの締めを自然の中で過ごそうとしているのですね。その気持ち、とてもわかります。

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河原にはキャンパーがたくさんいた

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「熊出没」の看板とともに登山スタート

車道から登山道に入ったとたん、それまでのゆるやかな坂道とはがらりと変わり、傾斜の強い登り坂がはじまる。「ようこそおいでなすった。この山はやさしくないぞ」という山からのメッセージみたいだ。そういうことならこっちも望むところよ、と息巻いてびゅんびゅん飛ばしては相手の思うツボだ。それで僕は一度失敗している。あとあと足にダメージを負うことは知っているので、山からの挑戦状は、やんわりと受け取り、小股で、ちょぼちょぼと登りはじめる。スタートからラクをさせてくれない山だぜ、こんちくしょう。でも、そのうちだんだんと緩やかな傾斜になり、歩きやすいなだらか道に変わった。西丹沢の山は登山者を試すように、試練を与えたあとで、ようやく僕らを歓迎してくれた。

◯ 9:30 ゴーラ沢
ゴーラ沢に到着。おびただしい数の岩石の間をちゅるちゅると耳ざわりのいいせせらぎの音を立てながら、澄んだ水が流れてゆく。「ゴーラ」という名前の由来は知らないけど、濁点のつく名前とは思えないほど、山と水と岩に織り成された清らかな場所である。ここで、ちょっとばかり休憩。体を屈めて川に触れる。水はひんやり冷たい。女神が頬を撫でるようなやさしい風が身体を通り過ぎる。とてもきもちのいい五月の朝だ。こういう場所を自然の恵みと呼ぶのかもしれない。

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ゴーラ沢で10分ほど休憩。風も緑も水もあり、気持ちのいい場所です。

しばらくここに留まりたい気持ちもあったけど、そういうわけにもいかないので後ろ髪を引かれる思いでまた歩きはじめる。まだまだ道中長いのだ。のんびりしていると日が暮れてしまうし、日没までには蛭ヶ岳の山頂にいないと身の危険に及んでしまう。ふつうの旅とちがって、登山の旅にはタイムリミットがあるのです。だから、登る前の計画も、登山中の計画もとても重要なのです。

ゴーラ沢を抜けると、アップダウンの繰り返しになる。登って下っての繰り返し。こういうとき、つくづく何もない平坦な道がいちばん歩きやすいなあと思います。登りと下りは、どちらだろうがやさしい道ではありません。それなりにしんどいし、それなりに汗をかくし、それなりに苦しい。とはいえ、ふしぎなことに平らな道よりも、楽しいときもあったりします。とくに登りにおいては、苦しいんだけど、苦しいんだけど、つまらなくないときがある。とくに振り返ったときに見える景色がよくなっていくと。

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振り返ると、広大な景色が見える

山道というのは未踏の道ではない。この日も僕らと一緒に歩いている人たちはいたし、過去にも登っている人はいるし、これからも足を踏み入れる人はいるだろう。でも、そんなに大勢の人が歩くような道ではない。新宿駅の一日のように何十万の人が歩く道ではない。あまり歩く人がいない道というのは、なんかいいじゃないですか。

登山口の西丹沢ビジターセンターから一つ目の山の檜洞丸までの標高差は1000m以上あるので、当然のことながら、その高さを登り切らないといけない。足に用心しながら登っていても、さすがに1000mの高低差を登りつづけていると、少しずつ、着実に、膝にダメージが溜まっていく。山が牙をゆっくりと見せはじめる。しかしながら、そんな牙を見せながらも、穏やかな風が吹き、鳥はやさしく鳴いている。そのコントラストは、山の天国性と地獄性の両立を感じさせてくれる一端だと思う。

そして、丹沢山塊でよく見かける木の階段の登場。僕はこれが苦手です。強制的に足を上げなきゃいけないので膝に負担がくるのです。乳酸が溜まるというやつなのかな。先までつづく階段を見るとげんなりしてしまう。階段はやめてぜんぶエスカレーターならいいのに、と身も蓋もない悪態を吐きはじめる。

標高1500mを超えたあたりから、涼しさがぐんと増し、生い茂っていた樹木は枯れ木に姿を変え、冬の様相に変わりはじめる。山の上と山の下では世界は異なる。この場所では、まだ冬のおわりなのだ。

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丹沢名物?の木の階段。けっこうしんどいです。

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冬の様相を見せる山頂付近。山は春も冬も同居している。

◯ 11:50 檜洞丸頂
最初の目的地である檜洞丸の山頂に到着。わりと順調なペースで登っている。そんなに疲れてはいないし、急登や木製階段にちょっとやられはしたけれど、足もまだまだ大丈夫。悲鳴はあげていない。山頂は、広々としていて眺望も悪くない。僕らよりも早く登頂した人もわりといて、景色を見たり、談笑をしながら、ご飯を頬張っていた。みんなこのあとどこに進むのだろう。僕らも、ここで昼食をとる。おにぎりとサンドイッチで燃料補給。

ここまでやって来ると、先に進むことも、引き返すことも一筋縄ではいかない。どちらに進むにせよ、それなりに歩いて登って降らなければならない。山に入るというのはそういうことである。泣き言を言って「ここから逃れたい」と思っても、どこでもドアがない限り、やすやすと元の世界に戻れる道はないのである。そして、「逃れるすべがない」と明確に意識すると妙な覚悟が生まれる。この気持ちは、山に入らないとなかなか味わえない。

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檜洞丸山頂。広々としていてゆっくりお昼を取れる

◯ 12:30 檜洞丸頂 出発
40分くらい体を休め、山頂をあとにする。ほとんどの人はここから西丹沢ビジターセンターに折り返すか、別のルートを取るようだ。僕らと同じように蛭ヶ岳に向かう人は誰もいなかった。人のにぎわいはとんと消え、静かになった。そして、前方には本日のゴール地点である蛭ヶ岳がいよいよ姿を現した。あの頂までこれから歩くのだ。緩んだ帯をギュッと締め直す。天候も問題なさそうだ。視界良好、いざ出発。

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左側に見える、ちょこんととんがっている山が蛭ヶ岳。

まず、檜洞丸の山頂から一気に300mほど降る。とかんたんに書いていますが、ただ降るといっても、それなりに体に負荷はかかる道程です。高さ300mというと、ひとたび都市に目を移せば、この数字は超高層ビル並みの高さ(パッとインターネットで調べたら、大阪の「あべのハルカス」が300mで60階建みたいです)で、その最上階から階段で一気に降ると思ってみてください。ちょっと嫌になりますよね。それと同じようなことを、このときも、階段を降りるように急勾配をストンストンと直下に降ってゆく。

蛭ヶ岳は丹沢最高峰の山なので、当然ながら降りた分だけまた登らなければならない。つまり、単純にいえば、あべのハルカスの60階から1階まで降りて、また1階から60階まで登らなければならないということです。その繰り返しが登山なのである。登山と関わりのない人から見れば、そんなアホらしいことをようやるわ、と思われるかもしれないですが、山好きの人(とくにロングハイカー)はおおむね頭のネジが一本飛んでいるのでそんな悪行も悪態をつきながら、えほえほと登ってゆきます。

さらに、試練はそれだけではありません。一気に300m降りられれば「まだ」いいのですが、そうは問屋が卸さない。山と山の間のいちばん低い「鞍部」と呼ばれる場所にたどり着く前にこんどは急登が登場するのだ。一直線に降るのではなく、波線のように、下って登って下って登ってを繰り返しながら、鞍部に向かうのです。まるでジェットコースターのように。

なかなか手強い山である。口笛を吹いていたら山頂でした、という理想的な道はどこにもない。現実は過酷だ。人生と似ています。

◯ 14:05 臼ヶ岳頂
ごっそりと体力を削られながら、臼ヶ岳の山頂に到着。蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳といった丹沢のオールスターが一望できる場所でとても眺めがいい。ここまでくれば蛭ヶ岳の山頂までもうひと踏ん張り。次に休憩するときは蛭ヶ岳の山頂に着いているはずだ。膝よ、それまで持ってくれ。

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蛭ヶ岳までもう一息。

間近に迫った蛭ヶ岳は、遠くから目にしたときよりも遥かに高く、無骨な男のように厳格に聳えている。つぶさに観察していると山頂の近くで高度を一気にあげる一帯がある。このまま引き返すのであれば、その一帯も対岸の火事ですむのだけれど、僕らはその場所を登らないといけない。ほんとに手強い山である。僕はほんとにあの場所を登れるのだろうかと心の中でビビりはじめていた。そして、その不安は的中するように、ここから蛭ヶ岳の山頂までの道のりはひどく苦しい道のりだった。

はじめはよかった。痩せ尾根など、金タマがヒュンとする道もあるにはあるけれど、ビビり係数でいえば、それほど極端に上がる場所ではない。

問題は突如として現れた鎖場からだった。この鎖場から、道は崖のフチに変わり、辛さも、恐怖感も、ぐっと上がった。足を踏み外したら、「かなりマズイぞ」と誰もが感じる場所を一歩一歩慎重に登る。登山道は安全性を向上させるために鎖が用意されている。その鎖を片手でつかみながら登るのだけど、ときどき、鎖のない道もあって、そうなるともう恐怖感から何かにつかまりたくて近くに生えている低木を鎖代わりにつかもうとする。でも、そうはさせないぞ、と試練を与えるように低木の枝はトゲトゲだらけでつかめなくなっている。

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過酷な道がスタート

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ひどく高度感を感じる場所で鎖場がつづく

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しかし、振り返ると美しい景色がある

高所恐怖症の僕が「なぜこんなところに来るんだ」となんども自問自答した。この場からなんども「脱出したい」と思った。この恐怖からはやく逃れたくて、山頂(1673m)までどれくらいだろうとiPhoneのGPSアプリで高度を確認したら、1450mと表示されている。かなり登ったと思ったけれど山頂までまだ200m以上もあるの!? と愕然とする。

山頂まで残りやっと100mをきったころ、右足の腿がつる。いや、正確にはいえば、つってはないんですが、つる前兆のような感覚を覚える。うまく足が運ばないのだ。おいおい、勘弁してくれよ、こんな崖縁でつらないでくれよと心は涙目になってくる。

鎖場から山頂までの道のりはドランゴンボールのカリン塔を登るような恐怖感と同じ類いのものではないかと思ってしまった。大げさすぎる表現かもしれないですが、高所恐怖症の僕にとってそれくらいの恐怖感を覚える場所だった。悟空はひどく高度感のある場所(しかも足を置く場所も不安定!)をすいすい登るけど、僕はあんなふうに軽やかには登れない。

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ここまで来ればもうすぐ

◯ 15:40 蛭ヶ岳頂
しかし、登っていれば必ず目的地に着くもので山荘が見えた時の安堵感は凄まじいものがあった。ほんとにホッとしました。それから、少し落ちついて、山頂からあたりを見渡すと見事な絶景に息を呑みました。これは、苦労して来る価値ある場所だ。山荘を中心に東側は都心の街並みを眼下に収め、西側は富士山や南アルプスの山々が見え、北側はいくつもの山が連なった山容があり、南側は、丹沢の山々と箱根の街と太平洋が広がっていた。絶景のフルコースのような贅沢な山頂だった。

富士山は、無骨で峻険で、男っぽく(雪化粧の美しい感じはない)、シンプルにかっこよかった。今まで目にした美しい富士山の姿とは似つかないもので口数の少ない侍のような男らしさがあった。これはホレる。富士山は、冬は女性の姿をし、夏は男の姿をする山なのかもしれない。富士山にかかる陰影も見事で、日本の真ん中にどんと聳えていた。

そしてやはり景色が抜群。これを見るために、がんばって登ってきた甲斐があったと言い切れます。ほんとうにいい景色だった。雄大な山々、富士山、首都圏の街並み。写真ではなかなか伝わらないのが悔しい。これは自分の目で見ないといけない景色だと思った。

僕と同じように景色をじっと眺めている人がいた。ご飯と睡眠は体力を回復させてくれる。絶景は気力や精神力を回復させてくれる。

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丹沢最高峰「蛭ヶ岳」に登頂

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富士山が聳え立つ西側の景色

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関東平野を望む東側の景色

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山々が連なる北側の景色

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気持ち良さそうな丹沢稜線が見える南側の景色

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宿泊する「蛭ヶ岳山荘」

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山荘のはしご階段を上がった屋根裏部屋が僕らの寝床だった。どうでもいいことですが、山荘内で一番高いこの場所こそ、神奈川最高峰なんじゃないかと思った。

◯ 17:40 蛭ヶ岳山荘 夕食
山荘で夕飯をいただく。メニューは蛭ヶ岳カレーとお惣菜の数々。ルーのおかわりはできないとのことだけど、ご飯はおかわり自由だった。僕はおかわりもいただいてたらふく食べました。

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ご飯のお代わりができる蛭ヶ岳カレー

そして、食べおわるころ、ちょうど日が落ちる時間になり外に出る。でも、日の沈む西側の眺望地点に出向いた瞬間、落胆してしまった。ガスっていたのだ。これでは夕日を拝めそうにない。それでもわずかな希望を胸に、何人ものハイカーがその場所で待機している。みんな心の中で、「晴れろ」と祈っていたの違いない。僕もその一人だ。

