吾輩は猫背である。

吾輩は猫背である。名前はまだ無い、わけがない。
どこで生れたかとんと見当はつく。広島である。何でも薄暗い病院でオギャーオギャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩の背中はこの時から立派に丸まっていたのだろう。

吾輩の事を知っている人間が見れば遠目で見ても認識できるであろう。なぜなら背中が折れ曲がっているからである。炬燵で寝ている猫のように。

吾輩は猫背だと自覚したのは小学5年生の運動会のときだ。行進の練習中に担任の先生に姿勢の事をこっぴどく指導された。しかし一向に背中の丸まり具合が治らない僕を見かねて、やがて先生は折れた。もしこの時先生の愛の鉄槌により強制的に姿勢を正されていたら、今の丸まった吾輩はいなかったと思う。

あるとき、このままではいけない、と一念発起した。「猫背が治る」という種の本を何冊か買って熟読したり、テレビで猫背の矯正法番組をやっていたら録画して正座(の気分)で見入ったり、本腰を入れて治そうとしたことがある。でも、猫背矯正法の効果があるのは一時的なもので、気がつけば秋の枯れ葉のように吾輩の上半身は折れ曲がっていた。

歩行中、窓ガラスに写る自分の姿を見ると姿勢の悪さを嘆いてしまう。これはみっともないと背中を張ってみるが、歩行を再開すると、また元に戻ってしまう。どうしようもない。

美しくなるために人間の世界にはお化粧というものがあるが、姿勢を正す事もお化粧だ、と断じても問題なかろう。直線に張った背中は、それだけで丸まっている人間を輝かせる。それはわかっているのだが、年季の入った猫背はこびりついた錆のように治らない。困ったものである。

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魂が共鳴してしまった喫茶店。【トンボロ】

お店の根っこにある魂とじぶんの根っこにある魂が共鳴するような、とても居心地のいい喫茶店に出会ってしまった。神楽坂の路地裏にある「トンボロ」という喫茶店です。

戸を開けた瞬間から「トンボロ」が僕のお気に入り喫茶店リストに入るまで時間はいらなかった。窓から射し込む薄暗い光、武骨だけど温もりを感じるウッドテーブルとウッドチェア、やさしさに包まれた音楽……と、入店してまもなくお店を形づくるいろんなものが愛おしくなっていた。

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カウンターの席に腰を下ろし、Bブレンド(コクと苦味)とトースト(サラダ付き)を頼んだ。ご主人は慣れた手つきでコーヒーを淹れる準備とトーストとサラダの調理にとりかかる。ボッ、とガスコンロの火をつける音がする。袋から食パンを取り出してグサッ、グサッ、とカットし、タッタッタッタッと野菜を小気味好く刻んでいく。静かな店内にゴゴゴゴと豆を挽く粗い音が響く。フシュー! と、やかんの注ぎ口から湯気が吹く。ボーーン、という低音が響き渡る。おや、この音はなんだろうと思ったら、それは午後1時半を告げる時計の音だった。重厚な響きである。軽井沢の奥地に建つ別荘にかけられている古時計のような音だ。気持ちのいい時間が流れていく。僕は分厚い本を開き、物語の世界に入っていった。それからどれくらいの時間がたっただろう。夢中になって本のつづきを読んでいるとコーヒーとトーストが運ばれてきた。いつもなら本を閉じると物語から覚めてしまうところだけど、店内の空気がそうさせるのだろうか、物語の残滓は僕のまわりに消えることなく飛んでいた。

トーストとサラダは綺麗に盛り付けられていた。19世紀の画家が描いた絵のような美しさがあった。フォークを手に取り、まずサラダをいただいてみると抜群にうまい。手を抜いていない味だと思った。慎重に積み木を重ねるようにひとつひとつの工程を丁寧につくっている味がする。サラダを注文すると、くたびれたシャツみたいな覇気のないヨレヨレになった野菜が出てくるときがあるけど、こちらのサラダはそうではありません。クリーニングで仕立てたばかりのピンとはった食感がある。シャキッとしたうまさがある。つづいてこんがり焼けたトーストを食べる。厚みがあり、歯ごたえもあり、優雅な味であった。トーストに添えられているいちごジャムも上品なテイストで、トーストにつけていっしょに頬張るとさらに上等な味になった。コーヒーもあたりまえのようにうまい。提供されたどの品も心血を注いでつくられていると感じた。

