僕は、僕の手を差別していた。

左手で箸を持ち、飯を食っていると、僕と初めて食事を共にした人は、「左利きなんですか?」と訊ねてくる。不思議なことにかなり高い確率でこの質問が飛んでくるので、世の中の人は左利きに対する興味・憧れ・好奇の目があるのかなあ。もっとも、単に初対面特有の会話の沈黙を埋めるべく、「左利き」という身体的特徴は静寂を破る突破口としてちょうどいい糸口になるにすぎないのだろうけど。

例のごとく「左利き」の質問を受け取った僕は前傾姿勢から背筋をピンと伸ばし、キラリと目を輝かせ、「いえ、右利きなんです」と答える。すると相手は不思議がって、じゃあ、なんで左手で箸を持っているの? という顔をするので僕は「3つ理由があるんです」と言葉を付け足すのである。

一つ目は「かっこいい、天才ぽいから」というまるで精神年齢が小学生のような阿呆の回答である。阿呆の回答だけど、これはいささかの偽りもないほんとうの気持ちで、昔から、左利きに対する憧憬の念が強かった。ニュートンも、ダ・ヴィンチも、マラドーナも、ピカソも、モーツァルトも、ベートーヴェンも(今の時代なら、メッシも、レブロン・ジェームズも)、俗に天才・偉人と称される方々の左利きエピソードを耳(あるいは目)にすると、なお一層、左利きへの憧れはふくれあがり、自分も左利きになりたいなあ、と至極単純の阿呆の極みの思考に至るのである。世界のおよそ90パーセントの人間は右利きで、左利きの人間は10パーセントあまりしかいない、というデータも(眉唾ものではあるけど)、その限定感や、希少性に自分もその一人になりたい、と心を左利きに染めさせてしまう。ただ、いくら阿呆の僕だって、この理由のみで、左利きになろうと行動に移したわけではない。

二つ目は「ゆっくりご飯を食べるため」である。基本的に、僕は「超」がつくほどの早食いだ。友人と同じテーブルを囲んで飯を食べていると、みんながまだ半分も食べ終わっていない状況のときに、僕は皿をキレイに平らげていることがままある。よく噛まずにあらゆる固形物をスープのように飲み込む僕の早食いは尋常ではない。意識して直そうと思っても、猫背を直すことが難しいように、遅食いに変心することができない。これに頭をかいていた僕はあるとき、そうだ!不慣れな左手で箸を持てば、飯を食うスピードも遅くなるだろう、と発想したのだ。右手で箸を持ったときの、特急列車の速度で次から次へと食材を口に運ぶことはなくなり、各駅停車のスピードで一つ一つの食材をスロウに食することができる、と思ったのです。これが二つ目。

そして三つ目は「左手がかわいそう」という理由である。右利きの僕は、右手をことあるごとについ頼ってしまう。料理の包丁、バスケットのシュート、野球のキャッチボール、ノートをとるペン、重いものを運ぶ時。あれ? 意外と少ないかもしれないが、まあ、右手の方が活躍の場面が多い。これに左手が嫉妬しているんじゃないかと懸念したわけである。左手も僕の体の一部だ。であるなら、なるべく五体平等に活躍させたいと思うのが心情じゃないですか。これまで右手がわりにがんばって働いてきたわけですから、これからは意識的に左手も使っていきたいと思い至ったわけです。

というわけで、僕は左手で箸を持って食べていますが、似非左利きの人間です。純度でいえば、10パーセントそこそこしかないような、玉石混淆の石ばかり混入して作られた左利き人間です。

いずれは、ペンを持つ手も左にしたいと思って、練習をがんばっていたけれど、これは思っていたよりも容易ならない技術が必要で、箸の練習の何十倍もの時間がいるだろうと感じているので、いまは挫折中。まあ、ひどく自己満足の世界ですが、なるべく自分の体のぜんぶを使って生きたいと思っています。

SPECIAL OTHERS HALL TOUR2019 QUTIMA Ver.25

2019年3月17日、日曜日の午後2時過ぎ、僕は横浜のみなとみらいにある神奈川県民ホールに訪れていた。SPECIAL OTHERS(通称スペアザ)のライブがこのホールで行なわれるからである。僕はチケットを購入した昨年末から、夜の海辺で流れ星を待つ少年のようにこの日を心待ちにしていたのだ。