そのみんなの願いが通じたのか、まさにちょうど日没のタイミングで、雲がはけ、富士山と夕日が綺麗に見えた。とても素晴らしい景色だ。みんなの顔も晴れ晴れとしている。心のアルバムに記録される景色の一つだった。なぜ山に登るのか? という永遠の問いに対する答えの一つですよね、山頂からの素晴らしい景色は。

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ひどくガスってしまい、何も見えず。みんな一縷の望みをかけて晴れ間を待っていた。

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その願いが通じたのか、徐々に雲が消えていく。

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赤く染まる幻想的な景色が現れた。 (丹沢はキャンプ場以外テント禁止なので、左手のテントは片付けられました)

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みんなもこの瞬間を待っていた。

小屋に戻ると、こんどは山荘のご主人による丹沢プレゼンがはじまった。四季によって移り変わる丹沢の美しい姿を写真を通して僕ら宿泊者に紹介してくれた。春も、夏も、秋も、冬も、それぞれに見所があり、「とくに夏はどっと減りますが、丹沢はいつ来てもいいところです」とアピールしていた。それから、「昨日は大雨に雷で20名くらいキャンセルが出たんです。今日の人は晴れて運が良かったですね。夕日も夜景も見れそうで」と話していた。そうなのだ、本当にこの景色が見れて幸運だった。

そし明日の天気予報についての話がおわったと下山の話になり、「蛭ヶ岳はどのルートを選んでも、下り始めの傾斜は厳しいです」ということだった。僕はそれにだいぶビビってしまった。明日は丹沢山方面につづくルート(登りとは別のルート)を進む予定だけど、また登りの時のような恐怖ルートを進まなければいけないのだろうか、と思って心配になってきた。うぐぐぐぐぐ。

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日が暮れると、山荘のご主人による丹沢プレゼンが始まった。

すっかりと日が沈み、暗闇に覆われると僕らは外に出て東京の夜景を目に納めた。オレンジ色の光沢が、ダイヤを床にばらまいたようにキラキラと光り、とても美しい景色だった。僕はジャケットを羽織り、フードをかぶってしばらく眺めていた。見上げると星が輝いている。夕景といい、夜景といいい、この日、このとき、この場所にいられて、幸せだと思った。

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関東平野に近い山だからこそ望める、綺麗な夜景。

山荘は20時消灯。でも僕が眠りについたのはたぶん0時過ぎでした。それまでは目を瞑っていたけれど、なかなか寝つけなかった。どこでも眠れるということが僕の特技の一つかと思っていたのですが、どうやら違うようである。あらら。まあ、先に寝ている人のイビキがすごかったせいもあるかもしれないが。それから風の音もすごかった。けたたましくビュンビュン吹いていた。気のせいでなければ、そんな風の叫び声が聞こえる真夜中の0時過ぎに山荘を出発した人もいた。そんな時間からどこに向かうのだろう? 人には人の目的と計画があるのですね。

◯ 5/6 5:51 蛭ヶ岳山荘出発
山荘の朝は早く、4時には明かりがつき、みんなゾロゾロと起き始める。ご来光を目当てにみんな起きるのだ。気温は5度。僕も厚着をして外に出ようと思ったら、みんな小屋の中でガヤガヤしている。どうやらガスってしまい、まったく何も見えないようなのだ。確かに窓の外は、一面ガスだらけで、雲の他には何も見えない。まあ、仕方ない。夕景も夜景も朝日も、はじめからぜんぶ見えてしまったらおもしろくないですもんね。山荘のご主人によると、まだ、夜景に覆われた都会の街に向こう側から日が昇ってくると言っていた。夜と朝の同居である。それはなかなか珍しい光景だ。正直いえば、見たかったなあ。

朝食をいただいて、準備をし、丹沢山に向かって出発した。丹沢の見どころの一つである丹沢山につづく長い稜線だ。本来なら、ここもまた見事な眺望ゾーンのはずなんだけど、ガスっていたため、まったく見えず、ひたすら雲の中を歩くことに。ちょっと、いや、けっこう落胆してしまった。昨日がドラマチックに良すぎたために。まあでも、あたりがまったくが見えない分、高度からくる恐怖感は薄らいだかもしれない。

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日の出を期待して、朝起きたら、こんな悲しい状態で肩を落とす。

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本来なら、気持ちのいい稜線歩きができるはずだったんだけど、この天候で周りが全く見えず。

◯ 7:10 丹沢山頂
途中、晴れ間が見えたりしたので、そのうち晴れるかなあと期待していたけれど、結局晴れず。丹沢山の山頂についても、その傾向は変わらず、眺望は一切なし。まあ、晴れていたとしても、蛭ヶ岳が大差をつけて勝負ありだったような気がする。丹沢山は日本百名山だけど、どうなんだろうね。

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丹沢山頂に着いても、天候は変わる気配を見せず、曇ったまま。

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丹沢山を超えてからはハイキングコースのような、なだらかな道がつづく。

◯ 8:20 塔ノ岳頂
丹沢山からは、ほぼ平坦&下りのルートでけっこう楽チンでした。あいかわらずガスっていて道中の見どころもないので、すいすい進む。とくに難所もないし、晴れていたら、気持ちのいいコースなんだろうなあと思った。そしてあっという間に塔ノ岳に到着。ところが、塔ノ岳の山頂はひどく寒かった。ものすごい強風が山頂を襲い、座って休むことすらままならなかった。しかも、まったく晴れ間なし。今日は朝から天候には恵まれないようだ。というよりも、昨日の蛭ヶ岳がラッキーだったのかもしれない。

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ガス以上に、風がすごかった塔ノ岳山頂。

塔ノ岳からバス停のある大倉までは林道をひたすら降りる。同じような景色の連続で、飽きがくる。退屈な道だ。登るのも、ひどく辛そう。塔ノ岳から大倉まで距離にして7km。けっこうしんどい。景色は変わらずガスっているせいで見えないし、しいて楽しい道を挙げるとすれば、時々登場する木々に挟まれた平坦な道くらい。ここは平和的でいい感じだが、とくに語るような道はない。

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下山中、鹿に遭遇。

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ひたすら下りつづける、大倉尾根(通称バカ尾根)。

◯ 11:20 大倉BS
無事に下山。おつかれさまでした。よく働いてくれた、俺の手足。思い返せば、なかなか刺激のある登山だった。体力は削られるし、足はつりそうになるし、膝はガクガクになるし、気力も滅入るし、ヤなことを上げればキリがないかもしれない。それでも、蛭ヶ岳の山頂は、そんな数々のつらさを吹き飛ばすほどの絶景だった。また見に行きたいと思える景色の一つだったと思う。

◯ 東海大学前駅 秦野天然温泉 さざんか
この二日間でたまった汗や汚れを綺麗に洗い流す。広々としたスペースのわりに、お客さんの数は少なく、とても快適な温泉でした。人口密度の低い温泉って、それだけでいうことありません。丹沢帰りの温泉でいうと、鶴巻温泉駅にある「弘法の里湯」が人気だと思いますが、あそこはわんさか人が押し寄せて、ゆっくり浸かれないところが難点でした。その点、「さざんか」は人が少なく、疲れを癒すには最高の温泉だったと思います。

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登山の汚れや疲れをどっと落とすことができた天然温泉「さざんか」

蛭ヶ岳の急登では、「もう山なんて行きたくない!」と決心めいたものを意識してしまうほど、身も心も恐怖に打ちのめされる体験をした。その場から一刻も早く逃れたかったし、なぜこのルートを選択したのか、後悔もたくさんした。甘く見ていた自分を叱りたかった。しかし、自然から離れ、都会のコンクリートジャングルの中に戻ると、また山に行きたくなってしまっている。やはり頭のネジが一本外れているのかもしれない。さあ、次はどの山に行こうかな。

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辛い時もあったけど、それを軽く吹き飛ばしてしまうくらい、見事な景色がある山でした。

夏の箱根の山。【金時山-明神ヶ岳-明星ヶ岳】

平日の昼間にしょっちゅう訪れる定食屋がある。ビル群の割拠する路地裏にひっそりと佇むお店で、雨の日も風の日も嵐の日も休むことなく年配のおばちゃんが一人でせっせと切り盛りしている。通いはじめて半月ほど経った頃、店の一角に「山と高原地図 奥多摩」が無造作に放置されているのを見つけた。その地図を持っているということは山好きに違いない。それまでおばちゃんとは会話らしい会話はしていなかったが、山好きの自分としては真相を知りたくなり、思い切って尋ねてみた。

「山に登られるんですか?」

おばちゃんは躊躇なく「ええ」と返事をした。しかも屈託のない笑顔で。この方とは通じ合える、と瞬時に感じ取った僕はそれから堰を切ったようにいろいろ伺ってみた。するとおばちゃんは筋金入りの登山家だということが判明する。

彼女が初めて山に登ったのは小学生の頃で、すぐにその魅力に取り憑かれてしまったらしい。夏休みになると決まって山に登りに行き、それは少女の殻を破り、多感な時期に成長しても変わることはなく、お化粧やアイドルよりももっぱら山登りに夢中な娘だった。高校は登山部に入部し、大学卒業後は山岳会に入会した。一時期、山から距離をとったこともあるみたいだが、いまはまた山への情熱が蘇り、週末になると心を弾ませて山に登っているそうだ。

僕はお店に訪れるたびにその元祖・山ガールともいえるおばちゃんから話を聞く。北・南アルプスの登山体験記から八ヶ岳や東北の山々の話、それから山小屋やテント泊のことまで種々雑多な話を聞けるので僕は昼休憩の時間をとても楽しみにしていた。もちろんおばちゃんが腕をふるう料理も抜群にうまいのだけど、それと同じくらい山の話もおもしろい。山についての相談ももちろん快くのってくれる。たとえば「丹沢の蛭ヶ岳で一泊しようと思っています」と相談すると「夏はヒルがすごいからやめたほうがいいですよ。私は10月まで丹沢には行きません」と教えてくれる。

そんなおばちゃんが勧めてくれた山の一つに「金時山ー明神ヶ岳ー明星ヶ岳」の縦走があった。今の時期はものすごく暑いけどね、という注釈をつけながら。それは覚悟したほうがいいよ、という危険シグナルを多分に含ませた言い方だった。でも、僕は兼ねてから箱根の山に行ってみたいと思っていたこともあり、こんどの週末は金時山に出かけようと決めたのだ。

○ 6:35 バスタ新宿 2018年7月14日
金時山までのアクセスは小田原駅から路線バスを使って登山口まで向かうのが一般的だ。でも僕は高速バスを使うことにした。高速バスは金時山の登山口まで連れていってくれるし、交通費も電車と路線バスを利用した場合とあまり変わらない。それなら、電車を待ったり、路線バスを待ったり、座ることができなかったりするよりかは指定席のあるバスに乗って登山口まで走ってくれる高速バスに乗ったほうが楽だろうと思ったのだ。でも、この判断はこの日に限っては失敗だった。三連休の初日(土曜日)ということもあり、東名高速には16キロの渋滞が起こっていたのだ。

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バスに乗ると「本日、渋滞が発生しているため、遅れが生じます」といった放送が流れる。それを聞いた僕はいささかがっくしと肩を落とし、到着時刻に一抹の不安を覚えた。そう思ったのは僕だけじゃないみたいで、後ろの席の若い女性はちびまる子ちゃんみたいな声で「しょうがないよ」と隣の男性を諭していた。まる子の声で言われると、仕方ないかな、と思えてしまうから不思議だ。力の抜けた声色には嘆きを鎮静させる力がある。

高速に入ってまもなく渋滞に捕まった。ウサギのようにぴょんぴょんと軽快に走っていたバスは、一転、亀のようにのろのろしたスピードに変わり、やがて動かなくなった。こうなってしまっては窓の向こうの景色を楽しむこともできない。あとは本を読むか寝るしかない。僕は帽子で顔を隠し、寝ることにした。すやすや。とはいえ、本気で眠ることはできなくて、目を瞑っていたり、時々、目を開けて渋滞の様子を確認したりして無為の時間をつぶしていた。僕の座席列の逆側の左側の席に目をやると朝の日差しが窓から射し込み、ひどく暑そうだった。その光景を眺めているだけでこっちまで暑くなってくる日差しだ。しかもバスは動かないのでその日差しが消えてなくなることはない。じりじりと乗客に強い日光を浴びせている。ほとんどの人はカーテンを閉め、日差しをシャットダウンしていたが、日光浴をするように朝日を浴びている人もいた。

予定到着時刻から大幅に遅れて御殿場駅に着く。僕が下車する金時登山口は8:40着の予定だったが、その時刻はとうの昔にすぎていた。僕はこの時点で登山口に着く時間は10時くらいになるかもしれないと腹をくくった。

御殿場駅のバス停でかなりの人数が降りた。そして入れ替わりで降りた人数よりも多くの集団(ほぼ子どもたち)が乗ってきた。夜明けの住宅地のように静かだった車内は、一転して幼稚園の教室のような賑やかな空間に変わった。バスが大幅に遅れている状況での子どもたちの騒ぎ声はいささか神経に障る。とはいっても子どもたちのせいではない。私の心よ、鎮まりたまえ、と念仏をぶつぶつと唱えはじめる。

箱根に向かって山道を進むとまた渋滞が発生。事故渋滞だった。ぜんぜんバスは動かないし、子どもたちはプールサイドのように賑やかだし、座っているだけなのに、なんだかどっと疲れてしまった。繰り返すようですが、子どもたちが悪いわけでも、バスが悪いわけでもないんです。三連休の初日に高速バスを選んだ自分がいけなかった。