コーヒーとトーストを合わせて1050円。平日のランチとしてはいささか予算オーバーだったけど、そのぶんだけの心地よさと、おいしいコーヒーとトースト(とサラダ)を提供してくれるので目くじらをたてることはいっさいない。そこで流れている時間を含め、幸せを味わえるご馳走であった。平日の昼がまるで日曜日の昼下がりのようなまろやかな時間になっていた。ただひとつ、喫茶店トンボロに欠点があるとすれば、いちど入ってしまうと出たくなくなってしまうことだ。

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僕らはみんな夜景の点灯員。

うちに帰ってまずすることは、お風呂に入ることよりも、ごはんを食べることよりも、音楽をかけることよりも先に明かりをつけることである。電気をつけないことには部屋の中をまともに歩けないし、なにをするにも暗闇のままだと困ってしまう。それこそまちがえて猫の尻尾でも踏んでしまったらたいへんだ。ンギャー!と叫びながら部屋中を駆け回り、嵐が過ぎ去ったごとくものが散乱した部屋に様変わりしてしまう。まあ、とにかく平穏な夜をおくるために明かりをつけるんですが、それは同時に夜景をつくる一助にもなっていると思うのである。

もちろんこれはじぶんの部屋の明かりにかぎったことではなくて、車を走らせるときにつけるライトも、道を照らすための街灯も、オフィスに居残って作業するための蛍光灯も、みんな夜景をつくる一助になっている。

展望台とか、東京タワーとか、飛行機から夜の東京の街を眺めると、ひとつひとつの小さな明かりが星のように輝きだして息を呑むほど美しい夜景をつくってしまう。目の前で見たら、なんの感興も湧かない明かりも、はるか上空の位置から見ると、人の気持ちを高揚させたり、感動させる明かりに変わる。

明かりをつけることは夜景をつくることとつながっている。部屋の明かりをポチッとつけることは誰かのための夜景を演出していることでもあるのだ。だから、夜の世界に明かりを灯す僕らはみんな夜景の点灯員でもあると思うのです。

あるときは誰かの人生の記憶に残る夜景をつくり、あるときはじぶんの人生の記憶に残る夜景をつくってもらう。もちつもたれつ夜景の世界。今宵もひと押しいたすかな。

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おじさんにナンパされたときの話。

電車で知らないおじさんにナンパされたことがある。

僕よりだいぶ年配のNさんと一緒に帰っていたときのことだ。Nさんは会社の上司でもなく、学校の先輩でもない。お昼時によく出かける定食屋の常連のひとりでそこで知り合った間柄である。ふだんは寡黙だが、時折口にだす言葉はおもしろく、それでいてダンディーな方である。孤独のグルメの演者が松重豊からNさんに変わっても僕は違和感なく受け入れることができるだろう。おちゃめでおもしろくてかっこいい方である。が、今回お話するのはそのNさんのことではない。

その日の夜、定食屋の常連による飲み会があった。みんな会社も性別も年齢もばらばらの「ランチの常連である」という一点のみが共通項のメンバー構成だ。が、ふしぎと仲はよく気があうようで、たびたび飲み会が行われていた。その日も飲めや歌えやでひととおり盛り上がってから解散した。Nさんと僕は帰り道の路線が同じこともあり、一緒の電車に乗って帰ることになった。

事件が起きたのは、その車内でのことだ。

Nさんは東京の中目黒で育った。
お酒も入っていたせいもあるのだろう。Nさんは昔を懐かしむように「中目黒は今みたいな街ではなかったんですよ」と吊り革につかまりながら酔いどれ口調で話をされていた。すると、そのときである。僕たちの目の前に座っていた男性が、一瞬の空いたすき間を狙って割り込んでくる車のように話しかけてきた。

「昔はよかったんだけどさ。今はすっかりオシャレになっちゃってダメだね」

その言葉はまちがいなく僕ら二人に目がけて飛んできたものだった。見ると背広を着た50代と思しき方が僕らのほうを向いている。顔を上げたときに黒縁のメガネがキラリと光る。とつぜんの出来事に僕ら二人がとまどい驚いていると、