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SPECIAL OTHERSというアーティストは、僕の人生にとってなくてはならない存在である(誇張表現の意図は少しもない)。彼らのほかにも、愛するアーティストはいるけれど、これまで生きてきた時間の中でいちばん深く付き合っているアーティストはSPECIAL OTHERSのほかにいない。仕事の日の朝、気分が乗らないときはスペアザの「Good Luck」を聴いて通勤するし、仕事中、いまいち思考が働かないときは「AIMS」を再生して小気味のいいビートを頭に流し、思考のエンジンを点火させている。金曜日の帰り道は「Uncle John」や「Ben」を聴いて、幸福度を増幅させ、心躍る週末へ自分を誘う。頑張りたいとき、元気になりたいとき、落ち込んでいるとき、泣きたいとき、どんな精神状態に陥ってもスペアザが助けてくれたり、背中を押してくれる。僕の人生は彼らの音楽に支えられているといっても過言ではない。だから、そんな彼らの音楽が再生プレイヤーを通さずに、直に聴けるライブの日は一年でいちばん幸せな日だと思っているし、実際、濃厚な多幸感に満ち溢れる日なのだ。

「スペアザのグッズはセンスがいい」と音楽好きの友人から言われたことがある。その言葉には僕も同感で、Tシャツをはじめ、彼らのアーティストグッズはデザイン性の高いものが多く、ライブに参戦するたびにいろんなグッズに手が伸びてしまう。今日もご多分に洩れず、ツアーTシャツを手に入れてしまった。これまでに購入したものを含めるとぜんぶで10着くらいTシャツを持っているが、コレクションとして集めているわけではなく、半分くらいは、ちゃんと現役のシャツとして主に夏のシーズンに活躍している(残りの半分は寝間着)。純粋に夏着としてセンスのいいシャツを身に纏いたいという自己陶酔もあるが、彼らの名前が印字されたツアーTシャツを着て街を歩くことで少しでもスペアザの存在を知ってもらいたいという気持ちもちょっとある。

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開場するまで約2時間の空き時間があったので横浜の街を散策する。なんど来ても、魅了されますね、横浜は。港町ならではの海と連なった都市景観に、広い空。歩いているときに頬をなでる海風も心地よく、山下公園から赤レンガ倉庫までの道のりは僕の中では指折りの散歩道だと思っています。が、そうはいっても、2時間という待ち時間を散歩だけでつぶせるわけではないので、喫茶店に入ってその時を待った。

 

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16時45分、開場。全席指定席のため、いの一番に入場して席をとる必要はないのだが、まあ、ほかにすることもなかったし、スペアザの空気に早く触れたい気持ちも少なからずあったので、開場時間ぴったりに足を運んだ。

ステージには、向かって右側から、宮原さんのドラム、又吉さんのベース、柳下さんのギター、芹澤さんのキーボードが青白いライトに薄く照らされて鎮座している。いつもと変わらない風景だ。嵐の前の静けさのようなライブ前の独特の空気がそこはかとなく会場中に漂い、僕を含めた多くのファンが今か今かと目をときめかせて待っている。

 

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僕はステージ正面の真向かいに立ち、写真を撮る。当然ながらライブが始まると撮影することはできないので、この日のライブを記憶以外の方法で残しておくとしたら、いま、この瞬間しかないのだ。

僕の席はかなり前のほうでステージから近かった。ライブハウスの場合は、前目のほうだと人でぎゅうぎゅうに混み合い、ゆっくり聴けないのでいつもそのスペースには参戦しないことにしている。でも、指定席の場合は、そういう人混みが発生することもないので前列の方でもゆとりをもちながら、ライブを楽しむことができる。近くを通りがかった人は「この辺だったら、もっと楽しめそう」と口にしていた。いい席取れました。すみません。

 

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17時半過ぎ、おなじみの登場SE(Traditional lullaby - used as a work chant for fishing)とともにSPECIAL OTHERSの4人が舞台袖から参上。観客席のいたるところから、拍手や指笛が鳴り響き、彼らを迎え入れる。それぞれの定位置に立った4人の面々は、楽器の調子を確認するように音を鳴らしはじめる。みんな自由演技に奏でているようで、即興ジャズのように4人が合致したメロディーを奏でている瞬間もある。なにかの記事で、「こういう瞬間に次の曲のとっかかりが生まれたりするんです」と読んだことがある。つまり、この音鳴らしの瞬間は曲作りの一環でもあるということですね。そう意識すると、うかうかと聞き逃すことはできない。神経を耳に集中する。

そして、陸上の助走期間のようにある程度体が温まった状態になると、一呼吸の静寂をおいて演奏が始まった。SPECIAL OTHERS HALL TOUR2019 QUTIMA Ver.25 (THE HALL)の開演である!