○ 10:07 金時登山口
予定より一時間半ほど遅れて登山口に到着。長かった。ひどく長かった。バスから降りるとき、運転手さんは申し訳なさそうに頭を下げていた。運転手さんのせいではない。まあ、こういうことは想定しておくべきなのだ。三連休の初日は高速に渋滞が生じる、と想像しておくべきなのだ。それはさしてむずかしいことではない。

下車した場所にあるローソンでおにぎりや水を買って、まずは金時山に向かった。もし、山行に時間がかかり、明星ヶ岳までの縦走がむずかしくなりそうなら、途中で降りようとも考えていた。地図を見るとエスケープルートはいくつかありそうだった。そういう考えを頭には入れつつも、明星ヶ岳まで行きたい気持ちは強くあったので、いささか早足で登り始めた。

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さすがに夏本番だけあって山の麓だろうが暑い。日陰はまだ耐えられる暑さだが、日向は暑い。早足で登っているから、汗もすぐにでてくる。この後の距離を思うと、なかなかしんどい山行になりそうな予感がした。

樹林帯を抜けると茂みの道に入る。日陰はなくなり、太陽の光を一身に浴びる。息は切れ、まつげの先から汗がぽたぽたと落ちはじめ、シャツは瞬く間に汗まみれになった。タオルで汗を拭いても拭いても、間髪入れずに汗が吹き出てくる。このときの僕は高性能の発汗装置と化していた。着替えを持ってきてよかった、と心底思った。汗びっしょりのシャツで帰りの電車には乗りづらい。

金時山の山頂まで平坦な道はほとんどない。延々と登りがつづく。そしてさらに試練を課すように夏の強い日差しが襲いかかってくる。そのうち僕はノックアウトされるかもしれないと思いつつ、蓄えていたエネルギーを絞り出すように一歩一歩登っていく。ほかのハイカーも、当然きついようで休みながら登っていた。僕もひと息つきたいとは思ったが、そのあとの山行を考えると休んではいられない。できるだけ遅れを取り戻したいと思っていた。

ひどくきつい一方で、どこか楽しさもあった。自分の限界に挑んでいるような感覚が生じたのだ。そういう瞬間は日常生活ではなかなか味わえないものだと思うし、どこかで求めているところもあったかもしれない。それともただのマゾだという可能性もあるが。

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山頂までの道のりが半分を過ぎた頃、体をくるりと反転させると箱根の素晴らしい景色があった。必死に登るといい景色が待っている。よく登山と人生は例えられることがあるけれど、こういう景色をみると実感を持ってわかる気がする。辛く険しい道も歯を食いしばりながら、登っているといい景色に変わっていく。

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早足で飛ばしたツケがまわってきたみたいで、徐々に足が重くなる。足首に錘を巻いて歩いているような足取りになり、膝を曲げて、体を持ち上げることがきつくなる。雑巾を絞るように残された体力を体から搾り取り、山頂を目指す。他の人の足取りも重そうだ。酷暑の中、みんな息を切らして登っている。

○ 11:12 金時山 山頂
山頂に着くやいなや展望をゆっくりと望む余裕はなく、一目散に茶屋に駆け込んだ。そして息も耐え耐えに「金時そば」を注文し、腰を下ろした。

「金時そば」はとても美味しかった。召し上がっているとき、蕎麦つゆの上に汗がぽたぽたと落ちてしまい、それをくい止めようとタオルで汗を拭っても、またすぐに滴り落ちてきて、せっかく作っていただいた蕎麦に申し訳ないと思ったが、それでも、蕎麦のうまさが消えることはなった。山の上でいただく蕎麦はほんとにおいしい。

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茶屋でゆっくりした後は山頂からの景色を楽しんだ。富士山のてっぺんは雲に覆い隠されていたが、それでもいい景色で、箱根の町や富士山の麓を一望できる。登った甲斐のある山頂だ。いつでも記憶から取り出しておけるように胸の中のアルバムに閉まっておきたくなる景色だ。

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○ 11:35 金時山 山頂出発
次の明神ヶ岳に向かって登ってきた道をすいすいと降っていく。登ってくる人たちはみんなきつそうだ。30分前の僕がそこにいる。若い男女の二人組とすれ違ったとき、彼は彼女に向かって「山登りはきつくなってからが楽しんだよね!」とニコニコしながら語りかけていた。彼女はぶすっとした顔で黙って聞いていた。何ふざけたこと言ってんだコイツは、というような人を蔑すむ時の目をしていた。僕は彼の気持ちも彼女も気持ちもどちらもわかった。きつくなるほど楽しくなる気分もわかる。限界に挑んでいる感じがそういう気分にさせるのだ。一方でちっとも楽しくなんかない、という心情もわかる。それは表裏一体の感情だ。山は辛くもあり、楽しくもある。その二つの感情が天秤の両端でぐらぐらと揺れている。

○ 12:00 うぐいす茶屋
うぐいす茶屋の分岐点から、明神ヶ岳の道に進む。この地点から先は人気が1/4以下になり、茂みは倍増した。金時山の比ではない笹薮が道の両側から飛び出している。そこに秩序めいたものはほとんどなく、文字通りのびのびと雑草たちが生い茂っている。時には、道を塞ぐような笹薮の群生地もあり、目がくらむ思いもした。 幸いにもスポーツタイツを履いているので葉が足にこすれても痒みが生じることはなかったけど、もし肌をむき出しにして歩いていたら、相当な痒みが生まれたのではないか。そう思うとゾッとした。

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クーラーの効いた部屋が愛おしい。なんで大量の藪がはびこっている中、強い陽射しに打たれながら、山歩きなんてしているんだろう、と後悔してももう遅い。行くも引き返すもどちらも苦行だ。であるなら、先に進むしかない。でも、先に進むといっても人を見かけないのでこんどは不安になってくる。この道は正しいのだろうか。藪たちが知らぬ間に違う道に案内しているんではないかと思ってしまう。

道が樹林帯に変わると嬉しくなるが、それもぬか喜びで、5分も歩けばまた笹薮の道に変わる。また同じような道をただひたすら延々と歩く。僕がもう少し少年の心を持っていれば、こういう道も目を輝かせながら歩くことができるのだろう。あの緑の虫はなんだろう? あの花はなんだろう? あの鳴き声の主は誰だろう? この道は好奇心を満たすものであふれている。でも、そう思うにはいささか歳を重ねすぎてしまっていた。やはり気持ちのいい展望が見たい。壮観な景色が見たい。

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こういう道を歩いているとき、一人できてよかったと思う。もし誰かを誘っていたら、文句を言われるに違いない。たとえ口に出さなくても、そういう顔を見るだけで、誘った方としては申し訳なくなってしまう。その点、一人なら文句を言われることはない。気楽だ。

箱根の大涌谷を一望できる尾根に出た。足がふらふらで、心も折れかかっているときに背中を押してくれる景色だ。いい景色に巡り会えると、きつく、つまらない山道もいい思い出に変わっていく。

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◯ 13:40 明神ヶ岳 山頂
ベンチに座り、水をがぶがぶ飲む。2リットルあった水はみるみる減っていき、残りは300ミリリットルを切っていた。もっと持ってくるべきだったと反省した。夏の登山は水の消費が激しい。金時山ほどではないにせよ、明神ヶ岳の山頂もいい景色だ。が、日差しを遮るものはないし、茶屋もないので、カンカンに照らされた大地の上で休んでいるだけでも、ちょっと辛い。長居したくても、それは簡単にできることではなく、僕は少し休んだら、次の明星ヶ岳に向かっていた。

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◯ 13:50 明神ヶ岳 出発
平均して一日一万歩は歩くし、長い距離を歩くことはわりと好きで、職場から自宅まで10キロくらいの道を歩いて帰ることもある。それくらい僕にとって歩くことは好きな行為なんですが、それでも直射日光を浴びつづける山登りはそれなりにきつい。それでもまた山には出かけるのだろう。どんなに辛くても嫌いになることは、きっとない。

眼下に小田原の市街と太平洋の大海原が現れる。遠くまでよく見える。胸を打つような感動はないが、記憶には刻まれる景色だ。山道の途中に、とつぜん現れる名もなき名所。こういう巡り会いは登山のいいところだ。

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これまでの道と違い、平坦な道がつづく。平坦な道って下りよりも歩きやすいんです。登りよりも、下りよりも、平らな道がいちばん楽な道です。人生もそういうところがあると思う。なんでもない道がいちばん歩きやすい。

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◯ 14:48 明星ヶ岳 山頂
明神ヶ岳から明星ヶ岳までは尾根道がつづくのかなって勝手に思っていたら、まったくそんなことはなく、この日散々目にした笹薮の中を通りぬける道に終始していた。

そしてそんな山行の最後の山を飾るべく、展望もベンチもなにもない山頂に着いた。明星ヶ岳の山頂です。山頂を示す看板がなく、おそらくここがそうだろうという場所で写真を一枚撮り、そそくさと下山にうつった。ロマンチックな山の名前だけど、少なくとも山頂はそういう雰囲気はなかったと思う。夜になると星が綺麗に見える場所に変わるのでしょうか。

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山を降っていると電車の音や車の音が大きくなってくる。どの山を登ってもそうなのですが、人工の音がしてくると下界が近づいてくる感覚が強くなります。音というのは自然界と人間界でけっこう違って、鳥の鳴き声とか、木々のざわめきとか、川のせせらぎとか、自然の音で溢れると、ああ、そっちの世界に入ったなと思うし、人工の音が充満してくると、人間の世界に帰ってきたなと思う。

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そしてその二つの世界のわかりやすい境界線が山道とコンクリートの舗装路だ。舗装路に出た瞬間に戻ってきたと思う。そして自販機を見つけたときはお宝を発見したような歓喜があり、一目散に駆け寄ってコーラのボタンを押す。ガコン、コーラが落ちてきて、缶を開け、ゴクゴクと喉を通す。この一杯がひどくうまい。山頂の蕎麦と下山後のコーラは最高だ。

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◯ 15:40 勘太郎の湯
宮城野営業所バス停でバスの時刻をチェックして近くにある「勘太郎の湯」へ。箱根の温泉のわりにはほとんど人はいなかった。僕が入ったときは、ほかに3人くらいだったかな。でも、温泉自体は熱々のいい湯でした。バケツ一杯分くらいの汗をかいた体を綺麗に洗い流し、湯に浸かって疲れをとる。下山後に箱根の湯に浸かれるのは箱根の山のいいところですよね。嬉しいご褒美だ。

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◯ 16:35 宮城野営業所バス停 出発
やはり超人気の観光地というだけあり、バスの車内はひどく混雑し、満員電車のように乗れるスペースは限られていた。カーブのつづく中、手すりに捕まって、足を踏ん張らせ、立っていた。でも、温泉でエネルギーは回復したし、これくらいなんてことはない。それに箱根湯本駅のバス停でたくさん降りて座ることもできた。

◯ 17:25 小田原駅着
今日の山行を一言でいうなら「薮だ」。金時山から明星ヶ岳まで、なんどもなんども、またかと言いたくなるほど薮の道を通る。それから、もう一つつけたすなら「暑い」。覚悟していたことだけど、想像以上だった。金時山だけならまだそこまで辛くならずに登れると思いますが、明神ヶ岳、明星ヶ岳まで登るとなると負担は大きくなる。3つの山の縦走をするならば、夏に登るよりかは春とか秋に登ったほうが楽しい山だ。これは言い切れると思う。汗は滝のように流れるし、強烈な日差しには襲われる。


ただ夏に登っても、展望は良かった。金時山も、尾根からの景色も、明神ヶ岳の眺望もどれも素晴らしい景色があった。


翌週、おばちゃんにこの日のことを報告したら、「だから暑いって言ったでしょ」と笑われた。おばちゃんの言うことはちゃんと聞こうと思った。

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富士山とつるつる温泉が待っている。【御岳山〜大岳山〜日の出山】

◯ 8:00 御嶽駅 2018年7月8日
「ホリデー快速おくたま」に乗って御嶽駅に到着。土日になると出現するこの中央線の快速列車は、新宿から乗り換えなしで奥多摩まで運んでくれるありがたい列車だ。奥多摩方面に向かうときは必ずといっていいほど世話になる。それは僕に限った話ではなく、数多くのハイカーが乗り合わせてくるところを見ても重宝されていることがわかるだろう。梅雨のあけた7月初旬のこの日も、「ホリデー快速おくたま」はハイカー御用達列車になっていた。

僕が最初に目指す御岳山は御嶽駅からバスで10分ほど揺られ、ケーブルカー(御岳登山鉄道)に乗り換えて御岳山駅まで登り、そこから山の上の集落の間を抜けるように30分ほど歩くと山頂(御嶽神社)に着いてしまう。とても楽な山行である。高尾山よりも簡単に登れると思う。そういうお手軽さも御岳山の人気を支えているのだろう、この日も多くの人が御岳山にやってきていた。それからこの山を人気たらしめている最大の理由は(おそらく)ロックガーデンという岩石園のエリアである。詳しくは後述しますが、岩と苔と水が織りなす光景はなかなか美しいもので、これを見るとこの地に訪れたくなる理由もわかる。