「ごめんね、どうしてもナカメの話が気になっちゃって。中目黒は赤提灯の町だったんだよ」

と、ひるむことなくつづけて話しかけてきた。そのあとは吊り革に全体重をあずけるようによれかかる僕ら二人と席に座るおじさんという奇妙な三角関係ができあがり、会話は途切れることなく進行していった。話を聞いていると、どうやらこの方も生まれたときから中目黒に住む生粋の中目黒人で、昨今のオシャレスポットと化した中目黒を嘆いている一人であった。それからといういうもの、Nさんとおじさんのナカメトークならぬ地元トークに花が咲く。僕は比較的だまって聞いている。周りから見れば上司と部下の関係なんだろうという光景である。だが、三人とも会社は別だし、座っているおじさんに限っては名前も知らない。

終点の中目黒駅に着いたとき 「お兄ちゃん、このあと飲みに行くかい? 中目黒のほんとうのいい店を紹介するよ」とおじさんに誘われた。その日のイベントはひととおりこなして精根尽き果てていたし、しかも、知らないおじさんに声をかけられても着いていってはダメよ、と母に口すっぱく言われて育った僕は困ったぞと哀願の目をNさんに投げかけると、Nさんは「僕は妻が待っていますんで。じゃ」とそそくさと隣のホームにきた東横線に乗っていってしまった。

まあ、こんなことも人生でそうそうないことだし、何かに導かれた縁かもしれない、ということで腹を決めて名前も知らないおじさんに着いていくことにした。運命の赤い糸ではないことだけは祈っておいた。

一件目に連れていってもらったのは中目黒駅から徒歩3分くらいの歴史の古そうな居酒屋である。外観からはいかにも昭和時代から営業している様子が見てとれた。おじさんに促されるままお店に入った。

僕はお酒が好きではなく、飲みの席ではウーロン茶かジンジャーエールのどちらかしか頼まない人間で「ビールでいいよね?」と上司に言わても「ウーロン茶でお願いします」というめんどくさい性質を持っているんだけれど、このときばかりはおじさんが「ビール二つ」と言っても断ることはできなかった。数年ぶりにビールを味わった夜は、名前も知らないおじさんと過ごした夜だった。峰不二子とカクテルで乾杯する一夜なら喜んで飲むんだけれど、現実はそう甘くできているものではない。

そのときにしたおじさんとの会話はほとんど覚えていない。とにかく仕事のことを話したことだけは覚えている。現在の仕事のこと、キャリアのこと、悩みといったことなど、上司や同僚、友だちにさえ話さないようなことをおじさんにはすべてを打ち明けるように吐き出していた。名前も知らない間柄だからこそ、なんでも言えた。

久しぶりの酔いどれ気分に浸りながら、居酒屋を出たあとは寿司屋に連れていってもらった。「月に1回くらいは来るかな」とおじさんは言っていた。カウンターに座るなり、おじさんの寿司講義がはじまった。このときのいくつかの会話はまだ覚えている。

「かんぴょうは、<巻き>じゃなくて<握り>がうめえんだよ」
「うにはすだれにかぎるね。うにっつったら、ふつう海苔で巻くでしょ? そうじゃねんだよ。すだれね、す・だ・れ」
「ここの大将が考案したんですか?」と僕。
「ちがうよ。俺が考えてマスターに頼んだんだよ。 ね、マスター? 発想だよ、発想。わかる? 発想だよ」

おじさんは寿司屋の職人を大将ではなくマスターと呼ぶ。
そして口グセのように「発想だよ、発想」という言葉を繰り返していた。

「どうだ、ここの中トロのサシ、うめえだろ。発想だよ、発想。わかる? 発想だよ」
「おいしいっす。めちゃめちゃうまいっす。発想すごいっす」

と、なんだかわけのわからない寿司講義を受け、たくさんご馳走になった。

寿司屋を出るとおじさんと別れのときがきた。
「たぶん次すれちがっても、忘れていると思うけどごめんねー!」 と意気揚々におじさんは家族の待つ自宅に帰っていった。 僕もタクシーを呼んで自宅に帰った。

けっきょく、おじさんの名前を知ることはなかったし、連絡先も交換しなかった。何かが始まる前に僕らは別れたのだ。でも、それできっとよかったのである。

出会いと別れをいちどに経験することになったこの日の夜。
おじさんと過ごした時間は人生のタイムラインでみれば流れ星のようにほんの一瞬の出来事だった。 でも、それはまるで北極星のように煌々とした出来事でかんたんには忘れられない時間になった。 こういうおもしろいおじさんも住んでいる中目黒。街の住民の人間くささを知り、前より、中目黒のことがちょっと好きになった。 たった一人でも、街の印象は変えられるんだということを知った。