本日のセットリストは「twilight」「Comboy」「Tomorrow」「Aului」「beautiful world」「Good morning」「PB」「Puzzle(新曲)」。en(アンコール)「Uncle John」というものであった。ファンの方なら一目瞭然だと思いますが、スペアザの中ではわりとマイナーの曲が多めのセトリだ。メジャーどころな曲でいえば「PB」「Good morning」「Uncle John」で、もっともファンが聴きたがっている(と思われる)「Laurentech」と「AIMS」はやらなかった。これが僕をいささか失望させた。とくに「AIMS」を演奏しなかったことについてひどく落胆した。僕の記憶が正しければ、ここ3年間は(東京・横浜の)ライブツアーで「AIMS」は演奏していない。今日こそは、と過度の期待をしていたが、空振りにおわってしまった。僕にとってスペアザのライブで「AIMS」がないということは、星野源のライブでいう「恋」を、MONGOL800のライブでいう「小さな恋の歌」を、Suchmosのライブでいう「STAY TUNE」を聴けないことと同義である。それくらい、スペアザのスタンダード・ナンバーである「AIMS」は、どうしてもライブで聴きたい曲なのだ。もしかしたらメンバーの考えとしては、フェスのような一見さんのいるライブでは、「AIMS」を筆頭にメジャーな打線をそろえた選曲にし、ツアーでは、ファンの懐の広さに甘えて攻めたセットリストにしているのかもしれない(そういう意図はないと思いたいたいけれど)。でももしそうであるならば、これだけは言いたい。ファンだって(少なくとも僕は)メジャー打線のセットリストにしてほしい。だって、たぶん、多くのファンはそれらの曲に惹かれてSPECIAL OTHERSのファンになったのだから。それを聴きたくてライブに行っているのだから。2013年に日本武道館でライブしたときのセットリストは歓喜踊躍ものであった。2009年の日比谷野外音楽堂のセットリストも狂喜乱舞である。僕はそういうライブをまた体験したい。これは、ファンのわがままな要望なのかもしれない。彼らにしてみたって、いつもいつも定番曲ばかり演奏していたら、そのうち飽きがきてしまうだろう。むしろ、その結果、昨今のようなセットリストになっているのかもしれない。それでも、そろそろライブで「AIMS」が聴きたいです。

というわけで、去年の日比谷野音にひきつづき、(僕にとっては)消化不良感が拭えないライブであった。もちろん演奏自体は素晴らしいものである。しかし、それは寿司屋のネタでいう赤貝やミル貝の出来が素晴らしく美味しい、というのと同じようなことで、僕としては、サーモンもマグロもブリも味わいたい。スペアザのスタンダード・ナンバーを揃えたベストアルバム集のようなライブを味わいたい。

 

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STARBUCKS RESERVE® ROASTERY TOKYOに行く。

日曜日の朝。部屋の掃除をしていると友人から「中目黒にできたスタバ行かない?」というラインが届いた。先月末にオープンした「スターバックスリザーブロースタリートーキョー」のことだろう。僕は迷った。スターバックスに対して強い思い入れはないし、その新しい店舗に対しても、興味を持っていなかったからだ。が、かといって掃除以外にすることもなかったので、これも何かの縁と捉え「いいよ」と返事をした。

一足先に現地に着いてみると整理券が必要だということが判明する。で、スタッフの方に尋ねると「一人一枚しか配れません。お連れさまの分を発券することはできません」と無情な言葉を告げられ(インターネットで大抵の情報は事前に得られるこの時代に下調べを全くしなかった自分がいけなかった)、仕方がないので僕は友人が着くまで待つことにした。