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◯ 9:02 御嶽神社
御岳山の山頂である御嶽神社から次の目的地である大岳山までのルートはロックガーデンを経由するルートと直接大岳山に向かうルートがあって、ほとんどの人はロックガーデンに進路をとる。ロックガーデンを経由しない人は僕と途中で見かけた老夫婦1組だけだった。老夫婦は一言も口を開かず、静かにゆっくりと歩いている。おじいさんの半歩後ろをおばあさんが黙っててくてくとついていく足取りがひどく可愛らしい。大岳山への直行ルートにはロックガーデンのような自然の美しさはないけれど人の美しい光景を見ることができた。

朝、目が覚めたときは山に行くのが面倒くさいなあという気持ちが襲いかかってきて、出かけるのが億劫になる。眠たい体をむりやり起こして顔を洗って歯を磨いてという行為自体がもう面倒。なんで休みの日に朝早く起きて山なんかに行かなきゃいけないんだ!と自分に対して悪態をついてしまう。それでも、いざ、重い腰を上げて山まで来ると、やっぱり来て良かったと思うんです。そう思わせてしまう光景や空気が山にはある。この老夫婦の光景もその一つだと思うのだ。

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ロックガーデンルートとの再合流地点から、傾斜は少しずつきつくなっていく。姿勢は前屈みになり、この日初めて汗もぽつぽつと流れはじめてきた。時を同じくして頬に雨粒があたる。雨粒というよりも、水滴のシャワーみたいだ。それが火照った体の熱を冷ますようで気持ちがいい。樹林帯を歩いていたこの時間帯は、森林浴でもあり、水欲のような時間でもあった。

前方に滑落注意という看板が出現する。岩場の細い道で、左側は崖のようになっている。足を滑らせたりでもしたら一大事だぞ、というような場所だ。僕は高いところは苦手だし、こういう道はあまり好きではない。危険箇所ほどアドレナリンが沸々と湧き出るような特異人物では決してない。できれば終始安全な道のりだと助かると願う平和志向型ハイカーである。登り慣れた人なら、どうってことはない道なんだろうけど僕は慎重に足を滑らせないように登った。下るときにまた通ると思うと嫌だなあと思ったが、まあ、仕方のないことである。それを覚悟しての登山だ。こういうのが嫌なら登らなければいいだけだ。

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ざわざわ、ざわざわと木々が騒ぎ出した。樹木の葉が一斉に擦れる音がする。なにか不穏な空気を感じる音だ。すると、僕の頬、腕、頭に雨粒が落ちてくる。先ほどのハイカーを祝福するような水滴のシャワーと違って今度は本格的な雨だった。参ったなあ。山頂まではおそらくあと少しだが岩場はまだ先にもあって道は滑りやすくなる。一旦とどまるべきか悩んだけど、ほどなくして雨は弱まったので先に進むことにした。山という場所はほんとに天候が変わりやすい。

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○ 10:20 大岳山 山頂
山頂に着いたとき、雨はほぼ止んでいた。
樹林を抜け、岩場を抜けた山頂には富士山まで見渡せる見事な眺望が待っているはずだった。が、静岡方面の空はぷかぷかと雲が漂っていて、富士山を覆い隠している。僕はいささかの失望とともに肩を落とし、ザックを下ろした。そして空いていたベンチに腰を掛けた。ここでさらに追い討ちをかけるように残念な出来事が起きる。きょうはコンビニおにぎり&サンドイッチのいつものお手軽昼食はやめて、山頂で肉を焼こうと息巻いていたのだが肝心の豚肉を家の冷蔵庫に忘れてきてしまったのだ。僕はふたたびがっくしと首を垂れた。まあ、こういう日もあるさ、と自分に言い聞かせ、気落ちしたままベンチで休んでいると「富士山だ」と弾んだ声が周りから聞こえてくる。その吉報は真実の歓声だった。眺望の先から富士山が姿を現した。もしかしたら、不運(といっても肉を忘れたのは自分の不注意のせいだ)な僕を慮ってひょっこり顔を出してくれたのかもしれない。

富士山を眺めていると「となり、いいですか?」と老婦人が声をかけてきた。艶のある白髪で物腰の柔らかい上品な方だった。一人で山登りに来るような方には見えない。でも、この方は一人で来ていた。もちろん構いません、と僕は返事をした。
「見られないと思っていました、富士山」と老婦人は言った。
「さっきまですっぽり雲に隠れていたんですけど、ちょうどいま見え始めたんです」
「そうですか」老婦人は八千草薫が微笑んだ時のような優しい顔をした。富士山が顔を出したのは僕のためではなく、この方のためだったんだろう。なぜだかそういう気がした。

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○ 10:55 大岳山 山頂 出発
次の目指す山頂である日の出山に向かって来た道を戻る。一度通ったこともあって、すいすい下る。ふたたび、恐れおののいていた滑落注意の場所に差し掛かる。でも、登りのときより怖さはなかった。いちど経験したからなのか、下りだからなのかはよくわからないが、もう身がちぢこまることはなかった。

○ 11:45 ロックガーデン
下りではロックガーデンルートを選択。この岩石園を実際に自分の目で見るとその美しさは写真よりも一際輝いてみえた。岩と苔と水が互いに協力しあって、額縁をかけて家で鑑賞したくなるような自然美をつくっている。さらにその自然美は気持ちのいいせせらぎの音も奏でてくれている。来る人みんなをいい気分にさせてくれる舞台がロックガーデンにはあった。
そういう訪れてよかったと思える場所だけあって、ロックガーデン一帯はこの日の山行でいちばんの賑わいを見せていた。大人も子どもも、お年寄りも、外国人も、さまざまな人がラフな格好で観光地のメインストリートを通るようにぞろぞろと歩いていた。

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○ 12:15 七代の滝
「七代の滝」という案内板を見つけ、せっかくなので行ってみることにした。次の目的地である日の出山へのルートからは外れていたけど、時間的に余裕があったし、どういう滝か見てみたい気持ちもあったのだ。が、滝までの道のりが思っていた以上にやっかいで、急階段を落ちるように下っていく。下るときはまだよかった。問題は登りだ。滝から分岐点まで戻るために、その急階段を登るのがかなりきつかった。滝のことよりも、この急階段のことが深く刻まれた場所だった。

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○ 12:47 御嶽神社 入り口
御嶽神社の入り口まで戻る。今度はこの場所から日の出山の方へ舵を切る。昼下がりの時間ということもあって、僕と同じようにこれから日の出山に向かう人は一人もいない。でも僕はとにかく早く日の出山に向かいたかった。なぜなら、その先に「つるつる温泉」という(たぶん)ハイカーの間で有名な温泉があるからです。
「御岳山に行くんです(あるいは行きました)」と山好きの人と話をすると、「ということは、つるつる温泉に下山ですね」という会話になることが多い。それくらい御岳山とつるつる温泉はセットで語られる。

一人きりの静かな山をわりかし早足で歩いていると、道の先に熊が仰向けになって倒れているような黒い物体が見え、一瞬足がすくみ、心臓の鼓動が太鼓を素早く打つように早くなる。近くまでいくと、もうなんの変哲もないただの岩だったんだけど、遠くから見るとそうは見えなくてほんとに驚いた。紛らわしいフォルムだ、まったく。ひとりぼっちのときの心細い心理が岩を熊に見させてしまうのかもしれない。

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○ 13:20 日の出山 山頂
日の出山の山頂に着く。標高も低く、ルートもラクなわりには展望のいい山です。東京と埼玉を広く見渡せる。しかし、この時期の低山はやはり暑い。眺めのいい場所でも、景色を十全に楽しもうとすると辛い。座っているだけでも汗がだらだらと流れてくる。到着してまもなくは爽快な景色に目を奪われていたけど、数分後には暑さに耐えられなくて早く温泉に向かおうという意識になっていた。

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山頂からつるつる温泉までは下るだけの道で、暑さから逃れるように、温泉を渇望するように、早足で下っていった。「つるつる、つるつる」と頭の中で連呼をしながら下っていると4人のお年寄り集団の後ろに付いた。追い越そうと思っていたら、お年寄り方の話が興味深くて、結局山を抜けたふもとまで金魚の糞のようについていってしまった。以下は、その時のおじいさんとおばあさんたちの会話の一部です。

「若い頃は、槍から剣に縦走していたし、昔は人の荷物も背負って登っていたんだけどな。今じゃ、自分の分で精一杯さ」
「あら、いくつだっけ?」
「オラ? 27だよ」
「なら、まだいけるわよ。私も17だし、いけるかな」
「いけるいける」

「どこの山が良かった?」
「チョウがいいね、チョウ」
「鳥海山?」
「ちがう、蝶ヶ岳。景色がすごくいいの」
「いつ行くの?」
「冬に行く」
「山荘は開いてるの?」
「いや、避難小屋に泊まる」
「私は西穂かな」
「西穂は鎖もロープもないし、いいよね。自分で登るだけ。笠もいいよ、笠ヶ岳」

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○ 14:33 つるつる温泉
おそらく3、4度目の再訪になるつるつる温泉。浴室の真ん中に楕円形の大きな風呂がどんと構えていて、その周囲に体を洗うスペースが点在している。多くのハイカーやトレイルランナーたちが汗を流し、温泉に浸かってゆっくりしていた。僕も体の汚れと汗を流して温泉に浸かって疲れをとった。

そしてサウナに入る。詳しくはまた別のときに記したいと思っていますが、最近、「サウナー」という言葉を知り、「整う」という不思議な体験をしてしまった。そういうこともあって、つるつる温泉のサウナと水風呂も楽しみにしていた。6人入るのがやっとという小さなサウナ室に10分浸かり、水風呂へ。水温は22度でちょっとぬるかったけど、それが入りやすくて気持ちよかった。で、外気にあたり、整った。
入浴後は、食事処でカツ丼をいただき、空腹に苛まれていたお腹を満たし、今日の山行について簡単なメモをした。つるつる温泉から武蔵五日市駅までのバスが出ているので、あとはバスが来るまでのんびりと過ごすだけだ。

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○ 16:35 武蔵五日市駅
雨に降られたときはどうしよかと思ったけど、止んでよかった。大岳山では富士山を見ることができたし、御岳山のロックガーデンもよかったし、下山後のつるつる温泉もよかった。なかなか満足のいく山行でした。暑い、という苦難もありますが、大抵は樹林帯で直射日光を浴びることはほとんどありません。暑さがどうしても辛いということであれば、春とか秋に行くといい山行を楽しめると思います。

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見晴らしのいい山。【筑波山】

○ 7:31 渋谷駅 2018年6月17日
東京の空模様はどんよりとした曇り空で、もくもくと漂っている雲の群れに太陽が覗く隙間は一分もなかった。僕が今日目指す山は展望の良さで知られる筑波山だ。願わくは山頂では雲が吹き飛び、美しい光景を目にすることができるといいんだけどな、と一縷の望みを胸にしまい、つくば駅に向かう電車に乗った。

初めてつくばエクスプレスに乗る。乗ってみて驚いたんですが、ものすごく速いと感じた。弾丸のようにびゅんと進む。僕のはやる気持ちを汲み取ってくれるみたいに一目散に進んでいく。車窓の向こうに見える街並みがものすごい速さで変わっていった。

車内では登山者もぽつぽつと見かけました。僕の隣に座っていた二人組の女性も間違いなく筑波山に向かう人たちだったと思う。山に登る格好だったし、筑波山のパンフレットを手に持っていた。どの山に登ったという話もしている。ただ、「仕事のことはどうでもいい。話すだけ酸素の無駄」と急にナイフで切り刻むようなセリフが飛び出し、どきりとした。何があったんだろう。

東京都を抜け、千葉県を抜け、茨城県に入ると、やがて車窓越しに筑波山が見えてくる。山頂は雲にすっぽりと覆われていた。もしかしたら雨が降っているかもしれない。まあ、それはそれで仕方ないかとこの時点で過度の期待をすることはやめた。

○ 8:45 つくば駅
つくば駅に到着。東京の空と同じようにつくばの空も雲で覆われ、街は全体的に薄暗くなっている。絶好の登山日和とはいかなかった。まあ、梅雨の時期に登山計画をする自分がいけないだろう。でも、筑波山に登ってみたい欲がむくむくと湧きでてしまったのだから、しょうがない。登ってみるしかこの気持ちを解消することはできないのだ。そうしないと悶々とした日々を過ごすことになる。

筑波山行きのシャトルバス乗り場を探すとすぐにわかった。登山者の列ができていたからだ。僕も列の後ろに並び、所在なげに地図を眺める。登山ではバスを待つことが度々起こるけど(しばしば登山口までバスが連れてってくれる)、たいてい携帯をいじったり、地図を見て待ちます。要するにやることがないのです。バス待ちに限っていえば今日みたいな曇った日はまだいいけれど、太陽の陽射しが強いとそれはそれで辛かったりする。この日は臨時バスも走っていて、それほど待つことなく出発した。

バスが走り出すと筑波山の紹介アナウンスが流れ出した。「筑波山自体が御神体であり、御山自体がパワースポット」とか「筑波山温泉郷はアルカリ性であり…、(中略)みなさま、筑波山で楽しいひとときをお過ごしください」というアナウンスが日本語→英語の順番で流れていた。外国人も登るのだろうか。筑波山は外国にも知名度の高い山なのだろうか。少なくともそのときの車内には外国人は一人も見かけなった(筑波山ではいくつかの外国人グループとすれ違った)。僕は車窓の風景を目にしながら、天井から流れてくるアナウンスをぼんやりと聞いていた。