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なんども歩きたくなる山。【陣馬山〜高尾山】

○ 8:10 陣馬高原下バス停
2018年5月11日土曜日。晴天。僕は山間を走る早朝のバスに揺られていた。一週間の仕事を終えた金曜日の夜、山にまみれたい気持ちがうねるように高まって、あしたは山に行こうと決めたのだ。「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ」という有名な問答があるけれど、たとえ目の前に山がなくても行きたくなるときがある。あらゆる生命が集まってくるように、山には虫だろうが獣だろうが人だろうが現世に生きとし生けるものたちを引き寄せる力があると思うのです。

陣馬山を目指すときの一般的なスタート地点である陣馬高原下のバス停についたとき、時刻は8時10分だった。バスから降りると背筋がぴんと伸びるようなひんやりとした空気が僕を迎えいれてくれた。5月の奥高尾は新緑に包まれたきもちのいい朝に仕上がっていた。都心の街にはつくることのできない朝の空気がそこにはあって、この空気を求めに僕は朝の5時に起きてやってきたのである。

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渓流のせせらぎを耳にしながら舗装された道をゆっくりと登り、まもなく登山道へと入った。僕の目の前にはトレッキングポールを手に持った一人の女性が慣れた足取りで登っていた。その前には高齢者のグループの方々が声を掛け合いながら登っていた。山を登っているといろんな人と巡り会う。はじめのころに出会う人、休憩中に出会う人、山頂で出会う人、道の途中で再会する人、おわりのころに出会う人、出会いという点で登山は人生と似ている。

木洩れ日の中、ゆるやかな上り坂を過ぎると急斜面があらわれた。かろやかにステップを踏んでいた足取りもとたんに重くなって汗がどっと吹き出てくる。息も切れてくる。いつの間にか僕のまわりにいた登山者の姿は見えなくなり、山林の中で一人きりになっていた。じぶんの呼吸が大きく聞こえる。鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてくる。びょーんと伸びた背の高い木々の枝葉からこぼれる光と影が織りなす土の斜面がとても綺麗だ。自然がつくる絵画のような美しい光景を目にしながら僕はいったん足を止めた。登山は競争ではない。タイムアタックでもない。立ち止まって休んだほうが楽しめる。そう自分に言いきかせて僕は休んで、また歩き出す。

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グループで登山に来ている人たちを見かけると楽しそうでうらやましいと思うこともある。でも、ひとりきりの登山だって決して退屈ではない。まわりからみると、一見、無口でつまらなそうに見えるかもしれないけれど心の中ではけっこう自分と会話をしているのです。家にいるときよりも、たぶん話しているだろう。写真や動画を撮るときを抜きにすればスマートフォンに触ることはないし、テレビだってもちろん目にすることはない。本を読みながら歩くこともない。自分との会話を妨げるものは何ひとつないのである。ひとりきりの登山者は内なるじぶんの声に耳を傾けながら、ひとりてっぺんに向かって歩いている。

自然に満たされた空気を胸いっぱいに吸う。深呼吸がきもちいい。しかし、山を登るということはきもちいい瞬間だけではなくて、つらい時間もあたりまえのようにある。むしろ、山頂まではそっちの時間のほうが多いかもしれない。傾斜のきつい道を登っているときはバスケットの試合を終えたときのようにたくさんの汗が全身から流れ出る。首に巻いたタオルがここぞとばかりに大活躍している。そうやって大量の汗を流しながら、一歩一歩登っていくとだんだん視界がひらけてきて山頂に着いていた。

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○9:10 陣馬山 山頂 
陣馬山の山頂は好きな山頂のひとつです。なによりも広範囲にわたってひらけていて、のびのびできる解放感がたまらない。しかも、この日は天候にも恵まれ、富士山がくっきりと見えた。朝から何も口に入れてない僕はこの山頂で朝食をとることにした。