それからしばらくして意気揚々とやってきた友人と合流し、整理券を発券する。レシートのような長い整理券には4ケタの番号とQRコードが記されている。さっそくiPhoneを取り出し、QRコードを読み取ってみると「905組待ち」と表示された。ビックリの数字である。もし整理券がなかったら目黒川の沿道は待ち列で埋め尽くされていたかもしれない。いったいどれくらい待たないといけないのだろう、と絶望にも似た気持ちがよぎり、スタッフの方に再び尋ねると「あと3時間くらいですかね…」と自信なさげに教えてくれた。そりゃあ、いくらスタッフといえど待ち組の数から正確な待ち時間がわかるわけがない。難儀な質問である。僕らはお礼を言ってお店を後にした。

それから世田谷公園まで徒歩で30分くらいかけて移動して僕らは昼下がりの日曜日を過ごすことにした。噴水広場のベンチに腰を下ろして、僕は移動販売者で買ったオムそばを食べ、友人は肉汁たっぷりのケバブを旨そうに頬張っている。人混みで賑わっていたスターバックスリザーブロースタリートーキョー(それにしても長い店舗名ですね)とは違い、のんびりとした午後である。噴水の周囲はじつにさまざまな人がそれぞれの休日を楽しんでいた。小さな子どもたちはお菓子を地面にばら撒き、それにつられて飛んでくる鳩の集団を嬉々として追いかけ回している。隣のベンチでは空の下で気持ちよさそうに眠りの世界を楽しんでいるおじいさんがいる。芝生の上ではパパとママと娘の三人家族が手作りのお弁当を笑顔で召し上がっている。天は今にも雨が降り出しそうな重々しい空模様だったがのどかな風景が目の前では繰り広げられていた。とくに面白い出来事や感動的な風景があるわけではないけれど、こういう午後もなかなか素敵だと思う。

公園で間怠るく過ごしながら、残りの組数をチェックしていると、時間が経つにつれ、着実にその数は減っていき、ぴったり3時間くらい経つと自分たちの番がきた。スタッフの方の予想通りであった。さすがである。僕と友人はお餅を平べったく棒で伸ばしたような何も事が起きないのんびりとした午後に別れを告げ、タクシーを拾い、本日のメインイベントであるスターバックリザーブロースタリートーキョー(それにしても長い…以下略)に向かった。ちなみにタクシーの乗務員に「スターバックスリザーブロースタリーまでお願いします」と行き先を告げたら「え?」と、しどろもどろの反応をされたので「ドン・キホーテの方に向かっていただけますか」と言い直したら、「わかりました」と安心した表情でアクセルを踏んでくれた。話題のお店だからといっても知名度はまだまだドンキには及ばない。

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入店直後の風景。

店内に入ってまず心に浮かんだのは、いったいどこに向かえばいいんだろう? という疑問だった。ドリンクコーナーに並ぶ人がいれば、カウンター席に座る人もいる。かと思えば、コップや雑貨が売られているショップがあり、正面には機関車の顔のような形をした大きな焙煎機があって多くの客が見入っている。天井の方を見上げると細い管が各方面に伸びている。初めて訪れたディズニーランドのように首を縦に横に振っていると、店員さんが「まずはお席を確保してください。2階、3階、4階にもお席があります」と案内していたのでそれに従って僕らは階を上がった。移動中も立ち止まって眺めたくなる光景がいくつもあった。目に飛び込んでくるすべてが興味深く、子どものような好奇心が心に芽生えているのがわかる。あの大きな銅の筒はなんだろう? 天井に入り乱れている配管のような管はなんだろう? 出来立てのパンのいい香りがするなあ。豆の原産地のカードが貼られた美しい壁面があるぞ。そういうさまざまな疑問や誘惑をなんとか断ち切って先に僕らは席を確保した。3階のテラス席に眺めのいい席があった。 

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再び1階に戻り、ドリンクコーナーの列に並ぶ。手渡されたメニューを眺めても、初めて見るドリンクが多く、何が何だかよくわからなかったので、結局、店員さんに説明を受けた。ロースタリー店舗限定のドリンクなど、丁寧に色々と教えてもらったが僕のマイフェイバリットドリンクであるホットミルクは置いてないという事実にショックを受け、説明が頭に入ってこなかった。お姉さんが素敵な笑顔で細かく教えてくれたのに僕の意識は「ホットミルクがない」ことに終始していた。申し訳ありません。本件の非道は自分に非がある。そもそも、どのカフェに行ってもホットミルクを頼むような旧時代の人間が時代の先を走るカフェに行ってはいけないのである。