「すべてがのどか。好きな景色」と前席に座っていた少年が隣席の友だちに向かって言った。僕も後ろの席で同感だと思った。目に見える光景のほとんどは田んぼと畑と住居でつくられている。緑が多くて「のどか」という形容がぴたりとはまる景色がそこにはあった。そういうのどかな景色の奥にドン!と聳える山がある。筑波山だ。想像していたよりもはるかに大きく、巨大な壁のようにせり立っている。低山だからといって、観光山だからといって、舐めてかかると痛い目にあいそうな気がした。

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○ 9:42 筑波山神社 下車
ほとんどの人は筑波山神社のバス停で下車した。筑波山を登る一般的なコースは二つある。
(1)筑波山神社から登るコース
(2)つつじヶ丘から登るコース
僕もどちらから登ろうか迷ったけど、筑波山神社から登り、つつじヶ丘に下山するコースにしようと決めた。なぜならつつじヶ丘は帰りのバスの始発だからです。登山後は座ってゆっくり帰りたいなあと思ったのだ。ということで僕も筑波山神社のバス停で降りた。

バスから降りると冷たい空気が肌を襲う。標高も少しばかり高いところだったし、曇っていたせいもあったのだろう。身震いする寒さではないけど、けっこう肌寒かった。少なくとも初夏の暑さはどこにもなかった。ホテルや旅館、土産屋が立ち並ぶ温泉街みたいな通りを抜け、筑波山神社に到着する。ハイカーのほかにも訪れている人がばらばらといて賑わっている神社だった。ほとんどの人がそうしているように僕も参拝をしてから登山口に向かった。

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○ 10:05 登山口
お邪魔します、といった感じで登山口から筑波山の中に足を踏み入れると途端に雰囲気が変わる。太古の森みたいな重々しさがあり、獣すら寄せ付けないような静謐な空気が蔓延している。「筑波山自体がご神体であり、御山自体がパワースポット」というバスのアナウンスが僕の頭の中にリフレインしてくる。さっきまで旅館やらホテルやら人工物があったのに、登山道に入るとテレビのチャンネルを変えたようにガラリと変わった。のどかな景色は唐突に断絶され、神聖めいた森に変わったことにいささか面を食らった。

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地面はぬかるみ、滑りやすく、雨が降っていたことがうかがえる。樹木の葉も幹も瑞々しさを含んでいる。深く神秘的な、そして薄暗く寡黙なたたずまいが、湿った薄いヴェールのように、僕の上に終始垂れ込めている。そこは「神聖な」という尊くて侵しがたい場所であるような一方で「不穏な」「得体の知れない」とも表現したくなるような雰囲気も感じられる。

ひやりとした空気の中、汗がジワリと出てくる。はじめの休憩所でアウターを脱いでタオルを首に巻いた。序盤は階段が多くて大股で足を持ち上げることが多い。大股で歩きつづけるとあとでずしりと足にくるのであまりしたくないんだけど、これも御神体の山を登る試練の一つだと思って歯を食いしばりながら登る。

その後も平坦な道は少なくて、垂直に登るような急登や、再度の階段地獄といった感じであの手この手で登山者に試練を与えてくる。やはり人気の山だからといって高尾山みたいに思っていてはいけない。足のエネルギーはみるみる消耗するし、膝のダメージも蓄積していく。

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○ 11:10 御幸ヶ原
男体山と女体山(標高871 mの男体山と877mの女体山を総称して筑波山と呼んでいる)の間に位置する御幸ヶ原。筑波山を登るコースにある中でもっとも広い休憩所です。広大な平地には茶店が並び、多くの人がこの場所で腰を下ろし、食事をとっていた。御幸ヶ原は山頂ではないけど、山頂付近ということで展望を望める場所なのですが、残念ながら雲が晴れることはなく期待していた展望は望めなかった。つくば駅に着いたときから、山を登っているときから覚悟していたことだけど、それでも少し悲しい気持ちになった。景色を望めなかったこともあって僕は休憩もほどほどに一つ目の山頂である男体山へ向かう。御幸ヶ原から山頂までは距離としては短いけど、厳しい急勾配が続き、前にいたおばあちゃんは「心臓がばくばくする」とおじいちゃんに嘆いていた。

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○ 11:22 男体山 山頂
山頂に着いても変わらず曇っていたので気持ちのいい展望は望めなかったけど、それでもだだ広い関東平野を見渡すことができた。タイミングがよかったのかもしれませんが、人もあまり多くなく(この後の女体山は行列がすごかった)、しばらくの間、山頂からの景色を眺めていた。爽快とはまた違った感じのいい気分である。大空を優雅に飛んでいる鳥の気持ちになれる。

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○ 11:37 御幸ヶ原
山頂を楽しんだ後、再び御幸ヶ原に戻り、ご飯を食べることにした。茶店「たがみ」に入り、「けんちんそば(850円)」を注文。熱々のけんちんそばが体に沁みる。登っているときは汗をかいて暑苦しくなるけど、テーブルに腰掛けてるときは、発汗したあとの気化熱により体が冷える。その冷えた体に熱々のけんちんそばがとても沁みるのだ。美味しかった。汁も飲みきって完食。それにしても辺りを見渡すと老若男女いる筑波山。小さな子供からお年寄りまでいる。

御幸ヶ原に着いたときから、目についたものがあった。おじーさんも、おばーさんも、おとーさんも、おかーさんも、子どもたちも、老若男女のたくさんの人が串に刺さった何かを食べているのだ。それがひどく美味しそうで僕も食べてみたくなった。その正体を探すと「焼き団子(330円)」だということがわかり、僕はさっそくそれを売ってる店で買った。一串三粒だが、一粒一粒が大きくて、甘い。中は柔らかく、表面はパリッとしている。うまい。

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御幸ヶ原の一角に「紫峰杉まで1分」と書かれた看板を見つける。次の目的地である女体山に向かうコースからは外れていたけど、1分という至近距離だったこともあり、せっかくなので行ってみることにした。紫峰杉は先程までの喧騒が嘘のように静かな場所だった。人間は僕しかいない。あとはただ樹木が屹立しているだけだ。しんとしている。そして道の先に見事な杉が静かに鎮座している。樹齢800年と立て札には書いてあった。樹齢何百年という木に対峙することはこれまでにも何度かあったけど、その度に拝む気持ちになる。そういう気持ちにさせられる何かがある。

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○ 12:27 女体山 山頂
男体山と違って、女体山の山頂では長い長い行列ができていた。いちばん見晴らしのいいと思われる岩の先端のスポットに立ちたい人たちが列をつくっている。人気のクレープ店のように、次から次へと人がやって来て行列がなくなる気配はない。確かに男体山よりも眺めは良さそうだったけど、人が多すぎてゆっくりと楽しむことは難しそうな場所だった。僕は高いところは苦手だし、岩の先端までは怖くていけないので少し離れたところから展望を見て退散。つつじヶ丘のバス停に向かって下山を始めた。

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ひどく急な岩場から始まる。ストン、ストン、と直下するように下っていく。足の踏み場である岩場は水気が含まれ、つるんと滑りやすく、かなり慎重に足を運ばないと転びそうだった。途中すれ違った小さな女の子は登っているときに足を滑らして「もう、嫌だ」と泣いていた。空は曇っているし、山登りは滑って危険だし、あの女の子にとって筑波山はいい思い出にならなかったかもしれない。僕があの子だったら山嫌いになってしまうかもしれない。そのくらい、この日の筑波山は危険な顔を出していた。晴れていたらまた違うんだろうけど。

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つつじヶ丘に近づくと景色のひらけた場所にでる。雲が減っていたこともあり、気持ちのいい景色が広がっている。お誂え向きにベンチもあり、つつじヶ丘まですぐそこだったが、ここで一旦ザックを肩から下ろし、小休憩した。御幸ヶ原と違い、女体山と違い、ほとんど人もいなくて、気分のいい時間を堪能した。このときが筑波山でもっとも優雅な時間だった気がする。

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○ 13:30 つつじヶ丘バス停到着
行きと違いバスの中は人の喋り声は聞こえず、紹介アナウンスもなく、静かな空間だった。ほぼみんなが目をつむってすやすやと眠りにおちていた。僕も目を瞑った。山を登った後は気分良く眠れる。

この日はあいにくの空模様で筑波山を十全に楽しめたかというとそうではありませんでした。筑波山の本来持つ魅力の半分くらいしか堪能することはできなかったと思う。おそらく雲ひとつない晴天の日は見事な眺望が待っているんだろう。その景色を拝めなかったのは残念だけど、それでも楽しい山行だった。低山でこれほど遠くまで平野を見渡せる山は少ないと思うし、こんどまた晴れた日に行ってみたいと思います。

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また行きたくなる山。【伊豆ヶ岳〜子ノ権現】

○ 7:04 正丸駅 2018年6月2日(土)
時計の針が早朝の5時をまわったばかりの山手線は、腕を組んで首をうとうと傾けながら頭を垂れてる人がたくさんいた。ついさっきまでクラブミュージックが鳴り響く薄暗い空間で、はじけていたとみられる若い男女のグループが電車のシートにもたれるように座ってすやすやと子どもの顔をして寝ている。僕もあくびをしながら朝の山手線に揺られていた。

池袋駅で電車を降りて西武池袋線に乗り換えた。空いていた席に腰を下ろし、車窓の向こうに見える駅のホームの光景をぼんやりと眺めていた。発車時刻になって電車が定刻通りに走り出すと車窓の景色はビル群から住宅街に変わり、やがて山の姿が目につきはじめた。その頃には車内は空席が目立つようになっていた。土曜日の朝の西武池袋線はJR中央線みたいに登山者でにぎわってはいない。奥多摩の山に向かうときによく利用する中央線の「ホリデー快速おくたま」の車内は登山者をよく目にするけど、西武線はぽつぽつと見かけるくらいだった。車内はごく日常的な服装を着た人の光景で出来上がっていた。

正丸駅に降り立ったのは朝の7時過ぎだった。周囲をぐるりと見回すと見事なまでに山に囲まれていて、ビルが割拠した都心の光景とはまるでちがう光景があった。冷えた空気が肌に触れる。僕はザックの中からアウターを取り出してシャツの上から羽織った。そして準備体操もほどほどに最初の目的地である伊豆ヶ岳の山頂に向かって歩きはじめた。駅から登山口まではまず舗装路を進む。舗装路に並行して沢が流れている。こういう沢とともにはじまる山は好きだ。

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○ 7:35 登山口
登山口に着いたとき、「おはようございます」と丁寧な挨拶をしてくださった白髪まじりのすらりとした男性が後ろから僕を追い抜いていった。身軽そうなザックを背負い、軽快な足取りで僕の前をするすると進んでいく。いろんな山に登っているのだろうか。彼が身につけている服装や登山靴や山道具を背後から眺めていると、熟練者の域に達している雰囲気を感じた。この方はコンパクトカメラを手に撮り、僕と同じようにパシャパシャと山の風景を写真に収めていた。ただ、それが唯一の共通点なようで二人の登るスピードはだいぶ異なっていた。人間とチーターが一緒にヨーイドンをして走るように彼と僕の距離はぐんぐんと離れていった。そしていつのまにか視界から消えていた。こういう人生の中のほんの一瞬の交わりが、山ではよくある。ところが、この男性とはこの日の山行を通して、なんども顔を合わせることになった。

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舗装路から登山道に移っても沢はつづいていた。するとなんの予兆もなく、とつぜん頭の中に、さわわ、さわわ、さわわー、 と「さとうきび畑」の替え歌が流れてきた。周囲には誰もいなかったので口に出して歌ってもよかったのかもしれないが、鳥に笑われたらいやだなと思ってやめておいた。

朝の陽光が注がれている樹林帯を、えっほ、えっほ、と元気よく登っていく(もちろん声には出してない)。さきほど見かけた男性のほかに人の気配はまるでなかった。正丸駅では数名の登山の格好をした人を見かけたけど、登山道に入ってから見かけることはなかった。伊豆ヶ岳は奥武蔵の人気の山と聞いていたのでいささか拍子抜けした。人でにぎわっているのかと思っていたら、そういうわけでもないようである。もっともゴールデンウィークの新緑の時期はまた違うんでしょうが。写真を撮るために短パンのポケットからスマートフォンを取り出すと圏外だった。人はいない。電波も入らない。世間から切り離された世界がはじまった。

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やがて沢の音がぴたっとやむ。それまでひんやりとした薄い膜のようなものに覆われていた水々しい空気は薄れ、さらにタイミングよく太陽が雲に隠れた。あたりは暗雲とした一帯に変わり、風もいくぶん冷ややかになった。すると、その暗い空気にふさわしい舞台が用意されたように目の前に急峻があらわれた。額から汗がつーっと落ちる。足を上下にあげる幅は大きくなり、蓄えていたエネルギーがみるみると消耗していった。

T字路の分岐点にさしかかったとき、さきほどすれ違った白髪の男性が左手の道から引き返してくる。どうしたんだろうと思ったら、こんどは右手の道に進んだ。かと思えば、また僕の立っている分岐点に戻ってきた。