綺麗に浮かび上がっている富士山を目にしながら「信玄茶屋」で注文した陣馬そばをいただく。富士山の景色がそうさせるのかわからないけれど、とにかく朝から何も口に入れていない僕の体にとってとてもうまい蕎麦だった。うまいだけじゃなく、やさしい味もした。それはたぶん登山者を受け入れるおやっさんの味だ。山の上で蕎麦を召し上がる朝は、喫茶店で熱いコーヒーとタマゴサンドウィッチをいただく朝と同じくらいたまらない時間である。首をぐるりとまわして富士山からちがうところに目を移すと山頂の片隅で日光浴をしている男性を見つける。太陽と富士山に向かって寝そべっている姿がとてもここちよさそうだ。山頂にやってきた人たちが寝っころがってるおじさんを見つけては羨ましそうに見ていた。 

朝食をいただいてから用を足しに便所に行った。小便をしているときに数匹の虫がブンブンと飛び回って寄って来る。僕が微動だにできないことをいいことに、虫たちは僕の周りをおちょくるようにぐるぐる廻っている。露わになっている下半身が刺されなければいいけれど、と一抹の心配をしながら用を足した。しかし、こういうときに限ってなかなか出なくて困ったものである。まあ、刺されたりはしなかったのでよかったのだけれど。ここで致命的な負傷をしてしまったら、本日の山行プランが台無しになってしまうのでヒヤヒヤものであった。

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○ 10:00 陣馬山 出発
陣馬山からは平坦なコースかもしくは下り坂がメインの道になってくる。陣馬山から高尾山の間では陣馬山がいちばん標高が高いため、それからの道は上り坂が少なくなり、楽に歩ける道が多くなるのです。ここからはもう森の中の散策気分である。僕はこういうゆるい道がかなり好きで、歩いているだけで気分がよくなってくる。

向こうのほうからものすごいスピードで迫ってくる人がいる。はじめに目にしたときは点のような存在だったけど、あっという間に近づいてきて正体を認識できた。それは真っ赤なTシャツを着た黒人のトレイルランナーで、水のペットボトルだけを片手に持って山の中を天狗のように疾走していた。すれちがうとき「コンチャ!」と大きな声で挨拶をくれたので僕も「こんちは!」と元気よく返した。一瞬の出来事が過ぎたあと、また平坦なコースを歩きつづける。

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○ 10:25 明王峠
僕は山が好きだ。どうしてだろうと思う。自然が好きだという単純な理由もある。でもそれとは別に、山は肩書きを脱いでいる人たちの集まりでもあるから好きなんだとも思っている。僕は呑めないくせにバーという空間も好きなんだけど、バーも肩書きを脱いでる人たちが集まってるから好きなのです。一人の人間として関わり合うことができる。僕はそういう場所がとても好きで、好んで出かけるのですが、山にも似たようなところがある思うのです。土の絨毯を歩きながら、そんなことを考えていた。山行時間を確認し、明王峠をすたすたと通り過ぎる。

○ 11:30 景信山
景信山は眺望が良くてパノラマのように東京の景色を広く見渡せる。でも、なぜだろう。陣馬山で富士山と対面したときのほうが感動はあった。もちろん僕個人の感想なので人によっては景信山の方が好きだという人がいらっしゃることも理解しています。そんな僕の景信山での楽しみは眺望よりも、なめこ汁である。とてもうまくて一杯250円。汗をかいてる体がよけいに温まるんだけど、やさしい温まり方でほっこりするうまさだ。コンビニで買っておいたおにぎりと一緒になめこ汁をおいしくいただいて景信山を後にする。

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○ 12:20 小仏峠
ウッドベンチに二人組の女性が座っていた。盗み聞きするつもりはなかったけれど、ひと息ついていたら二人の会話が耳に飛び込んできた。正確に言えばひとつのフレーズが聞こえてきた。
「私の人生で山から富士山を見ることがあるなんて」
前後の文脈をきちんと聞いていなかったので、その女性がどういう思いでこの言葉を発したのかはわからないけれど、そこには少なくとも感動の響きのようなものが含まれていた気がした。

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○ 12:35 小仏城山
城山あたりから登山者の格好をした人のほかに軽装の人たちをちらほらと見かけるようになります。駅前の繁華街のような賑わいが出てきて一気に都会めいた山になる。子どもたちや青年たちの声が楽しそうだ。ここまでくれば高尾山はもう目と鼻の先である。僕は休憩もほどほどに先に歩を進めた。

背中越しに聞きおぼえのある声がふたたび聞こえてきた。「コンチャ!」。先ほどすれちがったはずの真っ赤なTシャツを着た黒人のトレイルランナーがこんどは後ろから僕を颯爽と追い抜いていった。おそらく陣馬山で折り返してきたんだろう。すさまじい体力とじょうぶな足腰をおもちの方である。彼は風のように通り過ぎ、あっという間に小さくなっていった。