僕はメニュー表の説明に「ミルク」と印字された「アンダートウ(780円)」というドリンク(ロースタリー店舗限定)を注文した。たぶん、ホットミルクへの心残りがあったのだと思う。でも、エスプレッソとの二層だてという組み合わせは好奇心を掻き立てられたし、直接エスプレッソを頂くのとミルクの層と混ぜて頂く飲み方と、一杯で二度の楽しみ方があるのでなかなか悪くない選定じゃないかと我ながら思った。それになんといっても愛するミルクが飲めるし。ホットじゃないのが残念だけど。それからドリンクのお供には、友人が人気らしいと教えてくれた「プリンチーナ(650円)」というケーキを頼んだ。外見からしておいしそうな雰囲気が漂っている。お会計を済ませると、できあがるまで時間がかかるとのことで、ショッピングモールのフードコートで渡される呼び出しベルのようなものを受け取った。提供の用意ができたら、ベルが鳴るらしい。「それまでは店内でお待ちください」とレジのスタッフさんは言った。僕らに再び待ち時間がやってきた。

スターバックスというお店から僕がまっさきに連想するのは、コーヒーではなく、MacBookだ。ほとんどの店舗でリンゴのマークが刻印されたパソコンで作業している人を見かける。連想ゲームをしたらStarbucks → MacBookという想起は高い確率で起こるんじゃないかと推測する。が、しかし、ロースタリー店舗では日曜日の夕方という事情もあるせいか店内でMacBookを広げている人はほとんどいなかった(もちろん他メーカーのパソコンも)。1階から3階のフロアにかけては一人もいない。4階のフロアでポツポツとMacBookを広げた作業者を見かける程度であった(4階のフロアが一番作業向けのスペースのように思えた)。

それから店内でいちばん関心を持ったのは1階から4階まで縦に貫く、巨大な銅製の筒である。あれは何だろう? と気になっていた僕は近くにいた背の高いスマートな男性店員さんに伺った。すると「いい質問です」と男の僕もほれぼれするような笑顔でその店員さんは親切丁寧にロースタリー店舗のことを詳しく教えてくれた。

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「あの大きな筒の裏側には配管が配置されています。どのフロアからも裏側を見ることができるので後でご覧になってください。どうしてそのような構造になっているかと申しますと、焙煎直後は余分なガスが含まれているので、そのまま焙煎したての豆でコーヒーを淹れてもおいしくありません。なので、焙煎した豆を地下一階の貯蔵庫に運び、コーヒー豆に含まれる余分なガス抜きをするために一週間近く置いておきます。余分なガスが抜けた豆を今度は地下1階から、2階や3階のドリンクカウンターにドリンクの材料としてあの大きな配管を伝って送ります。銅色の細い管がありますよね? あれも同じ役割であの中を通って焙煎一週間後の豆をドリンクの材料として各フロアのドリンクコーナーに送るんです。まるで人間の血管のようですよね。4階のフロアに送られた豆はパッキングをしています。これまではパッキングは外国で行なっていましたが、このお店がオープンしてからは、ここから日本各地のスターバックスに配送しています。レギュラーラインナップの豆ではありませんが、単品の豆はこの場所で焙煎した豆を送っているんです。焙煎した豆をコーヒーにして提供するだけでなく、パッキングもする。ここは店舗でもあり、工場でもあるんですね。だから、店内を見て回ることは工場見学でもあるんですよ」

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焙煎機。ここで焙煎した豆を地下の貯蔵庫に一週間ほど置き、ガス抜きをする。

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地下の貯蔵庫で安置された焙煎豆を管を通して各フロアに送る。

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大きな筒の裏側。豆を送る配管が配置されている。各フロアから観覧可能。

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パッキングコーナー。仕上がった豆を全国各地のスターバックス店舗に配送する。

焙煎した豆は一週間ほど地下の貯蔵庫に安置しているのだそうだ。その豆の数は大量にあるらしい。残念ながらその様子を見ることはできません、と申し訳なさそうに店員さんは言う。話す口調はゆっくりで聞き取りやすく、そして何よりわかりやすい。自分たちもまだまだ勉強中なんですと謙遜していたが、僕らからしたら十分な知識量である。