「すみません、どっちの道だかわかりますか?」と男性が声をかけてきた。
「わからないです。地図を見てみます」と僕は言った。
僕は地図を広げ、男性はスマートフォンのGPS機能を使って調べた。そして、二人で話し合った結果、左手の道が正しい道だとわかる。右手にある道のように見えたものは道ではなかった。この場所は分岐点でもなんでもなかったのである。
「ここに案内板ほしいですよね」
「僕らで建てときますか」
と冗談をまじえたやりとりをしたあと、男性はまたチーターのような足取りで左手の道をさっそうと進んでいった。僕もその後を追って進んでいく。まもなく、また登りがはじまり、上の方から、土塊や小石がころころと転がってくる。先の方まで見上げるとそこには荒くれた急斜面があった。すべりやすいみたいで、先を行くさっきの男性が「気をつけてください」と僕に呼びかけながら登っていった。僕も足に力を入れたり、木の根っこを掴みながら、巨大な壁のような荒れた斜面を用心深く登っていった。足をすべらすと勢いよく下まですべりおちそうだった。汗というよりも冷や汗をかいていた。

難斜面を登りきると平らな道が待っていた。雲間から太陽が顔を出しはじめて、山林一帯に光と影のコントラストの美しい光景が目に飛び込んでくるようになった。ハイキング気分で美しい樹林帯を抜ける。するとこんどは岩場が出現し、岩場の反対側には見事な眺望があった。いくつもの山が連なった景色が遠くまで広がっている。僕は岩場で足を止め、じっと山容を眺めていた。ただ見ていた。ただ見ているだけだった。でも、心の中にある曇った部分がすこしずつ晴れていった。山の景色にはときどきそういう心を晴れやかにする作用が起こる。それにいい湯に浸かっているときのような快感があった。さきほどの男性も岩場の上のほうで腰に手を当てながら、景色を見ていた。

とても静かな山だ。聞こえるものといえば自然の音と鳥の声くらいだ。心の中の僕の声がいちばん大きいかもしれない。

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◯ 8:12 五輪山
僕は今、五輪のてっぺんにきている。つまり、金メダルだ。僕もついに金メダルをとったんだ。足を止めて休んでいると変な思考がはじまった。なんだかあほらしくなってきたので、疲労を感じた太腿をさっとほぐしてさっさと伊豆ヶ岳の山頂に向かう。

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男坂にやってきた。ここは傾斜40度、全長約50mのクサリ場で伊豆ヶ岳を象徴する登り坂でもあった。事故も起きているという危険な箇所で、2018年6月現在、立ち入り禁止になっている。登山ビギナーであり、高所恐怖症でもある僕は巨壁みたいなクサリ場を目にしただけで立ちすくんでしまった。写真で見ていたものよりも迫力があった。

このときは迂回路である女坂も現在立ち入り禁止だった。僕は男坂と女坂の間に位置する新しい登山道──さしずめ子供坂といったところだろうか──を登っていった。

前方に大型のザックを背負った男性とその後をついていく女性の姿を見つけた。男性は歩荷さんが背中に抱えているようなとても重そうなザックを背負っていた。男性はゆっくりと、一歩一歩、足を滑らせないように慎重に登っていた。僕も力を振り絞って登っていく。まもなく伊豆ヶ岳の山頂に到着した。

○ 8:20 伊豆ヶ岳山頂
山頂には4名の男女がいた。一人は途中で顔を合わせた白髪の男性。
「無事、着きましたね」と男性が僕を見るなり、そう口にした。
「はい、いい山でした」と僕。
会話もそこそこに切り上げる。もう一人は登山慣れしていそうな中年の男性で、さいごの一人は女性であった。ふしぎに思ったのは、僕の前方にいた大型のザックを背負った男性と女性の二人組が見当たらなかったことだ。彼らは休まずに先に進んだのだろうか。それともあれはただの幻だったのだろうか。はっきりと目にしたんだけどなあと頭をかいた。

山頂は樹木に囲まれていて眺望はなかった。山頂の手前の場所に眺望のよい場所があるので展望を楽しむならそこで景色を眺めるといいかと思われます。ここではおにぎり二個を補給して休憩もほどほどに次の目的地である「子ノ権現」に向かった。

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○ 8:30 伊豆ヶ岳 山頂 出発
白髪の男性は僕より前に出発していて、あとの二人はまだ山頂でゆっくりしていた。僕はザックを背負って各部のベルトをギュッと締める。緩んだ心のネジをもう一度締め直す。そして次の山に繰り出した。

わりと傾斜のきつい下り坂からはじまった。足をすべらせないように慎重に下る。下りきったかと思ったら、こんどは急峻な登り坂が現れる。山頂から先は傾斜の鋭いアップダウンの繰り返しで歩いていると修行僧のようにも思えてきた。

人の姿は見えないが遠くから熊鈴が聞こえてくる。熊鈴は熊よけのための鈴とされているけど、山の中でひとりでいると、人の気配を感じることができ、ちょっとほっとさせてくれる。しかも、この遠方にいる方の熊鈴の音色は、風鈴のような澄んだ美しい音色でよく響いている。僕の熊鈴は遠くまで聞こえないようなか細い音で、音の質も安物の楽器のように悪い。僕もこういう透き通った心地いい音色の、かつ、遠くまで響く熊鈴を買おうと思った。

急峻なアップダウンを繰り返したせいか右足も左足も徐々に重くなってきていた。鉛を足首に巻いて登っているみたいに足をあげることがきつくなっていた。登りはじめのときのペースと比べると、歩行のスピードは亀のようにスローダウンしていた。こんな辛い思いをしていったいなんのために登っているんだろうと自問自答する。でも明確なこたえがでるわけではない。ひとつ確かなことは辛いけど楽しいということだ。苦しんだ先にある楽しいは、ふつうの楽しいより、楽しかったりすると思う。

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○ 8:45 古御岳
古御岳の休憩スペースに伊豆ヶ岳の山頂では見かけなかったあの男女の二人組がいた。と思ったら、二人だけでなくて、小さな女の子もいた。そうか、あの男性は女の子を背負っていたのだ。大型のザックではなく、ベビーキャリアだったのだ。家族三人で山登りに来ていたのだ。男性はお父さんで女性はお母さんだったのだ。

休憩スペースでは女の子は立って歩いていた。それなりに大きな子どもだった。お父さんは彼女を背負って急峻な山を登って下ってまた登っていたのだ。とてもパワフルなお父さんだ。僕にはとても真似のできる芸当ではなく、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。僕は、こんにちは、と挨拶をして彼らの前を通りすぎた。お父さんの発した「こんにちは」には重労働のあとのような声色が含まれていた。でも、ハキハキとしたエネルギーに満ちた挨拶だった。お父さんすごい。こちらのファミリーとは、この日の山行の終着点である吾野駅でも見かけることになった。ひとりで歩いていた僕とほとんど同じペースで歩いていたのだ。まことに恐れ入る。

そういえば登山者を見かけることも少なかったけどトレイルランナーもほとんど見かけなかった。確か走っている人を見かけたのは1人くらいだったと思う。あとは日頃から山登りが好きそうな方の3、4人とすれ違ったくらいでほんとに静かな山である。登山道はある程度整備されていて歩きやすく、いい山道だ。山の中でひとりきりになるのが心細くて仕方がないという人を抜きにすれば、楽しめると思います。

街の中にいるときは、自分のいまいる場所を正確に判断できるし、向いてる方角もわかる。僕はわりと頭の中で鳥の目になって街を空から俯瞰して見ることが得意なので、道に迷うことなんてほぼないんですが、山だとなかなかそういうわけにはいかない。まわりを見渡しても樹林ばかりで目印になるようなものはなく、空から俯瞰してみようと思っても現在地をつかみにくい。だから、案内板のない分岐路に出くわすと迷ってしまうときもある。そういうときはコンパスを取り出したり、地図とにらめっこしたりして、頭の汗をかいて進路を選ぶ。なんというかこういうことをしていると人間の生存本能的な感覚がいくばくか磨かれていくような気がした。まあ、こういうのは得てして気がするだけでおわるんですが。

○ 9:08 高畑山
時計をちらりと見て山行時間を確認し、すっと通りすぎる。小刻みに休みをとりながら歩いていたので、ちょっと遅れているかもなと思っていた。でも、ペース的にはそれほど悪くないということを確認する。

まもなく、この日の山行でいちばん展望がのぞめそうな場所に出た。周囲は伐採されていて、ぽつんと鉄塔が一つ建っていた。伐採のおかげでといったら、木に悪いけど、遠くまでよく見えた。僕は樹林帯を歩くことが好きですが、やっぱりこういういい景色を望めるところも好きです。とてもいい場所だった。でも、熊蜂の溜まり場になっているんじゃないかと思うくらい、ぶんぶんと十数匹も飛んでいて、ちょっと怖くもあった。十数匹の熊蜂が飛び交っている音はなかなか耳から離れない。いまでも、その時の音は思い出せます。ぶんぶん、ぶんぶん。

伐採もされていましたが、植樹もされていました。がらんとした場所にあたらしい命も芽吹きはじめていた。

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朝早くからこれだけ自然のシャワーを浴びていると、なんだか僕も光合成をしているんじゃないかという気分になってくる。それくらい木々の隙間を通り抜けて降り注ぐ光のエネルギーを体が吸収している気がする。自分の中に養分が溜まっていくような気がする。街中で太陽の光を一身に浴びてもこういう気持ちはいっさい湧いてこないんですが、山の中にまみれていると湧いてくる。自然に満ち満ちている場所だからかもしれない。

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かすかに耳に届いていた熊鈴がいっさい聞こえなくなってから、急に心細くなってきた。それまではひとりきりとはいえ、ひとりではなかった。近くに人がいると思っていた。それがまったく音がしなくなると背中がひどく寂しくなってきた。まあ、熊鈴の音がだんだん大きくなってくると、後ろから追われているようでプレッシャーにもなるんですが。ただ、山の深くで人の気配がまるでないというのは、思っているよりも寂しくなるもんだと思った。

しばらく歩くと熊鈴がまた聞こえてきた。みんな立ち止まったり、空気を吸ったり、写真を撮ったり、景色を眺めたりして、思い思いに山を楽しんでいるのだろう。

○ 9:24 中丿沢頭
こちらも休憩スペースはありますが眺望はのぞめません。手前にまき道があるので登るのがしんどい方はまき道を選択してもいいかと思います。僕もチェックポイントのように山行時間だけを確認してそそくさと下っていきました。

この日に通り過ぎた山はどれも低山で、いちばん高い山でも伊豆ヶ岳の851mだ。でも、6月に入っていたけど、それほど暑さを感じることもなく歩きやすい気候だった。しかも太陽が雲に隠れて日差しがなくなると春先のように涼しくなってくる。虫にいたっても気が滅入ってしまうほど飛んではいない。きもちよく歩ける道である。まあ、体力的に苦しくなるときはあります。

○ 9:50 天目指峠
車道との合流地点でもある天目指峠に着いたのは10時前だった。道の先にはさらなる試練のように急峻が待ち構えていた。僕はそれまで使わなかったトレッキングポールをザックの脇から取り出す。だいぶ足にきていたし、手の力も借りないとうまく登りきれないかもしれないと思ったのだ。そして、休憩もほどほどに意を決して足の力と手の力も使って登りはじめたが、ひどく急な勾配で引いていた汗がまたどっと吹き出した。 息づかいも荒くなる。足をあげる動作が辛くなる。苦行のような時間がつづく。そのとき、天が頑張れとエールをおくってくれたかのようにまた徐々に陽が出てきた。登りきると緑が輝いた景色が待っていた。こういう景色を目にするだけでも辛さは消えていく。

そしてまた急峻が現れる。しかし、このときにはもう、この日の山行の体験から登った先にある景色を楽しみにしている気持ちも湧いていた。実際に登りきるといい景色が待っていた。眺望があるわけではないですが、煌めくような樹林帯の光景が美しくて、きつい傾斜も登った甲斐があるなと思ってしまう。なんでもないただの樹林の景色ですが、僕にとっては苦しい急峻を登りきった褒美としては十分なものだった。

ただ、とはいえ、このあたりはほんとうにきつくて、体力的にも精神的にもかなり消耗させられた。急勾配の登り坂→平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道→ 急勾配の登り坂 →平坦な道、という難コースの連続だった。危険な箇所はないけど体力的には苦しい時間でとくに両足の体力はひどく削られていた。

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○ 10:20 子ノ権現
体力の残量が残りわずかになっていたときに子ノ権現に到着。ベンチにどかっと腰を下ろしてひと息ついた。ここで白髪の男性と三度再会。おつかれさまです、と言葉を交わして各々削られたエネルギーの充填をしていた。僕はサンドイッチを食べながら今日歩いた道を地図で見返していた。ひと息ついたあと、あたりを散策すると「スカイツリーを望める眺望」といったようなものが記された看板が目につき、その場所まで行ってみることにした。あいにく、スカイツリーを確認することはできなかったけど、遠くまで見渡せていい眺望だった。なにが僕の心を打ったのかわからないがその場にじっと立っていた。いい風が吹いていた。

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○ 10:45 子ノ権現 出発
ここから先は下り坂がほとんどです。傾斜のきつい勾配で体力を奪われる箇所はもうありません。舗装路を通ってすぐ登山道に入り、ひたすら下山し、また舗装路になって進んでいきます。そしてふたたび沢が登場。水のせせらぐ音は何度聴いてもいいものである。