それからしばらく歩いていると、こんどは長髪のお年を召した登山者とすれちがった。長い髪は肩から胸のほうまで垂れ下がり、あますところなく白髪である。手荷物も少なく、近所に散歩に来たような格好で軽快に歩いていた。登山をしていると、ときどき、そういう方をお見かけするが、山の中でそういう姿をした人を目にすると仙人に思えてしまうのは仕方がない。

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○ 13:10 高尾山 山頂
陣馬山から歩いてきた登山者をさいごに待ち受けるのがきつい石段です。どうしてこんなに高いんだろうと思うくらい一段一段の高さがけっこうある。5時間にわたって長い道のりを歩いてきた人間にとってこの高さのある石段は膝にくる。とはいえ、引き返すという選択肢は万に一つもないので膝にがんばれと言いながら登る。山頂のほうから聞こえてくるにぎやかな声がだんだん大きくなっていく。もう少しだ、と自分を励ましているうちに山頂に着いた。

高尾山の山頂は世界でいちばん登山者の多い山とあってものすごい人であふれていた。ビニールシートを敷いて昼間からビールをあおっている一団もあったりして、まるでお花見のシーズンのように人でごった返している。僕はその隙間をかいくぐって自動販売機に向かい、コカ・コーラを手にとる。なぜだかわからないけれど、山行の目的を達するとコーラで乾杯するクセがついてしまっているのである。ご褒美と呼ぶには安価な一杯かもしれないが、歩ききったあとにコーラを片手に腰を下ろし、何を考えることなく飲んでいると至福の風を運んでくれるのです。僕にとっていちばんコーラがうまくなる瞬間です。そうしてひと息ついたら高尾山口に向かって出発。この日は4号路と2号路を通って下山しました。

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○ 14:10 京王高尾山温泉
登山と温泉。この二つはよくセットで語られることが多いように下山後の温泉は格別である。コーヒーとサンドウィッチのように、枝豆とビールのように、登山と温泉はささやかな幸せをもたらしてくれる黄金のコンビなのである。

向かったのは高尾山口駅に併設されている『京王高尾山温泉』。高尾方面の山に登ったときはかならずと言っていいほど立ち寄る温泉です。とくに露天の景色が好きでまったりと湯に浸かったり、外気にあたったりして、ぼーっとしているだけでなんだか心地よくなってくる。これ以上ないといいたくなるくらい、きもちのいい昼下がりである。小一時間ほど、まどろみのような時間を味わって帰宅の途につきました。

陣馬山から高尾山の山行は、歩くことと、自然に包まれることが好きなら、とてもいい道だと思います。都心から交通費もそれほどかからないし、緑の空気を手軽に味わうにはとてもいいハイキングコースだと思います。

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スーパーは理性と本能の戦場だ。

仕事を終え、最寄駅を降りて、今宵の献立を一考しながらスーパーへと向かう。惣菜コーナーにたどり着き、好物の「かに玉あんかけ」や「ポテトコロッケ」が残っていることを発見すると、とたんに心は弾みだし、上機嫌になる。お酒を呑まない僕にとってそれらの惣菜は一日の終わりに幸福をもたらしてくれる嗜好品でもあるのだ。

でも、ことはそう簡単に終わらない。「かに玉」か「コロッケ」をレジに持っていけばそれで買い物は終わるんだけど、そう簡単にすんなりとことは運ばない。るんるん気分でお目当ての惣菜を手に取ろうとすると「待ちなさい」ともう一人の僕がストップさせてくるのだ。「昨日もコロッケを食べたじゃないか、二日連続で揚げ物はダメだろう」と理性の僕が本能の僕にささやいて幸福から遠ざけようとする。それからは理性と本能の戦いの開始である。「かに玉食べたい、コロッケ食べたい」「ダメだ。早くこの場から立ち去れ」と惣菜コーナーの前で壮絶な合戦がはじまっている。

カロリーのことや健康のことを考えると「かに玉」も「コロッケ」もやめたほうがいいことはわかってる。それよりもトマトやブロッコリーを買って卵と炒めて調理したほうがいいことはわかっている。それはそれで美味しいことはわかっている。でも、本能の僕が食べたがっていて、手を引っ込めようとする意志に抗うように僕の右手を再び惣菜容器の方へと連れ戻していく。均衡した綱引きのごとく僕の右手はかに玉やコロッケの上空で揺れ動いている。