「グレーの煙突のような長細い大きな筒はコーヒー豆を焙煎するときにすごい熱が発生しているので、そのまま中目黒の空に排出すると環境汚染につながってしまいます。なので、熱をダウンするフィルターとして空気清浄機のような役割を担っているんです」

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焙煎時の熱を冷まして外に排出。

中目黒に住む人々のことも考えられて店内は設計されているとのことだ。それから気になっていたエプロンについて尋ねてみる。緑でも黒でもないブラウン系のデニム生地のようなエプロンを身につけている。

「エプロンはロースタリー店舗専門ですね。とくにランクのようなものはありません。またフロアによっても異なります。たとえばパッキングコーナーのスタッフはワーキングブーツを履いています。あれはこのお店専用の靴なんです」

ロースタリー店舗で働くスタッフは黒エプロンのさらに上を行く選りすぐりの人選なのかなと思っていたけれど、どうやらそういうわけではないようである。ただ、この方の説明を受けても思ったが、まあ、優秀そうな方が多そうではある。最後に店員さんおすすめのコーヒーを聞いてみた。

「私が一番オススメするのは、『カスカラレモンサワー』というドリンクです。水出しコーヒーのエッセンスとレモンジュース、アクセントにメイプルのシロップをシェーカーで振ります。炭酸は入っていませんがジューシーでおいしいです。ロースタリー店舗限定のドリンクなので、ぜひ味わってみてください」

僕は安易に「アンダートウ」を頼んだことをいささか後悔した。まあ、また別の機会でのお楽しみである。これきりというわけではきっとないだろう。店員さん、色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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それから呼び出しベルのブザーが鳴り、ドリンクとケーキを受け取って席に戻った。まず、「アンダートウ」を頂く。上部はエスプレッソで下部はミルクのフロートカクテルのような二層構造のドリンクである。初めの口当たりの印象は当然ながらエスプレッソの苦味。それからだんだんとミルクが混ざった液体が僕の舌に侵入してくる。甘く麗しいお上品なお味である。とてもおいしいと思った。続いて「プリンチーナ」。こちらはまあ、チョコレートケーキである。それ以上でもそれ以下でもない。特別にうまいともまずいとも思わなかった。でも人気らしいので、僕の舌がおかしいのかもしれない。ちなみに僕はバカ舌です。繊細な味を繊細なセンサーで感じ取ることはできない。作ってくださったパティシエに申し訳ないと思っています。

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焙煎所も兼ねたスターバックスリザーブロースタリートーキョーは、コーヒーの香り漂う空間だろうと想像していたけれど、実際に中に入ってみるとそういう香りはほとんどせず、むしろ綺麗な空気が漂っていたように思う。観光地のような賑わいが至る所から感じられ、(訪れたことはないけれど)パリのカフェのような気品ある光景が出来上がり、その空間さえもおいしく味わうように人々は歓談している。

僕らは二時間以上、居座っていたがそれでもお店の一部分しか味わっていない。いい香りのする極上そうなパンが何種類も置かれていたし、コーヒーの種類だってまだたくさんある。それからカクテルメニューもあるそうだ。全部を見尽くしたわけではないし、味わい尽くしてもいない。何度でも楽しめる飽きさせないお店だと思うので、また機会があれば行ってみたいと思いました。でも、店舗のことを教えてくれた店員さん曰く「朝イチの時間帯を除けば、しばらくは気軽には入れないと思われます。平日の夜でさえも整理券を手に入れないと難しいかと…」と心苦しそうにおっしゃっていたので、賑わいが落ち着くのを心待ちにしています(果たしてその日は来るのだろうか)。

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「よーいどんしよう」

「ジョージ」という名前の子供(男・3歳)がいる。大学時代の友人の子供だ。ジョージ君はよくかけっこをする。午後の昼下がりにテラスのあるカフェでジョージパパと僕がくつろいでいると、ジョージ君は僕ら二人を呼んで、隣接の広場を指で指しながら「よーいどん(かけっこ)しよう」と誘ってくる。

鬼ごっこのようなゲームがはじまり、僕とジョージパパは逃げるジョージ君を捕まえようとする。僕らはほとんど歩くようなペースで移動しているのだけど、ジョージ君はずっと走りっぱなし。とにかく走る。息が切れてもとにかく走る。ちょっと休憩して、またすぐに走り出す。