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◯ 11:10 浅見茶屋
下山中、とてもうまいうどん屋に出会った。「浅見茶屋」というお店で古民家を改修した店内の雰囲気がまずよかったし、流れている音楽がジャズというところも気に入ってしまった。僕の趣向とぴたりと合うお店だった。古民家とジャズの組み合わせがとても素敵だと思ったし、こういうのを洒落ているというのだと思った。注文した「肉汁つけうどん(850円)」はとてもうまかった。山行を締めくくる味としてはたいへん満足のいくうどんであった。僕はうどんをすすりながら今日の山行の出来事をポケットサイズのノートに書く。爽やかな風とジャズの旋律が古民家の中をぐるぐると流れている。時計を見るとまだ午前11時半。こういう時間を贅沢な時間と呼ぶのだと思った。長い距離を歩ききった後の至福のうどん。お金では買えない贅沢がここにはある。こういう山行があるから、山はやめられないんだと思った。きついことが多かった山行もいい思い出に変わっていく。

こちらのお茶屋さんでも、また白髪の男性と再会した。もう何度目だろう。お互いに顔なじみの空気になっていた。いくつかの簡単な会話を楽しんだ。そして、その男性は「お先に」と言ってお店を後にした。深い身の上話はしなかった。連絡先は交換しなかった。でも、もしまたどこかの山で再会することがあったら、そのときは思い切って聞いてみようと思った。人生の中の小さな一点の交わりを新しいつながりの線に変えることはできる。自分の勇気次第で。

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○ 11:53 浅見茶屋 出発 → 12:40 吾野駅
ここから先は舗装路が延々とつづく。道に沿うように沢も流れている。とてもいいエンディングロールの道だった。あとは温泉があれば嬉しいんだけど、そこまで欲張ってしまってはいけませんね。吾野駅で電車に乗り込んで奥武蔵の山を後にしました。沢ではじまり、きつい傾斜があり、美しい植林地帯を通り、立ちどまる眺望があり、うまいうどんがあり、沢でおわる。約14.5kmという長い道のりは、苦しくも楽しい山道でした。また行きたいと思った山行でした。

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おそるおそる歩いた山。【大楠山】

○ 前日譚
行ってみたかった街がある。僕はいまコンクリートジャングルの一角に住んでいるのですが、いずれは自然豊かな街に住みたいなあという気持ちが心の隅にずっとあって、三浦半島の逗子という街に前から興味があった。鎌倉までは行ったことはあるけど、逗子に降り立ったことはなく、いちど訪れて街の空気を肌で感じてみたいと思っていた。

そんなとき、日帰り登山のムック本をパラパラとめくっていたら「大楠山」という山の存在を知った。三浦半島最高峰の山とある。といっても標高241mの低山に属する山だ。でも、標高の高さよりも山行の道に惹かれてしまう僕はロングトレイルができそうなこの山に対する興味がむくむくと湧いてきて、歩いてみたくなっていた。それで、大楠山と逗子をセットで行ってみようと思い至ったのである。

出発前夜、ザックに必要な道具を詰め込む。ただそれだけの地味な作業だけど、それがなんだか楽しいのです。まるで遠足の準備をしているときみたいなわくわく感がある。たぶん、そのときの僕の顔を知人が見たら、子どもみたいな顔をしていることに驚くと思う。

大楠山の準備で困ったことは地図がないことだ。大楠山は登山者の必携である山と高原地図がない(2018年現在)ので、ムック本に記されているマップを頼りに進むことにした。これがのちに困ったことになるとはこのときはまだ知らない。山行ルートは一般的なルートである前田橋バス停から大楠山山頂のピストンではなく、衣笠駅から前田橋バス停までの三浦半島の横断ルートを考えていた。できる限り、登りと下りはちがう道を歩きたいのである。

2018年5月27日。朝目が覚めたとき、乗ろうと思っていた電車の出発時刻に迫っていた。急いで着替えて家を出ると、水と食べ物とタオルを忘れていたことに気がついた。それらは出かけるときに冷蔵庫や箪笥から取り出して、持っていこうと思っていたものだった。いつもならそういう忘れ物のミスはしないほうなんだけど、もしかしたら、低山ということもあって心の隙があったのかもしれない。

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○ 8:37 衣笠駅
はじめて降り立つ街は、それがどんな街であろうと胸が踊ってしまう。同じ風景を行き来するだけのいつもの日常とちがって、未知の光景であふれている知らない街はそれだけで僕の心を弾ませるのである。

軽い準備体操をして最初の目的地である衣笠山公園に向かって歩き出すと、まもなくして右の足首に痛みを覚えた。この日の山行は長い距離を歩く予定だったのでさいごまで歩ききることができるのか、一抹の不安がよぎる。しかも標高300メートルにも満たない山だったこともあり、トレッキングポールは必要ないだろうと高をくくって家に置いてきていた。山は何が起こるかわからない。十全の準備に越したことはないのだとあらためて気づかされる。

歴史の古そうなアーケード街を通り抜けて県道26号線沿いを進み、衣笠山公園という標識を目印に道を折れると上り坂が始まった。はじめは住宅街の中を登っていたが、だんだんと山の景色に変わっていって草木の香りが鼻をつきはじめた。

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○ 9:00 衣笠山公園 入り口
登山者と思われる人は僕のほかにはひとりもいない。人影さえもほとんど見つけられない。朝の散歩中のおじいさんを見かけるくらいである。おはようございます、と挨拶を交わしたときが唯一、人間の息づかいを感じるときだった。それ以外の時間はガタンゴトンと遠くから聞こえる電車の音や、ホーホケキョ、チュンチュン、という種々様々な鳥たちの鳴き声、木の葉のこすれる音、風のざわめきが世界を形成していた。平穏と呼ぶにふさわしい世界が朝の公園にはできあがっていた。

○ 9:10 衣笠山公園 展望台
頂上のような場所にたどり着くと鉄骨でできた展望台を発見した。階段をつたって上まであがると見晴らしのいい景色が広がっている。横須賀方面を一望でき、眺めのいい景色を独り占めしているぞと思っていたら先客がいた。しかも恐ろしい先客だった。蜂である。ブンブンとおどろおどろしい羽音を鳴らしてこちらに近づいてくる。展望台は自分の縄張りだと叫ぶがごとくあの嫌な音をたてながら僕に向かって飛んでくる。こうなるともう景色を楽しむどころではない。蜂のことが気になって仕方がなく、落ち着いて眺めることはできなかった。僕は追い出されるように展望台を後にした。

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衣笠山公園の出口に向かって勢いよく下りているときに虫たちが僕のまわりに寄ってくる。さっきの蜂といい、さすがにうっとおしくなったので僕はザックから虫スプレーを取り出した。体じゅうにくまなく虫スプレーをかけ、ふたたび歩きだすととたんに小さな攻撃者たちは僕を避けるようになった。虫スプレーは虫にとっての警報みたいなものなのか、逃げろー、という態勢で彼らは僕の前から消えていった。衣笠山公園の出口について、こんどは大通りを挟んだ向かい側にある野山に入っていった。

一匹の蝶がひらひらと舞いながら僕を先導する(僕から逃げているだけなのかもしれないが)。まるで幻想郷に案内するかのようにひらひらと優雅に飛んでいく。そういうある種のメルヘンチックな世界に浸っているときに、とつぜん、ガサガサッと茂みのほうから音がしてびくっとなる。現実の世界に引き戻され、獣のことが頭をよぎり身構える。しかも僕の歩くスピードと一緒に、ガサガサッという音がついてくるのでいささか恐ろしくなってくる。結局、何も起こることはなかったけれど、その後も茂みの中を通る道が多くて、嫌になってくる。やっぱり樹木の間を練り歩く道のほうが楽しい。景色が抜けている気持ち良さもあるし、茂みとちがってとつぜん何者かが現れる不安も少ない。こういう原生林のような鬱蒼とした道を一人で歩いているといささか心細くなってくる。そして、いつの間にか蝶は消えていた。

途中、分かれ道にさしかかった。ムック本のマップを見ても、この分かれ道のことは触れてなく、困ってしまった。幸いにも電波は入るのでグーグルマップをにらんで先に進めそうな道を選択した。このときだけでなく、何度か道の選択を迫られるときがあった。ムック本は大ざっぱなルートしか書かれていないのでそれに頼りきってしまうととても困ることになる、ということが身に染みてわかった。

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しばらく歩くと野山を抜け出し、車道に出た。ここでもまた道に迷ってしまった。大楠山の登山口がわからない。ムック本には迂回路を通らずに車道から大楠山を目指せる道があると記されているので、それらしい道を探していたんだけど、ちっとも見つからない。来た道を折り返してもっと注意深く観察して歩いていると、やっと登山道らしき道を発見した。案内の矢印は一切なく、ふつうに歩いていたら見逃してしまうような入り口だった。入り口と呼ぶにはかなり心細い道で、だいじょうぶかな、と心配の種が心の中で広がっていく。藪の中を突進するような不安を覚える。しかし、迂回路を通ると、だいぶ遠回りになるし、道に迷って疲れが溜まっていた僕は早く山頂に着きたい気持ちもあって、その心細い登山道に侵入することにした。もし間違っていたら引き返せばいいだろうと覚悟を決めた。車道を走る自動車の中から僕の行動を見た人は、あの人は何を血迷ったことをしているんだろう? と思ったに違いない。

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不気味さと急勾配の坂で心拍数が上昇する。しかしながら、おそるおそる登っていると獣道ではなく人の手によって築かれた道だ、という感触を感じ、不安は少しずつ和らいでいった。だが、その安心を破壊するかのごとく正面のほうからガサガサッという音が近づいている。音はだんだんと大きくなってくる。何だ!? とびくびくしていたら、登山者だった。たぶん向こうの方も人がいることに安心したのだろう。ほっとした声でお互い挨拶を交わした。そこからまたひとりぼっちでしばらく歩くとゴルフ場のそばにさしかかった。マップを見ると大楠山の山頂まであと少しということがわかった。人とすれ違うことも増え、不気味さに覆われていた心の鎖も解けていく。そして一気に山頂まで駆け上がった。道の不透明さ、そして茂みの道の多さから、楽しさというより不気味さが勝った山頂までの道のりだった。そういうルートを選択した僕のせいでもあるんだけど。

○ 11:00 大楠山 山頂
三浦半島最高峰の山頂に立つ。房総半島や伊豆半島まで見渡せるということで楽しみにしていたけど、この日はあいにくの天気で遠くまで眺めることはできなかった。残念である。でもまあ、登山ではよくあることなのであまり気にはとめない。山頂というわりには人影も少なくて若い男女のペアが一組、老夫婦が三組、老人男性が一人といった具合だった。静かな山頂である。ベンチに腰を下ろし、駅のコンビニで買っておいたおにぎりとサンドイッチを食べてつかの間の休息に浸った。

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○ 11:20 大楠山 山頂出発
三浦半島の東側から大楠山に向かって登ってきたが、こんどは西側に向かって歩き出した。ほぼずっと下り坂がメインですたすたと下っていく。途中、子どもたちとすれちがう機会が多く、そのたびに子どもたちは大きな声で「こんにちは!」と挨拶をしてくれた。彼らの生命エネルギーに満ち満ちた声を浴びていると、ちょっと元気をもらえる気がした。

鬱蒼とした藪の中を歩いているとトトロのような奇妙な生き物はほんとうにいるんじゃないかと思えてしまうから不思議だ。山には得体のしれない不可思議なものがいても、受け入れてしまえる何かがある。都会の街の中で暮らしているとトトロなんているわけないじゃないか、と思ってしまうんだけど。

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二人組の少年とすれちがった。シャツと短パンとリュックといういかにも少年らしい出で立ちで、二人で話しながら駆けるように山を登っていた。夏の少年映画のワンシーンを切り取ってそのまま抜け出してきたようなすがすがしい光景だった。5月の初夏の空気がそのときだけは8月の真夏の空気に変わっていた。足りないのは蝉の鳴き声だけだった。彼らも元気に挨拶をしてくれて、びゅーんと山頂に向かって登っていった。

○ 12:00 前田川遊歩道
大楠山の登山口にたどり着く。距離的なことに加え、精神的に不安に覆われていたことあり、ここまでとても長い道のりに感じた。西側の街並みは東側のそれとは空気が変わった気がした。東側は街の中に緑があるけど、西側は緑の中に街があるという感じ。自販機を見つけ、歩ききったご褒美としていつものコカ・コーラを飲もうと思ったけど、あいにくコーラはなかったのでマッチを飲んでゴールを祝った。そういえば、歩きはじめていたときに感じた足首の痛みはいつの間にか消えていた。

○ 12:10 前田橋バス停
十分遅れでやってきたバスに乗って三浦半島の海岸沿いをゆらゆらと走る。とてもいい眺めである。クーラーがほどよく効いた車内とかすかな振動が心地よさをもたらしてくれた。僕はうっすらと眼を開けて窓の向こうに見える海の景色に目をやりながら逗子駅へと向かっていった。

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○ 12:50 逗子駅到着
逗子に着くとお腹が空いていたこともあり、おいしそうなカレー屋さんに入った。「マッチポイント逗子店」というお店です。カウンターに腰を下ろし、たくさんあるメニューの中からナス挽肉カレー(870円)を頼む。エッグカレーとレトロカレーと悩んでいたんだけど、女性店員さんの「ナスはいま旬ですから」という一声で決めた。