スーパーは残酷な場所だ。理性と本能の狭間で僕を苦しませる。

そもそも、お店に近寄らなければいいんだけど、磁場のような力でぐぐぐっとスーパーに導かれ自動ドアの中に吸い込まれていってしまうのだ。たぶん、あしたもあさってもこの戦いはつづくだろう。一カ月後も一年後もおそらくつづいているだろう。いつの日か理性と本能の間に平和条約が結ばれて平穏な夜が訪れるといいんだけれど。

体に火がついた650円の湖南料理。【紅龍】

昼下がりに空っぽになったお腹を満たすため、神楽坂の路地を歩いていると「1時よりランチメニュー全品★650円★」という看板を見つけた。何も装飾されていないテキストだけのシンプルな看板である。が、そのワンフレーズは金欠の僕の胸にぐさりと突き刺さった。悩むことなくするするすると階段を上り、扉をあけた。

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窓から射し込む光と薄暗い照明によって作られた店内は、昔の探偵ドラマのワンシーンのような趣がある。いかにも松田優作が腹ごしらえをしていそうな空間だ。入口付近の上部にテレビが設置され、お昼の番組が垂れ流されている。カチャカチャと食器を洗う音が遠くから聞こえてくる。客席はほとんど埋まっていた。昨今の流行である洗練された店内とは異なり、昭和の時代を色濃く残すお店であった。僕は店のおばさんに促されてテーブル席に腰をかけた。

ランチメニューは表面と裏面のA4一枚の紙で作られていて片方の面には「湘南料理」とあった。湘南の海の幸が照らす青々とした明るさはどこにもないお店の雰囲気に驚いてもう一度目を凝らしてみると「湖南料理」と書いてあった。あとで知ったのだけど「湖南料理」とは中華料理で一番辛い料理なのだそうだ。僕は初めて目にした四字熟語に心を奪われ、その中から「よだれ鶏」を注文した。よだれが出るほどおいしいのだろうか。

注文してから本を2ページも読み進まないうちに「よだれ鶏」が運ばれてきた。見た目は棒棒鶏に似ている。早速食べてみると、うまい。が、辛い。これは辛い。そのときの僕は前知識が一切なく油断があったせいもあっただろうけどゴホッと咳き込んでしまった。辛さを中和するためにあわてて白米を口の中に突っ込む。うん、うまい。ほどなくして顔の表面が熱くなり、ポツポツと汗が吹き出てくる。二口目をいこうと皿を探ると細切りされたきゅうりが隠れていた。嬉しい付け合せである。鶏ときゅうりを箸でつまんで一緒に頬張るときゅうりの冷えた食感が辛さを緩和し、さらにうまくなった。なるほど。

しかしながら、口の中が空っぽになると辛さだけが強く残り、しかも、その勢いは時間がたつほど増していく。気がつけば鼻頭に汗がたっぷりと吹き出ていた。紙ナプキンで汗を拭きながら、コップに注がれた水をぐっと飲み込む。空になったとみるやいなや、お店のおばさんが水を注ぎにくる。慣れた手つきで水を注ぐと他のテーブル席に移動し、同じように空になったコップに水を汲んでいる。僕は視線を戻し、鶏ときゅうりを繰り返し口の中に入れる。熱く蒸されたサウナ室の中にいるように汗がだらだらと流れていく。やがて、辛さが喉を突き抜ける。紙ナプキンを手に取り、鼻や頬や額に流れ出た汗を拭く。一回では収まらないので何度も拭く。遠くのほうから食器を洗う渇いた音や中華鍋を振るう音が聞こえてくる。扉の向こうからはお客さんが次から次へとやってくる。

完食してしばらくたっても口の中は火を噴いていた。このお店の料理のボリュームはそれほど多くないと思う。でも、満足感はある。本場感がある(中国本土で食べたことはないけれど)。大量に作って大量に食べてもらえれば満足だろうという類の中華料理屋ではない。650円の対価として、この辛さとうまさのクオリティはとても満足できるものであった。疲れていた体が火照った体になって僕は神楽坂を後にした。

お店の名前は「紅龍(ホンロン)」です。

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