「ジョージはいっぱい走るな」と僕が言う。
「はやいでしょ」と彼は鼻高々に言う。

それにしても、どうして子供はあんなに走るのだろうか。僕も小さい頃はよく走っていた。走って足を滑らして、比較的広い道路側溝に落ちてそのまま排水とともに体を流され溺れた記憶がある。どうやって助かったのか覚えてないが、きっと親は肝を冷やしたに違いない。まあ、見境なく走り回る。走るのが仕事のように。そういえば、僕は猫を飼っていた時期があるが、猫の一日は寝るか食うか走り回るかという感じだった。なんだか人間の子供と似ている。とにかく走り回る。走ることでありあまったエネルギーを放出しているのだろうか。それから走っているときの子供は、目が輝いている気がする。じっと座っておとなしくしているときよりも、目がきらきらしている。好奇心の赴くままにブレーキを踏むことなく動き回る。

僕がテラスに戻って休んでいると、ジョージ君が足を引っ掛けて転んだ。おでこを地面にぶつけてしまったようで、大泣きし、ジョージパパに慰められている。するとパパが僕に向かって「痛いの痛いの飛んで行け〜」と言うので、僕は「イタイ!」と痛がる振りをした。すると、ジョージ君は「ぶふふ!」と呵呵と笑った。それに気をよくしたジョージ君はこんどは自ら僕に向かって「飛んでけ〜!」光線を連発する。僕は散弾銃で打たれたように、「イタタタタ」と痛がった。ジョージ君に笑顔が戻る。そしふたたび元気になって「よーいどんしよう!」とまた僕たち大人二人を誘う。彼は転げた場所まで走っていって「めっ!」と地面を叩きつけた。そしてまたかけっこを始めた。

日も暮れてすっかり暗くなり、僕らが帰ろうと言っても、ジョージ君は「まだ」といって走り始める。無尽蔵にエネルギーがあるみたいだ。飽きるということがないらしい。それが大人心にびっくりする。あれだけ走ったら飽きそうだけど、そういう素振りは一切ない。ひょっとしたらメロスよりも走っているのではないだろうか。

子供は大人よりもランナーだ。ひとつのことを飽きずにつづける力がとてもある。そのエネルギーは元・子供だった僕にもあるはずだ。人はきっと走り続けるエネルギーをもっているのだ。それを大人になって忘れてしまった僕にジョージ君は教えてくれているのかもしれない。

写真集という瞬間リフレッシュ。

突然の告白をお許しください。僕の仕事机には様々な参考書・ビジネス書とともに桐谷美玲さんの写真集が鎮座されている。彼女の写真集は僕にとって仕事をする上で欠かせない大切な相棒になっている。といっても、べつにいやらしいツールとして使っているわけでは決してない。

仕事中、頭から煙が出るくらい煮詰まって、しっちゃかめっちゃかな状態に陥っているとき、僕は、おもむろに桐谷さんの写真集を取り出す。彼女の屈託のない笑顔や美しい横顔を眺めていると、オーバーヒートしていた頭がハートマークで埋まり、熱した脳が冷蔵庫に放り込まれたように冷めていくのだ。考え疲れもどこかに消え去り、頭がいくらかクリアになる(個人差があります)。

そんな桐谷写真集とともに日々を過ごしている僕ですが、もともと彼女のファンというわけではなかった。たまたま会社に置いてあった彼女の写真集を年末の大掃除で処分する運びとなり、台車に積まれていた桐谷写真集を発見した僕が、そういうことならと引き受けた。ダンボール箱に入れられた捨て猫を拾うかのように。はじめのころは空いている時間に眺める程度だったのだが、彼女との接触回数(写真との対面)が増えるたび、いつしか気になる存在となり、彼女が結婚を発表したときには、片思いの恋が破れたように落ち込んだ。

一方的な恋は一方的に破れてしまったけれど、それでも、あいかわらず、彼女の写真集は僕にとって大切な相棒だ。煙草を吸わない僕は、それまでリフレッシュするうまい方法を見つけることができなかった。頭から煙が出そうになったら、うまく火元を消すことはできず、そのまま過熱状態に陥ることが多かった。リフレッシュをするために、仮眠をとったり、音楽を聴いたり、お風呂につかったり、といろいろ手段はあるけれど、どれも時間を要してしまう。外に出たら、ある程度気分転換になるかもしれないが、仕事のことから頭が完全に離れることは難しかった。それらと比べて、わずかな時間で頭の空気を入れ換えられる写真集はなかなかいいリフレッシュツールだと思っている。