雑誌に載っていそうな洒落た店内で天井にはシーリングファンがくるくると回っていた。運ばれてきたナス挽肉カレーはおいしくてガツガツと頬張ってしまった。あとでこのお店の口コミサイトを見たら、そんなに高い評価ではなかったけど、ふつうにおいしいカレーだと思いました。たぶん、レビューの星の数を先に見ていたら入っていなかったと思う。レビューの点数は僕の点数ではないわけで、こういう乖離は起こって当然なのであるのだが、やっぱり点数に促される自分がいることも否めない。でも、こういう出会いもあるので、気になったお店にぽんっと入るのもいいもんだとあらためて思う。味もさることながら、対応してくれた女性の店員さんも明るくていい人だった。こういうお店を知るだけで逗子はいい街だなと思ってしまう。単純な脳みそである。

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店を出たあと、せっかくなので逗子界隈を散策するついでに逗子海岸にも行ってみた。しかし、これは間違った選択であったとすぐに後悔することになる。広々としたビーチは当然だけど水着の軍団であふれている。登山靴に長袖長ズボンの格好をした僕はかなり浮いていて、その場にいることがいたたまれなくなり、すぐに引き返してしまった。まあ、そういうちょっとした悲劇もあったけど、海と山の匂いがある街はやっぱりいいなと思った。どちらの空気も混在している場所が僕はとても好きである。

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衣笠駅から大楠山ルートは、いい山行だったとは言えないし、正直、人に勧めたくなるルートではないかなと思いました。標高が低いこともあってあまり涼しくはないし、茂みは多いし、道に迷うことはあったし、車道を歩くことにもなるし、木々の間を抜けるような美しい景観は少ないし、ぬかるんだ道も多かったし、転げそうになったときも何回かあった(これはたまたまそういう時期に歩いた僕が悪いんだけど)。またこの山に歩きにいきたいかと問われると躊躇ってしまう自分がいる。でも、軽いドキドキ感や冒険めいた感情は湧いたし、歩ききったあとの達成感も少なからずあった。それにバスから眺める海岸の景色は美しかった。充実した一日であったことはまちがいない。そしてそういう日は、そうあるものではない。

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なんども歩きたくなる山。【陣馬山〜高尾山】

○ 8:10 陣馬高原下バス停
2018年5月11日土曜日。晴天。僕は山間を走る早朝のバスに揺られていた。一週間の仕事を終えた金曜日の夜、山にまみれたい気持ちがうねるように高まって、あしたは山に行こうと決めたのだ。「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ」という有名な問答があるけれど、たとえ目の前に山がなくても行きたくなるときがある。あらゆる生命が集まってくるように、山には虫だろうが獣だろうが人だろうが現世に生きとし生けるものたちを引き寄せる力があると思うのです。

陣馬山を目指すときの一般的なスタート地点である陣馬高原下のバス停についたとき、時刻は8時10分だった。バスから降りると背筋がぴんと伸びるようなひんやりとした空気が僕を迎えいれてくれた。5月の奥高尾は新緑に包まれたきもちのいい朝に仕上がっていた。都心の街にはつくることのできない朝の空気がそこにはあって、この空気を求めに僕は朝の5時に起きてやってきたのである。

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渓流のせせらぎを耳にしながら舗装された道をゆっくりと登り、まもなく登山道へと入った。僕の目の前にはトレッキングポールを手に持った一人の女性が慣れた足取りで登っていた。その前には高齢者のグループの方々が声を掛け合いながら登っていた。山を登っているといろんな人と巡り会う。はじめのころに出会う人、休憩中に出会う人、山頂で出会う人、道の途中で再会する人、おわりのころに出会う人、出会いという点で登山は人生と似ている。

木洩れ日の中、ゆるやかな上り坂を過ぎると急斜面があらわれた。かろやかにステップを踏んでいた足取りもとたんに重くなって汗がどっと吹き出てくる。息も切れてくる。いつの間にか僕のまわりにいた登山者の姿は見えなくなり、山林の中で一人きりになっていた。じぶんの呼吸が大きく聞こえる。鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてくる。びょーんと伸びた背の高い木々の枝葉からこぼれる光と影が織りなす土の斜面がとても綺麗だ。自然がつくる絵画のような美しい光景を目にしながら僕はいったん足を止めた。登山は競争ではない。タイムアタックでもない。立ち止まって休んだほうが楽しめる。そう自分に言いきかせて僕は休んで、また歩き出す。

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グループで登山に来ている人たちを見かけると楽しそうでうらやましいと思うこともある。でも、ひとりきりの登山だって決して退屈ではない。まわりからみると、一見、無口でつまらなそうに見えるかもしれないけれど心の中ではけっこう自分と会話をしているのです。家にいるときよりも、たぶん話しているだろう。写真や動画を撮るときを抜きにすればスマートフォンに触ることはないし、テレビだってもちろん目にすることはない。本を読みながら歩くこともない。自分との会話を妨げるものは何ひとつないのである。ひとりきりの登山者は内なるじぶんの声に耳を傾けながら、ひとりてっぺんに向かって歩いている。

自然に満たされた空気を胸いっぱいに吸う。深呼吸がきもちいい。しかし、山を登るということはきもちいい瞬間だけではなくて、つらい時間もあたりまえのようにある。むしろ、山頂まではそっちの時間のほうが多いかもしれない。傾斜のきつい道を登っているときはバスケットの試合を終えたときのようにたくさんの汗が全身から流れ出る。首に巻いたタオルがここぞとばかりに大活躍している。そうやって大量の汗を流しながら、一歩一歩登っていくとだんだん視界がひらけてきて山頂に着いていた。

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○9:10 陣馬山 山頂 
陣馬山の山頂は好きな山頂のひとつです。なによりも広範囲にわたってひらけていて、のびのびできる解放感がたまらない。しかも、この日は天候にも恵まれ、富士山がくっきりと見えた。朝から何も口に入れてない僕はこの山頂で朝食をとることにした。

綺麗に浮かび上がっている富士山を目にしながら「信玄茶屋」で注文した陣馬そばをいただく。富士山の景色がそうさせるのかわからないけれど、とにかく朝から何も口に入れていない僕の体にとってとてもうまい蕎麦だった。うまいだけじゃなく、やさしい味もした。それはたぶん登山者を受け入れるおやっさんの味だ。山の上で蕎麦を召し上がる朝は、喫茶店で熱いコーヒーとタマゴサンドウィッチをいただく朝と同じくらいたまらない時間である。首をぐるりとまわして富士山からちがうところに目を移すと山頂の片隅で日光浴をしている男性を見つける。太陽と富士山に向かって寝そべっている姿がとてもここちよさそうだ。山頂にやってきた人たちが寝っころがってるおじさんを見つけては羨ましそうに見ていた。 

朝食をいただいてから用を足しに便所に行った。小便をしているときに数匹の虫がブンブンと飛び回って寄って来る。僕が微動だにできないことをいいことに、虫たちは僕の周りをおちょくるようにぐるぐる廻っている。露わになっている下半身が刺されなければいいけれど、と一抹の心配をしながら用を足した。しかし、こういうときに限ってなかなか出なくて困ったものである。まあ、刺されたりはしなかったのでよかったのだけれど。ここで致命的な負傷をしてしまったら、本日の山行プランが台無しになってしまうのでヒヤヒヤものであった。

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○ 10:00 陣馬山 出発
陣馬山からは平坦なコースかもしくは下り坂がメインの道になってくる。陣馬山から高尾山の間では陣馬山がいちばん標高が高いため、それからの道は上り坂が少なくなり、楽に歩ける道が多くなるのです。ここからはもう森の中の散策気分である。僕はこういうゆるい道がかなり好きで、歩いているだけで気分がよくなってくる。

向こうのほうからものすごいスピードで迫ってくる人がいる。はじめに目にしたときは点のような存在だったけど、あっという間に近づいてきて正体を認識できた。それは真っ赤なTシャツを着た黒人のトレイルランナーで、水のペットボトルだけを片手に持って山の中を天狗のように疾走していた。すれちがうとき「コンチャ!」と大きな声で挨拶をくれたので僕も「こんちは!」と元気よく返した。一瞬の出来事が過ぎたあと、また平坦なコースを歩きつづける。

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○ 10:25 明王峠
僕は山が好きだ。どうしてだろうと思う。自然が好きだという単純な理由もある。でもそれとは別に、山は肩書きを脱いでいる人たちの集まりでもあるから好きなんだとも思っている。僕は呑めないくせにバーという空間も好きなんだけど、バーも肩書きを脱いでる人たちが集まってるから好きなのです。一人の人間として関わり合うことができる。僕はそういう場所がとても好きで、好んで出かけるのですが、山にも似たようなところがある思うのです。土の絨毯を歩きながら、そんなことを考えていた。山行時間を確認し、明王峠をすたすたと通り過ぎる。

○ 11:30 景信山
景信山は眺望が良くてパノラマのように東京の景色を広く見渡せる。でも、なぜだろう。陣馬山で富士山と対面したときのほうが感動はあった。もちろん僕個人の感想なので人によっては景信山の方が好きだという人がいらっしゃることも理解しています。そんな僕の景信山での楽しみは眺望よりも、なめこ汁である。とてもうまくて一杯250円。汗をかいてる体がよけいに温まるんだけど、やさしい温まり方でほっこりするうまさだ。コンビニで買っておいたおにぎりと一緒になめこ汁をおいしくいただいて景信山を後にする。

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○ 12:20 小仏峠
ウッドベンチに二人組の女性が座っていた。盗み聞きするつもりはなかったけれど、ひと息ついていたら二人の会話が耳に飛び込んできた。正確に言えばひとつのフレーズが聞こえてきた。
「私の人生で山から富士山を見ることがあるなんて」
前後の文脈をきちんと聞いていなかったので、その女性がどういう思いでこの言葉を発したのかはわからないけれど、そこには少なくとも感動の響きのようなものが含まれていた気がした。

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○ 12:35 小仏城山
城山あたりから登山者の格好をした人のほかに軽装の人たちをちらほらと見かけるようになります。駅前の繁華街のような賑わいが出てきて一気に都会めいた山になる。子どもたちや青年たちの声が楽しそうだ。ここまでくれば高尾山はもう目と鼻の先である。僕は休憩もほどほどに先に歩を進めた。

背中越しに聞きおぼえのある声がふたたび聞こえてきた。「コンチャ!」。先ほどすれちがったはずの真っ赤なTシャツを着た黒人のトレイルランナーがこんどは後ろから僕を颯爽と追い抜いていった。おそらく陣馬山で折り返してきたんだろう。すさまじい体力とじょうぶな足腰をおもちの方である。彼は風のように通り過ぎ、あっという間に小さくなっていった。

それからしばらく歩いていると、こんどは長髪のお年を召した登山者とすれちがった。長い髪は肩から胸のほうまで垂れ下がり、あますところなく白髪である。手荷物も少なく、近所に散歩に来たような格好で軽快に歩いていた。登山をしていると、ときどき、そういう方をお見かけするが、山の中でそういう姿をした人を目にすると仙人に思えてしまうのは仕方がない。

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○ 13:10 高尾山 山頂
陣馬山から歩いてきた登山者をさいごに待ち受けるのがきつい石段です。どうしてこんなに高いんだろうと思うくらい一段一段の高さがけっこうある。5時間にわたって長い道のりを歩いてきた人間にとってこの高さのある石段は膝にくる。とはいえ、引き返すという選択肢は万に一つもないので膝にがんばれと言いながら登る。山頂のほうから聞こえてくるにぎやかな声がだんだん大きくなっていく。もう少しだ、と自分を励ましているうちに山頂に着いた。

高尾山の山頂は世界でいちばん登山者の多い山とあってものすごい人であふれていた。ビニールシートを敷いて昼間からビールをあおっている一団もあったりして、まるでお花見のシーズンのように人でごった返している。僕はその隙間をかいくぐって自動販売機に向かい、コカ・コーラを手にとる。なぜだかわからないけれど、山行の目的を達するとコーラで乾杯するクセがついてしまっているのである。ご褒美と呼ぶには安価な一杯かもしれないが、歩ききったあとにコーラを片手に腰を下ろし、何を考えることなく飲んでいると至福の風を運んでくれるのです。僕にとっていちばんコーラがうまくなる瞬間です。そうしてひと息ついたら高尾山口に向かって出発。この日は4号路と2号路を通って下山しました。

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○ 14:10 京王高尾山温泉
登山と温泉。この二つはよくセットで語られることが多いように下山後の温泉は格別である。コーヒーとサンドウィッチのように、枝豆とビールのように、登山と温泉はささやかな幸せをもたらしてくれる黄金のコンビなのである。

向かったのは高尾山口駅に併設されている『京王高尾山温泉』。高尾方面の山に登ったときはかならずと言っていいほど立ち寄る温泉です。とくに露天の景色が好きでまったりと湯に浸かったり、外気にあたったりして、ぼーっとしているだけでなんだか心地よくなってくる。これ以上ないといいたくなるくらい、きもちのいい昼下がりである。小一時間ほど、まどろみのような時間を味わって帰宅の途につきました。

陣馬山から高尾山の山行は、歩くことと、自然に包まれることが好きなら、とてもいい道だと思います。都心から交通費もそれほどかからないし、緑の空気を手軽に味わうにはとてもいいハイキングコースだと思います。

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