写真集をこういう使い方で利用できるとは思ってもいなかったので、あの年末の大掃除での出会いは運命的だったのかもしれない。おかげで僕の生産性・効率性・クオリティがあがったかどうかはわからないが、もし高まっているのなら、桐谷さんのおかげです。ありがとうございます。

失笑の多い人生を過ごしている。

僕にはいいかげん直した方がいいよなあと思いつつ、改善されていない悪習がある。駄洒落である。駄洒落を言うのは誰じゃ? と口走ったことはないが、自分のプロフィール欄に「癖」の項目があれば、「駄洒落」と記して違和感のないくらい習慣化している。もっとも、「駄洒落」というワードならまだ恥を感じることは少ないが、ほぼ同義語の「おやじギャグ」として周囲のみなみなから指摘されてしまうと、とたんに赤面度はあがる。

先日も仕事の打ち合わせ中に、入社2年目の若手が、

「蛇の飼育ブログを書いてます」

と言った。それに対して僕は間髪入れずに、

「ヘビーだぜ、と書いてるんだね」

と口にした。その場は失笑の嵐である。特に20代前半の若者たちからは「あはは」と笑いつつも、目は笑っていない。むしろ、おやじギャグだ、という蔑みの目でこちらを見ている。僕はいたたまれなくなり、ああ、またやってしまったと肩を落とす。そして後悔が泥となって心を廻流する。

が、しかし、思い過ごしかもしれないけれど、その場の空気はいささか温まったと思う。張りつめていた空気の中に、風船がぷかぷかと浮かんできたような朗らかな空間に変わった。その証拠に「ヘビー以後」は、堰を切ったように若者たちからの意見が飛び交い始めた。「こんな下らないことを言っても許される」と思ったのかも知れない。

僕はおっさんになったからといっておやじギャグを言い始めたのではなく、それこそハタチそこそこから、この手の駄洒落は言っていた。周りの人を笑わせたい、楽しませたい、という思いが僕の根底に根強くあったからだ。でも、そのために、駄洒落を用いるという愚考はなかなかどうしてうまくいかず、大笑いよりも失笑の多い人生を送っている。

だが、先のように周りの空気をマッチの火くらいは温めている、と思うと、こういう癖も悪くないぞ、と考え直してしまい、結局、僕の悪習は改善されない。そのうち、いつか本気で煙たがれれる前に辞めなければいけないと思っている。いずれ、ニコチン中毒やアルコール中毒のようにダジャレ中毒になってしまう前に。

姿勢は伝染する。

何十キロもの距離を走り、見上げるほど長い階段を何往復もし、ジムに戻ってひたすらミットを打ち、それからサンドバックに全力で拳を放ち、シャドーをし、筋肉トレーニングを行い、また走りに行く。大事な一戦に向けて、血反吐が出るくらい体を追い込むプロボクサーの姿を見ると、心を打たれて、自分もがんばろう、という気持ちが湧いてくる。

ラッセル・ウェストブルックというNBAプレイヤーがいる。彼は、その日の試合がまるで人生最後の試合のように、燃え尽きて灰になってしまうかのように一試合、一試合、望んでいる。命を削っていると思えてならない気迫のこもったプレーを観客に見せてくれる。そういう魂のこもった姿を見ていると、なんだか感傷的になるし、自分の心に火がボッとつくことがある。

ももいろクローバーZも鼓舞されるときがある。僕はライブに足を運んだことはないけれど、YouTubeで彼女たちのライブ映像を見ているだけでも、全身全霊で、魂を込めて歌って踊って大勢の観客を楽しませようとする姿を見ていると、画面越しにエネルギーをもらって、自分もやるぞ、という気持ちが心の底からぶくぶくと湧き出てくる。

同じように、友人や同僚のがんばっている姿を見ると、その姿勢に感化され、僕の気力も湧いてくる。「がんばれ」と言葉で言われるよりも、がんばれる気がする。だから、というわけでもないけれど、近くにいる誰かを応援したいとき、「がんばれよ」と声をかけるのもいい。でも、自分のがんばる姿を見せることが何よりのエールになるかもしれない。きっと、言葉より伝えることができるはず。姿勢というのは伝染する力があると思うのだ。